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3ジートリュー-2


 
 ジャッキールは、自分に与えられた部屋に入ると、そこに座った。剣をはずし、横に立てかけると、彼は壁にもたれかかった。
 そういえば、何か読みかけの書物があった。
 そう思い出し、暇つぶしにそれでも読もうと彼が荷物入れに手を入れたとき、入り口に人の気配があった。
 先ほどの揉め事の後である。ジャッキールは、少し警戒していた。反射的に剣の位置を確かめる。抜きざまに相手を斬れる位置だということを確認してから、彼は声をかけた。
「誰だ」
「へへへ、いきなり抜き打ちっていうのはごめんですぜ。相変わらずですね、旦那」
 たっと軽い足音が聞こえた。
「ダルヴァーのセトですよ。ジャッキールの旦那。お忘れですか?」
 軽い男の声で、ジャッキールは、ふと警戒を解いた。部屋の中に入ってきた男は、ジャッキールを見て、愛想良く笑った。
「旦那。お久しぶりです。覚えていらっしゃいますかね?」
 ジャッキールは、相変わらず不機嫌そうな、しかし、それでも彼にしてはいくらかやわらかい表情になって、セトと名乗った男を迎えた。
「なんだ、貴様か。とっくに冥途に行っているかと思ったが、まだいたのか」
 ジャッキールは、口の端を少しゆがめて笑った。
「セト。こんな場所に出てきていいのか。こんな荒っぽい場所で生き残る自信があってのことか?」
「いや、本当のことを言うと、こちらに来る気はなかったのですが」
 セトは、苦笑して頭を掻いた。
「成り行きというものもございましてね。ともあれ、旦那と一緒になれてよかったというものです」
「ふん、買いかぶるな。俺は貴様など助けたりせんぞ」
 ジャッキールは、珍しく少し笑いながらそう返答した。
「そんなことをおっしゃらず。まあ、腐れ縁と思って、よろしくおねがいしますよ」
 セトはへらへら笑いながら、頭を下げた。
 前もそうだったが、ジャッキールにこうやって自分から話しかけていくのは、自分ぐらいだということを、セトも十分わかっている。
 ジャッキールが、危険な男だということは、セトもよく知っている。戦闘中理性が吹っ飛ぶこともよくあるし、そういう時のジャッキールは、戦い自体を楽しむ傾向があることも知っている。
 ただ、セトは、冷静な時のジャッキールはそこらの傭兵どもよりよほど常識人だということも知っているし、彼にはひそかに、少々人のよすぎるところがあることも知っていた。
 先ほどラトラスを助けたのも、別に偶然ではないのだろう。偶然に通りすがって見咎めたような振りをしているが、セトは、この男が、変なところで正義感が強いのも知っていた。騒ぎを聞きとめて、慌てて出てきたに違いないのだ。
 それに、実際、セトは、ジャッキールに何度か助けてもらったことがあるのである。その借りを返すのに、何度か情報を与えたりしているうちに、セトは、なんとなくジャッキールという男に興味が涌いた。誰かにくっついていないと生きていけないタイプの人間であるセトは、どうせ協力するなら強くて、多少問題はあるものの、自分にも親切にしてくれるジャッキールを選んだのだった。
 何にせよ、ジャッキールといる間は、セトは安全ではある。彼は口ではなにやらいっているが、結局義理堅いところもあるので、何かセトが困った時に、よもや見捨てたりしないだろう。そういう意味では信頼のおける男だった。
 ともあれ、セトは個人的な感情として、ジャッキールのことが割りに気に入っていたのである。
「しかし、早速ですが、旦那。出世されたそうで」
「ただの気まぐれだろう。いつ切られるかわからん」
「ご謙遜を。戦王子に気に入られるなんて、相当のものですぜ」
 つれない様子のジャッキールに笑いかけながら、セトはそういいやった。そして、ふと小声になる。
