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3ジートリュー-16



 
 安全地帯まで逃げ延び、敵の追撃のないことを確認したザファルバーンの軍は、緊急の会議を開いていた。
 その場には、シャーもいたが、さすがに今回ばかりは神妙な顔つきで話をきいていた。今のところ、発言はせずに周りの話をきくばかりである。彼としては、まだ発言するほど、状況が把握できていないのもあるが、他の将軍たちが感情的になっていて口を挟む暇がなかったともいえた。
「ジートリュー将軍は、いったい何を考えておられるのか?」
会議は、隊列を乱した挙句、いまだに連絡がないジェアバード=ジートリューの責任を追及する方向へと進んでいた。
 無理もない話だ。全軍に対して退却命令が出たのに、ジートリューの隊だけはいまだに錯乱中だった。おまけに、当のジェアバードとは連絡がまったくつかない状況で、逃亡してきた今も、彼の姿はここにはない。彼の部隊の一部が、他の将軍にくっつく形で、逃げ延びてきていたが、彼の本隊はまだここにはきていないようだった。
 ジェアバードからもいまだに連絡がない。
 もともと、シャルルに対して好意的ではなかったジェアバードだけに、わざと協力しなかったのではないかという意識を、みながもっていた。最大の軍閥である彼の権力、それを背景にした一族の惣領としての傲慢さにたいして、意識的ではないにしろ、いい感情をもっていない人間も多かったこともある。
「かれにも、色々と複雑な感情があるでしょうからな」
 とうとう、一人が口にした。
「もともと足並みが乱れていたのかもしれない」
「連絡事項がうまく伝わらなかったのは、その辺の感情があったのでは」
 続いて、そんなざわめきが周りに起こった。ジェアバードの感情の矛先がだれであるか。それは誰もが口にしないが、先ほどから、兜をかぶったままうつむきがちなシャーに対して、向けられていることは明らかである。
もとより、ジェアバードが彼に反感をもっていたのは有名な話なのだ。
「ちょっと待ってください」
 ふと、一人の声が場を割った。視線の向いた先には、色の白い優美な顔立ちの男が、珍しく険しい表情をしていた。
「先ほどから、ジェアバード=ジートリューが、わざと隊列を乱したようなことを言われていますが、そんなことはないはずです。何かの間違いです」
 ハダート=サダーシュが、こういう風に口を挟んでくるのは珍しい。思わず、周りの将軍たちが黙り込んだ。たいてい、こういうときのハダートは、本心であるかないかはわからないが、周りに同調してうなずいて済ますことが多いのである。
「ジェアバードは、確かに正面突破の好きな男ですが、状況が読めないほど馬鹿な男ではありません。退却する時期を見誤るはずがない。そして、あの男は、たとえ気に食わないとしても、ある程度の筋は通す男です。命令を無視することはありえません」
 ハダートの口から誰かをかばう言葉が出ることは、ことのほか珍しかった。だから、自然と場の注目は彼に向かった。ハダートは、取り立てて反応をみせず、カッファのほうをまっすぐにむいて続けた。
「あの男は、確かに無茶なこともしますが、戦の経験は豊富ですし、采配を誤ることはありません。また、実際、シャルル殿下に好意を持っていないとしても、そんな私情で嫌がらせをするほど根性の悪い男ではありません。また、伝令をわざと無視するような男でもありません。私が保証します」
今までみなの意見をきく形で、積極的に発言していなかったカッファは視線を向けられて、思わず唸る。
「それは承知しているつもりだ」
「他に理由があるのでしょう。おそらく、本人もわかっていない筈です。反応がなかったのにも理由があるはずです」
「それはわかっている。……しかし」
 ちらりとカッファは、周りを見た。あの男の人柄は一応わかっているつもりだ。だが、周りの将軍たちは、そんな理由では納得しないだろう。
「今は、責任を追及している場合ではなく、善後策を練るべきでしょう」
「しかし」
 カッファにたたみかけようとしたハダートに、将軍の一人が口を出す。
「ジートリュー将軍の本心がどうであったかわからねば、手のうちようがないのでは?」
「彼がもし本当に……」
 ふと、ハダートの目がきつく彼らのほうを向いた。表面的にはあまり態度を荒げることのない彼の視線に、思わず将軍たちはたじろぐ。
「本当になんだというのです?」
「いや」
「まさか、本当にジェアバードが敵と通じているというつもりでも……」
「ハダート将軍」
