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Truck Track

 ミスタル・リー

 道端に見える花が目に付いた。青い健気な花の名前をジョシュアは知らない。走る車からでは、それは一瞬で、ジョシュアは窓にやや乗り出して様子を見てみたが、結局よくわからなかった。
「ジョッシュ!」
 ふと、ジョシュアは、何故その花が気になったかを思い出した。そういえば、もうすぐ、あれから一年なのだ。だから、きっと思い出したんだろうとおもった。
 ミスタル・リーだ。
「聞いているのか、ジョシュア!」
 隣から聞こえるいつもの声が鬱陶しいので、ジョシュアは不機嫌にいった。
「軍曹殿、ちょっと考え事をしているので、黙っていてください」
「なんだ、その口のききかたは!」
 説教をはじめた軍曹殿は、いつものことなので、無視をし、ジョシュアは、ミスタル・リーのことを思い出していた。
 そういえば、ミスタル・リーの花はどうなっただろう。確か、あのまま基地においてきた気がする。ジョシュアが目に付いたときに水をやっていたが、はたして、荒野にぽつんとある荒れた基地であんな植物が生きられるのだろうか。
 おまけに、周りはどうせ荒くれものばかりだし、あんな小さな植物に気も留めないだろう。ジョシュアがあの基地を後にしてからでも、もう三ヶ月以上はたっていた。
「まったく、貴様は上官というものをどういう風におもっているのか! そもそも、軍隊というものに階級があるのはあ!」
 軍曹殿がなにやら高説を説き始めたが、まあ、それも聞き流し、ジョシュアはぼんやりと一年ほど前のことを思い出していた。
 


 あれは、合同演習のときのことだった。ジョシュアはすでに軍曹殿の部下だったわけだが、あの合同演習は、どこかの傭兵部隊と一緒にやったものだった。一週間ぐらいの日程で演習を行っていくなかで、多少、相手の部隊にも顔見知りができようになる。リー・曹長もその顔見知りの一人だった。
 別に特別に仲がよいわけでもなく、彼について何をしっているわけでもない。ただ、リー曹長と一度、話した事をジョシュアは覚えていた。
 訓練が終わって、今日もジョシュアがだらしなくサボっていたとき、隣にいたのがリー曹長だった。
 リー曹長は、その時、何故か鉢植えを手に持っていた。基地で鉢植えなどちょっと珍しい。おまけに、合同訓練が終わったばかりじゃないか。
 そう思いながら、ジョシュアが彼を眺めていると、リー曹長のほうから話をしてきた。
「やあ、あのサージャントの部下だな」
「ええ、その軍曹の部下です」
 ジョシュアはこくりとうなずいた。サージャントと呼ばれているところを見ると、軍曹殿、やはり向こうの部隊の間でも話に上るほど目立つらしい。まあ、それも当然だが。
「しかし、あのサージャントの部下っていうのも大変だな」
「慣れればどうってこともないです」
「はは、それは言えるな」
 リー曹長、人呼んでミスタル・リー。彼がどこの国籍の人間かは、あまり知られていない。ミスタルは、ミスターがなまったものだから、多分、当初、リー曹長がそういう風に相手を呼んでいたのだろう。
「リー曹長は、軍曹殿とは懇意にされているのですか?」
「それほど親しいわけじゃあないが、そりゃ、一度二度一緒に訓練すれば、あのサージャントは、ものすごくインパクトに残るだろう?」
「それはいえますね」
 ジョシュアが頷くと、ミスタル・リーは、にやりと笑った。
「アレは、でも、ハオハンだぞ」
「ハオハン? と、いいますと?」
「好漢(ハオハン)だ。まあ、義侠心あふれたいい男という意味かな?」
「なるほど……色んな意味で義理堅いですね」
 それは確かにそうかもしれない。まあ、なんだかんだいって、軍曹殿は豪傑でもある。
「まあ、だからこそ、借金もしやすいというかな。いや、ちょっと金に困っていてな」
 そういって、ミスタル・リーはにやりとした。
「……さして親しくなかったのでは……」
「それでも借金がしやすいということさ」
 リー曹長の笑みに、ジョシュアは軍曹殿の窮地を知った。ああ、あの人、なんかだまされてるな、と。
「しかし、リー曹長はあれこれ色んな言葉をご存知ですね? どこの出身なんですか?」
「さあ、オレの場合は、あちこち渡り歩いたからな。色んな言葉がいつのまにかまじっちまったんだろう」
「なるほど……。それは、ご趣味ですか?」
 ジョシュアは、ミスタル・リーがもっている鉢植えを見やった。改めてみてみると、それはあまりにも地味な鉢植えだった。最初、観葉植物なんだろうなあとおもったのだが、よく見るとそうでもない。ミスタル・リーがもっていたのは、花も咲いていない、葉っぱまで枯れかけた植物だった。いや、咲いていた花がおちてしまったのだろうか。どういう植物なのかは、ジョシュアにはよくわからない。
「ああ? コレか?」
「はい。さっきから気になっていたのですが」
「ああ、コレは、さっきその辺で拾ったんだよ。なんというか、ちょっとかわいそうになってな。部下の連中が踏んだもんだから、きっと枯れちまったんだと思ってさ」
「なるほど。……曹長は、植物がお好きなのですね?」
「好きというか、まァ、なんだ。……こういう殺伐した戦場にいるからな、花をみると妙に落ち着くんだよな。オレは、望んで戦場まわってるわけだから、別に辛くはないんだが……。あのサージャントと違って」
 その時は意味はわからなかったが、多分、軍曹殿が本当は宇宙へのロマンを抱えて軍隊入りしたことをいっていたのだろう。別に軍曹殿は戦いたくて軍隊にはいったわけでもないのだし。
「そうですか。でも、これ、花は咲くんでしょうか?」
 きかれて、ミスタル・リーは首をかしげた。
「うーん、まあ、栄養剤をやって世話をすれば、どうにかなるかもしれんし。どうにもならんかったら、まあ仕方がないさ」
 そういってリー曹長が、水筒の水をかけているのをジョシュアはのんびりと見やった。
「花が咲いたらもうけもんだし……っても、演習はもう終わっちまってるだろうな。というか、来年じゃねえと花がさかねえんじゃないか、コレは」
「……そうかもしれませんね」
「まあ、来年も演習があるみたいだし、その時に咲いてれば見られるわけだから。まあ、ここにおいておくけど、来年を楽しみにしようとおもうぜ」
 ミスタル・リーは、そういってからからと笑った。
 ジョシュアは鉢植えを眺めた。しなびた葉っぱが痛々しい植物が、はたして生き返るのかどうか、よくわからない。ただ、ミスタル・リーのような、どこか飄々としていて、何となく花と縁遠い男にそういう優しい気持ちがあるのをしって、ジョシュアは何となく不思議な気持ちになっていた。
 演習が終わり、ミスタル・リーはやがて帰っていった。鉢植えは、基地の片隅で栄養剤を土に突っ込んだまま、鎮座することになった。多分、あまり気にとめている人間はいなかった。