「しかし、旦那のお見立てどおり、どうやら戦王子は、多少気まぐれの過ぎたお人であるとか」
 セトは、そのまま、ささやくように言った。
「確かに戦の強い男ですが、自分が気に入らなければとっととやめちまうこともある男だそうですぜ。実際、それで突然戦の縮小をはかった末、解雇されて泣く傭兵が出たことも、一度や二度じゃねえんでさ。あの王子、見れば国のために戦っているという風でもなく、命令されたことと自分の趣味があっているから戦っているという感じだとかいいますしね」
 ジャッキールは、にやりとした。
「ほほう。さすがに貴様は耳が早いな。いいだろう。そこにかけろ。俺はリオルダーナの事情については、世間話のそれこそ末端程度にしかしらぬのでな。この際、貴様から聞いておこう」
 ジャッキールはそういうと、懐から銅貨を一枚だすと、それをセトのほうにはじいた。
「へへ、これはどうも」
 器用に受け取って、にまりと笑うセトに、ジャッキールは足を組みながら訊いた。
「それでは、今回、さらに兵を募ったということは、あの男は本気だということだな?」
「へへえ、そこですよ」
 セトは、にんまりとして言った。
「戦王子は、先の戦いで、ザファルバーンの青い兜の将軍と戦ったそうで、ね。それがなかなか決着がつかなかったそうですよ。相手は小僧っ子だったといいますがね」
 そういわれ、ジャッキールは顎に手をやって少し考えてから、セトのほうに目を戻した。
「小僧? 青い兜というと、……アズラーッド・カルバーンといわれる男のことか?」
「さすが旦那。そのとおりです。ソイツと戦って、どうやら燃え上がっちまったそうでして」
 セトは、話しをひとつ区切ると、にんまりと微笑んだ。
「それで、どうやら妙に本気になっちまったとかいうそうですよ」
「なるほどな。その男がどうかしない限り、今回の気まぐれは続きそうだということだな。我々は安泰というわけだ」
「ま、そういうわけでして」
 セトは、ジャッキールにもらった銅貨を手の中で遊ばせながら言った。
「しかし、今度は、あちらも、ちょっと強力な将軍を投入してきたようですからね。我々も油断は禁物だとか。いや、場合によりますけれどね。ちょいと複雑な事情がからんでおりまして」
「貴様、どこから仕入れるのか知らんが、相変わらず抜け目がない」
 ジャッキールは苦笑して、腕を組んだ。
「貴様が裏切れば、俺の首など一瞬で落とせるな」
「ご冗談を。あたしが、旦那を裏切ることはありませんよ」
「二枚舌め。信用できるものか」
「いいえ、信用してくださいな」
 セトは明るく笑いながら言った。
「あたしが、こうやってこっそりと情報をたれこむのは、旦那だけですよ。あとの情報は自分の保身のためだけにしか使いませんでねえ」
「ふん、どこまでがまことかな? まあいい。とりあえず、信用してやるが」
 ジャッキールは、相変わらず苦笑いを浮かべながら、腕組みをといて訊いた。
「一体、誰を投入してくるというのだ?」
「それが、旦那。……ザファルバーンの赤い髪の一族といって聞き覚えはありませんか」
「きいた覚えはあるような気がするが。しかし、俺は、この周辺を歩き出してまだ四年ほどなのでな。詳しくはしらん」
 ジャッキールは正直に答えた。セトは軽くうなずくと、それでは、と話を継いだ。
「ザファルバーンには、前の王家の代から有名な豪族がいるんです。ジートリュー一族といってね。元は、西から渡ってきたのだとか。旦那と同じ血が入っているのかもしれませんが」
 セトは、そういってジャッキールのほうをちらりとみた。エーリッヒという名前からして、西渡りだということをしっているセトは、一応そういったが、ジャッキールは、薄く笑うだけだ。
「ともあれ、そのジートリュー一族は、ザファルバーンの軍事力の大半を握っている一族なのですよ。さすがの王族といえど、彼らの機嫌を損なえば、国が滅びかねないという……ね」
「ほう。それでは、その一族の主になると、よほどの権力を握っているのだろうな」
