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3ジートリュー-6




「少し失礼するが」
 ジャッキールは、自室に戻ってからちょうどくつろごうとしたところに、部屋の外で自分を呼ばわる声が聞こえたので、怪訝そうな顔をした。
 どちらかというと近寄りがたいジャッキールである。彼の部屋を訪れるのは、セトか、会議やアルヴィンの用事をつげに来る兵士ぐらいだと思っていたが、今の声色からするとそのどちらでもないらしい。
 出迎えにいってみて、ジャッキールは、正直少し驚いた。入り口の前では、一人の老人がたっていた。
「おや、こんなところに珍しい。何か私に用でもおありか?」
 彼が、ザスエンというアルヴィンの後見人であることは、ジャッキールも知っている。気さくというよりは、若干野卑なところのあるアルヴィンは別として、プライドの高そうな彼が、ジャッキールなどの傭兵の部屋をわざわざ訪れるとは、考えにくい。折り入っての相談とも見えなかった。
 ともあれ、ジャッキールは、彼を部屋に招きいれる。何もない部屋だが、と彼が言いかけたところで、ザスエンは手を振った。
「いや、用というのは、すぐ済みますのでな」
 ジャッキールはその態度に、少し不穏さを感じた。しかし、、なんとなく、何を言いにきたのか、そのときに気づいたので、そこまで警戒もしない。ジャッキールは剣をはずして、机に立てかけていた。今のところ、いきなり命を失うような危険はないだろう。
「殿下と本日立ち会った時のことで、すこしききたいことがありましてな」
「ほう、いったいどのようなご用件ですかな?」
 ジャッキールは、警戒こそしなかったが、いきなりの彼の訪問の意図が見えずに、内心困惑していた。
 そんな彼の思いなど歯牙にもかけず、ザスエンは、直接切り出してきた。
「貴殿は、あの時、本気で殿下と立ち会われたのかな?」
「さて。アルヴィン殿もすばらしいお腕前です。私にそんな余裕があったかどうかは、そばで見ていたあなたには、よくおわかりのはずではないでしょうか?」
 静かな中に、妙な緊迫感が走っていた。
 ザスエンが鋭いことは、ジャッキールも承知である。どせうそをつくのは、あまりうまいほうでないのもあって、ジャッキールは、わざとどちらともとれるような言い方をしたのだが、やはり、この老人には見抜かれたらしい。
 しかし、手加減したのは、アルヴィンの手前も考えてのことであるし、ジャッキールには、それがアルヴィンにとって、というより、アルヴィンの側近である彼にとっては、悪いことには思えなかった。相手の思惑が見えないので、ジャッキールも態度を決めかねていた。
「いったい、何がおっしゃりたいのですかな?」
 ザスエンは含み笑いを浮かべていたが、はっきりとは答えない。
 ふと、ジャッキールは、この男が何を心配しているのか合点がいった。
 おそらく、この男は自分を警戒しているのだ。
 傭兵の分際で、将軍の参加するような会議に列席できるということは、それだけアルヴィンに気に入られているということである。といっても、アルヴィン=イルドゥーンが、本当にジャッキールを気に入っているのかどうかはわからない。あの男は気まぐれだから、ただの気まぐれによる配置かもしれないからだ。
 しかし、その異例の取立てぶりと、そして、アルヴィンに気づかれないように、うまく力をセーブして彼の遊びに付き合ったジャッキールに、ザスエンは何かしら警戒したのだろう。
 ザスエンの思っているとおり、間違いなくジャッキールのほうが剣の腕は上である。彼の瞳に、時折狂気の片鱗がちらつくのに気づいているのだろう。
 もし、裏切られたら、とザスエンは疑っているに違いなかった。また、プライドの高い彼のこと、いくら、出仕経験がありそうに見えるほどの立ち居振る舞いをするジャッキールでも、どこの馬の骨ともわからぬ流れ者が、自分たちと席を同じくすることが許せないのかもしれなかった。
 おまけに、ジャッキールは、発音に若干癖があるため、明らかによそ者だということがわかるのである。リオルダーナの貴族の性質もあってか、どこか排他的なところがあるようだった。
 ともあれ、ザスエンは、少し釘を刺しにきたのだろう。
「あのお方は気まぐれの多い方でしてな」
 ザスエンは、愛想よく微笑みながらいった。
「気まぐれで、時にさして取り立てる用のない人間を引っ張り込んでくることもありましてね。そういう場合は、大体、そのうちにひきおろしてしまいますが」
 ですから、と、ザスエンの瞳が鋭く細められた。
「貴殿も、ご自分の分というものをわきまえて行動のほどを」
 そういうと、ザスエンは、それでは、と丁寧な口調でいい、そのまま身を翻して去っていこうとした。
「少しお待ちを」
 いきなりジャッキールが呼び止めたので、ザスエンは、ちらりと半身を彼に向けた。
「ひとつだけ申し上げておきますが」
 ジャッキールは、皮肉ぽい微笑を浮かべた。
「私は、生来、体は丈夫なつもりでしたが、私も流浪の長い身。近頃は、疲れが取れぬこともありまして」
