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3ジートリュー-11



 いつの間に夜になっていたのだろう。
 そう思いながら、シャーは大あくびをしながら夜の砂漠を歩いていた。
 何となく、月にひかれてふらふらとシャーは、外にでてきていた。 
 まだ月はかけ行く途中だったが、なかなか月光の強い晩だった。シャーは、夕方からスーバドをひきつれて、ジートリューに見られない程度の些細な宴、といっても、シャーは十分馬鹿騒ぎをしていたのだが、それを行って酔って疲れてそのまま寝てしまっていたところだった。
 不意におきだしてみると、もう真夜中で、すっかり周りは静まり返っていた。一応、シャーのいる場所は、奥のほうになるので、彼が誰だかわからない格好をしていても、十分安全な位置ではあった。
 そういうわけではないが、シャーは相変わらず自分勝手に好きな行動をとっている。とはいえ、昼間はそれなりに気を張って、作戦会議などには参加もしているし、剣を取ってじっと敵が出てくるかどうかまっていることもある。
「ああ、そういえば、剣の手入れぐらいしといたほうがいいのかねえ」
 月の光にふと思い出したのか、シャーはそんなことを言う。まったく手入れしないわけではないが、シャーはあまりまめではない。こういう暇なときにやるほうがいいんだろうなあ、とシャーはなんとなく思ったのだった。
 先ほどぐっすり寝たせいか、妙に眠れなくなっていた。シャーはため息をつき、剣を抜く。東洋からわたってきたという、彼の師匠からもらった剣は、月光のしたにきらりと光る。どこかぞっとするほど迫力があるのは、剣全体がそうなのか、こういう剣が特別なのか、シャーにはよくわからない。ただ、この剣は、そういう意味では迫力があって不気味なうちに入っているのだろうとは思う。
「さてと、たまにはちゃんときれいに……」
 そういいかけて、シャーは、なぜかぎょっとして動きを止めた。
 自分の顔が剣に映っているのが見えたのだ。いや、正確には自分の瞳が。
 暗い場所ではほとんど黒に見えるくせに、光の下では、ガラス球のように青くつめたい。
 シャーは、思わずぞっとして目をそらし、慌てて剣をしまってしまった。
「なんだよ。ちょっと男前が過ぎるだけじゃんかよ」
 自分でつぶやきながら、けれど、何か悪いことを思い出したのか、シャーの口調は苦しげだった。
 ――その目が気に入らない
 ふと、サッピアにいわれた言葉が脳裏をよぎる。
 ――お前の目は蛇や悪魔の目だ。
 シャーは、舌打ちをした。よりによって、あの、もっとも嫌な継母の顔を、こんな夜に思い出さねばならなくなったことに腹を立てたのだった。
 実際、サッピアは、確かにシャーの目を恐れている。あの継母は、自分を殺したがっているくせに、直接手を打ってこない。毒殺しようとしつつも、結局毒を盛れない。この前、ハダートを使ってシャーを殺させようとしたように、あの女は、自分が怖いのだ。
 その理由のひとつが、この青い目である。
 そもそも、この地域には邪視信仰の風習がある。そのなかに、青い目を持つ人間は、自覚なく周りに呪いを振りまくというものがあるのだが、そういう意味では、シャーは実に雰囲気のある目をしすぎていた。
 ザファルバーンの王都は、セジェシスになってから、多民族が交じり合うことがおおくなったので、逆に風習が薄れていっていたが、それでも、古参の、特に貴族たちの間では、いまだ色濃く信仰が残っている。
 また、彼の生まれ育ちが、かなり東方だったのもあり、シャー自身、忌憚なく人への羨望を口にしたり、嫉妬を平気で覗かせたりしたものだから、余計に邪視と結び付けられることが多かったようだ。
 サッピアなどは、あの男は邪眼持ちだからといって、必ずお守りのアクセサリーをつけてシャーと向かい合ったものだ。面と向かって言うのは、サッピアぐらいであったが、おそらく、一番彼に嫌悪をむけてきたのは、ハビアスだろう。だが、ほかの貴族の中にも嫌うものがいなかったわけでないらしい。
