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3ジートリュー-4


 

「なんということだ! 大失態だ!」
 カッファ=アルシールは、頭を抱えていた。どちらかというと、気難しそうに見える方の顔が、今日はさらにしかめられていた。
 それも、これも、全部、ジェアバード=ジートリューが、予定より早くこちらについたことに起因しているが、一番悪いのは、やはりその大元になる人間のことだ。
「ああっ! 何を考えているんだ! あの馬鹿は!」
 思わず上下関係を忘れて、容赦なくいいながら、カッファは、頭を抱えた。
「よりによって、ジェアバード=ジートリューの到着時に、兵士相手に博打で遊んでいたとは! しかも、それを目撃されてしまうなんて!」
 ジートリューをどうにかなだめにいったものの、彼は怒って話を聞いてくれなかった。甥のアイード=ファザナーが、必死にとりなしてくれていたが、どうだろう。どうせいつものことだし、落ち着いたら連絡する、とファザナーは言ってくれたが、はたして、それだけで終わるかどうか。
 とにかく間が悪い。彼が到着すると連絡が来たとき、カッファは、慌ててシャルルを呼びにいったが、当然遊び好きのシャルルが、自分の天幕にいるわけもなく、どこぞに遊びに出かけていたのだった。
 それから、慌てて四方八方探させたのだが、まったく見つからない。そして、慌ててジートリューを迎えて、ひとまずごまかせたと安心したところで、当の本人が、妙なところで遊びほうけていたものだから、ジートリューと鉢合わせしてしまったのだという。
 とにかく、間が悪すぎる。 
 軍人上がりのカッファは、どちらかというとジートリューと性格のタイプとしては近い。だから、彼の言うこともわからないではないし、彼の思考もおおよそわかった。それだけにまずいのだ。自分が彼の立場で、あんなものを目撃したら、絶対に怒って国に帰りたくなるだろう。
 いいや、それどころか。
 カッファは、いらいらと歩き回りながら、唸った。
 ジェアバードは、権力に興味がなく、それなりに分別のある男だという。だが、彼が自覚していようとなかろうと関係なく、彼の一族の軍事力の持つ影響は果てしないものがあるのだ。
 まさか、シャルルを時期国王に、などと大それたことをカッファは考えていないが、長子で、さらに王の隠し子的存在の彼だけに、その扱いは元から微妙なのである。
 なるべくライバルをつぶしておきたい王妃や外戚、家臣は、少なくない。シャルルは、普段は、無能を装っているが、それにしても、王子という立場上、いるだけでも、王位継承の揉め事には必ずかかわってくるのだった。
 そんな中、ジェアバード=ジートリューが、あの王子はとんでもない馬鹿で、王族の中でも、好ましくない存在だ。と公式に発言しようものなら、難癖をつけて消しにくるものがいるとも限らない。
 実際、今でも、ジートリューは、ラハッド王子を押しているとか、シャルル王子が嫌いだとかいううわさが飛び交っているのも事実だ。  
「いかん。もうだめだ。やつに目をつけられたら、どうしようもない」
 カッファは珍しく悲観的になっていた。
「あああ、あの馬鹿が! 人がせっかくかなり注意していたのに、あっさりとその努力を無に!」
 カッファは、一通り怒鳴り散らしてから、少し落ち着いたのか、肩を落とした。
「とにかく、起こってしまったものは仕方がない。どうにか、ジートリュー将軍に、これ以上評価を下げられることのないようにせねば」
 やれやれとカッファはため息をついた。文句を言いつつも、遊びたい彼の気持ちもわかるし、無理やりつれてきた負い目もあるので、カッファは、彼に強く言い切れないところもある。 とにかく、自分は、彼を守ってやらねばならない。どうにかしなければならないのだった。



「オレだってわざとじゃなかったんだよ」
 ハダート=サダーシュは、まだきつい日差しを避けるように日陰の中に入り込んだまま、べらべらとしゃべる青年を見ていた。 
「まさか、今日あの人がつくってきいてたら、兵士相手にさいころ博打なんて打ってないってば」 
 見苦しい言い訳を述べながら、彼は岩の上に座った。先ほど、カッファにこっぴどく説教されたらしく、彼の顔には、疲労がにじんでいた。