 ジョシュアが、ミスタル・リーが、ついこの間おこった紛争で戦死したという噂を知ったのは、その三ヵ月後のことだ。



「なんだ、今日はいつにもましてぼーっとしているようだが? 何か悪いものでも食ったのか?」
 いきなり軍曹殿が、そうきいてきた。ジョシュアは、ぼーっとしているようで、実際はぼんやりしていなかったりする。それよりは、寝ていることが多いのだが、今日はどうもぼんやりしているように軍曹殿には見えたのかもしれない。
「いいや、なんでもないです。というより、軍曹殿と同じようなものしか食べていませんが」
「いや、貴様はオレの知らないところで、ひそかに何かを買って食ったりするタイプだ」
「鋭い考察ですが、昨日は食べていません」
「ということは、今日は食ったということか?」
「記憶にございません」
 ぬけぬけというジョシュアに、軍曹殿はあからさまに顔をしかめた。
「貴様ッ! あれほど、金がないから倹約しろといったはずだろうが!」
「まあ、いいじゃあないですか。ブシハ、クワネド、タカヨウジ、とか、軍曹殿がいっていたじゃあないですか」
「それは意味が逆だ!」
「ところで、ブシとは何のことですか?」
 ジョシュアがそう聞いたが、軍曹殿はむっとして黙ってしまった。
 遠くから雷の音が聞こえた。空は、でも、まだ青い。しかし、近づく雨の気配の湿った空気に、ジョシュアは髪の毛をかきやった。
「む、そういえば、そろそろリーのヤツの命日だったな」
 何を思ったのか、軍曹殿がそういったので、ジョシュアは内心驚いた。まさか、軍曹殿がミスタル・リーのことを覚えているとはおもわなかったのだ。
「ごたごたして忘れるところだった」
「なんだ、軍曹殿、覚えていたんですか?」
「まあな。オレはヤツに二百ダーラー貸しているのだ。あれを貸したせいで、オレは給料日前にパン一つ買えずに、危うく死ぬところだった」
 軍曹殿はなんだかんだで人がいい。他の人間にもたかられているのを見たことがあるので、それを勘定すると、本当に餓死しかけていてもおかしくない。
「なんだ、じゃあ逃げられたんですか」
「やかましい」
 意地を張る軍曹殿に、ジョシュアはぽつりといいやった。
「哀れな」
「何かいったかジョッシュ!」
 さすがに聞こえたのか、いや、しかし、聞こえていれば、もっと軍曹殿の顔色が変わっているだろう。
「いいえ、雷は車に落ちても大丈夫だってきいたので、よかったなあと思ったのです」
「窓をしめんと駄目だろうが」
「鳴ったら閉めますよ」
 口の達者なジョシュアに、軍曹殿はふんと鼻を鳴らして複雑な気分をおさめた。
「それにしても、ミスタル・リーみたいなのらくらした人がどうやって死んだんですかね?」
「さあ、わからん。しかし、話にきいただけだから、その内現われそうな気がするな」
「それだといいですね。軍曹殿も借金を取り立てられますし」
「全くだ!」
 もう一度遠雷が鳴った。もうすぐ雨が降るのだろう。
 遠ざかる景色を見ながら、ジョシュアは、目の前の道端にミスタル・リーがふらりと現われるような気がした。
「リー曹長に敬礼」
 軍曹殿の声が、隣から聞こえてきて、ジョシュアは軽く、敬礼をとっておいた。
 リー曹長の花は、一体、どんな色の花を咲かせるのだろうか。そう思いながら、ジョシュアは、雨があの花に生気を与えてくれるといいなあとぼんやり思った。


 軍曹殿とジョシュアが基地につく頃には、ミスタル・リーの花は再び花を咲かせているのかもしれない。
 
  





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背景:MIZUTAMA様からお借りしました。
©akihiko wataragi