 だが、そうとはいえ、セジェシスの統治下では、そういう迷信の信仰はゆるかった。面と向かって彼に視線を向けてきたのは、その二人ぐらいしかいなかったものだ。 
 しかし、そんな中、シャーはひとつの事件を起こしてしまうのである。
 セジェシスが留守のとき、王族や貴族ばかりが集まって宴会が開かれた。サッピアが主催したものである。シャーは、カッファの顔があったので、いやいやながら出て行ったが、体の弱いレビ=ダミアスは、断ることにした。
 サッピアは、周りのものがいる中であざ笑って言った。
「せっかく呼んでやったのに、亡国の倅は、わらわの誘いに応じてくれんとは。まったく、陛下の情けだけで生きる身だというのに、体が悪いなどと方便を」
 シャーは、そのとき、まだ十を少し過ぎたばかりの子供だった。今でも、そういわれれば、嫌味のひとつや二つ言ってやるだろうが、当時は、まだ彼も後先考えぬ子供だった。 レビ・ダミアスを侮辱されたことに腹をたてた彼は、公衆の面前でサッピアをにらみつけ、
「母上、今日は実にきれいなお着物をお召しですね。外見のきれいなあなたは、さぞかしお心も美しいのでしょう。しかし、帰り道には、どうぞお気をつけを。馬車から落ちてどろどろの沼に落ちてしまえば、せっかくの美しさも台無しでしょうからね。心の汚いものはお似合いというところでしょうが、母上は、お心の美しい方ですから」
 などと強烈に皮肉をこめて言った。もとよりシャーが苦手なサッピアは、こういわれて思わず口を閉ざした。
 シャーとしては、ちょっとした脅しのつもりで、本気ではなかった。意地悪な母も、こういう風にいっておけば、義兄に何もいいやしないだろう、そんな目算だった。
 普段からサッピアの冷徹な態度は知られていたから、そのときは、カッファが慌ててとりなしてどうにかすんだ。
 しかし、その直後、サッピアの乗った馬車が暴走し、彼女付きの女官が怪我をしたものだから、シャルル王子が呪詛をかけたからだと大騒ぎになった。
 実際、彼が、軽い呪いの言葉を吐いたのは確かだから、そのときはかなり揉めた。最終的には、ハビアスが出てきて、それはいいがかりにすぎない。と周囲ににらみをきかせて、両者にお咎めなしということで終わった。
 
 だが、あの後。
 
 あの後、サッピアが、必要以上に自分を怖がりだしたのも、周りの、経緯を知るものがひそやかに彼を避けだしたのも確かだ。
 それから、シャーは、宮殿にあがるとき、よほどのことがないかぎり、武装したままあがることにした。それだと兜を深くかぶっていても、王の前でない限りは許されるからだ。素顔を見せなくなったというよりは、本来、目を隠すようになったといったほうがいい。
 そんな経緯を知る人間は、宮殿にもほとんどいないだろう。さすがにカッファは感づいただろうが、そのほかの人間で知っているものがいるとは思えなかった。
 だが、そのうわさのおかげで、自分が呪詛を受けることはなかった。邪眼持ちの人間は、邪視を跳ね返すことができるとされているから、呪い返しを恐れて誰も呪詛を仕掛けてこないのだ。
 後に、内乱が起こったあと、ほかのものが呪術をかけられるなか、彼の周りのもの、レビやカッファなども、のろわれた形跡もなく、また、下手に刺客を打ってこなかったのもそういう理由があったらしかった。
「チッ。どうせそんな目をもっているっていうなら、一睨みで要塞をつぶせるぐらいの力をくれたらいいものを」
 シャーは、寝転びながらつぶやいた。
 そういえば、ジートリューは、いったいどうなのだろう。あまり些細なことにこだわらないようだし、それほどゲンを担ぐほうでもないらしい。同じ青い目のハダートとも平気で付き合っているのだから、そういう理由はないのだろう。
 というと、やはり性格か。
 シャーは、ごろりと横になった。地面の冷たさに、身震いしそうだ。
 空には満点の星。静まり返った夜に、呼吸をするものが自分だけのような、そんな気すらする夜。敵の前だというのに、恐ろしく静まり返っていた。
