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3ジートリュー-5


 

 石畳の上に甲高い金属の音が響いた。
「今日はここまでにしとくか」
 下に刀を投げ出した男は、そういってにやりとする。鋭い目をしたリオルダーナの戦王子は、ゆるくウェーブのかかった髪の毛をうっとうしそうに揺らすと、相手の男に笑いかけた。
「なかなかいい暇つぶしになった」
 侍従であるザスエンを従えたアルヴィン=イルドゥーンは、にやりと不敵に笑う。ジャッキールは、それをどうとっているのか、ほとんど表情は変えなかった。
「砂漠の真ん中で何もなくて退屈をしていたのだ。まあ、それはお前もそうだろうが」
「戦王子ともあろう人が、意外な言葉を吐くものだ」
 ジャッキールは、薄く笑むと続けた。
「このような何もないところは、もはや慣れているのではないのか?」
「それは慣れているが、だが、俺はこの退屈というのが嫌いでな。時には刺激が欲しいだけだ」
「それには同意するが」
 ジャッキールは、短くそう答えた。戦王子が投げ出した剣は、彼の部下がすでに鞘になおしてしまっていた。彼にはこれから予定があるらしい。作戦会議か何かだろうか。
「腕は俺と同等というところだな。しかし、久しぶりにやる相手だ」
「戦王子殿にそのように言われるのは、私としても光栄だ」
 ジャッキールは、なんとなく含んだような口調だ。だが、アルヴィンは、彼の話し方がもともとそうであることもあって、別に気に留めなかったようである。
「また暇なときに相手をしてくれ。ではな」
 ジャッキールは軽く目礼を返す。アルヴィン=イルドゥーンは、振り返ることもなく、さっさと帰っていった。
 そこには、ジャッキール一人だけが残された。
「なるほど。確かにやるが……」
 ようやく一人になって、彼は苦笑とともにつぶやいた。
「王子さまのお遊びに付き合うのも疲れる」
 ジャッキールはそういって皮肉っぽく笑うと、剣を丁寧に拭いて鞘に収めた。




