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Truck Track

Boy's heart

   組織には規律がある。どんな組織でも、それを纏め上げられなければ、組織として意味がないからだ。上司は部下をまとめ、命令を下す。実力がものをいうので、年齢がどうだとか、性別がどうだとか、そんなことは関係がない。そして、軍隊においては、特に規律が厳しいのは、誰もが知るとおりである。
 我らが軍曹殿もそういえば、規律には結構うるさいところがある。権威に弱いわけではないが、上官のいうことは基本的には逆らわない。とはいえ、軍曹殿は、変なところで逆らっているところがあるのだが。
「ジョッシュ!」
 例のごとく、走り続けるトラックの運転席に座るのは、その我らが軍曹殿である、リョウタ・アーサー・タナカ軍曹だ。ちょっと古風で、でも、案外詰めが甘くて部下に結構甘い彼は、軍曹殿などと若干の揶揄を込めて呼ばれる存在である。結構二枚目の顔の癖に、全く女の子がよりつきそうにないのは、彼の妙な暑苦しいオーラによるものだろう。もっとも、男としても、結構うっとうしいので、別に近寄りたく思わない存在だと思うが。
 顔では負けているが、自分のほうがもてるだろうな、と、ジョシュアは生意気にも確信していた。
「聞いているのか、ジョシュア!」
「軍曹殿、ワンパターンですね。そろそろ、飽きられますよ」
「誰にだ?」
「さあ、とりあえず、オレはすでにマンネリですが」
 ジョシュアは、例のように冷静というより、気のない返事だ。
「黙れ。貴様、それが上官に対する態度か!」
「ほーら、それがいけないんですよ」
 ジョシュアは、身を起こす。
「そういうことをいっているから、軍曹殿は権威に弱いんです」
「な、何だ。いやに絡むな」
 軍曹殿は、眉をひくりと動かした。妙にジョシュアが絡んだ言い方をするので、軍曹殿はやや戸惑い気味である。
「一回そういうことがあったでしょう、軍曹殿」
「何だ? そういうことあったか?」
「わすれたんですか、なんとかとかいうエリート大尉がいたじゃないですか」
「む。なんとかとかいう?」
「軍法会議にかけられて、下手したら首が飛んでたかもしれないのに忘れるとは、さすがですね、軍曹殿」
「そんなことがあったか?」
 軍装殿は腕を組んで、眉根を寄せた。ジョシュアは、肩をすくめた。まったく、おめでたい男だ。軍装殿は。
「大尉殿ですよ。大尉殿」
 ジョシュアがそういうと、ようやく軍装殿は少しだけ思い出してきたようである。


 あの大尉は、嫌な奴だったのだ。とりあえず、ジョシュアにはそういう印象しかない。
 確か、中央からの監査とかで部隊にきたようだったが、どうして彼がここにきたのか、正確な理由をジョシュアは知らない。単なる出張だったかもしれないが、ともあれ、彼がいる一週間、ジョシュアはやたらとストレスがたまったのを覚えている。
 あの男、大尉は、絵に描いたようなエリート気質の男だった。士官学校を好成績で出たという彼は、実際にまぎれもなくエリートであったわけであるが。
 ジョシュアは別にエリート自体は嫌いではないが、彼らの中にたまにいる特権意識を鼻にかける連中が大嫌いだった。ジョシュアも、こんなヘッポコ部隊に入隊していなくて、親のすすめるままに就職していたらそう呼ばれていたかもしれない身分だった。家柄も関係して、ジョシュアは、そういう連中と付き合う機会も多かったので余計だったのかもしれない。
 ともあれ、覚える気もなかったので、名前も忘れてしまったのだが、大尉は嫌な奴だった。それだけは確かである。