 でありますから、と、彼は固い口調で付け足した。
「私には、高貴な方のお遊びに付き合う体力はないものとお考えを」
 ザスエンは、一瞬きっとジャッキールのほうをにらんだが、彼は別に動揺したそぶりもなく、無表情だった。
 そのまま部屋を出て行く彼を、律儀に見送る。彼がすっかり出て行ってしまうと、さすがにジャッキールも少し表情を緩めた。
「へへ、旦那、意外に言うときは言うじゃござんせんか」
 不意に、ザスエンが去っていった扉のほうから声が聞こえた。声に聞き覚えがあるので、ジャッキールは反射的に握りかけていた短剣から手を離す。
「何でもない顔してるくせに、案外、さっきの爺さんの一言に腹が立ってたんですねえ」
「立ち聞きとはいい趣味だな、セト」
 セトは、たっと扉の影から姿を現すと、にんまりと笑った。
「立ち聞きじゃあなく、旦那が心配なんでついてきただけです」
「二枚舌め。貴様の言うことなど到底信用できるか」
「まあ、そうおっしゃらず……。で、何をしたんです?」
「別に。少し手を抜いたのがばれただけだ」
 なにやら興味深そうにきいてくるセトに、ジャッキールは、突き放すような口調でそういうと、元いた位置に座った。先ほど、ザスエンがきたので手を止めていたのだが、ジャッキールは、それまで詰め将棋をやっていたのだ。塔の駒を持ったまま、ジャッキールはなにやら盤をみて考えはじめていた。
 ジャッキールがそんな遊びに興じているのは、セトもあまり見たことがなかったが、それだけ、近頃暇なのだろうと思う。
「おおや、シャトランジですか。一人優雅に詰め将棋とは、気まぐれに付き合っていられない旦那のやることとは思えませんね」
「わざわざ皮肉を言いにきたのか、セト」
 ジャッキールは、駒を手にとって遊びながら、不機嫌そうな口調で言った。
「いえいえ、とんでもないです。ちょっといいものを手に入れたので献上を、と思いまして」
 セトはへらへら笑いながら、陶器の入れ物を差し出した。
「旦那は、甘いものがお好きだったでしょう? ちょっと手に入れたんですが、どうです?」
 そういわれて、ジャッキールの態度が、思い出したように変わる。なんとなくそわそわしているのだ。
「べ、別に俺は甘党というわけではない」
「まあ、そういわず」
「いや……」
 さすがにこの風体で、甘いものが好きだなどと知られたくないのだろうか。ジャッキールは、落ち着かない様子である。セトは、片目をつぶって、こっそりと彼に告げた。
「いいんですってば。旦那が甘党だっていうことは、ほかの連中には秘密にしときますから」
「本当か。そ、それならば、いいのだが」
 ジャッキールは言葉を濁す。甘党とは認めていなかったくせに、結果的に認めてしまっていることに本人は気づいていないようだ。
「ならいいのでしょう。どうです。とっておきの菓子ですよ。蜂蜜をふんだんに使ったもので、ちょうどコーヒーも持ってきたのですが、どうですか?」
「そ、そうか。それは」
 そういわれて、さすがにジャッキールは、そっと部屋の外をうかがうようなそぶりを見せた。セト以外に人がいないのを確認して、思わず駒を盤上においた。
「そうか。貴様が、せっかくそういうのだし、断るのも悪いな。それではいただこうか」
 なにやら、まどろっこしい言い訳をしながらも、ジャッキールが機嫌がいいらしいのは、少し彼に慣れてくれば一目瞭然である。
「はい。あたしも、旦那のためと思って持ってきたんですから」
「う、うむ」
 ジャッキールという男は、これで案外に禁欲的なところがあるものだから、金や色仕掛けを使っても、全く動かないのだが、実は甘いものにはとことん弱いのである。それを知っているのは、セトぐらいなものなのであるが、こういう風に袖の下を通しておけば、その後、ちょっと不穏なことをいっても、ジャッキールの奴は機嫌が悪くならない。ということは、彼からちょっとしたことを聞きだす絶好の機会なのだった。
 差し出した小麦粉で作られた甘い菓子をなんとなく幸せそうに食べるジャッキールをみながら、セトは、ふと自然さを装ってこう声をかけた。
「それにしたって、戦王子はどうするつもりなんですかねえ」
 ジャッキールは、菓子を食べながら、一瞬きょとんとした顔になる。
「いや、ねえ、ここんとこ、われわれがこれからどうするのかって情報が伝わってこないんですよ。リオルダーナの正規の兵士たちにもきいてみたんですがねえ、一向に、情報がつかめないんでさ。あんまり事情がわかんねえもんだから、何か裏でもあんのかって、俺たちの間じゃあ、いろいろ言ってるんですが」
 セトは、愛想笑いを浮かべながら、続けた。
「ジャッキールの旦那のこと、少しは何か聞いてるんでしょう?」
「最初からそれが訊きたいのなら、素直に入ってきて聞けばよいものを」
 ジャッキールは、少しあきれたような口調で言った。
「へへ、すいませんねえ。でも、旦那、機嫌の悪いときに、訊いても教えてくれないでしょう? だから、ちょいとねえ」
「ふん、貴様も性格の悪い男だ」
