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3ジートリュー-17


 ハダート=サダーシュは、日光を避けて日陰に隠れたまま座り込んでいた。手にとまらせたカラスの羽をなでやりながら、何か一心に考え込んでいた。
 そろそろ、夕陽が沈もうという時刻だ。砂漠の果てに沈んでいく、赤い残光をかすかに浴びながら、ハダートは軽く唸る。
 先ほどジェアバード=ジートリューに聞いた話が気になって仕方がなかった。一体、何がおきているのだというのだろう。全力をあげて調べるつもりだったが、調べたところでその結果がいいものでないことも大よそ予想がついている。
 渋い顔をして考え込んでいると、ふと人の気配を感じて、ハダートは立ち上がった。
「あなたもなかなかやるじゃない」
 軽やかな足取りで近づいてきた人影は、彼の警戒を感じたのか、自分から先に声をかけてきた。その声で、ハダートには、誰が近寄ってきたのかわかっている。
「なんだ、お前か」
 憮然とするハダートに、姿を現した女は肩をすくめた。すらりとして健康的な長身の女だった。
「お前かとはお言葉ね。せっかく褒めにきてあげたのに」
 エルテア=ハスは、少し不機嫌そうな顔になったが、すぐに表情を戻した。元々、さっぱりしたところのある女である。
「ジートリュー将軍をかばっていたでしょう? あれで、あなたも、案外優しいところがあるのねえ、と思ってみていたのよ」
「別にやさしいからかばったわけじゃないがな。利用価値があるからだ」
 ハダートは、少しうっとうしそうな顔つきになった。
「それじゃあ、どうしてかばったの? 彼が権力者だから?」
「まさか。あいつが、ただの名家のぼんくらなら適当に嫌がらせをしてやったぜ」
 ハダートは、相変わらずひねくれた口ぶりでそう答える。エルテアは首を振った。
「わからない人ねえ」
 ハダートは、取り立ててなにもこたえず、岩にもたれかかっている。
「むしろ、あなたの性格で言わせたら、名家のぼんくら息子の方が利用しやすくて価値が高いじゃないの」
 エルテアは不意に笑い出すと、両手を腰に当てた。
「素直に言えばいいじゃない。友達なんだって」
「別にそういうわけじゃねえよ。……付き合ってて疲れない相手なだけだ」
「まあ、素直じゃないこと」
 エルテアは、あきれたようにそういうと、ハダートに向き直った。
「けれど、何か事情があったんでしょう? あなたには、話してくれたんじゃないの?」
「……まあな。あいつ一人じゃあ、まずもって解決できないような問題だな」
 ハダートは、少し険しい顔になった。
「あいつは、こういう問題は苦手なんだよなあ」
「こういう問題?」
 エルテアは、ハダートに近づいて知らず小声になった。ハダートは、少しう名手から
「どうも、内部に敵の協力者がいるらしいんだよ。伝令係、隊長、ただの兵士。色々な階級に。それも、一人二人じゃないらしくてな」
 黙っているエルテアを見上げながら、ハダートは、カラスをなでやりながら肩にあげた。
「もしかしたら、専門の人間かもしれないし、ただ寝返っただけかもしれないんだが、奴は俺のとこと比べても随分兵隊が多いからな。末端まで目が届かないんだろう」
「でも、それならひとつずつ調べていけばいいんじゃないかしら。小分けの部隊ごとに調べさせたり、疑惑のある行動をした隊は使わないとか」
「そうすればいい話なんだが。そこはあいつの悪いところでな。まだ疑惑の段階で、疑いをかけたら部下の面子をつぶしかねないとかいって、今のところ、一人で飲み込んでる状態みたいなんだよ」
 ハダートは、困った口調で言った。
「あいつも、案外繊細な心遣いをするところがあってだな」
「それは困ったわね」
 エルテアは、眉をひそめる。
「でも、それだから、あなたが協力してあげるんでしょう」
「まあ、一応は手を打ったよ。専門職を送り込んだから、あぶりだしてくれるとは思うがな」
 ハダートは、肩をすくめた。
「まったく、あいつにも参るぜ。もうちょっと柔軟に考えてもらわないとなあ」
「でも、あなたとあの人で二人いればちょうどいいバランスじゃないの」
 エルテアは、明るく笑っていった。
「すくなくとも、そうやっているうちは、あなたたち生き延びていけそうね」
「ソレはどういう意味だよ」
