シャーは、思わず立ち上がって逃げ出した。時を同じくして同じ危険を感じたのか、青年がまた彼に続く。
「待ちやがれっ!」
「待てませーん!」
とっさにそう答えかえし、シャーは狭い階段へと滑り込もうとした。だが、横にも同じように逃げてきた人物がいるのを忘れていたのだ。細いシャーであったが、慌てて大げさな動きをしていたせいもあり、階段の入り口で思わずもう一人とぶつかってしまった。
「うおっ! …ちょ、ちょっと、お兄さん…!」
「わわわ、悪い!」
ひっかかってじたばたしていると、後ろから男達が迫ってきているのが分かる。慌ててふりほどこうとしたが、それがかえっていけなかった。焦っていたせいか、急に二人ともバランスを崩して、そのまま階段の方に体重が移動していったのだ。
「うわっ、バランスがーー! に、にゃああああ!」
妙な悲鳴をあげて、シャーは青年と同じくして、階段を転げ落ちていった。
「い、いたった…」
踊り場まで落ちると、あわてて立ち上がった。だが、それだけで男達の追跡がゆるむわけでもない。上を見て彼らが迫ってきていることを確認したシャーは、慌てて立ちあがり、逃げ出す。一緒に転げ落ちた青年も、同じように後からついてくる。
後ろから罵声が聞こえたが気にせずとっとと逃げる。妓女や芸人たちが妙な目で逃げる二人を見ていたが、それに気にせず一気に駆け抜ける。
さすがに館の玄関を猛ダッシュで抜けて、その前の暗い路地裏に二人そろって滑り込んだときには、後ろから追ってくる気配は無かった。
路地裏からぬーっと顔を出して誰も追ってきていないことを確認した後、ようやくシャーは落ち着いてふうと安堵のため息をつきながら、路地裏の壁にずるずるもたれかかった。
「あーぁ、たたき出されちゃった」
シャーは呆然とため息をついた。そして、横にいる冴えない顔の男を見る。同じく何となく悄然としている男は、まだ若かった。シャーはぺこりと頭を下げる。
「すみませんね、お客さんまで殴られちまって。巻き込んじゃったみたい」
「ああ、構わないよ。…慣れてるからさ」
男はそういってはあとため息をついた。
「あのウェイアード坊ちゃんとその連れにも困ったもんだ。好きな女と見れば、ホントわがままを押し通すんだから」
「お客さん、あのウェイアードさんのお知り合い? というか、お兄さんはお連れさんじゃないのかい」
男はうーんといって頭を掻いた。
「いや、連れというと連れなんだけどね」
そういって、男は人懐っこそうな顔でにっこりとした。
「オレはゼダっていって、まぁ、あのウェイアードの家に雇われてる使用人の息子さ。あいつが遊ぶのにつきあわされちまってもううんざりしてるんだよな」
「へぇ。そうなの」
シャーはいつものように応えて、ゼダという青年を見た。これといって特徴はあまりない感じの男だが、明るくて人のいい男らしい。シャーはふうむと唸って、ゼダに話を振った。
「それじゃあ、ゼダさんは、あのお坊ちゃんが最近新しい女の子に目をつけたことも知ってるの?」
「え、ああ。知ってるよ」
思いの外、ゼダは簡単にそれを認めた。
「カタスレニアの酒場にいる二人だってきいてるけどな…。いや、ホント参ったもんだよ」
「それって、ウェイアードさんは、その子がお好きなのかい?」
「さぁ、いつもの気まぐれかもなあ。ただ、あの人は、理想の女性ってのを探してるんだよ。今までのは、それに値しなかったっていって捨てちまったのさ」
ゼダは、やや軽蔑するような口調で吐き捨てる。
「…なるほどねえ」
「うん、芸人さんには悪いことをしたね。オレが謝っても仕方ないけど、ひとまず謝っておくよ。すまなかったね」
「いいよいいよゼダさん。気を遣わなくても」
シャーはそういって首を振った。
「オレもちょっと間が悪かったみたいだしね。ご主人様によろしく言っておいて」
ゼダは、申し訳なさそうな顔でうなずいた。シャーはふうむとあごをなでて、何となく考え事をしていた。
ある店の側にかくれていたリーフィをようやく見つけだし、シャーと彼女は帰途についていた。なんだかとても疲れたような気がするのは、逃げたせいだろうか、或いは人ゴミに酔ったのかも知れない。この人気のほとんどない住宅街の裏道を通りながら、シャーはリーフィの方を向いた。
「リーフィちゃん、ごめんね。遅くなって…大丈夫だった?」
「わたしは大丈夫」
リーフィはそう答え、シャーの方を見やる。少し首を傾げるようにしているのは、おそらくシャーを心配してのことだろう。
「あなたこそ大丈夫だったの? 遅かったから心配したのよ」
「ああ、オレの方はそう簡単にくたばらない体質だから」
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