 ジャッキールは、薄ら笑いを浮かべた。
「正直いうと、俺もよくはしらんのだ。あの男、将軍にも作戦の内を明かしていないようだ。それとなくは、探っては見たが、俺もあまり深入りできる身分ではない」
 ジャッキールは、菓子を全部食べてしまってから、腕を組んだ。そして、思い出したようににやりとして、彼はセトのほうを見る。
「俺から何か情報を得て、ほかのものに売って小遣い稼ぎにするつもりか?」
「いいええ、トンでもございません。ただの興味でございますよ」
「だが、別に俺も指揮官だからといって、つぶさに聞いているわけではないのだ。ただ、ほかの将軍と共にきいた内容は、わかっているのだが、それでも、奴がこれからどうするかまではよくわからん」
 ジャッキールは、再び駒を手に持って遊びながら言った。
「俺のきいている範囲でだが、ザファルバーンの軍勢は、数日中に、ココにつくという話だ」
「え、数日中」
 さすがにセトは驚いた様子になった。
「なんで、そんな情報が伝わらんのですか?」
「おそらくだが、アルヴィンが規制をひいているからだろう。それに、この話は俺もこの前の会議でちらりと耳に挟んだ程度でな」
「しかし、ぜんぜん対策をとっていねえじゃないですか」
「それだが」
 ジャッキールは、少し眉をひそめると、セトを手招きした。セトが身を乗り出すと、ジャッキールは小声で話し始めた。
「戦王子は、何か策があるらしい。しかし、奴はそれをぎりぎりまで実行しないつもりだ」
「それはどうしてで?」
「事前にいうと反対するものがでてくるからか、それか、敵に気取られるとまずいのか、のどちらかだな。しかし、戦王子が何をいわずとも、おまけにこの要塞はそれなりに堅固にできているから、将軍たちの中には、いきなり襲われてもここで数日耐えられるという自信がある。実際、お前たちは気づいてはいまいが、ひそかに見張りの数が増えている。戦王子がどうあれ、将軍たちは、ここで迎え撃つ用意をひそかにしているということだ。おおっぴらにやると、アルヴィンの怒りにふれてはならんので、ひっそりとなのだがな」
「ああ、そういえば……」
 ジャッキールは、駒の端で盤を軽くたたきながら、わざと低い声で言った。誰かにきかれたくないのだろう。
「もしかしたら、アルヴィンは、この砦を捨てる気かもしれん」
「え? それはどうしてで? ……ここは堅固だとおっしゃったじゃあないですか」
 セトは、思わぬ言葉にそう聞き返すと、ジャッキールは軽くうなった。
「話してみた感じでいっているだけだから、俺の読み違いもありえるが。……アルヴィンは、防戦をしたくない、いや、もしかしたら苦手な感じがするのだ。間違いなく、今衝突すると籠城戦になるからな。ザファルバーンも、最初は正攻法で正面から攻めてくるはずだ。今度は砦攻めを考慮して、例の将軍を呼んで来たのだろうからな」
「しかし、移動させるなら、連中がつく数日前にゃあ移動を開始するでしょ? 俺たちはぼうっとしてていいんですか?」
「それもわかっている。だから、俺も奴の考えを読みきれていないのだ。どちらにしろ、連中がつく寸前にあわただしく動きがありそうだ。注意しておけ」
 ジャッキールはそういうと、ふと盤上に手を見つけたのか、駒を置いた。
「なんにせよ、奴の用兵がわからん。……もう少し、俺も観察するしかないが」
「いっそのことシャトランジで対戦したらどうです? 手の内もわかるし」
 セトは、ふと王の駒の上に手を置いてにやりとした。
「王をうっかり討ち取るってこともあるのかも」
 思わぬことを言われて、ジャッキールは、一瞬あっけにとられたようだった。
「めったなことを言うものじゃない。 そんな目で俺を見ているのか?」
「いえいえ、旦那が誠実な男だってことは、重々承知です。冗談ですよ」
「悪質な冗談だな。俺にはそういう野心もなければ、興味もない」
 ジャッキールがそう答えると、ほんの少しセトはにやりとしていたが、ジャッキールにはその意図はよくわからなかった。ただの冗談だろう。
「まあいい。しばらく様子見だな。なにかあったら貴様にも知らせてやるが……」
 と、ジャッキールは、もう一度声を潜めた。
「だが、俺がした話は、そのままほかの奴らには伝えるな。情報が漏れたのがわかると、俺はまあなんとかなるだろうが、貴様の身のほうが危険になるだろう。時期をみて、ある程度ごまかしながら流せ」
「ご忠告どうも。旦那の言うことですから、遵守しますよ」
 セトは、愛想良く笑った。ジャッキールは、それをどうとったのかわからないが、再び駒を手にとった。今度は将軍の駒だ。
「こればかりは、まずは、どう攻めてくるか、お手並み拝見というしかないな」
 ジャッキールは薄ら笑いを浮かべると、将の駒で兵士を取って、手のひらで遊んだ。
 




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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。