 ハダートは、エルテアをにらんだが、彼女はにっと笑って返した。
「お互い、人格的な欠点が二人いれば相殺されているってことよ」

 シャーは、岩陰にもたれかかったまま、何となく所在なさげにそこにいた。話しかけてもよかったのだが、何となくそういう気分にならなかったのだ。
 向こうで一人立って、物思いにふけっている様子の人物が、去ってからここを移動しようとおもったが、彼はなかなか立ち去る気配がない。
(なんだい。思ったよりしょげている様子でもないし、さっきのハダートとの会話も、そんなに聞こえなかったし)
 シャーは、頬をかきやりながらそう思った。そろそろ、立ち去ったほうがいいだろうか。この雰囲気で、自分から話しかけるのは気が引ける。
 と、彼がそんなことを思っていたとき、該当の人物が、ふいにこちらを振り返った。
「いい加減に、話しかけるか立ち去るかしたらどうだ」
 男は、ジェアバード=ジートリューだ。夕陽に赤い髪の毛が映えている。
「そこにいるのはわかっている」
 ジェアバードに声をかけられて、思わずシャーはどきりとした。ジェアバードの視線がこちらを向いているのを感じながら、シャーはため息をつき、観念して岩の外側に出た。
「なんだい。気づいていたならもうちょっと早くいってくれれば……」
 シャーは、思わず不満そうに言った。だが、彼も少し遠慮しているところがあるのか、態度が少しぎこちない。いつもほど不敵でもないが、卑屈にもなれないので、なんとはない気まずさがあった。
 しかし、ジェアバードには、そういう空気を感じる能力がないのか、はたまた振り切ったのか、彼は臆せずに言った。
「こそこそ隠れているのには、なにかと理由があるのであろう。だから声をかけなかった」
「強烈ないやみじゃないか」
「そういうつもりはない」
 シャーは、やりづらそうな表情になった。だが、ジェアバードの態度は変わらない。
「私とハダートが何を話したのか、気になっているのか?」
「それもあるけど」
シャーは、少し視線をそらしながら続ける。
「オレは寧ろあんたの様子が気にかかったからさ」
「様子? 私が裏切ったかどうか気になったのか?」
「別にオレは決め付けているわけじゃあない」
 シャーは、慌てて答えた。
「さっき、別に嘘をついているようでもなかったしさ」
「ならそう思っておけばいい。自信がないのか?」
 一瞬、躊躇ったような目をしたのをみられたのか、すかさずジェアバードがそう聞いてきた。シャーは、思わずどきりとした。それをみて彼は苦笑する。
「ふん、私の性根など、すぐに読めるだろう。顔にすぐ出るほうだといわれる」
 ジェアバードは、珍しく皮肉っぽく笑った。いつもわかりやすい表情で、単純な喜怒哀楽を示す彼の顔が、そんな複雑な表情を浮かべているのをみるのは、シャーは初めてだった。
 いや、本当のことを言うと、彼とこうして向き合うのは初めてかもしれない。赤い髪のジェアバードは、その髪のように気性の激しい男だ。感情の起伏が激しく、行動の論理は単純だ。今までそう思っていたが、こうして正面から向き合ってみると、ジェアバードは、彼の普段の様子からは考えられないほど、静かな目をしている。
 ジェアバードは、おそらく裏切ってはいない。だが、自分に対して悪い感情をもっているのも確かだ。そのあたりを、さわりだけでもいいから確かめたい。
 シャーは、そう思って近づいてきていたのだった。
 しかし、ジェアバードの様子をみていて、なんとなく、話かけづらくなってしまった。別に彼に疑いが生じたわけでもない。ただ、単純な人間だと思っていたジェアバードの、意外な一面に出くわして少し気後れしてしまったのである。
「はっきり聞けばよいだろうが。先ほどの失態は何が原因なのかと」
 ジェアバードは、そういうがシャーは返事をしない。彼は再び苦笑すると、軽くため息をつき、顔を上げた。
 やはり静かな目だ。普段は、感情をむき出しにして、彼の心の変化をころころと伝える目だというのに、こういうときの彼は感情が読めない。ジェアバードは、堂々と顔をシャーに向けながら口を開いた。
「何が原因であれ、今日の戦闘の失態はすべて私の責任だ。それは間違いがない」
 ジェアバードは、臆せずに言った。そして、すかさず続けた。
