「オレの剣はお前を楽しませるためにあるようなお遊びじゃねえ、他人を地獄に突き落とすための剣だ。遊びじゃなく、死ぬか生きるかぐらいの覚悟はして来いよ…」
「ふん、…いってくれるぜ!」
閃光が走るのと同時に、ゼダの足が地を蹴った。赤い上着は水に濡れ、重く、黒に近い色になっている。それが、ばっと背後の闇に消えるように飛んでいく。
ゼダの剣は、先ほどのザフのものと同じだ。先ほどの動きを思い出し、冷静にさえなれば、見切れないものではない。
が、シャーは一瞬、違和感を覚えた。ゼダの繰り出した突きが、一瞬、先ほどとは大幅に違う不定形な軌道を見せたのだ。
ハッとシャーは目を見開く。
――違う!
シャーは、慌てて身を先ほどとは逆方向に投げ出した。それは直感による咄嗟の判断だったが、直後、シャーはそれが正しかったことを思い知る。右袖が軽く引き裂かれた。もう少し判断が遅れたら、右胸を抉られていた。身を翻しながら後退し、シャーは自分の予想が正しかったことを知る。
ゼダの手、先ほどは右手に持っていたはずの刀を、ゼダは左手に提げている。それを目の端で確認し、シャーは声をあげた。
「左利きか!」
「さすがだなあ! つっこんでくると思ったが……」
ゼダは、含み笑いを浮かべた。
「びっくりしたかい? ザフの剣の使い方で慣れたからって、オレも同じようにいくとは考えるんじゃねえぜ、シャー」
雨に打たれながら、ゼダは肩を軽く揺らして笑う。左手にぶらりと提げた刀が雨の向こうで揺れていた。
左利きは厄介だ。右利き相手と、明らかに動きが違う。それに、右利きの相手の方が多いので、それに目が慣れてしまって判断が遅れるのだ。おまけに、先ほどのザフとの戦いで、シャーはこの奇妙な刀剣の癖を「右利き」の癖のまま覚えてしまっている。その通り動いて勝てるはずもない。
(まずいな…)
シャーは、足をわずかに引く。泥に変わりつつある砂が、サンダルに擦られてしめった音を立てる。
(……さっきの奴以上変則的な動きになると…正直どうやっても見破れねえ…!)
しかも、雨のせいで視界は最悪だ。カッと閃光が目の前に飛び込んでくる。激しくなった雨は、彼の頭からつま先までをずぶ濡れにしていく。巻き毛の黒髪も水を含んで重くなり、額に張り付いている。その額から流れ落ちる雨水が、目に入りそうになるが、ぬぐうことはできない。
だが、見切れていないのは、ゼダにしても同じ筈だ。シャーの刀も、どうせ、彼らからすれば馴染めないもののはずである。うまくすればどうにかなるかもしれない。ただ、無傷での勝利を望むなら、ここで勝負を捨てた方がいいとシャーは踏んだ。
(死を覚悟でもするか?)
シャーは自問するようにそう思う。そんなことはきくまでもない。幼い頃からずっと戦いの場にいたシャーは、死というものを見過ぎていた。他人の死だけでなく、自分も死ぬかも知れない場にいつもいた。だから、覚悟するのはそう難しいことでもない。ただ、これがそこまでして得る価値のある勝利かどうかはわからない。他の方法もあるのかもしれない。ただ、リーフィとサリカを二人とも助ける方法は、今のところコレぐらいしかないのだ。
そして、その薄氷の勝利を得ても、二人がシャーのものになるわけでもない。そんなことは最初から期待してもいない。
(…ただ、この場面における最善をつくす…って奴だよな…。オレも報われねえ男だこと)
シャーはふと自嘲する。でも、おそらくそれでいいのだ。この期に及んであれこれ考えるのはかえって命取りである。こうした勝負の場では、そんなことをあれこれ考えるよりは、さっさと割り切って勝負に専念した方が割がいい。後のことは後で考えるほかはない。
青白い稲妻が暗い天空を走る。シャーは一度構えを崩し、空に目をやった。幼い頃、訊いたことがあるような話では、親不孝者は雷に撃たれて死ぬのだとかいう。東の国ではまことしやかに信じられている話だ。だとすれば、自分もゼダもとうの昔に死んでいてもおかしくない。金属をもって戦っている二人に、落ちないとも限らない。そうして、二人もろとも死んでも、おかしくないと、シャーは不意に思った。
「夜半の雷か…」
シャーはふっと笑った。
「撃たれて死ぬ罰当たりはどっちだろうな!」
砂の上に水が溜まりだし、シャーの足には泥が付着していた。ばしゃ、と水しぶきが飛ぶ。シャーは、水滴の向こうのゼダの影に向かって飛びかかった。
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