一覧 戻る 次へ 3ジートリュー-13 唐突に要塞から出た戦王子の軍は、すでにザファルバーンの陣を蹂躙していた。総崩れになったザファルバーン軍は、後退しながら、どうにか体勢を整えようと必死だった。 「いきなりかよ」 ハダートは舌打ちして、戦況を見守っていた。 水面下で調べさせていた矢先だ。その内何かが起こるとは思っていたが、密偵たちの調べている情報がまるでおいついていなかった。 (油断しすぎだ) ハダートは、劣勢をみてとりながら、冷静にそう分析した。 (俺も含めて、気が緩んでいた。そのせいだ) そう、自分も含めて、そして、あの小僧も。 ハダートは、シャーを思い浮かべる。今はさすがのあの小僧も泡を食っているだろう。このところ、シャーは何となく沈み気味で、作戦会議でも発言が少なかった。それ以外のときは、しょっちゅう遊びに出かけていたようだ。 最も気が緩んでいたのは、シャーだ。最高司令官の彼のその態度が、周りに飛び火したのかもしれない。 だが、それをシャーのせいだけにするのは、いささか酷である。彼は最高指揮官ではあるが、作戦の全てをつかさどっているわけでもない。王族で、しかも、才能が高かろうが、高々、十五をひとつ二つ過ぎたばかりの小僧に、それを許すほど将軍たちも甘くはない。もちろん、ハダートもそうだ。形式的に指揮を執る王族もいるぐらいだから、極端に言えば、王族の司令官など、頭の上にいただいている冠程度に考えて、「よきにはからえ」を言わせておけばいいのだ。彼の態度にいちいち影響されていては、武官の本分として情けない。 だが、シャーは、周りに与える影響の大きい人物だった。だから、彼の反応が、今ひとつ鈍かったのも、この油断の原因のひとつにはなっているのは確かなのだ。 (あの餓鬼は、勘が鋭いからな) 普段は、何か戦闘が起こる前、もっとも早くその空気を感づくのはシャーだった。幼いころから戦場暮らしだったせいなのか、それとも、生来の勘の鋭さなのか、どちらかわからないが。彼がいち早く反応を示すことで、他の将軍たちも何かしら危機感を抱く。 それは将軍たちの中でも誰よりもずば抜けていて、その影響は将軍たちも自覚しないうちに伝播していた。 だが、今回、シャーは何故か無反応で、遊んでばかりいたのだ。それもあって、徐々に気持ちが緩んだのはある。自分にも覚えがある。 「ジェアバードに当てられたかな?」 ハダートは、そう呟いた。 「気にしていないと思ったが、案外気にしてたんだな」 ジェアバード=ジートリューが、自分に対して反抗的なのがそれほど気になるのだろうか。確かにハダートにも相談しにきていたが、あのシャーのことだから、ある程度わかった上だと思っていた。 (まあ、あいつは、ああみえて影響力のでかい一族の棟梁だからな) もしかしたら、カッファに気兼ねしているのかもしれない。めざといシャーは、ジェアバードがこのまま反抗的だった場合、後にどういう影響が出るかわかっている筈だ。それが気になって仕方がないから、近頃は、遊びに行って兵士と馬鹿騒ぎをしているのかもしれない。 だが、シャーの心情をそれほど細かく察する余裕はハダートにはなかった。 「チッ、どうにかこうにか持ち直させて、それからの話だな」 とりあえず、自分の持分をどうにかしよう。シャーのことは、その後でいい。 と、ふとハダートは、あることに気づいて一瞬呆然とした。 「なんだ、アレは……」 ハダートの視線は、とある部隊の方を向いていた。混戦に陥っていたから、陣形が乱れているのは当たり前だが、ひとつ、おかしなことがあったのだ。 「ジェアバード、……何やってやがる!?」 ハダートは、不可解そうにつぶやいた。なにか、大事が起きているような気がして、妙に気が休まらなかった。 シャーは、矢を叩き落しながら、周りを見回した。すでに乱戦とかした周りは、自分の命令すらうまく通りそうにない。遠くで、逃げ惑うザファルバーンの兵士たちの姿が見えていた。 馬の手綱を荒々しく引きながら、シャーはあちこちに首をめぐらせていた。 「ちきしょう! どうなってんだ!」 それは突然のことだった。シャーにしても、予想外、というわけではないが、その日その時その瞬間に、予想していたものではなかったので、少し泡を食った。 シャーが報告を受けて、慌てて兜を手に走り出したときには、すでにもう遅かった。敵はあっという間にザファルバーンの兵士たちに襲い掛かっていた。油断した隙をつかれるともろい。しかも、その時間は、いわばもっとも太陽の日差しがきつい時間で、みな昼を食べた後うだっているときだった。 このところ、にらみ合いが続いて、ただでさえ緊張感が薄れていたのは知っていた。だが、敵もそれは同じだと思っていた。その考えが甘かったのだろうと思う。 いいや、考えが甘かったなどというのは嘘だ。油断していたのは、ほかならぬ自分だ。本当は、こうなるかもしれないことをしって、あれこれ考えていた筈なのに。 事実、シャーは、奇襲の一方を聞いたとき、兵士たちに混じって騒いでいる最中だった。