一覧 戻る 次へ 3ジートリュー-3 どこまでも続くような砂漠に、点々と目的地のオアシスが見えるのをみて、彼はげんなりとなった。 普段、とっとと目的地に着けばいいのに、と思いながら進む砂漠の行軍も、今回だけは、なるたけ遅らせたかった。だというのに、アイードの願いむなしく、一週間も早く目的地に着いてしまうというのは、これは神のいたずらなのだろうか。 叔父は王都をたってから、ずっと機嫌が悪い。だからこそ、目的地について、何かやらかさないかと心配になる。 ザファルバーンの大軍閥であるジートリュー一族の惣領を叔父にもつ、ファザナー家の長男アイードは、常にこの十ばかり年が離れている叔父に頭を悩ませていた。 「もうすぐですね、叔父上」 「そうだな」 憮然として答える男の髪は燃えるような赤い色だ。そういうアイードのほうも、赤い髪をしていた。どちらかというと、ジェアバードに比べて繊細で、どこか細面なアイードも、顔こそ似ていないが、その特徴的な髪の色で、出自がわかるだろう。 この地方でも、赤毛はそれほど珍しくないのだが、一族揃って赤い髪のものが多いジートリュー一族は、勇猛果敢さと抱えている武力も手伝い、かなり有名な存在でもある。 アイードは、顔はどちらかというとファザナー家出身である父似だったが、髪の色だけはジートリュー家のものを色濃く継いだらしかった。 「叔父上、わかっていますね? たとえ、相手が気に入らなくても、面と向かって王族に逆らうのはやめてください」 アイードは、げんなりしながらも、義務を果たすために、そんなことを口にする。 「下手したら一族ごと滅ぼされたりするのですよ」 「貴様はいつまでたっても、そんなことを! 間違っている時は指摘するのが正しい道だ」 それはそうだが。と、アイード=ファザナーは叔父の言葉に複雑そうな顔をした。まっすぐといえばまっすぐだが、叔父は、多少軍人育ちすぎて、世間知らずなところがあるのだ。 それが彼の長所でもあり、致命的短所でもある。それを心配して、アイードの母、つまり、ジェアバードの年の離れた姉が、アイードに、どうか注意して見守るように、と常々いってきかせたものである。ともあれ、アイードにとっては不運なことに、ジェアバードと共に組むことの多くなってしまったアイードは、自然と、叔父が行き過ぎないように注意するお目付け役になってしまっていた。 だが、どちらかというと、気のいい善人なところのあるアイードには、どうしてもとめきれないところがあった。 「大体、アルシールの教育が悪いからこういうことになる」 「それはそうかもしれませんが」 ぶつぶつ文句をいう叔父に、アイードはとりなすようにいった。 「しかし、そのシャルル様という方にも、なにやら事情があるのかもしれませんし」 「貴様は、やつの顔を見たことがないからそんなことがいえるのだ」 「顔を見てわかるものですかね……。いや、私はどちらかというと不憫なお方という話をきいたような……」 「……お前はだから世間を知らんのだ! もっと物事を注視していれば、おのずからわかることもある!」 勢いよく言う叔父の言葉に、アイード=ファザナーはため息をついた。 (あんただけには言われたくないよな) どっちが世間知らずだという話なのである。 いきなりのジートリューの一軍の到着のため、出迎えも急作りなものだったようだ。ラダーナとカッファはいたが、そこには、シャルルやハダートはいない。 ラダーナはとにかく無口なので、カッファがねぎらいの言葉を述べて、後で殿下が挨拶するので、また来てほしい、といって、あわただしく出迎えは終了した。 ハダートやほかのものは、少し離れた持ち場にいるということでこられなかったという。一族の軍事力から、何かと気を遣われることの多いジェアバードだが、彼自身はそういうことに、あまり気を遣わないので、別にそのような出迎えはいらないと思っているらしい。カッファも、それにはほっとしたようである。 だが、問題はシャルルだ。シャルルがいないことについて、カッファは。 「殿下は、少々体調が悪いもので、今は休んでおります。いやあ、何分、繊細なお方ですからな。あはははは」 と、何かと苦しげに言うだけだった。その後、カッファも焦ってどこかに飛んでいってしまったので、事情はよくわからない。 人のいいアイードは、そんなに王子の体調が悪いのだろうか、と思ったのだった。 「カッファ殿も大変ですね」 案内されて陣中を進みながら、アイードは横の叔父に話しかけた。 「そりゃあ、こういう炎天下で無理に行軍すれば、気分も悪くなるでしょう。箱入りの王子様ならなおさらですよね」 「ほほう、箱入り、な」 ジートリューは、なにやら難しい顔をしたままだ。 本来だまされやすく、思慮の足りないジェアバード=ジートリューが、こういう態度をとるのは珍しい。アイードは、きょとんとした。 「叔父上、何か疑っておいでですか?」 