「タナカ軍曹、貴様、なっとらんのではないか?」
 大尉は、まず朝一に、コーヒーを飲みながら軍曹殿をいびるのである。ブラックコーヒーをなみなみいれて、ちょっと苛立ち加減に揺らしながらそれを飲む癖のある大尉は、見た目からして神経質な感じだった。
「は、何がでありますか?」
 ほかの隊長たちが、お茶を濁したりしている中、軍曹殿は、見た目どおり、ちょっと愚直なところがあるので、いちいち真面目に反応していた。
「わからんのか?」
「申し訳ありません、大尉殿。自分は、頭が悪いものでありますから」
 びしりと直立してそんなことをいう軍曹殿は、ちょっと滑稽な感じだった。だが、あまり笑えるシーンでもない。
「貴様の部下はみんななっとらん。私生活にだらしのないものが多い」
「は、お言葉ではありますが」
 よしゃあいいのに。と、ジョシュアは、眉をひそめた。軍曹殿は、うっかりと口答えをするのである。大体、大尉の言葉は単なる揚げ足取りにすぎないのだ。軍曹殿をいじめて遊んでいるだけなのである。
「あれは、連中のプライベートでありますから。一応、自分は、軍規則を頭にいれてありますが、兵卒にいたるまで一応の権利は保障されているはずであります。ですからして、度が過ぎたものはともあれ、自分が容易に口出しするわけには……」
「黙れ、軍曹!」
 大尉は、いきなりかんしゃくを爆発させ、コーヒーを軍曹殿の足にぶちまけた。まだ熱いものだっただろうが、軍曹殿は直立のままである。
「貴様の監督力がないのを言い訳する気か! 報告しておくぞ」
「申し訳ありません、大尉殿」
 軍曹殿は、そう言って頭を下げるばかりだった。
 とにかく、あの大尉がいる間、軍曹殿ときたらずっとそんな感じだったので、ジョシュアも、ほかの同僚たちも、みんな軍曹殿にちょっと幻滅していたのである。
 軍曹殿は、規律に厳しい分、上下関係にうるさい。つまり、上からの圧力にも弱いのだ。普段の態度を知っている分、大尉に腹が立つと同時に、それ以上に軍曹殿に幻滅を感じたものである。
 ジョシュアは、だから、あの時、ふとタイミングを計らってとんでもない皮肉を浴びせたのだった。大尉と別れて部屋からでてきた軍曹殿を見て、ジョシュアは、自分でも意識しないうちに口を開いていたのである。
「失礼ですが、軍曹殿には、いじめられて喜ぶような性癖でもおありですか」
 自分でもよくそんなことを口にできたな、というような、痛烈な皮肉だ。一瞬、軍曹殿は面食らったようだったが、すぐに何故そんなことをいわれたのかわかったのだろう。すぐに不機嫌な顔になって、こう吐きすてた捨てた。
「そんなものなどないわ」
「ならなぜ……」
「それが規則だからだ」
 軍曹殿は憮然としてそういいのけると、ジョシュアから視線をはずして歩き去っていく。ジョシュアは、一瞬、心の中で炎がはじけたのを感じた。
 規則だから、何故。規則であれば、誇りも捨てるのか? 長いものに巻かれることが、そんなに大切なのか? 
 と、言いかけて、しかし、ジョシュアは結局あきらめた。
 軍曹殿に失望したのが一つ、そして、そうした理由が、自分がまだ子供だということを証明してしまったのが一つ。結局、ジョシュアは、まだ大人の社会というものを受け入れられずにいるのかもしれない。そういうことに気づいてしまった。
 軍曹殿も、結局、上のものには逆らえず、長いものに巻かれる普通の大人だったか。そういう失望が、なんだか、子供じみて思えたのだ。
 ジョシュアは、それきり、軍曹殿に意見するのをやめた。同輩の連中も、軍曹殿が上に弱いというのを認めて、見てみぬふりをするようになった。