「それそれ、それですよ」
 ジャッキールの返事をきいて、待ってましたとばかりに、セトは嬉しそうに食いついた。
「ソイツが、ね。現当主は、戦以外に興味がない、というより、自分の役目以外に興味のない。実に、欲のないまじめな男でしてねえ」
 セトは、面白そうに笑いながら言った。
「現在の王家が、覇権を握ったのも、元はといえば、その男が説得に応じてそちらの王に忠誠を誓ったからなのですよ」
「見返りはなかったのか?」
「さあ。どうでしょうね。特に連中が優遇されているという話はききません。そりゃあ、軍事力に見合った発言権はあるでしょうがね」
 セトは、なにやら興味深そうに話を聞いているジャッキールを時折見やりながら続けた。
「しかし、見返りを考えるなら、自分が王になっちまえば早い話でしたし。そうしなかったということは、そういう権力争いには興味がないんでしょうよ。……ザファルバーンの連中も、あそこの当主は馬鹿正直だと、語り草にしているという話ですがね。まあ、尊敬もされてるようですが」
「ともあれ、見上げた男だということか」
「ええ、そうですね。しかし、問題がひとつ」
 セトは曰くありげに、ゆったりといった。ジャッキールは、かすかに笑いながら、頬杖をついた。
「なにやらもったいぶるな」
「まあまあ。ゆったりお聞きくださいよ。旦那。話を伸ばすのは、あたしの癖でしてねえ」
 ジャッキールは、どうやら本気で興味があるらしい。この男は、案外慣れてくると外側から感情がわかるところがある。おまけに、彼は嘘をほとんどつかないので、わかりやすいのだ。
「表向き、ザファルバーンの軍には、シャルなんとかという、変わった名前の王子がつかわされていますが、その王子、真実がどうだかしらないのですが、ほとんど外に出てこないのだとか。だから、本物は都にいるか、それか陣幕でずっと寝てるかのどちらかといううわさ」
「その一族の長は、その王子の体たらくが許せん、とこういうことか?」
 ジャッキールが言うと、セトは意を得たり、とにやりとした。
「そのとおりでさ。当主は、どうしても、その王子が嫌いらしくて、平気で回りに文句を言っているとか。今回の派遣も、ずいぶんと嫌がったそうですが、王の勅命には逆らわないとかで認めたという話ですよ」
 ジャッキールは、顔を上げてにやりとした。
「わかった。要するに、我々にとっては、強敵ではあるが、その王子とやらとの折り合いが悪いため、実際、その戦力がどれほど働くかは未知数、と、こういうことを言いたいわけか?」
「さすがは旦那。あたしの言いたいのは、まさにそれです」
 セトは、ジャッキールが相変わらずな様子なので、どこかほっとした様子で微笑んだ。
「なるほど。それはよくわかった。気に留めておこう。礼だ。とっておけ」
 ジャッキールは、もう一枚銅貨をはじくと、セトに取らせて笑った。
「しかし、ひとつ気になることを言っていないな、貴様」
「へえ、何でしたかね」
「とぼけるな、その男の名前だ。わかっていながら、俺が言い出すのを待っていただろう? 人を試すような真似を。俺がそれほど耄碌しているとでも思ったか? 相変わらず、性格の悪い男だな」
 ジャッキールは、そういいながらも特にいらだった様子もない。彼がそういう態度に出るのが承知の上なので、先ほどはセトもわざととぼけたのだ。彼は、結局のところ、ジャッキールとこういう会話をするのが、結構好きなのである。
「おお、コレは失礼しました。当主の名前はですね」
 セトは、もらった銅貨を財布にしまいこみながら、にたりと笑った。
「たしか、ジェアバード=ジートリューというのですよ」




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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。