「それに、あの人がオレの顔を一発でわかるなんて思ってなかったんだよ。まさか、覚えているとは……」
「ということは、普段からそういうことして遊んでるのか、あんたは」
 ハダート=サダーシュは、青年の顔を見ながら、あからさまにあきれた顔をした。これでも、一応はここの最高権力者であるはずの彼だが、この姿で出て行っても、到底正体などわかるまい。当初、ハダートすら気づかなかったぐらいなのだから。
「いいだろ。それぐらい。こういうとこじゃ、女の子とも遊べないし、唯一の趣味なんだよ」
 シャーは唇を尖らせた。
「それもやっちゃだめとかいわれると、俺、変な方向に曲がっちゃいそうだぜ」
「あんたは十分曲がってるだろ」
 時々十代の餓鬼にも見えないしな。
 毒づきながら、ハダートは、ちらりとシャーのほうを見た。
(しかし)
 ハダートはあごをなでやりながら、ふと、あのジェアバード=ジートリューのことを考える。顔を知っているとはいっていたが、シャルル=ダ・フール王子と面識を得る機会は少ない。一度、二度、ちらりと、しかも、おそらく兜をかぶった状態でしかのぞいたことのない顔を、よくも、あの単純な男が覚えていたものだと思う。文官ですら、顔を知らない人間が多いというのに。
(王家の連中の顔は、一通り覚えているのかね、あいつは)
 彼らしいといえば彼らしいが、なんとなく笑える状況だった。
 しかし、それだけに、印象はよくないだろう。苦労してついた早々みたものが、まさか、そのシャルルがさいころ転がして遊びほうけている姿だというのだから、少しぐらい腹が立っても彼を責められないはずだ。
「それで、俺に一体何の用だ」
 ハダートは、前にかぶさってきていた銀の髪を払いのけながら、淡い色の瞳を彼に向けた。
「俺を呼び出したのは、何もそのハンセイとやらを聞かせるためじゃないだろう?」
「そりゃそうだ。そんなのですむなら、カッファに反省文かいて送りつけてるよ」
 シャーは、そういうと、岩の上で姿勢を変えた。相変わらず、だらりとしている男である。
「あんたが、あの頭の堅い将軍様と仲がいいっていうから、ちょっと聞いてみようと思ったわけ。カッファにあれほど言われちゃったら、オレもどうにかしないといけないしさ。なにせ、あの人、本気で俺のこと嫌いみたいだし」
「へえ、俺とあいつが仲がいいとはねえ。ほかの連中は、俺と奴は犬猿の仲だと思っているときくぜ」
「そりゃあー、そこかしこの情報筋からねえ」
 シャーは、あごを撫でながら、間延びするような声で言った。
「で、実際、仲良しさんじゃねえというわけでもないんだろ。人助けだと思って、ちょっくら教えてくれたっていいじゃないの。いい功徳になると思うよ。あんた、普段から悪いことしかしてないと思うし」
「功徳ねえ。まあ、どうせ、言ったところで、俺には何の得にも損にもならんから、言ってやってもいいんだが」
 ハダートは、そう前おいて腕を組んだ。
「それは助かるよ。そいじゃあ、ちらっときくけど、あのジートリューさんってどういう人なの?」
「どういう人? 耳の早い王子様がよくもそういうことをきいてくるもんだぜ」
 ハダートは、皮肉っぽくいうと、にやりとした。
「どうせ、あいつのことは、勢いと軍事力しかねえいのしし頭だと思っているんだろう?」
「そういう風に話は聞いてるよ。武官一本槍で融通がきかないとか」
「まあ、そういうところがないとはいわんがな」
 ハダートは、胡坐をかいて、頬に手をやった。
「しかし、あの男は、意外と人の顔ぐらいみているんだぜ。なにせ、あんたの顔も覚えていたぐらいだからな」
「ああ、それそれ。それも意外だったよ」
 シャーは、手を振った。
「まさか、覚えられてるとはねえ」
「奴はそれほど情報通じゃあねえが、城の勢力分布についても、それなりに知ってるよ。ただ、あいつが権力闘争にまったく興味がないから、かかわる気がないだけだ」
 ハダートは、そういって、少し挑戦的な笑みを浮かべた。
「あいつは、一応、ラハッド王子を押していると伝えられているが、正直、奴は時期王位の座なんぞ、さして興味がない。誰を押すのか、といわれて、ラハッド王子が一番ふさわしいと思う、と答えただけだ」
「何が言いたいのよ。もっと、ストレートに言ってくれないかねえ」
「つまり、あいつがあんたを嫌ってるのは、別にあいつが王位継承関係で、あんたを邪魔もの扱いしているわけじゃないということさ。……人格的な問題だぜ」