アイードは、急に不安になって、そっときいた。 「まさか、王子がわれわれへの嫌がらせにわざと出迎えにこなかったとか、そういうよからぬことを……」 「そういうことを考えているのでない。大体、私は、ああいう形式的なことは好かん」 きっぱりというジェアバードに、アイードはほんの少しほっとしたような顔をした。 「それでは、一体何がですか?」 「だから、お前は、やつを知らんといっているのだ」 ジートリューが、不機嫌そうにそういいきったとき、ふと、横で兵士たちがわいわいと騒いでいるのが見えた。オアシスで休憩中の兵士たちだ。なにやら、博打でも打って遊んでいるらしい。 それ自体は、よくある風景である。アイードは、そのまま目をそらそうとした。 「よーし、今日は調子がいから、これに全部賭けちゃうぞー!」 明らかに調子にのった甲高い声が、ひときわ鋭くアイードの耳を突いた。気になってそちらのほうを見ると、青い服の若者が周りの若者と、談笑しながら、賭けの対象になる札を振り回しているところだった。 「お、いいのか? そんなことして」 「あんたらと違ってオレは若いからな! 度胸も思い切りもひと三倍なわけよ!」 そこで賭け事をしている若い男たちの中で、一際、目を引く男がいた。癖の強い巻き毛の黒髪に、三白眼で、黙っていても人目を引く男だったが、これが先ほど素っ頓狂な声で、全財産を突っ込むと宣言していた若者なのだろう。騒いで笑う声が、明らかにそうだ。 着ているものをみると、兵士たちの中では、それなりにいい格好をしている。貴族か武官の子弟なのかもしれない。もっとも、顔には、それほど品はなかったが。 よくみると、まだ少年といってもいいぐらいの年なのだが、すれているのか、老けているのか、ぱっとみていれば賭け事に興じている二十台半ばの兵士たちと同年代に見える。 だから、アイードは、彼を二十台半ばの、どこぞの将軍の馬鹿息子か何かだと思った。叔父が何か注意でもしにいくかもしれないが、まあ、それほど問題にはならないだろう。ジートリュー一族は、その辺の貴族よりは勢力が強い。後で問題になることもない。 しかし、アイードには不運なことに、叔父は、とっくにその男の正体に気づいていたのだ。 ジェアバード=ジートリューは、典型的ながちがちの武官だが、それだけに忠誠心があつい。逆に言えば、つかえる相手の顔をちゃんと覚えているということだ。 そして、彼は、自分が仕えるかもしれない王子たちの顔も、大まかには覚えていたのである。 特に、戦場に行っているというシャルル=ダ・フール。 ほかの将軍たちも文官たちも、シャルルという王の隠し子の存在は知っていても、顔を知らないものが多い中、ジートリューは、将来指揮下にはいるかもしれないシャルルの顔を、一度会ったときに、目に焼き付けていた。 だから、彼には、目の前で遊びほうけている男の正体が、一瞬でわかったのだ。 「あれ。叔父上?」 いきなり馬から下りて、つかつかと彼らに近づきだしたジートリューに、アイードは、一体何をしでかすつもりか、とあわてたが、案外に彼の行動は慎重だった。 何も言わずに近づいてきたジートリューに、賭けをしていたものもようやく気づいて、振り返る。 まだ、例の目立つ男だけがこちらを向いていなかったが、彼は、いきなり怒鳴りだすこともなく、あくまでゆったりと声をかけた。 「これはお久しぶりですな。お元気そうで何よりです」 そう丁寧に声をかけられて、ようやく、青い服の男が振り返る。そして、彼ををみた若者の表情が、一瞬でこおりついた。 「あ、あれ……」 ひくっと唇を引きつらせ、若者は、あわてて笑みを作った。こわばった笑みはどう見ても苦笑にしか見えない。 「こ、これはどーも。お、お早いおつきで」 苦笑いの青年をみて、ジェアバード=ジートリューは、とたん顔色を変え、一気にきびすを返して逆方向に向かった。 「お、叔父上、ど、どこに行くんです!」 「帰る! 私は、都に帰る!」 いきなり、叔父がえらいことを言い出したものだから、アイードは、大慌てで、危うく馬から落ちそうになった。 「ま、待ってください! 命令に背きますよ」 「とにかく、帰るといったら帰る!」 「待ってくださいってば!」 馬にものらず、ずかずか歩いていく叔父に、アイードもあわてて馬を下りて、走って後を追いかける。 (一体何なんだよ、いきなり) 事情を知らないアイードは、原因になったらしい小僧をちらりと振り返る。三白眼の青年は、少しげんなりしているものの、そこまで悪びれずにぼんやりとたっていた。 「ああ〜。アレマジだよなあ。しまった。やっちまった」 青年は、舌打ちしながらも、まだ賭けに使われている札をがっしり握ったままだ。軽く額に手をやる彼を見ても、アイードは、まだ彼が誰であるかに気づかなかった。 一覧 戻る 次へ 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。 |