シャーは酒場で時間をつぶすといって、ラティーナを連れて行こうとしたが、彼女は丁重に辞退した。そのときのシャーの悲しげな顔を言ったら、腹が立つぐらいであったが、とにかく無視して振り切った。酒場に昼間からたむろしている彼の舎弟たちが、哀れみ半分からかい半分にシャーを慰めたり、笑ったりしていた。
 シャーなどに構っている場合ではない。ラティーナは、昼に重要な人物と会わなければならなかったのだ。
 シャーと別れて、ラティーナは決められたとおりに、神殿の礼拝所に行った。神殿には人があまりいなかった。静かで、神聖で、しかし、おごそかな空気に包まれ、ラティーナは決められたとおりの作法で祈る。この神殿には、戦の女神が祭られているという話だった。偶然、「彼ら」がそれを選んだのか、それともシャルル暗殺の成功を祈念するために指名したのか、ラティーナにはよくわからない。
 礼拝のあと、ラティーナは、神殿の椅子に座って待っていた。やがて一人の男が現れ、彼女の目の前で祈り始めた。一通り祈り終えると、彼はラティーナの横に自然な形で座った。
「使者はあなた?」
 ラティーナは声をかけ、そっと男の顔を覗いて、ふと口を押さえた。
「ザミル王子」
 ラティーナは、意外なところであった人物に少し驚いていた。そこにいるのは、少し癖のある黒髪に、穏やかな瞳、整った顔をした優雅な青年だった。ザミル=リヴィートという名の、この綺麗な服を着た青年は、彼女の良く知る人物の弟である。つまり、この国の王になるはずだった人の弟だ。
「どうして……こんなところにいらっしゃったんですか?」
「あなたが協力していると聞き、使者に役目を代わってもらったのです」
 ザミルは、兄のラハッド王子によく似た、柔和で穏やかな面差しをしていた。それを少し困ったようにしかめながら、ザミル王子は続ける。
「ラゲイラ卿に手を貸しているんだそうですね」
「え、ええ」
 ラティーナが少しいいにくそうな顔をすると、ザミルは哀しげに首を振る。
「危険なことはやめてください、ラティーナさん。兄のことを思ってくれているのはありがたいのですが、このままだとあなたまで反逆罪に……」
「それはわかっています。でも……」
「手を貸すのがいけないといっているわけではありません。あなたが単独行動にでているというので、心配になって……。ああ、安心してください。ここは私が懇意にしている神官さまのいる神殿です。今、人払いをしてもらっていますから、誰も聞いていません」
 ラティーナがいいにくいだろうかと思ったのか、ザミル王子はそうつげた。そして、目を伏せた。長いまつげが哀しげに見える。
「どうか、一人で危険な行動をなさらないでください」
 その言葉はいくらかラティーナの琴線に触れたようだった。彼女は、少しうつむく。
「すみません。でも、あたしは待てなくて……」
「私もラゲイラ卿に協力しています」
 ザミルは言った。
「あなたに力を貸しますから、どうかお一人では行動をなさらないでください。足並みを乱すと、きっとお互いの為にもよくありませんから。特にラゲイラ卿が何をしだすかわからない。あの男は、権謀術数を使わせるとなかなかなんですから」
「はい、……反省はしています」
 ラティーナは素直に答える。
「ただ、シャルルをどうすれば殺せるか、あたしの手で仇をとってあげたいのに」
 きゅっとラティーナのこぶしが握られた。ふと、ザミルは神殿の上を見る。戦の女神が、そこに大きな剣を掲げて立っている。
「義姉上」
 本来そう呼ぶはずであった言葉で、ザミルはラティーナを呼んだ。びくりとして、ラティーナは顔をあげる。
「……一つ、方法があります」
 ザミルは、ラティーナの目をまっすぐに見ながら言った。穏やかな青年の顔に、いくらか緊張が満ちる。
「今晩、シャー=ルギィズと連絡をとっていただきたいのです」
「ど、どちらの?」
 間違った経験からか、ラティーナは恐る恐る訊いた。
「あの、レンクって言う人のほうでいいんですか?」
「……いいえ」
 静かに、ザミルは言った。
「昨日、あなたが助けられたという人物です」
「な、なぜ、それを貴方が?」
 誰にも話していないのに、と、ラティーナはいぶかしげである。ザミルは首を振った。
「昨夜、あなたを襲ったのはラゲイラ卿の手のものでした」
「えっ! どうして!」
 少なからず動揺する様子のラティーナに、ザミルはそっと声を低める。
「おそらく、あなたの単独行動に歯止めをかけるよう、脅したのではないでしょうか。だから、お気をつけて……」
「は、はい。でも、どうしてあちらのシャーを……」
 ラティーナがいぶかしげに訊くと、ザミルは低い声で答える。


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