 シャーは、少しうなって腕組みをした。
「てことは、なんだい。あの人、オレの根性が気に食わないとか、純粋にそれだけなのかい?」
「そうだ。奴は、本気で単なる武官のつもりだからな、自分の発言の影響力のでかさというのを、あまり自覚していない。先のラハッド発言やら、あんたへの文句やらが、一人歩きしてジートリュー家は、シャルルを排斥したがっているとか、なんとか、うわさが立っているだけだ。あんたが王族だろうが、ただの兵士だろうが、関係ないね。あいつは、単にあんたの性格が嫌いなだけだろうからな」
 ハダートは、涼しげに笑みながらシャーにそういった。さて、この生意気な三白眼野郎どう出るかな? 笑みにあからさまにそういう意図を含ませているのは、わざとなのだろう。
「根性を嫌われたら、なかなか好かせようってのは、難しいぜえ」
「そんなことはわかってるよ。でも、とりあえず、仲良くやるしかないんだろ」
 シャーは、ため息混じりに言ったが、すぐに少しすねたような口調でこういった。
「いっておくけど、オレだってね、別に無理無体にあんた達と仲良くやりたいわけじゃないんだぜ」
 シャーは、肩をすくめた。
「オレって、嫌われる時は、思いっきり嫌われるタイプだって、自分のことわかってるからさあ。別に、誰にでも好かれたいとか思っているわけじゃあないのよ」
「へえ、それじゃあ、どういったわけだ?」
 ハダートにそうきかれ、シャーは反射的に肩をすくめた。
「ただ、仕事がやりやすくなるからそういう風に持っていってるだけだよ。カッファにもしょっちゅう言われるしさあ」
 なるほどな、と、ハダートは相槌を打つ。
「だが、そういう気持ちだけでやると、あいつはお前さんの味方にはならんかもしれんぜ」
 ハダートは、にやにやしながら言った。
「これは、俺からの忠告だが、奴はそういう上辺だけの人間ってのが大嫌いらしいからなあ。本気でジェアバードに気に入られようとがんばるか、それとも、逆に完全につっぱねるか、どっちかじゃねえと、中途半端にやるとまずいぜ」
 ハダートは、そういって立ち上がった。
「まあ、話すこともそんなぐらいだな。後は自分でどうにかしな」
「ちぇッ、相変わらず曲がった性格しやがって。ホント、意地の悪い男だね、あんたも」
 シャーは、とっとと背を向けていってしまうハダートにそう毒づいた。期待はしていなかったが、こうもあっさり出て行かれると少々腹が立つものである。
 シャーは、続けて何か罵倒してやろうかとおもったが、ふとその口を止めて、大きな目をくるりと岩の端に向けた。
 そこで、視線を感じたのか、慌てて動く人影があった。シャーの顔が、途端、にやける。
「め〜ぐ〜ちゃ〜ん。そんなとこにいたの〜?」
 岩陰に潜んでいた人影の顔が、ちらりと彼らのほうにのぞいた。いかにも不機嫌そうになった少女の顔は、とても、シャーに声をかけられて喜んでいるとは見えない。彼自身、自覚しているかどうかはわからないが、こういうシャーの声色と口調は、ある種の女性に対しては、激しい嫌悪と、何らかの胸騒ぎを与えるものであったらしい。特に、メグのような少女にも。
「もう、立ち聞きなんで水臭いじゃないの。こんなおっさんとの会話だったら、いくらでもオレのそばできいてくれればいいのにさあ」
 黒髪に、日に焼けた肌に、大きな瞳の少女は、見るからに気が強そうな雰囲気だった。シャーのほうは、明らかにうれしそうにしていたが、その表情は、メグから見ると大分気持ちの悪いものだったようである。彼女の顔が、瞬間的に引きつった。
 まだ十七の彼だが、すでにこのころから、何となく不審な感じのする青年だった。将来、それはもっとひどくなるのだが、ともあれ、まだ少しあどけなさの残っていたこのころからも、女の子からそう見られる存在だったようである。
「どうしたの? メグちゃん」
 なれなれしく名前を呼ばれて、メグは、むっとしたらしかった。
 メグは、秘密結社の一員である。組織の長であるギョール・メラグは、彼女をそれほど工作員として鍛えていないようなことをいっていたが、それでも、基本ができているだけに、気配を消すのはそれなりにうまい。
 とはいえ、隙もかなりあるから、こうしてシャーに見つかるわけなのだが。