「だが、一言言っておく。私は上官が気に食わんからといって、わざと敗北するような行動を取るほど腐ってはいない。故意にもやっていないし、無意識にそういう風に動いたわけでもない。私は上官が、よほど間違った行動を取らない限りは、命令には絶対に服従する。私が、乗り気でないので本気で戦わなかったと、そういう風に思っているのなら、それは間違いだ」
「それは、わかっていたよ」
「そうかな? だが、もしかしたら、という風に私を疑っただろう」
 ジェアバードは、取り繕うシャーにそう告げる。図星であるので、シャーも何も言わない。だが、別にそれに対してジェアバードが、腹を立てた様子はなかった。それはそう疑っても当然だというような態度でもある。
「今日の混乱の原因は、他にあるはずだ。私の責任において調べる。処罰するならしてもらってもよいが、この状況を回避してからにしてもらいたい」
 嘆願というにはぶっきらぼうだったが、少なくとも、形式上、シャーを上官として認めているようなジェアバードの発言だった。彼はそういうと、シャーの返答を待たずにきびすを返す。
「ちょっと待ちなよ」
 シャーが呼び止めると、ジェアバードは足を止めた。
「やっぱり、あれはあんたも把握していない動きだったんだな」
「そういった。あれは、私の失態だ」
 シャーは、首をかしげた。
「それじゃあ、さっき言えばよかったじゃないか」
「言ったところでどうなるというのだ。それに、私もこのことについては、ほとんど把握できていない。そんな状態で報告するのが嫌だった」
 ジェアバードは、悪びれない。
「解決すれば、きちんと報告するつもりだった。その時に、処罰するなりなんなりしてくれればいい」
「……ちょっと待ってくれよ」
 再び、足をすすめそうになったジェアバードを引きとめ、彼は多少困惑しながらいった。
「……あんた、この前、オレのことを認めないようなこといったじゃないか。それなのに、今度はどうして、オレを上官だと認めるようなことを……」
「私は認めないといったわけではない。お前が陛下の令息だということは認めている。だから、最低限そういう風に扱っているつもりだ。頭を下げることには、内心抵抗はあるが、それにしても、お前が真の司令官であることは間違いないのだからな」
 シャーは、思わず瞬きをした。こういうタイプの人間とは、余り出会ったことがない。
「あんたは、オレがここにいることには反対だってきいた。頭から否定してくると思っていたんだが」
「お前の体たらくをみていれば、司令官だと認めたくはない気持ちもあるが。だから、私は上官としての敬意を払っていない。しかし、敬意を払わないからといって、お前の命令を頭から拒否するつもりもない」
 困惑気味のシャーに、ジェアバードは、苦笑しながら続けた。
「カッファ殿あたりが、心配のしすぎで勘違いをしているかもしれないが。私は、別に宮廷の権力闘争に興味がない。女狐が不穏な動きをしようが、宰相殿がどんなたくらみをもっていようがどうでもいい。私は誰に加担するつもりもない。私はセジェシス国王陛下に忠誠を誓った。それだけの理由で戦場に立っているだけだからな。わが一族の存在意義は、忠誠を誓った人間と共に国を守る為にある。誰が王になろうがどうでもいいし、そんなことに興味はない。ただ、王になった人間に、忠誠を誓えるほどの器がなければ捨てるだけのことだ」
 しかし、と彼は続けた。
「私が見るに、お前には忠誠を誓えるほどの器が見当たらなかった。どうせ捨てるつもりなのなら、最初から反対しておいたほうがいいと思ったので、お前が後を継いだり、重大な地位につくのを反対していただけだ」
「あんたからは、オレはさぞかしいい加減な人間に見えるんだろうな」
 シャーの目には、別に怒りのようなものはその目にはうかんでいなかった。ただ、そこはかとなく不安のようなものがつきまとうような口調だった。
「あんな場面を見ていれば仕方がない」
「それはそうだろうね」
 シャーは、ジェアバードの真意を探るように彼を見た。
「それじゃあ、あんたには今のオレはどう見えるんだろうな」
 ジェアバードは、ふと黙り込んだ。ザファルバーン有数の軍事力と影響力を持つ一族の長は、しかし、その力を背景にした威圧感はさほど持ち合わせていなかった。
 気性の激しい男だが、彼の瞳は思ったよりも落ち着いていた。しかし、その、落ち着いた鋭いまなざしに、何故か心の奥を見透かされたような気がして、シャーは一瞬ぞっとした。