それで慌てて出てきてこの有様なのだった。 ここのところ、確かにシャーは遊びほうけていたのだ。目先に危険があるのは知っていたが、何となく、気分がすっきりせず、変に緊迫の続く状況に耐え切れなかったのである。いけないとは思ったが、少し気を抜くつもりで、しばらく遊んでしまっていた。それがいけなかった。 (やっぱり一回後退するしかないか? このままじゃあ、押し切られちまう) こちらは相当数がいるが、混乱している今は、体勢を直さない限りは役に立たない。混乱が広まると、ただの集団だ。 (退却も考えなきゃいけねえな) シャーはそう考える。兜のしたで、髪の毛をぬらした汗が、頬まで伝ってきていた。じわりとした気持ちの悪さを振り払うように、シャーは頬をぬぐう。 判断は迷ってはだめだ。だが、よく考えなくてはいけない。このまま、体勢が戻るまで持ちこたえたほうが得か、それとも、一気に逃げたほうがいいのか。自分が判断を下せば、きっとすぐに周りの将軍達もそれに従ってくれるだろう。 いや、もしかしたら、自分の姿が見当たらないから、カッファあたりがラダーナあたりと相談して、先に命令を用意してくれているかもしれないが。 と、シャーは、ある部隊の動きを見たとき、凍りついた。 「なんだ! なんで突撃してるんだ!?」 みれば、もっとも乱れた部隊の一角がやけになったように突撃をくりかえしていた。こんなところで突撃しても、勝ち目はない。すでに作戦も陣形もなくなっていて、士気も落ちているのだから、無理に突撃しても効果はないはずだ。誰か下士官が血迷って命令したのだろうか。そう思ったが、それにしては動きが大掛かりだ。 「一体誰だ!」 シャーがいらだってそう呟いたとき、シャーの目にその部隊の旗がちらついたのだ。 ジェアバード=ジートリューの隊だ。 それを知ったとき、シャーの体から血の気が引いた。 (まさか……。こんなところで?) こんなときも意地をはっているのか? それとも。 色々な思惑がシャーの中で渦巻いた。 ジェアバードが、自分に対して好印象を持っていないことはすでに知っている。非協力的なのも知っているが、それでこんな不利なことを? 単に意地をはっているのか。それとも、反乱。敵と繋がっているのか。 まさか、ハダートのように誰かに雇われているのか。サッピアか、それとも、本心では自分を憎悪している、あの宰相ハビアス……。 (いいや、さすがに今の段階では、あの爺は直接仕掛けてこない筈だ) それに、ジェアバードは、サッピアのような女とは合わないだろう。だから、そんな裏はないに違いない。ハダートも、その点について、妙なそぶりをみせてもいなかったことだ。 だとしたら、やはりジェアバードの単独での暴走だろうか。あの男ならありえないことではないかもしれない。猪武者だという噂だし、後退を喜ぶような男ではない。 とふと、シャーの目に、もうひとつジートリュー配下の兵士たちが目に入った。彼らは、本隊がいる方向とは別のほうに逃走していた。そして、もうひとつもまた別の方向に突撃をしかけている。 「なんだ?」 シャーは、妙に違和感を感じた。 妙に動きが分散しているようだ。そういえば、ジェアバードがいるらしい本隊は、身動きしていない状態だ。まるで周りの反応に戸惑っているようだった。 「なんだ、何が起こってるんだ?」 シャーは、意味がわからず呆然と呟いた。 ふと、風を切る音が耳を突いた。シャーは、斜めに剣を振りおろした。飛んできた矢が二つに折れて飛び散った。 「殿下!」 背後から、心配そうな声がかかった。 「殿下! そこにおられたのですか!」 振り返ると、カッファが少し安堵した様子で立っていた。戦闘が始まったとき、シャーの姿がなかなか見えないので、心配してあちこちを探していたらしい様子だった。 「カッファ、大丈夫かい」 「私のほうは。殿下も御無事のようで何よりです」 カッファは、続けていった。 「見てのとおりです。わが軍は混乱に陥って、立て直すのも難しいところ」 「ああ、そうみたいだな」 「このまま無理に戦っても、士気が落ちている今は不利です」 「わかっているさ」 シャーは、苦しげに頷いた。 「一旦退却しよう。……だが、ジートリューの方がなんだか」 「ええ、それもわかっています。何度かこちらの命令をきくように伝令を出しているのですが、肝心のジェアバード=ジートリューと連絡が」 カッファも苦しげだった。ジートリューの思惑が、まったくわからないらしい。彼の暴走だと思っているようだった。 「そうか。仕方ないよ。判断が遅れれば、手の施しようがなくなる。ジートリューには後で事情をきこう」 シャーはそういうと、カッファに後を頼む。 ジートリューの軍があれでは、かなり損害がでるかもしれない。だが、それに引きずられて、決断を鈍らせるのはもっと危険だ。 シャーは、身を翻し、後退を告げながら馬を走らせた。 一覧 戻る 次へ 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。 |