 見かねてカッファがハダートを止めにかかった。ここで喧嘩されても困るのだ。困惑気味の彼の隣で、もともと無口だが、いまだもって延々と黙っていたラダーナが軽く彼らに視線を向ける。
 一瞬、空気が凍りついたところで、唐突にその緊張が破られた。入り口の向こうでなにやらざわめきが起こっていたのだ。
 入り口の近くにいた将軍の一人が、さっと天幕を開き、何事があったのか尋ねる。だが、聞くまでもなかったのだ。そこからすでに何があったのか、状況が見えていたのだから。
 すでに、近くには馬から下りたばかりの赤毛の男が二人、案内されるのを待っていたのだ。

 ジェアバード=ジートリューは、いつになく口数が少なかった。甥のアイードが、ほとんどの事情を説明していたが、ジェアバードは伏せ目がちに話を聞いているばかりである。
 しかし、アイードはともあれ、ジェアバードの姿は敗残兵という言葉がよく似合うものだった。
 自慢の赤毛を砂埃にまみれさせ、兜はすでに失って、マントもあちこち破れている。顔にも細かな切り傷があるようだった。よく見れば、腰にあるはずの剣も、一本どこかにいってしまっていた。
「われわれも退却しようかと考えていたところでした。なるべく防戦にもっていこうというところだったのですが」
 アイードは、やや緊張しているらしく、少し周りの反応を気にしながら説明を続ける。
「突然、部下が叔父の命令と標榜して突撃を繰り返したのです。それについては、事情を調査中でして」
「しかし、勝手に部下がそんな行動をするものですかな?」
 疑いの目を向けられることはある程度予想していた。アイードは、やや緊張を強めながら首を振る。ここで妙な返事をしてはいけない。
「それは、今調査中だと申し上げた筈ですが、しかし、何かの手違いがあったものと思われまして……」
「私の責任だ」
 突然、ジェアバードが口を開いた。話を途中でさえぎられたアイードは、思わず驚いて彼のほうに目を向ける。
「叔父上……!」
 何を言い出すのかと困惑気味なアイードを無視し、ジェアバードは、まっすぐに周りを見ながら言った。
「今回のことは私の責任だ。それについては申し訳なかったと思っている。この責は必ずとるが、もう少し待ってもらいたい」
 それだけ告げると、ジェアバードは、失礼、と軽く言い残し、きびすを返した。
「叔父上! どこへ!」
 アイードがあわてて声をかけるが、ジェアバードが彼の呼びかけに反応するはずがなかった。
 彼が出て行ってしまうと、各将軍たちがざわめき始めた。そのざわめきの中に好意的でないものが混じっているのは、アイードにもよくわかる。アイードは、これはまずいことになったのではないかと、一人青ざめていたが、本人が出て行ってしまった後で、釈明することもできないでいた。
 すでに会議の様相は呈していなかった。将軍たちはめいめい、思い思いに隣のものと話をしている。
「ファザナー将軍」
 不意に声をかけられて、呆然としていたアイードはわれに返る。見ればカッファが、手招きしていた。後ろにはラダーナが控えている。すでに人のかげに隠れるような場所に移動しているので、こちらにきて話をしろということだろうか。
 ともあれ、実直なカッファと、無口だが信頼の置けるラダーナなら、悪いことにはなるまい。アイードは、とりあえずそれにすがって、そろそろと彼らのほうに向かった。
「いったい、何事があったのか、話を聞きたいのですが」
「い、いえ、先ほど申し上げたとおりです。まだ何も」
 小声でカッファにきかれ、アイードは声を低めて答える。アイードも名門の看板を背負っているので、思い切ったことはいえないが、きいているのがこの二人だけなら、まだ踏み込んだことが言える気がした。
「あれは、確かにジートリュー将軍の命令だった、と、逃亡の兵士から話を聞いた」
 不意に、いつもは余り話さないラダーナがぼそりと言った。
「それは本当だろうか」
「いえ」
 ラダーナは、だまってアイードを見下ろしている。アイードは、少し悩んだ末に、こう切り出した。
「確かに叔父の命令ではありません。しかし、突撃をしたり、散開したりなどした、勝手な行動をとった前線の部隊の隊長たちは、上部から伝達された命令だったといっていました」
「それは一体」
 カッファにきかれて、アイードは目を伏せた。
「それはわかりません。途中で伝達が混乱したのか。今調べていますが、彼らがうそをついたようでもないのです。だから、前線の下士官たちの責任では、けしてないと。だから叔父も、自分の責任だといったのではないでしょうか」
 アイードは、少しあわてて付け加えた。
