「……それに、あいつ、あれははったりじゃなかった。…あの時、本気でオレと相打ちをするつもりだった。あの野郎、本気で自分の命を駆け引きのはかりにかけやがったんだ」
 あの時のあのシャーの冷たい青い目を思い出しながら、ゼダは冷や汗をぬぐった。あれは普通の人間の目ではない。戦鬼の目だ。自分を捨ててでも相手を倒す、それができる戦鬼の瞳だ。
 街の喧嘩で命のやりとりをしてきたつもりだったゼダだが、あんな人間に会ったことはなかった。その時点で格が違うのかもしれないとすら思った。
「……恐ろしい奴だ。シャー=ルギィズ」
そして、ゼダは何となく思っていた。自分もシャーの太刀筋を大体読むことができるようになったが、恐らく次の戦いがあれば、シャーは自分の剣の太刀筋を見切るだろう。だとすれば、勘と経験と、そして、運だけの戦いになるのだろう。
「……今度お前と会ったら、ホントにどっちかが死ぬかもしれねえなあ」
 ゼダはそう言って目を閉じて笑った。


 リーフィはようやくシャーの元に駆け寄り、そっと彼の様子を見た。
「や、リーフィちゃん、大丈夫だった? ああ、雨に降られちゃったね、ごめん」
 シャーは疲れ切った様子だったが、不意に笑顔を見せた。すでに雨はやんでいたが、シャーもリーフィも雨で濡れていた。
「わたしは大丈夫よ、それよりもシャー、あなたの方が…」
「ははー、さすがのオレも緊張の連続でつかれた……。何あいつ…。なんで、あんなに強いのよ」
 シャーは、軒先の濡れていない場所までふらふらと近寄るとそこにべったりと横になった。
「うー、かぜひきそ」
「シャー…それどころじゃないでしょ? あなた、あちこち怪我を」
「え、ああ。そういえば、そうだったような…」
 シャーはそう言って、右腕と右の膝のあたりに目をやる。雨で濡れたせいもあり、赤い薄い染みが少し広がっていた。シャーは急におきあがって、服の様子を確かめる。そうして、やや焦ったようにいった。
「ああ、やばい…! これ、オレの一張羅なのに…! ああ、マントも破けてるし! 参ったな」
「それより、手当はいいの?」
 リーフィは心配そうに首を傾げる。シャーは、傷口を軽く押さえて、すでに出血が止まっているのを確かめるとへらっと手を振った。
「大丈夫大丈夫。このぐらいほっといても死なないって。安心してよ。それより、さすがのオレも体力の限界…」
 しかも、といって、シャーは少しだけ顔をしかめる。
「最初からサシで勝負ならちゃんと勝てたかもしれんのに…。…くそっ、引き分けとはちょっと格好悪いよね。なんか、不満…」
「そんなことないわよ、とても、かっこよかったと思うわよ」
 リーフィが気を遣ったらしく、慌ててフォローするように言って、わずかに微笑む。それを見ながらシャーは何となく寂しい気分になる。フォローは嬉しい。だが、正直、何か足りなくないだろうか。そう、色々大変な事を乗り越えた割には、楽しみが少ないのだ。
(そうそう、オレが誰を助けても、ここで膝枕とか勝利の抱擁とかそういう楽しいたぐいのことは、でも一切ないのよね。現実ってそんなもんか…)
 シャーは、はあとため息をついた。
(オレも大概報われないことばっかりしてるよなあ…。切ない人生)
 何となく悲しい気分になって、シャーはうつぶせに寝転がったまま、ため息をついていた。
「シャー、…もし、服のことなら、わたしが繕えるだけ繕ってみるわ」
 ふとリーフィがそう申し出てきた。
「え、いいの?」
「だって、これだけお世話になったんだもの。少しぐらいは…」
「あ、ありがとう〜。んじゃ頼んじゃおうかな?」
「ええ、その方がわたしも気持ちが楽だわ。ね」
 そういってリーフィは、うっすらと笑う。表情の薄いリーフィが、笑顔を見せてくれるようになったのは最近だ。それでも、こんな風に優しい笑みはなかなか拝めるものではない。
(まぁいいか)
 シャーはふうとため息をついて思い直す。
(少なくとも、あいつはリーフィちゃんのこんな顔なんて一生見えないもんな!)
 妙な優越を覚えながらシャーは、笑い返す。たまにはいいこともあるものだ。
もう雨は上がっていた。真っ暗な空の向こうで、まだ雷の光が見える。シャーとリーフィのいる軒の方から、ぽたぽたと雨粒が落ちてきた。


「兄貴…。また包丁ですか…」
「うん。ちょっと落としたりとか色々ね」
 次の日、酒場に顔を見せたシャーは、そんなことを言いながらチャイを飲んでいた。今日は、すっかりよく晴れていた。まだ砂の上には水が残っていたが、やがてそれも乾いてしまうに違いない。まだ青いままの空には全く昨日の雷の気配は見えない。


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