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Truck Track

月のうさぎ

 
 植民市で見る月は、非常に大きくて不穏だ。ジョシュアは小さい頃から、無意識にそんなことを思っていた。
 植民市は、地球の大気圏外にあるから、月との距離が近い。だから、大きく見えるときがあった。時々、月とすれ違って見えなくなることもあるし、空の色はコンピューター制御されているところもあるから、いつも月が見えるわけではないが、それでも、本当の空が見える場所にいくと、大きな月と大きな地球が空に浮いているのが見えていた。
 月の魔力は人間を捉えて離さない、と昔から言われる。ルナティックなどという言葉があるように、昔から、人間は、狂気を呼び起こす月の魔力を知っていた。月の光は冷たくて美しいが、その分、どうしても不気味だった。特に異常に大きいシティの満月は――。
 もっとも、ジョシュアが、シティの満月の大きさが異常なのに気づいたのは、地上に降りてからだったのだが。

「おい、ジョッシュ!」
 先ほどから三回も無視してやっているのに、何てめげないのだろうか。ジョシュアはそう思った。
 呼んでいるのは、相変わらず、このがたごと走るトラックの運転席にいる軍曹殿こと、リョウタ・アーサー・タナカである。彼らが、レトロなこの世界に迷い込んでからすでにちょっとと少し。相変わらず、基地は遠く、廃車寸前のトラックは、未だにかたこと走り続けていた。
「聞いているのか、ジョシュア!」
「毎度毎度、相変わらずハイですね、軍曹殿」
「何だ、その言い方は!」
 軍曹殿は不機嫌になるが、ジョシュアはため息のひとつでもつきたい気分だったのだ。本当に、軍曹殿のめげなさといったら、根負けするぐらいである。仕方なく、ジョシュアは、眠い目をこすって会話の相手をしてやることにするのだった。
 月の光が降り注ぐ夜道。といっても、道が舗装されているような場所でもない。美しい海岸線は、夜の闇にまぎれて月光がその片鱗を垣間見せる程度といったところ。
 夜の道をこう走るのは、さすがの軍曹殿とジョシュアといっても珍しい。軍曹殿は、規則正しく早寝早起きの人であるし、ジョシュアといえば、暇があれば寝ているので、本能的に眠くなる夜に、二人はあんまり活動したがらないのだった。
「いや、お月様の光のせいかなあとおもっていたんですけどね、軍曹殿のテンションは」
 ジョシュアは、彼の方をみやりながら付け加える。
「もともと、軍曹殿はそんなんだったなあと思い出して、まあ、仕方がないかと思ったのです」
「貴様、オレを馬鹿にしているだろう」
「いえいえ、とんでもない」
 さすがに軍曹殿は、むっとした顔になるが、ジョシュアは全然悪びれない。
「でも、口が滑ったなら月の光のせいです」
「ふん、人間おかしくなるのは、光でなく月の引力のせいだときいたぞ。潮の満ち引きみたいに、血潮が引っ張られるからだとか」
「へえ、そうですか。まあ、どちらも似たようなもんですけど」
「光と引力は全然違うだろうが」
 軍曹殿はそう反論する。実は、その会話にかこつけて,さりげなくジョシュアはひどいことを言っているのだが、軍曹殿は鈍いのでその辺に気づいていないらしい。いいや、気づいていたとしても、ジョシュアにはなにをいっても仕方がないから、軍曹殿もあまりうるさく言わないのかもしれない。
 軍曹殿は、それよりも、ハイだといわれたことが気にかかっていたようだった。
「オレのどこがハイだ? オレは常に至極普通だ」
「いや、軍曹殿はそう思っても、一般人から見ると普段からかなり……」
「貴様が暗いだけだ」
 軍曹殿は不服そうに言う。
 しかし、実際の話、月の光のせいなのか、引力のせいなのか、そんなことはどうでもいいとして、確かに軍曹殿、今日はちょっと張り切っているのだった。
「それに、今日は今夜中に隣町につくという任務がある。やる気もおころうというものだ」 
「任務……」
 ジョシュアは、ポツリと呟き、三人乗りのトラックの、ちょうど軍曹殿と彼の間にあるシートに目を落とした。そこには、かわいらしいふわふわしたウサギのぬいぐるみが、花束とカードを抱えながらちょこなんと座っている。
 そのカードに、恋人への甘いメッセージが書かれているのは、容易に予想がつくところだった。
「軍曹殿、軍人が運送屋の真似事というより、キューピッドの真似事とは……」
 ジョシュアは、例のあまり覇気のない目でじとりと軍曹殿を見た。
「こういうの任務っていいますかね?」
「や、やかましい。背に腹は変えられん。これは資金稼ぎ、または市民サービスとして、立派な任務である!」
 軍曹殿は、慌ててそういいきった。
「任務といえば、とにかく任務だ!」
(無茶苦茶な……)
