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Truck Track


空の白鯨

 青い空に流れる雲。雲。雲。まっしろな雲がこれ以上ない青い空に流れるのは、途方もない光景だった。
 いや流れているのでなく、自分達が動いているからそうみえるのか?
 ともあれ、そんなことは、走行する車の中ではろくに判断がつかないのだった。
「ジョッシュ!」
 ああ、またか。ジョシュアはため息を心の中でついた。顔に出すとなにかとうるさいから、ポーカーフェイスもこういうときには役に立つ。女の子をナンパするときはあんまり役に立たなかったが。なに考えてるかわかんなくて気味悪いとか言われて。  まあ、そんな苦い思い出はどうでもいい。
「聞いているのかジョシュア!」
「一回聞いたらわかります。のーぷろぶれむ。めいうぇんてぃー」
「余計なことは言わんでいい。返事をしておけばいいのだ!」
 隣でハンドルを握るのは、今日も相変わらずなテンションの軍曹殿こと、一応上官のタナカ軍曹だ。
 おっさん、今日も元気だな、無駄に。ジョシュアはそんな辛辣なことを考えながら、口元だけは愛想よくした。だが、ポーカーフェイスだから、彼の笑みは基本的に薄ら笑いである。
 愛想がいいどころか、馬鹿にしているように見えることもあるらしい。ジョシュアがナンパに失敗するのはどうせそんな薄ら笑いが原因なのだが、本人は知るよしもなかった。だが、そんなことは、硬派であるらしい軍曹殿には、髪の毛ほども関係のないことである。ジョシュアの表情と口調が、単に彼のような上官からしてみたら、ひどくむかつく、という事実がわかりさえすればいい。
「貴様は! なにを考えているのだ! 返事をせんから心配して」
「いや。今日はなにも考えてなかったです。なのでききのがしましてね」
「貴様は! まったくここが戦場なら、いや、こんな未知の大陸は戦場とかわらんのだが!」
 軍曹殿は、軍人らしく声を張り上げた。
「敵に撃たれて死ぬところだ!」
「大丈夫です。頭及び胸はトラックの装甲の部分に隠れているであります。後や横からの狙撃にはばっちり対応しています」
「前からはどうする!」
「そういう時は運転手の軍曹殿が、まず狙撃されるぽいですしね。その間に逃げれば、問題無しであります。逃げられなかったら、運命ということで、受け入れましょう」
「貴様という奴は!」
 ジョシュアはしれっとしている。軍曹殿は軍人らしいくせに変なところに甘いので、結局、例の如く、口でぶつぶついうだけなのだ。


 軍曹殿とジョシュアが、ここにきてから、ちょっとと少しと少し。いい加減このやり取りもマンネリですね、と突っ込もうとして、妙に突っ込みづらくなる程度の時間が空いてしまって、発言の機会を失ってしまったジョシュアであった。
 それは、まあ、そういう都合なので関係がない。
 ともあれ、軍曹殿のいうとおりにしたがって、ひたすら走って走って走りまくる例のボロトラックは、いまだに目的地に着く気配がない。だんだん、ゴールに向かって走るのではなく、走る事が目的のような気がしてきたジョシュアであった。もしかしたら、そう考えはじめることが、悟りの一境地の始まりであるのかもしれない。そう考えるほうが精神衛生上健康的である。
 そもそも、軍曹殿の意見などきいたことが間違いの始まりであったのかもしれない。
 まあ、それも、今更わかりきったことであるので、どうでもいい。
 雲の多い日だ。ジョシュアの側から海が見えるが、その水平線の鈍い色の上に淡い空の青と、そして異様に立体的な雲がもわりと持ち上がっている。思い思いに流れていく雲が、本当に動いているのかどうかわからないのは、やっぱり彼らが車に乗っているからだ。
 触ることもできないくせに、どうしてあんなに存在感があるんか不思議である。
 とはいえ、ジョシュアは、植民市の生まれだから、あそこでは本物の雲などあまりない。一応雨を降らすのに雲を作っているが、それにしても、こんな風に一見無駄にのったりと浮かんでいる雲などなかったのだ。
 ともあれ、ジョシュアが、暇そうな雲を眺めて、そんなことを思うほど、今日も彼らは暇だったということである。軍曹殿の気合の入り方が意味不明なだけで、そもそも、敵などどこからもきやしない。いっそのこと、現れてくれたほうが暇つぶしになっていいかとも思ってしまうほどだ。
「あの雲は鯨に似ていますね」
 すれ違う車もないものだから、軍曹殿もたまに余所見をする。ジョシュアにいわれて、ひょいと窓のほうをみあげる。
 そこには、確かに、鯨のような形の雲がのんびりと浮かんでいるのだった。
「なるほど、確かにな」
 軍曹殿も、そういうくだらない話に乗りかかってくるということは、暇をしているということである。ただひたすらまっすぐな道をまっすぐ走っていればそうなるだろうが。
「しかし、白い鯨というと、モビー・ディックしか思い出さんぞ」
 軍曹殿は、何を思い出したのか、軽く首を振った。
「映画で鯨に磔状態のグレゴリー・ペックが手を振っていてだな。いや、そもそも、出てきたときからグレゴリー・ペックは目がものすごく怖いわけだが」
 軍曹殿は、軽くうなった。
「とにかく、それが悪夢のようによぎって、まったく和まない雲だな」
「軍曹殿、ろくなシーンしか見てないですね」
 ジョシュアは、首を振る。なんと感性の乏しいというか、空気の読めない男だろう。ここは、やはり、かわいらしいしろい鯨についてコメントするのが、普通の人間のするべきことではないだろうか。
 と、そこまでジョシュアは大げさなことは考えない。軍曹殿にそこまでの繊細さなど求めてはいないのだ。だが、さすがに、あれからそこまで不気味な発想に行くと思わなかったので、さすがにジョシュアもあきれ果てる。
 いや、軍曹殿にジョシュアがあきれ果てるのは、何もこれに限ったことではないのだが、それにしても、つくづくである。
「しかし、どうしてあの雲を見て白鯨なんて思い出すんですか」
 ジョシュアは、やれやれと呟いた。
「雲を見て思い浮かべるとしたら、あんな凶暴でリアルな鯨でなくって、こうもわもわっとしたマスコット的なしろいくじらが定番でしょう? ぬいぐるみとか、そういうかわいいことは……」
 いいかけて、ジョシュアは軽く頭の後ろで手を組んだ。
「軍曹殿にかわいさを追求しても、単に気持ち悪いだけでしたね」
「なんだと! 貴様、自分から言いかけておいてなんだ!」
 軍曹殿は例によって、怒り出した。いや、多分、この場合、言いかけてほうっておいたのがいけないのではなくて、かわいさを追求したら気持ち悪いとかいったのが気に障ったのだろう。案外繊細なところがあるので、厄介な男である。
「まあまあ。それより、軍曹殿は鯨に片足食われないように気をつけたほうがいいですよ」
「何故いきなりそうなる」
「軍曹殿は、そうなると執念深そうだからエイハブみたいになりそうで、恐ろしいことです」
「それは大きな誤解だ」
 軍曹殿はさらにへそを曲げてしまったらしい。変なところで繊細だ。
 そんなに繊細なのなら、やっぱり、あの雲をみて、ぬいぐるみのくじらでも思い浮かべればいいのに、と性懲りもなく毒づいてみたりするジョシュアであった。

 軍曹殿とジョシュアが基地につくころには、軍曹殿がもうちょっと癒し系のわかる男になっているのかもしれない――と願ってみたりする。   





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背景:MIZUTAMA様からお借りしました。