青い空が空が真四角に切り取られて見えていた。
 城壁に囲まれた中庭で、ラトラスはぼんやりと座っていた。
 この砦についてから、もうずいぶんと経っているが、とりたてて何の命令も下っておらず、たまの訓練がある程度で、なんの変事もなかった。
 うわさでは、ザファルバーンの軍隊がこちらに向かっているというのだが、それにしても、どこまで来ているかなどの情報が、全く流れてこなかった。
 その情報の少なさ加減に、特に傭兵たちはだれてきていたのである。もっとも、その状況に危機感を覚えているものも少なくなかったが、若いラトラスには、情報の少なさがもたらす誰かの意図の片鱗を探ることはできなかった。
 ともあれ、彼らには、ただここで時間をつぶすだけの毎日が続いていたのだった。
「妙に甘いいいにおいがすると思ったら、なんだ。菓子でも手に入れてきたのか?」
「ああ、近くに村があったからよ。ちょいと頼み込んでね」
 そんな話し声をきいて、ラトラスは顔を上げた。聞き覚えのある声だとおもったら、一人はダルヴァーのセトという、あの時、ジャッキールの後を追いかけていった男である。
「いいなあ。ひとつ売ってくれよ」
「悪いが、こいつぁ売り物じゃあねえんだよなあ。まあ、どうしてもというなら、ひとつ売ってやってもいいがね」
 セトの調子のいい声を聞きながら、ラトラスは、再び空に目を戻す。網膜まで焼きそうな日差しが、まっすぐに彼の瞳に飛び込んでくる。
 セトは、なにやら男に菓子を売りつけて、小銭を手に入れているようだった。と、ふと、その男との声が途切れ、セトの明るい声がラトラスに近づいてきた。
「さてと、収穫があったから、ちょっと旦那の顔色でも伺ってこようかねえ」
 セトが、旦那、と呼ぶのは、間違いなく傭兵隊の隊長であるジャッキールのことである。ジャッキールは、戦王子に目をかけられているらしく、将軍や参謀たちが列席する作戦会議への参加も認められていた。彼らにはも面白くないことであろうが、ジャッキールは少し特別扱いをされていたのだ。
 そんな彼をよく思わない傭兵たちもまた少なくない。少し腕が立つぐらいで、時にぎらつくような狂気の片鱗を見せる、陰気で不気味な男が、どうして隊長に取り上げられたのか、理解できないというものも多かった。
 そういう男のところに、セトは何かと話をしにいっているらしく、彼らの前では明らかに変り種である。
「お、この前の小僧じゃねえか。暑さにばてて、ちょいとおとなしくなったかい?」
 セトが、突然ラトラスにからかい半分に声をかけてきた。
「なんだ。あんた、またあの根暗のところにいくのかよ」
 ラトラスは、わざと生意気な言い方を選んでいった。
「旦那に助けてもらっておきながら、かわいげのねー餓鬼だな」
 セトは、忌々しげに言った。
「ちったあ感謝しとけよ。あの人だって、ああ見えて親切で助けてくれたんだぜ」
「親切? 本当か?」
 ラトラスは、あざ笑うような口調で言った。
「あいつは、あの時、飛び掛ってきた奴を一瞬殺す気だったんだろ」
 あの時、ジャッキールが見せた目は、何か自分たちとは違う殺気に彩られていた。腕の立つジャッキールのことだ。あの時、手をとめたものの、頭の中ではすでに相手を切っていたのかもしれない。剣の達人である彼は、瞬時のうちに、次の次の手を頭に想像できるのだろうから。
 あの時、彼が見せた目は、明らかに血に酔った人間の目だった。セトはそれに気づかなかったのだろうか。勘の鋭そうな彼が、それに気づいていないとは考えにくかった。しかし、彼の口調は、相変わらず何でもなさそうな口調である。
「そうだろうな。まあ、まだ、導火線に火がついてなかったんだろ。……ついてたら、あいつは剣ごと首を飛ばされているだろうがな」
「自分が暴れたいからやったんじゃないのかよ」
「さぁね。そういわれりゃそうかもしれねえが」
セトは少し含みながら、薄ら笑いを浮かべた。
「旦那は、時々、ぷっつりといっちまうときがあるからな。そうなると、さすがの俺でも、ぞっとして引いちまうときがあるぜ」
 セトは、独り言でもいうように付け足す。
「あの旦那には、さながら死神が取り憑いてるみたいなところがあるからな。ほかの奴が全滅するようなあぶねえところでも、死神がいるから、あの人だけは死ぬことができないんだって、そういう話をきいたこともある」
 ラトラスは、反抗的な目をセトにむけたまま言った。
「そんな奴とどうして組んでるんだよ? 理解できないぜ」
「本音をいっちまえば、利用価値があるからよ」
 セトは、片目を閉じていった。
「あの旦那の後ろ側にいると、少なくとも死ぬことはないんでね。まあ、死ぬとしたら、旦那に斬られて死ぬぐらいさ。確率としては低いほうよ。ほかの奴は、運がいいとか死神がついてるとかで、生き残ってるんだとかいってるが、あの旦那は純粋に強いんでねえ。戦いで生き残ってるのは、強すぎるからと、それと、状況を見るのが意外にはやいのさ。それがあるから生き残ってるんだ。だから、後ろにいたら死なねえとこういうわけ」
 ラトラスは、セトの話を聞きながら、少し腹が立つような気がした。要するに、セトは、ジャッキールを単に利用しているだけだということだ。別にジャッキールを気の毒だとは思わないが、セトのそういう言葉が、ひどく薄汚れたようなもののような気がして、彼には腹立たしかった。
「しかし、あいつがおかしくなったら、後ろにいたら斬られるかもしれないんだよな」
 ラトラスがそういっても、セトはさして顔色を変えなかった。
「そうなったらそうなったらで諦めるぜ。俺は、それを覚悟で旦那とつるんでるんだからな」
 セトは、そっけなく答え、ふと思い立ったようににやりとした。
「それに、あの旦那なら殺す時勿体をつけたりしねえから、楽でいいやね」
 セトは、軽い口調でそういうと、もはやラトラスに興味がなくなったのか、さっさといってしまった。




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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。