 だが、そういう風に理屈をつけられると、途端仕事らしくなるのが不思議だ。おまけに、「任務」などという単語で呼ばれるとさらなりである。
 実際は、ただ、ちょっと離れた隣町の恋人に、今日中にぬいぐるみを送って欲しいと、ちょっといいご飯が一食食べられる程度のはした金と、またそれも安い燃料代で、素朴な青年から輸送を頼まれているだけなのだが。しかも、運んでいるのも、また、軍曹殿には似合わない、やたらかわいいウサギのぬいぐるみと来た。
 正直、任務などといわれても、結構笑える状況なのだが、「任務」とくくりをつけると、ガゼン張り切るのが軍曹殿の身上なのだった。
「任務とかいわれても、夜に走るのはあまり好きでないです。眠たくなるし」
「贅沢を言うな。いい満月ではないか。風流だと思え」
「そうですか」
 ジョシュアは、そう答えて窓から外を見る。海の上に出た月が、沖のほうから波打ち際の方までを照らして、波が動くたび、ちかちかと煌く。
 地球から見る満月は、シティのそれより随分小さくみえた。おまけに、金色に見える。
 だが、ジョシュアがこういう月を見たのは、ここに来てからだった。都会で見る月は、ネオンに消され、摩天楼の背後に、まるで演芸会の背景みたいに張り付いているばかりで、全然魅力がなかった。ただの舞台装置みたいに見えたのだ。
 けれど、こんななにもない場所では、月の光は強かった。その明るさだけで、いろんなものが見えるのだから、ジョシュアはちょっとだけ興味を持った。
「月にはウサギがいると郷里では言ったがな」
 ふと、軍曹殿がそう言った。ちょっと嬉しそうな声だ。
「ここの月はウサギが見えるぞ、ジョシュア」
「ウサギ?」
 ジョシュアはきょとんとして、明るい月を見た。先ほどより、少し光が落ちたのか、月面の模様が少し見える。
「うむ、郷里ではウサギが月にすんでいるというのだ」
「ただの岩石の塊ですよ。アレは。酸素もないし、直接生き物は住めないと思います」
「そんなつまらないことを言うな」
 ごくごく現実的なことを言うジョシュアに、軍曹殿は眉をひそめる。
「あの月の海の部分がちょうどウサギに見えるという話なのだ。いわば、見立てということだな」
「へえ、そうですか。でも、どっちかというと、オレにはカニに見えます」
「話を合わせようという気持ちがさらさらない奴だ」
 本当に貴様は上官というものを何だと思っているのか。軍曹殿はむっとした顔になるが、ジョシュアはそんなこと知ったことではないのである。
「でも、昼間の青年は知っていたのでしょうか」
「なにをだ」
「月にウサギがいるということですよ」
 ジョシュアは、そういってちらりと隣に座るウサギのぬいぐるみを見やった。
「月よりの使者って感じですかね。まあ、今夜送るにはいいかもしれませんが」
「憎むな、殺すな、赦しましょう、というやつか?」
 いきなりぽつりと軍曹殿がそんなことをつぶやいた。
「……なにをわけのわからんことを言っているのですか、軍曹殿は。本気で血迷いましたか」
「だ、黙れ! 知らんなら知らんでいい!」
 急に恥ずかしそうに軍曹殿がそう怒鳴る。ジョシュアには、もとより意味などさっぱりわからない。
「まあ、でも」
 今日の月夜は、妙に静かだ。太陽の光と違って、月の光は熱がない。けれど、時間がゆったりと進んでいくようだ。
 月は狂気を呼び覚ますというが、今日の月夜はそうでもない。月の光は、時々ちょっと寂しいところもあるのだが、静かで、どこかほっとするような独特の安堵感を与えてくれることもないわけではないのだ。
「時には、月の夜もいいもんです」
「うむ、貴様もようやく風流がわかったか」
 軍曹殿が満足げにそんなことをいうので、ジョシュアは思わず苦笑しそうになった。
 ……風流心? 軍曹殿に?
「そんなものがどこに収納されているのか」
「何か言ったか!」
「あ、街の光だなあ、といったんです」
 聞きとがめて聞き返してきた軍曹殿に、ジョシュアは、しゃあしゃあと前のほうを指差した。向こうには、ちらほらと街の灯が見えていた。小さいながらに集落があるようだ。
「あそこだな。うむ。これで任務達成だな」
 軍曹殿は、ジョシュアになにか言われたことを忘れて、もう一走りだ! と声を上げた。
 満月の夜、月のウサギを送られた恋人が、どういう顔をするのか。あの青年の様子だと、きっと、彼女は喜ぶに違いない。ジョシュアは、柄になくそんなことを考えた。
 妙に穏やかな月の光が、ジョシュアにそんなことを考えさせたに違いない。
 
 軍曹殿とジョシュアが基地につく頃には、シティの異常な満月でも、優しく感じられるようになるのかもしれない。
  





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背景:MIZUTAMA様からお借りしました。