 心の奥をのぞいてくる人間は、周りに事欠かない。宰相のハビアスは最たる例だが、ハダートにしても顔を見て人の内心を探るのに長けている。油断をすれば、自分の本音を垣間見られる状況は、シャーにとっては負担がきつかったが、子供のころからああだったから逆に慣れてしまっていた。
 だが、ジェアバードは彼らとは違う。自分を試すわけでもないし、彼には自分の心のうちを知ってどうこうしようという企みがない。ただ、彼は自分を必要以上に隠さない男だから、もしかしたら、他の人間の隠そうとしている心まで読めるのかもしれない。
 もしかしたら、この男には見えているのだろうか。自分が押し殺した不安が。
「……それよりも、私はどう見える」
 ジェアバードはぶしつけにそう聞いた。一瞬、シャーはぎくりとした。ジェアバードは、返答を得ないうちに真顔で続けた。
「私が難物に見えているのなら、それは、私の背負ったものに対してだろうな。……先祖から続く軍事力が、私をいつもそう見せる。私の実力など関係なく、ただ私の背負っているものを見て私の人格を決めてしまう。そうでなければ、私のような機転の利かぬ男を、恐れるものはあまりいない。近づいてくるものも、もちろんそうだ。私の個人など見るものはほとんどいない」
「ハダートは多分違うよ。そうじゃなきゃあ、あいつがアンタをかばったりするものか」
 反射的にシャーはそう答えた。何となく反論しなければいけないような気分だったのだ。ジェアバードは、苦笑いした。
「あの男のことは私にはわからん。だが、あの男は、私に利権目当てでは近づいてこないだろう。私がそういうのを嫌いだというのも知っているし、奴は名家の名に胡坐をかいているような人間が嫌いだからな。お互い、そういう意味では、意見が一致しているのだ」
「そうなんだろうね」
「だが、本当の私など見ている人間は、それほどいないのかもしれない。少し不相応なものを背負いすぎているらしい」
「オレだってそうだよ」
 おもわず、シャーは、そういった。
「オレは、常にセジェシス王の息子だ。それも、不確定な立場の。それ以上の価値では見られていないかもしれない」
 ジェアバードは、少し眉をひそめた。
「一体オレみたいないい加減な奴のいうことを、どうしてきいてくれる人間がいるのかって考えると、そうじゃないか。オレが王の息子でなければ、こんな司令官なんて務まるわけがないだろう」
 シャーは、思わず興奮して、わずかに震える声でいった。もしかしたら、顔が紅潮していたかもしれないが、それは夕陽でみえなかっただろう。ジェアバードは、しばらく黙って立っていたが、やがて静かに口を開いた。
「今のお前は、ただの小僧だ」
 ジェアバードは、シャーの反応を待たずに身を翻した。足元で砂が鳴る音が、やたらと耳に響いた。
「敬意を払って欲しいと言うのなら、私にお前が敬意を払うに値する男だということを示してもらえれば、私はお前に敬意を払う。王位継承者だとして認めてやるし、司令官だと認めて、命令を犬のように聞いてやろう」
 シャーは、何も言わずに彼の背をにらみつけるようにして立っていた。そんなシャーの様子に気づいていたのかもしれない。ジェアバードは、続けて静かに言った。
「しかし、本当のお前は、別に私に敬意など払ってもらっていらんのだろう。私が敬意を払ったところで、それは、王の息子としての自分に対する敬意に違いないのだから? 本当は、ただの餓鬼として認めて欲しいだけではないのか?」
ジェアバードは、今度は背後の気配を読まなかったようだ。すでに彼は歩き出しており、その足が段々早足になるのが、シャーにもわかった。
 そうしなくても、大よそ予想がついたのか、それとも興味がなかったのかはわからない。
 ただ、ジェアバードは、振り返りもせずにこう一言だけいいおいた。
「そんな心の整理がつくのは、どうせもっと後のことだ。今は悩むだけ無駄と言うものかもしれないな」
 ちょうど夕陽は随分沈んできていた。急速に下がる気温にさらされながら、シャーは、赤みが薄れていく足元の砂を黙ってみていた。
 そのあわただしい日の、静かな夜が訪れようとしていた。




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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。