不意にシャーは薄ら笑いを浮かべた。
「そりゃあ違うな。有利なのはオレだ」
シャーは低い声でいった。ゼダは、少しだけ表情をゆがめる。
「お前がちょっと左手を動かせば、オレは血反吐ふいて倒れるだろうさ。…でも、お前はそうじゃねえ…。オレが手を下せば、お前はあの世行きだ!」
シャーはかすかにまなじりをゆがめた。青い目がぎらぎら光って見えた。それは、何となく無感動な目で、表情を瞳から読みとることができない。何とも冷酷で不気味な目をしていた。
「…どうする、ゼダ。…オレはいいんだぜ、この場で砂噛んでのたうち回るぐらい。…最初からそれぐらいの覚悟はできてるんだ」
バッと不意にシャーの背後でまばゆい光が散った。ダーン、と音が鳴り、どこかで雷が落ちる。びりびりと震える大気を感じながら、シャーとゼダは黙っている。どちらかが動けば、血を見るのは明らかだ。
ふっ、と笑い声が飛んだ。不意にシャーの前にあった冷たい刃が引く。閃光の中、泥のとんだ頬を雨に洗い流されながらゼダはにやりとした。
「へへへ、いいだろう。オレの負けだ」
雨で濡れていても、けして泣いているようには見えない目だ。この状況でそんな風に笑う男は、数が少ない。そして、その表情も、なにか覚えがないようで、覚えがあるような感じでもあった。
シャーは、何となく自分の映し姿を雨だれの鏡を使ってみているような錯覚を覚えた。
ゼダは、不敵な光を瞳に宿したまま、笑っていった。
「リーフィにもサリカにも手をださねえ。……そうするよ。しばらくは、オレも遊びを控えることにしよう」
「…ホントか?」
「ああ。オレもこのままじゃ終われないしなぁ。のんきに遊んでる場合じゃねえだろう?」
ゼダは不敵にそういって笑う。シャーは、ようやく左手でぐっしょりと濡れて張り付いた前髪をあげ、ふんと鼻先で笑う。そうして、彼は剣をゼダの喉からひいた。
雨は少し小振りになってきていた。水滴のついた刀を振り、シャーはそれを腰に戻す。
「…お前のことは忘れないぜ、シャー」
立ち上がりながら、ゼダは低い声でいった。
「美人じゃなく、男に覚えられても全然嬉しくないね」
シャーは冷たく言った。
「はは、そりゃそうだろうよ。…だが、オレは忘れないぜ…。こんな気分になったのは初めてだ。こんな悔しい気分はな」
そして、ゼダは笑った。音はすでに遠くになりつつある雷の、閃光だけが彼の笑みを照らす。
「いつか、オレが殺してやるよ、シャー」
ゼダはそう言い捨て、左手で器用に刀を腰に戻す。そして、呆然と見ていたザフと取り巻きを見やって大声にいった。
「帰るぜ。……ぼうっと突っ立ってると風邪ひくぞ、お前ら!」
「は、はい! おい!」
慌ててザフが応え、背後の取り巻きを呼ばわる。彼らは呆然としていたが、歩き始めたザフに従って慌ててついていく。ゼダは、服の泥をはらいおとし、一度だけリーフィを見た。一瞬、少しだけ怯えたようなリーフィににやりと笑いかける。
「…あんたには、迷惑をかけたようだ。…一応謝っておくぜ」
そういうと、彼は軒に落ちていた上着を拾い上げて歩き始めた。その後をザフと取り巻き達が慌てて追っていく。
それをシャーとリーフィは、見送るような形になっていた。雷は遠くに去りつつあった。遠い雷鳴を聞きながら、シャーは、ようやくふうとため息をついた。
今日もどうにか死なずに済んだわけだ。雨で濡れた全身がいやに重かった。さすがに疲れてんのかなあと思いながら、シャーはようやく肩の力を抜いた。
「坊ちゃん、何も…あそこでひかなくても……。どうせ相打ちをしようなんてはったりに決まっているじゃないですか」
路地を早足で歩くゼダにおいついて、ザフはふとそう訊いた。泥だらけの主人が気になるが、主人の方は別に気にしていないようだ。
「どうして、あそこで、引くなんて…。命じてくださればオレが……」
「わかってないな、ザフ」
ゼダは、左腕を押さえていた。そこから赤い血が流れ出している。それに気づいたザフは、はっと顔色を変えた。
「坊ちゃん、それは…」
「騒ぐな! このぐらいで死にゃしねぇよ!」
ぴしゃりと言って、ゼダは腕に上着の切れ端で血止めをした。
「あの野郎、恐ろしい奴だ。 オレが一撃を繰り出している間に、二度斬りつけてきやがった…。あの時点で、オレの負けは決まってたも同然だ。……あいつがオレの喉を突く方が絶対的にはやかった。あの勝負に乗れば、奴はともあれオレは死んでたぜ」
ゼダはふっと目を閉じるようにして笑った。そして、不意に真剣な目をしてどこか遠くを睨むようにする。それに、とゼダは言った。
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