「言い訳するつもりではありませんが、叔父上はどうやら前線に向かって命令を直接伝えにいったようで……。それで、激戦に巻き込まれてあの姿なのです。私の隊が助けに行ってどうにか生還しましたが、本当に危険な場所までいっておりまして」
 アイードが、小声でカッファに言った。
「けして、叔父が故意に混乱させようとしたわけではありません。あれでも、かなり動揺して、後部部隊を退却させてから、混乱を終息させようと本人なりには努力したようなのです」
「それはわかっている。私も将軍の性格はおおよそわかっているつもりだが」
「はい」
 アイードは、カッファの言葉に少し安心しつつ、付け加えた。 
「叔父は、言葉足らずなところがありますが、けして、誰かが気に食わないからといって、故意に戦列をみだしたり、敵と通じるようなことをするような男ではありません。それだけは、信じてあげてください」
 カッファは静かにうなずいた。
 まだ将軍たちはざわめいている。もう一度、改めて会議を仕切りなおさねばならないだろう。ふと見ると、ハダートの姿が見えなくなっていた。ジェアバードを追いかけていったのだろうか。
 と、カッファは、もう一人、誰かかけているのに気づいて、あわてて周りを見回した。黙って目立たないようにしていても、この砂色の世界の中では、ひときわ目立つ、あの青い色が見当たらないのだ。
「殿下……?」
 さっきまで彼がいた場所をみても、もう彼はいない。カッファは、ざわめく将軍たちを見回しながら、彼の育てた青年を探していた。


 さすがのハダートもため息をついていた。岩陰で二人でたたずんでいても、じわじわと暑さが肌を伝う。嫌な沈黙だ。ジェアバードは、というと、彼に背を向ける形で絶っているのだ。
 いつの間にやら、ハダートの左腕には、彼の最愛の烏がとまっていたが、その頭をなでやりながら、ハダートは、どう切り出すか考えているのだった。
「お前から口を利いてくれたっていいじゃないか」 
 結局、いい言葉が思いつかず、ハダートは恨みがましくそういった。
「俺だって気を遣ってるんだぞ」
「今は話したくない気分だ」
「顔見ればわかる、が、俺にも気を遣って欲しいところだな」
 短くぶっきらぼうに答えるジェアバード=ジートリューにハダートはあきれ気味に答えた。先ほどから、励まそうとしてやっているのに、ジェアバードはふてくされたように無口なのだ。いや、ふてくされているのではないのは、ハダートにはよくわかる。
 ジェアバードも、悔しいのだから。
「あんまり落ち込むなよ、ジェアバード」
 少し考えて、ハダートは珍しく優しい口調になっていた。
「お前があんな命令を出すわけないのは、俺がよく知ってる。ほかの連中がどういってもちゃんと釈明してやるからさあ」
 ハダートは、とうとう岩にもたれつつ、そこに座り込んだ。
「あんな言い方したら、変な誤解されるかもしれないだろう。でも、あれだけ混乱したのは、けっしてお前だけのせいじゃねえよ。咄嗟のことで、俺だってろくな動きを取れなかったんだ。みんなが油断してたのが悪いんだ」
 ハダートは、メーヴェンの黒光りする羽を整えるようになでやりながら、ジェアバードのほうを横目で見た。
「その辺、連中はわかってないんだよ。俺がその辺、ちゃんとわからせてやるから」
「そういう問題ではない」
 ジェアバードは、かたくなだ。ハダートは、軽く唸る。
「気にしているのは、命令系統の乱れか? 一体何があったんだ?」
「それは私が調べることだ」
 ハダートは、首を振った。
「いや、お前の情報網だけじゃ無理だろ。俺が雇っている連中に調べさせるから」
「いや、これは私の問題だ。お前の力は借りん」
「……お前は素直にいうこときかないだろうな」
 ハダートは、あっさり折れると、苦笑した。
「まあいいさ。俺は、それじゃあ、俺の都合で調べるだけだ。勝手に調べるぞ」
 ジェアバードは黙って背を向けている。
「勝手に調べるのなら、文句はいわないだろうな」
 ハダートが念を押すと、不意にジェアバードがふきだしたのがわかった。
「貴様に勝手にあれこれ探られては、逆に私にとっては邪魔になるな」
 ジェアバードは、ようやくハダートのほうをふりかえる。そして、苦笑した。
「私のことを強引だというが、お前も相当強引な男だ」
「もともとだよ」
 ハダートは、にやりと笑って立ち上がった。
「事情を教えてくれよ、ジェアバード。お前の邪魔はしないからさあ」
 ジェアバードは、ようやく素直にうなずいた。




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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。