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3ジートリュー-10



 目の前に砦が聳え立っている。砂色に近い大きな建物は、それでも、砂の中では特別不気味に見えるほど大きいものだった。
 ちょうどそれを取り巻くように陣を張ったまま、静かに時間が過ぎていく。ずっと昔からこのままだったように思えるほどだった。
 砦を眺めやる一人の男の腕に、ちょうど黒い鳥が飛んできたところだった。烏の足元にくくりつけられた筒を抜き取り、彼は烏をなでやり、肩にとまらせる。そして、その筒をあけ、中の紙を広げて目を走らせる。
 男は再び落胆したのか、深々とため息をつく。
「手がかりなしか」
 ハダート=サダーシュ不気味そうにとりでを見やっていた。
 なぜここまで動きがないのだろう。自分も、連中を使って調べているものの、ほとんど情報が伝わらない。ハダートにも、少々焦りのようなものが見えていた。
 砦についてすでに一週間ほどが経過していた。当初、砦からは矢が射掛けられてきたが、攻撃らしい攻撃はそれっきりでそれ以上のものは何事もない。あれからずっとこのままになっているのだった。
「しかし、どういうことだよ」
 ハダートは、メーヴェンに乾燥した果物を食べさせながら、うなった。
 戦王子といわれたあの男が、ここまで何も考えていないものだろうか。いや、これには確かに裏があるはずなのだ。しかし、その裏がわからない。それが不気味だから、ハダートは、ここのところ、慎重であいまいな意見ばかり言って、積極的に攻め込もうとしていないのである。
 だが、長期戦は不利だ。それに、手っ取り早く攻略しようとかいいだすジートリューのような輩もいるわけなので、ここであまり長居できるはずもないだろう。
 さて、どうするか。あごをなでやりながら、そんなことを考えるハダートは、ふと、肩のメーヴェンが動いたのを知る。何かの気配を感じたのだろうか。ちらりとそちらを振り返り、ハダートは、ああ、と声を上げた。
「アンタも暇そうだな」
 そう声をかけると、不機嫌そうな声が返ってきた。
「ご冗談。オレは暇じゃないぜ。少なくともアンタのせいでな」
 後ろにいたのは、例の三白眼の青年だ。こういうところでみると、実年齢より少し上に見えるが、それにしても、相変わらず適当な印象である。このいい加減きわまりなさそうな男が実はこの軍団の最高司令官であるというのが、何となくこの砂漠のしたの太陽の見せる、壮大な冗談のような気がするハダートだった。
「この前、えらいことをいってくれちゃってるじゃないの」
 シャーのほうは、恨みがましそうな目でハダートのほうを見た。
「何が?」
「しらばっくれやがって。もしかしたら、どうにか懐柔できたかもしんないのに、あんな賭けなんかしちゃったら、ますます、あのヒト頑なになっちゃうじゃんか」
 ハダートはにやにやしている。
「そりゃー、俺のせいじゃねえなあ。あいつが頑固なのは、昔っからだぜ。ああいう性格で、案外賭け事好きなのもな」
 ハダートは、にんまりと笑う。
「国にいる時から、あいつとは、よく金銭だって賭けあいしたもんさ。いつものことだぜ」
「へえ、それは仲がよろしいことで……」
 このこうもり男が! そう言いたげなシャーの顔を横目に、ハダートは、やたら涼しげな顔ですましこんでいる。逆に言えば、顔がいいだけに余計腹の立つ光景だったが、ここでそんな文句を言うのも悲しくなるのでやめておいた。
「でも、こんなところで何してるのよ?」
「何してる? 俺はまともに仕事してるんだぜ。遊びっぱなしのあんたとちがってな」
 ハダートは冷たくいう。なにやらシャーが口を開きかけたので、彼は先回りして続けた。
「いっとくが、おだててもなんも出ねーぞ。俺もなんにも情報をつかんでねえんだからなあ」
「チッ、そういいつつ、本当は何かつかんでるんじゃないの?」
 シャーは、まだしつこく粘ってくるが、ハダートは肩をすくめるばかりだ。
「そうだったらいいんだがな。それだったら、アンタに高く売りつけられるのによ」
 ハダートはそういって、口元をゆがめた。
「だが、俺も何もわからないんだよ。あいつらをしても、まだ何もつかめちゃいないらしい。何か魂胆があるのは確かだが……」
 彼はちらりと視線をシャーからはずす。彼の視線をたどると、ちょうど砦の影か黒く目に映った。 