 けれど、シャーは、なぜか妙に落ち着いた気分になっていた。ほかに生き物がいない感覚が、異様に心地よかったのだ。
 シャーは深くため息をついた。
 本当は、一人でいるのが好きなのかもしれない。シャーは不意にそう思う。
 一人でいるときだけは、本来のシャーでいられる気がした。少なくとも、将軍たちのところにいるときは、自分は王子か司令官でいなければならない。そこから逃げるのに、ほかの兵士のところに遊びにいって馬鹿騒ぎしてはみるものの、そこでも、結局は、何かしらの仮面をかぶっていなければならないことに気づいたのは、つい最近のことだ。
 けれども、それがわかったところで、手遅れだった。とりあえず、戦場ではそうしていないとまるで落ち着かなかった。
 不幸なことに、そこに折り合いをつけられるほど、彼は大人でもなく、無自覚でいられるほど子供でもなかった。 
 けれど、それには彼自身も気づいていない。もちろん、それがどこか超人的なところもある彼の、年相応の脆さであるということにも、彼も周囲も気づいていなかった。
「殿下」
 ふいに声が振ってきて、シャーはそちらを振り向く。カッファが、ちょうど心配そうな顔で出てきていた。
「どうなさいました?」
「いや、なんでもないよ。ちょっと寝つきが悪かったから、外に出てきただけ」
 シャーは、そういってあくびをした。
「カッファこそ、どうしてここにでてきたの?」
「いや、私は、ちょうど殿下の姿が見えたからですね」
カッファは、少し眉をひそめた。本来なら、早く寝ろだのと叱り飛ばしてもよかったのだが、今日はなんとなく元気がない。普段から調子に乗っているのを知っているだけに、ちょっとでもしおらしいと、妙に心配になるカッファである。
「ジートリューさんとは、あれから、どう?」
「いいえ、こちらからはなんとも」
 カッファは、そうこたえて首を振る。
「殿下からはどうです?」
「いいや、オレも特に話はしてないよ。話ぐらいしなきゃなあとは思っているんだけどね」
「いや、こういうのはなんですが」
 カッファは、シャーの予想外に真面目な返答に、困惑気味になっていた。
「あまり、そういうことは、気にしなくてもいいと思いますよ。大体、人の好き嫌いというのは、どうしようもないところもありますし。生理的に合わない人物というのは、概して誰にでもいるものですからな」
「それはそうだけど、カッファも困るでしょ」
「いや、私はどうでもいいんですよ。まあ、信頼関係があるほうがいいに決まっておりますが。彼も、思っていたよりは、周りの将軍と協調をとるところもあるようですし」
 カッファは、慰めるような口調だ。シャーは、思わずふきだした。
「今日はいやにやさしいね、カッファ。オレ、別に落ち込んでたりはしないんだよ」
「いや、別にそういうわけじゃありませんが」
 カッファは真面目な男だが、図星をさされると少し慌てるのでおもしろい。シャーは、意地悪に笑いながら続けた。
「大体、カッファはちょっと心配しすぎなんだよねー、昔から……」
 と、不意にシャーは口を閉じた。カッファが、シャーの瞬間的な変化に眉をひそめたとき。シャーは起き上がりざまに刀を抜いた。火花が散る。それとともに、先ほどまでは黒い闇が存在していた場所に、かすかな人影が見えた。
「カッファ、下がって……!」
 シャーの鋭い声に、カッファは、ようやく状況を把握した。
 刺客だ。
 相手は短剣を握っているらしく、時折光にふれてちらちら目立つ。カッファを後ろにかばっているので、シャーとしては守りの体勢になっていた。執拗に迫ってくる短剣をはじきながら、相手の正体がはっきりしないこともあって、積極的にすすめられないのだる。 
「チッ!」
 シャーは、軽く舌打ちして、さあっと一旦身を離す。相手も一瞬動きを止めたが、なんとなく普通の剣士とは勝手が違ってシャーもやりづらい。
「手前、どこの……」
 ふと、シャーは他の人影に気づいて、顔を上げる。他にもいるのか、と思ったが、人影は動く気配を見せない。
(アレは、ギョールの狸オヤジか?)