 ともあれ、そのメグは、シャーとハダートの何かわけありそうな会話を、通りすがりにききとがめて立ち聞きしていたのだろう。ギョールに命令されてなのか、それとも、メグ本人の意思なのかは、定かではない。
 シャー自身は、別に立ち聞きされたことには、腹をたてない。勘の鋭いシャーは、メグがいるらしいことは、とうにしっていたし、どうやら、ハダートもそうだったらしいのだ。それに、きかれてこまるような会話でもない。別に、男の沽券に関わるような泣き言も言っていないわけなのだし。
 それに、シャーの方は、というと、そもそも、メグに悪い感情を抱いていないらしい。それどころか、あからさまに気に入っているらしいのである。
「オレの話きいてたってことは、今暇でしょ? 暇なんだよねえ? 今から遊びに行かない? オレ、今日は何もやることないの」
 シャーは、メグの側までさーっと駆け寄ると、にんまりと笑って、メグの手を取った。一瞬のことで避け切れなかった彼女は、あっさりとシャーに手を取られる。
 メグの嫌がる顔など見ていないのか、シャーは、やたらと滑らかにしゃべり始める。
「あ、砂漠のど真ん中でも問題なし。オレ、夕日がきれいに見える場所とか押さえてるし、他にも、さいころで遊ぶとか、いろいろお楽しみはいっぱいあるから! だから、大丈夫、だいじょ……」
 一気にここでくどいていこうと思ったらしいシャーであるが、その口は、突然止められた。息をつまらせて、崩れ落ちるシャーをきっとにらみつけ、メグは激しい口調で言った。
「なれなれしい! 近寄るな!」
 それだけいうと、彼女は、さっと走り去っていく。シャーは、というと、ちょうど肘でみぞおちに一発食らったらしく、地面で軽くもがいていた。
「あだ、だだだ」
 シャーは、うめきながら起き上がった。
「とっさにがんばって避けたけど、ちょっと入った……」
 シャーは、メグの去っていったほうを見たが、すでに彼女は、岩場に姿を消していた。いや、隠れているだけかもしれないが、とにかく、ああなると、見つけ出すのは困難である。
「あ、あそこまで嫌わなくてもいいじゃないのよ。ちょっと誘っただけなのに」
 シャーはため息をつきながらも、まんざらでもない顔である。
「へえ、あんた、ああいう子が好みなのか?」
 一部始終を黙って眺めていた、ハダートが、興味深そうに聞いてきた。
「あんな気の強い子じゃ、報われなさそうだがなあ。嫌われてるみたいだし」
「そういうのがいいんじゃないの」
 シャーは、どこか浮かれた様子で言った。
「ああいう気の強くって、冷たくしてくるけど、意外に、どこかでオレのこと気に入っちゃってくれてるんじゃないかな〜っていう希望のあるね。あの冷たくて容赦ないけど、どこか入り込めそうな隙のある感じがさあ。最後に一発大逆転かませそうな、そういうところとか〜、痛めつけてくる割に、意外とやさしかったりするところとかさあ。だって、ほら、立ち聞きしてたのも、オレが心配だったからだと思うんだよね」
「……ら、楽天的なんだな」
「そっかなあ。オレは絶対そうだと思うんだけども」
 シャーは、いやに自信満々な笑みを浮かべて、妙に幸せそうにうっとりといった。
「いやさあ、オレとしては、そういうとことか、ほんと、たまんないんだよねえ〜。かわいくてしょうがないっつ〜かねえ。……なんて顔してるんだよ。オレの言ってることわかんない?」
 ハダートの渋い顔に気づいたのか、シャーは、きょとんとして彼にきいた。
「いや。……あんたの趣味は、いろんな意味でぎりぎりだと思うぜ」
 シャーの言葉に、ハダートはあきれたように肩をすくめた。
「ふん、これだから、二枚目は嫌だね。ともあれ、オレには、絶大な希望があるわけよ。これからが楽しみだなあ〜っと」
(さっき、遊びまわってて怒られたんじゃないのかよ)
 まったく反省していない様子のシャーである。この様子だと、ジェアバード=ジートリューを懐柔するなど、果てしなく遠い道のような気がした。




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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
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