 
 敵はすぐ目の前まできている。さすがにこの段になって、傭兵達にもその事実が伝えられていた。
 といっても、篭城を決め込んでいるので、今のところ、動きはなかった。他の傭兵たちは落ち着かない様子で、剣術の練習をしたり、まだ動かないのかと喚いたり、喧嘩したりと騒がしい。セトは、そんな彼らを尻目に、酒をいっぱいひっかけたあと、いつものようにジャッキールの部屋に向かっていた。
 ジャッキールは、というと、あれから部屋にこもって読書をしたり、将棋を指して遊んだり、酒を飲んだりしているらしい。ほとほどにゆったりと遊んでいるようだったが、とにかく、あれから表舞台にでてくることはなかった。
 あいつは外の事情も知りたがらない。あんな風で指揮官が務まるのか、と陰口をたたかれているらしいが、そんなことはお構いなしらしい。
(旦那は、お前らよりよっぽどものをしってるよ)
 セトは、内心あざ笑いながら、そろそろと廊下を歩いていた。
(なんたって、俺様がいちいちあの旦那にあれこれ耳にいれにいっているからな)
そういうセトは、今日は、ジャッキールに本を持ってきてほしいと頼まれて、彼のところに走っているところだった。
 ジャッキールは、あれで読書家である。他所ものの彼には、ここらで書かれた言葉は外国語そのものであるらしく、本を読むときは辞書を片手になにやら調べながら読んでいることも多い。もちろん、旅の身であるので、手放してしまうことも多いのだが、気に入った本はこっそりと持ち歩いたり、どこかに預けたりしているようだ。
 ともあれ、所望のものをもっていくと、ジャッキールは、本の代金とは別に、気前よく小遣いをくれる。ちょっとした臨時収入というわけだ。
 ついでに、何ぞ暇つぶしに冷やかしてやろう。意外にジャッキールと問答していると退屈しない。世間知らずなところもあるので、からかうと結構おもしろいのだ。しかも、なかなか本人が、からかわれていることに気が付いていなかったりして、それはそれで面白い。
 ジャッキールの戦闘狂は、発作のようなものなのであるから、普段は単に強面で、ちょっと愛想が悪いだけの男で、別に害はないのだ。その割りに、妙に常識を心得ていたり、変なところで生真面目だから、そういう意味では、他の傭兵連中よりまともとも言える。
 しかし、セトは、別にそういう理由で、彼をそれほど恐れないのではなかった。セトからみても、やはりジャッキールは一段恐ろしい存在である。見返りがあるだけなら、別に近づきもしないだろう。
 周りから見れば、ジャッキールを利用しているだけのセトだが、セトはセトなりに彼に心酔しているところがあるのである。口では見返りなどといっているが、セトは、その見返りを実はそれほど期待していないのだった。 
 と、不意にセトは足を止めた。ジャッキールの部屋は、下士官達の部屋の近くにあるのだが、その周りにもいくつか部屋がある。そのひとつから、ひそひそと話し声が聞こえるのだった。
 男の声だが、ジャッキールの声ではなさそうだ。同じく低い声だが、彼よりもう少し荒っぽい印象であるし、ジャッキールのほうがもうちょっとくらい話し方なのだ。もうひとつの話し声は、老人なのか、少ししわがれた印象があった。
 セトは、部屋のそばの壁にぴたりと張り付いた。
「もとより、私はお前のほうを押していたのだが」
 老人のほうがそういった。ちらりと覗き込んでみると、その男は、この前ジャッキールのところにもきていた、あのザスエンとかいう爺さんである。
 もう一人は、とみると、黒っぽい服装の男だった。それをみて、一瞬、ジャッキールがいるのかとおもったが、やはり違う。年頃も彼と同じぐらいだが、黒い布を頭に巻いた戦士であることがわかる。ひげを生やした鋭い目の男だが、ジャッキールと共通の陰気な怖さというものを備えていた。
「殿下が、どうしてもあの男をというのでな」
「いえ、ザスエン殿の好意、ありがたく受け取っております」
 男はそう答えた。
「ザハーク。あの男は、少し危険すぎる。そのうちに排除するので、それからおぬしに受けてもらいたいのだが」
「ええ、ザスエン殿がそうおっしゃってくださるなら」
 男はそういって頷いたが、ふいに冷静な態度を崩していった。
「しかし、確かにザスエン殿のおっしゃるように、あの男は正気を失っている上に、根暗で協調性もない。殿下にはいい影響はございますまい」
 ザスエンは頷く。
「おぬしは、まあ、あの男となにかしら因縁があるらしい。しかし、勝負を急いではならん」
 ザスエンはそう釘をさしてからため息をついた。
「根暗で協調性がないねえ」
 セトは、ぽつりと呟いてふきだしそうになった。先ほどの会話はジャッキールのことだろう。しかし、ザハークというその男も、暗くて協調性のなさそうなところはジャッキールといい勝負である。
(旦那もあんたにだけは言われたくなかろうよ)
 それにしても、
「ザハーク」
 セトは、ぽつりとつぶやく。
 その名前は、聞き覚えがある。ジャッキールと同じく流れの戦士だ。それなりに名前が高いが、なかなか荒っぽいことでも有名だ。それに、彼は元々はリオルダーナの没落貴族の出であるらしい。ザスエンが妙に彼を押すのもそのせいなのかもしれない。
(まあ、確かに、リオルダーナのお貴族様としては、旦那みてえに、妙な訛りがひょいと口をつくのが、上のほうでうろちょろしてるのは嫌なのかもしれないがねえ)
 黙っていればだが、見てくれはジャッキールのほうが貴族風に見えるから、別にいいような気がするが、なかなか難しいものである。
 それにしても、ザハークという男、なにやら、ジャッキールとは浅からぬ因縁があるらしい。というより、ジャッキールに絡んでいるといったほうがいいのかもしれない。
 少し事情を探ってやろう。
 セトは、これはいい暇つぶしができたと内心にやりとした。
 





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。