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Truck Track

 High way memories
 
 暗い夜に、高架下のネオンがアーチ型に丸い、高速道路の天井の向こうで輝いている。それが、高速で飛んでいく様は、まるで夢のようだった。
「よう、ジョッシュ、もっと飛ばせよ!」
 そういわれて、ジョシュアは、アクセルを踏む。ぐっと速度が増して、目の前を飛び交う光が速くなる。ハンドルを握った手に、何故か風圧を感じるような気がする。
 嫌なことがあるなら、車でも飛ばせばいい。そういわれて、ジョシュアは、大学時代、友人達と一緒に高速道路を飛ばした。遮蔽された車の中でも、少しだけ感じられる、外の空気が切れる音が、ジョシュアの憂鬱な気持ちを確かに慰めてくれるようだった。
 無茶な運転をすれば、そのときは、周りがはやしたててくれて、ちょっと英雄気取りになるし、スピードをあげれば、実際気分はよくなるところもあるのだ。危険な事をしている、という意識が、妙に甘い麻薬のように頭を痺れさせるのである。
 とはいえ、植民市に走る新高速道路では、事故というのはよほどでないと起こらない。コンピュータで管理された道は、ある程度の無茶な運転は、自動的に補正してくれるからだ。そのコンピュータの補正の間隙を縫うようにして、若者達は危険なことをやろうとするのである。
 だが、そういうのも、今は昔の話だ。その気分のよくなった原因がわかってしまうと、ジョシュアの気持ちは急速に冷めてしまっていた。結局、危ないことをして、ふと、優越感を覚えただけなのに違いない。
 そうおもうと、ジョシュアにとって、この思い出は、それほど楽しいものではなくなっていた。いつしか、ジョシュアは、それが、物凄く遠い過去の事のような気がしていたのだ。
「ジョッシュ!」
 と、ジョシュアは、現実にいつものように引き戻される。クッションの悪い座席に座って、例のごとくトラックに乗車中。狭い、というほどでもないが、まあ広くない車内の隣でがみがみ言うのは、軍曹殿こと、リョウタ・アーサー・タナカ軍曹だ。相変わらずの光景に、ジョシュアは思わずあくびをしそうになるのである。
「聞いているのか、ジョシュア」
「全く聞いておりませんでした。何事ですか?」
「き、貴様、いい度胸しているな! 銃殺ものだぞ!」
 そういっても、どうせ軍曹殿はそんなことしないので、ジョシュアは結構平気である。軍曹殿にも、一応の常識というやつが備わっているのだった。いいや、そういう甘いところがあるのは、軍曹殿の軍人としての致命的欠陥といってもいい。軍曹殿はがちがちの軍人のくせに、そういうところだけ妙に甘いのだ。そんなわけで、ジョシュアは、軍曹殿の隙につけいって、結構好き放題なのである。なにせ、軍曹殿は無駄に高圧的なくせに、口では厳しく言うけれど、あまり行動に移さない男なのだから。それも、臆病だからというよりも、軍曹殿がそういうところで結構お人よしだから、である。
「全く! 貴様、オレが気をつかって、先ほどから瞬き一つしていないようだが、大丈夫なのか、ときいてやったのに、なんなのだ! その態度は!」
「まあまあまあ。瞬きしないわけがないじゃないですか」
 さすがに、目が乾燥するじゃあないか。いくらなんでも、そこまで人間離れはしていない。
「それはそうと、相変わらず、変わらない風景ですねえ、ここは」
 ジョシュアは、のんびりといった。周りは、一面の荒野だ。草がところどころ、思い出したようにしょぼしょぼと生えているのは、健気を通り越して涙ぐましい。遠くには、岩山なのだろうか。緑をあまり感じない山が幻のようにそびえているばかりである。
「風景どころか、路面もかわらん」
 それはそうだ。舗装されて道なんて、ロクロク走っていないのだから。だが、軍曹殿は、むっとした顔で言った。
「こんな道では大したスピードも出ん。ストレスが溜まる一方だ」
 軍曹殿にストレスなんてあるのだろうか。彼が口に出した言葉にかなり戸惑いつつ、ジョシュアはちらりと上官の顔を覗き見る。どうやら、それはそれで本気らしい。
「いつか、ドイチュラントで乗った道路は実によかったがなあ。速度無制限で、随分気持ちよく走れたものだが」
 軍曹殿がふとそんなことを言い出した。
「アウトバーンとかいうやつですか? 世界遺産でしたっけ?」
 ジョシュアがそう尋ねると、軍曹殿は眉をひそめた。
「貴様、古ければ、皆世界遺産だと言い出すのではあるまいな?」