 しかし、大尉のいた最後の日ちょっとした、いいや、本当はちょっとどころでない事件が起こったのだ。
 大尉が、例のごとくいらいらして、コーヒーを飲んでいるとき、ふと大尉の目に自分が留まったのである。
 大尉は、もしかしたらジョシュアのことについて、結構知っているのかもしれなかった。それはそうかもしれない。ジョシュアは「変り種」に入る出自をもっていたのだから、目立つ存在でもあったし。
「ほう、貴様か?」
 大尉は、にやりと笑った。
「父親に反対されたのに、どういうわけか、この隊にヒラで好んで入ってきたというのは」
「……詳細はよくわかりませんが、二等兵として入隊したのは確かであります」
 ジョシュアは、無表情に答えた。大尉は、ものめずらしそうに彼を見ながら、コーヒーをすすった。
「メディア王の御曹司が一体何を好んで……。黙っていれば、世界一の財産が転がり込んでくるというのにな」
「大尉殿」
 軍曹殿が、いきなり口を挟んできた。
「自分が口を挟むのはいささか失礼でありますが、それは彼のプライベートなことでありますので」
「タナカ軍曹、貴様に指図されるいわれはないぞ」
「は、申し訳ございません」
 軍曹殿は、それで一度黙る。大尉は、続けていやみっぽく言った。もしかしたら、それは、世界有数の資産家であるジョシュアの家に対しての、彼なりのコンプレックスからくる言葉だったのかもしれない。
「おまえの親父は、そういえば、ゴシップがたえない男だな。この前、女と歩いているのを写真にとられたそうではないか。貴様もよくだまっていられるな」
「大尉殿は」
 ジョシュアの口は自分でも知らないうちに、そう発音していた。
「大尉殿は、ずいぶん低俗なものをお読みになるのですね」
「何! どういう意味だ!」
 ジョシュアは、答えない。大尉がいすから立ち上がりかかったとき、いきなり軍曹殿が声をあげた。
「大尉殿!」
「さっきから何だ、タナカ軍曹」
 大尉がきっと軍曹殿に目を向けるが、軍曹殿はまったく平然としてびしりと敬礼した。
「は、自分、大尉に一つ、おわびしたきことがあります」
「何だ? 早く言え!」
「は、自分、軍律を破りました」
「何だと?」
 大尉は、きょとんとした。いきなり、何を言い出すのかと思ったらしい。軍曹殿は、まじめくさった顔のままだ。
「は、軍律を自分が破ったのであります」
「何をだ!」
 大尉はいらいらとしながら言った。もし、彼が何かやれば、もしかしたら、監督責任を問われるかもしれないからだ。
「それは、大尉殿がお分かりかと」
 いきなり、軍曹殿は、薄ら笑いを浮かべた。普段そうすることがない分、何かそれは底知れぬ笑みだった。
「わからん。何だ?」
「申し訳ございません」
 軍曹殿は、ふと頭を下げた。そして、まじめな顔のままでこういった。
「自分言い方を間違えました。「今から」おわかりになるかと申し上げたかったのであります」
「今から?」
 大尉がきょとんとしたとき、突然軍曹殿の目つきが変わった。
「今から、その身で俺の軍律破りがわかるといっているのだ、この似非大尉が!」
 あっとジョシュアが思ったときはもう遅かった。軍曹殿のこぶしはすでに大尉に飛んでいたのである。ついでに、足も飛んだ気もするが、それは見なかったことにした。
 ともあれ、ジョシュアが瞬きしたときには、大尉の体はいすから壁まで飛んでいた。
「き、貴様、何を」
「オレが再三、部下のプライベートには触れるなといったにもかかわらず、何だ! きけば、他、数名にも、根も葉もない噂をふくらませて嫌がらせをしているというではないか! われわれは貴様の部下であって、貴様のストレス解消の道具ではないわ! いい加減にせんと、手榴弾を足にくくりつけて百メートル走させるぞ!」
 軍曹殿は、息もつがずにそこまでいって、大尉をにらみつけた。
「き、貴様、よくも殴ったな……! 上官への傷害は重罪だ! わかっているのだろうな! 軍法会議に……」
「軍法会議でも、何でもかけろ! オレは逃げも隠れもせんわ! だが」
 軍曹殿は、そういって大尉をにらみつける。心なしか、大尉がびくりと震えた気がした。いや、そうだったのかもしれない。軍曹殿にああやってにらまれると、確かに怖いだろう。あんな剣幕なのだから。
「俺はこの一週間の間で、貴様の不正の証拠をつかんでいるからな。同時に告発してやる!」
 軍曹殿の叫びが高らかに室内に響き渡った。


相変わらず、エンジンの音が続いていた。
「そういえば、そういうことがあったな」
「割と最近のことですがね」
「や、やかましい。オレは必要のないことはさっさと忘れるのである」
 必要のないこと、という言葉にジョシュアは肩をすくめた。
「軍法会議にかけられたら、下手したら銃殺じゃないですか。上官を殴ったなんて」
 そういうと、軍曹殿は少し首をかしげた。
「それは状況によってはそうかもしれんが。いや、しかし、あの場合は、オレが正しかったから問題はない」
「そうですかね。それにしても、軍曹殿、あの後、よく無事でしたね。軍法会議なんたらとかはどうなったんです?」
 ああ、その話か。と、軍曹殿は言った。
「あの男、不正をつかんでいるといったオレにおびえて何も言い出せなかったのだろう。大尉がきいてあきれるわ。あの後、帰ってから何の音沙汰もないわ」
「しかし、不正不正って、軍曹殿、本当に証拠をつかんでいたんですか?」
「む、いや、あれは勢いでそういっただけだ」
 ジョシュアは思わずあきれた。
「不正をしていそうだな、と思っていたが、俺がいったところであれだけおびえたところを見ると、本当にやっていたのだろうが、一体何の不正をやっていたのだろうか。手っ取り早いところで横領かな?」
「なんだ、ただのはったりなんですか?」
「う、うむ」
 軍曹殿は苦くうなった。ジョシュアは遠い目をした。
「……軍曹殿、……長生きしそうですね」
「な、なんだ、それは、どういう皮肉だ! 貴様」
 軍曹殿の、にらみをかわし、ジョシュアはため息をつく。
 外は相変わらずの退屈な景色だ。当分、軍曹殿のぶつぶついう声から逃れるには、睡眠が一番かもしれなかった。
 軍曹殿は本当に鬱陶しいし、子供っぽいし、ダメ人間だと思う。けれど、確かにあの時、大尉を後先考えずに殴り飛ばした軍曹殿はちょっと格好よかった気もする。
 大人としてはまったくだめな大人に違いないのだが、それでも、気づけばそういう軍曹殿にちょっとだけだがあこがれる自分も、やっぱり子供なのかもしれないと、ジョシュアは、なぜか清清しく思った。
 

軍曹殿とジョシュアが基地につくころには、軍曹殿も、いいや、それでも、やっぱり軍曹殿はダメな大人かもしれない。
  





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