 先ほどからこちらを凝視しているのは、どうやら彼とその部下数名であるようだ。だが、彼らは、敵ではない。ギョールは、個人的には自分と戦いたがってもいるようだったが、それでも、彼は、ハダートとの契約に背いてまで、自分の意思を通すような男ではない。
 だとしたら、目の前の敵は、彼らとは別組織なのかもしれなかった。
 と、相手も他の人影に気づいたのだろうか。急に彼は、シャーのほうに飛び掛ってきた。軽く短剣を受け流すシャーは、相手が自分に切りかかってきたふりをして、逃亡しようとしているのだと悟る。その受けた刀をすばやく駆け抜けていく相手の背に流そうとしたが、シャーも、一瞬目算を誤っていた。
 相手は短剣をすでに捨てており、そのために距離が遠かったのだ。シャーの刀をするりとかわして、男は闇の中に消え去った。
「逃がした」
 シャーは、軽く舌打ちをする。その後をギョール・メラグの一団がざっと追いかけるのが、かすかな砂の音でわかった。シャーは、それ以上後を追わず、カッファのほうを見た。
「大丈夫だったかい?」
「ええ、私は。殿下は……」
 カッファは、少し心配そうな様子でシャーのほうを見たが、相変わらず無事そうなのを確認して、少しほっとした様子だった。
「オレは大丈夫」
「それはよかった。しかし、今のはいったい……」
「暗殺者かい?」
 まさか、といいかけて、シャーは黙り込む。ハダートだって、あんな連中を抱えこんでいるのだ。リオルダーナのような大国が、抱え込んでいないはずがない。
 それに、ギョール・メラグがそれに気づいたらしいことでも、彼らの同業であることは予想できた。
「殿下を直接狙いにくるとは……。警備は十分してきたつもりだったが、これからはもっと周りをかためないと……」
 カッファが、そういって腕を組んで唸る。
(違う)
 シャーは、口には出さずにそういった。
(今のは、俺を狙ったんじゃない。カッファのほうを狙ったんだ)
 自分のような人間を即座にここの指揮官だと判断するのは、難しいだろう。巷のうわさのように、多分自分は影武者だと思われているだろうし。と、シャーは考える。
 第一、あの男、最初にカッファのほうに短剣を振り向けたのではなかったか。
 だが、それをすぐにカッファに言うのもどうかと思い、シャーはひとまず黙っておくことにした。情報が確定してからでないと、カッファに余計な心配をさせるだけだ。あの男を捕らえるか、捕らえなくても、ギョールが何かしら情報をつかんでくるだろう。
 と、不意にシャーは、まだ刀を握っている手を気づいたように眺めた。指の先が、なぜかじわりと痺れたような気がした。 
 なんだろう。嫌な感覚だが、こういう感覚は初めてだった。
「どうしたんですか? お怪我でも」
 シャーの怪訝そうな様子に、カッファが彼を覗き込みながら聞いてきた。
「い、いや。別になんでも」
 シャーは、急に笑顔を作った。
 シャーには、その指先の些細な痺れの示す意味がよくわかっていなかった。
 

 




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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。