「そういうわけでもないんですが。まあ、古いので」
 軍曹殿は、軽く唸ったが、結局相手にしても仕方がないので話を変えた。
「そうだ。アウトバーンという奴だ。昔、旅行でいったときに、レンタカーを借りてそのまま高速に乗ってだな、あちこちいったものだ」
 懐かしそうに語る軍曹殿に、ジョシュアは小首をかしげた。
「速度無制限がそんなにいいなら、宇宙植民市の新高速道路に乗ればいいんですよ。あれなら、どれだけで走っても事故起こりませんし、車も痛みませんよ。なにせ、コンピュータ管理が行き届いていますから」
「何を軟弱な」
 軍曹殿は、ひくりと眉をひそめた。
「そんなものを走っても、ちっとも走った感じがせんではないか」
「でも、スピードは変わりませんよ、軍曹殿」
「何を言う。雰囲気の問題だ!」
 軍曹殿は勢いよく言った。いつものアレだ。軍曹殿は、相変わらず、レトロ志向なのである。しかし、地球生まれの軍曹殿にとっては、それは結構大切なものなのかもしれない。宇宙植民市では、滅びたものが、まだ地球には生きているのである。いいや、滅びるというのも、本当のところおこがましいぐらいなのだ。なにせ、そんな古いものは、設計の段階ですでに建設される予定すらなかったのだから。
「目の前にずっと続く道に、ちらりと風景がかすむ辺りがいいのだ」
「どうせ、そんなスピードで走ってりゃ、風景なんて頭に入りませんよ」
「なんだと。貴様わかっていないな! だからいっているだろうが! 雰囲気が大問題なのだ!」
 軍曹殿の鼻息は荒い。
 そんなに風景とか雰囲気が大事というなら、それじゃあ、一人でロマンチック街道を疾走すればいいんじゃないか。ジョシュアは思わずそう考える。きわめて古い町並みが並んでいるというあの街道を走れば、レトロ志向の軍曹殿の趣味にはきっとあうだろうて。
 と、そこまで考えて、ジョシュアは噴出しそうになった。いくらなんでも、軍曹殿が、ちょっとだけメルヘンチックなところのあるあの道を、軍曹殿のぴったり好みの無骨な車で疾走するなんて、ひどすぎてコメディにもならないじゃあないか。どうせ軍曹殿のことだから、走るたびに、感慨にふけるにちがいないのだし。
 ニヤニヤしていると、軍曹殿がこちらをにらんできた。
「なんだ。何か言いたいことがあるのか! ジョッシュ!」
「いいえ、何にもありません」
 ジョシュアは首を軽く振っておいた。そして、ふと何かに気付いたような顔をしていった。
「ああ、しかし、軍曹殿。ここも制限速度は無しですよ。とばしませんか?」
「貴様、こんなでこぼこ道で何キロ出ると思っている? だからストレスがたまるといっているのだ!」
「しかし、地球には、パリ=ダカールラリーとかいう世界遺産があるとききました」
「あれは世界遺産でなく、昔からあるれっきとしたカーレースだ」
 そこに男のロマンの宿り場所があったのだろうか。一瞬軍曹殿の目がきらりと輝いた。
「ああ、左様ですか。でも、あれができるということは、これもできるんじゃないですか」
「車の質が違うわ」
 まあ、このトラックだからね。ジョシュアは心の中で答えた。
「確かに、とばしたら、トラックが空中分解起こしそうです」
 軍曹殿は、ジョシュアの言葉を真に受けて、妙な顔をした。
「空中分解など起こすか? 空を飛んでるわけではないのだぞ」
「軍曹殿のレトロ洒落心に合わせて、素敵にウィットをきかせたつもりだったのに」
 涼しげな物言いに、さすがに鈍い軍曹殿とて、馬鹿にされているのに、気づいたのだろうか。軍曹殿は、む、と眉をよせた。ジョシュアは、口笛など吹きながら、窓から吹き付ける風に顔を向けた。
 かつて、友人達と無茶な運転をして遊んだことは、ジョシュアの中では、遠い昔の話になっていた。軍隊に入ってからは、彼らとも疎遠だ。でも、あの時、ジョシュアの心を一時でも慰めたのは、スピード感でも、命がけの心の高揚でもなかったのかもしれない。
 時には遠い思い出も悪くない。
 この旅から帰ることができたら、一度連中を誘ってドライブにいくのもいいかもしれないと、ジョシュアは思った。ただし、今度は安全運転で――。

 軍曹殿とジョシュアが基地に戻る頃には、新高速道路の味気ない道も、思い出を感じるほどに、ちょっぴり古びているかもしれない。
  





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背景:MIZUTAMA様からお借りしました。