シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-23


 あれから、いろいろ言われたのだろうか。シャーが、ハダートの元にやってきたのは、すでに日が落ちかけて空が赤くなってきてからである。
 すっかり、普段着に戻ったシャーは、スーバドも連れずに一人でこちらにやってきた。従者ぐらい連れてくるだろうと思っていたので、少々ハダートは意外だと思った。
 戦場から少し戻って岩場の安全なところで今日は夜営することになった。奇妙な岩の屹立する人気のない場所で、シャーとハダートは対峙していた。
「さて、……で、お互い手は出しちゃった気がするけど……そこんとこどうなのかな?」
 けして短くない沈黙のあと、シャーのほうが愛想笑いを浮かべながらそう持ちかけてきた。ハダートは、腕を組んだままだ。 
「そうだな、……少なくとも、あの時点で、オレが考えていた手は出し尽くしたぜ」
 ハダートは唇をゆがめた。
「間違いねえ。俺の負けだぜ。王子様。……あんたの勝ちだよ」
 内心、恐怖を感じているくせに、ハダートはそれを顔には出さず、表向きそっけなく行った。ただ、最初、賭けを持ちかけられたときのように、憎悪や敵愾心をのぞかせた目はしていなかった。
「最初、約束したとおりだ。……王子様の好きなようにしろよ」
「おや、案外潔いじゃんか」
 シャーは、少しだけ意外そうな顔をした。そして、にっと笑う。
「いや、でも、さっきのは危なかったよ、ホント。いやあ、死んだら末代までたたってやろうかと何度も思ってたけど、惜しいなあ。祟りたかったのになあ」
 シャーはにやにやしながらそんなことを言う。
「……でも、別に悲観することはないぜ。オレみたいな青二才には、あんた一人扱うのにもやっぱり荷が重かったわ。オレが勝ったのは、勘と、それから普段の行いがよかったからさ。……別に、あんたの作戦がわるかったからじゃないと思うぜ」
「気休めにそんなことを言われてもな」
 ハダートは、皮肉っぽく笑ったが、その笑顔はいつもほどの自信はない。それは仕方がない。ハダート=サダーシュはいわば、俎板の上にのっている状態なのだった。
「約束は約束だ……。オレをどうするつもりだ?」
「ああ! そういえば、そうだったねえ!」
 シャーは手をたたいた。わかっているくせにわざとらしい、とハダートは、片眉をわずかにひそめるが、シャーはそのまま楽しそうに言った。
「それじゃあ、何してもらおうかなあ。うひょひょ、楽しみだなあ」
 夕日で赤く染まった岩場である。ハダートの顔色ははっきりとはわからない。だが、内心、彼がおびえているのは間違いないだろう。たとえ、殺されなくても、サッピアのことをおおっぴらにしゃべれば、多分、どの道命はない。ハダートがザファルバーンに来てから、わずかの間に築いた権勢のようなものは、みんなサッピア絡みだった。いつか裏切って捨てようとは思っていたが、こんなに早くに裏切ってしまうと危険だった。逃亡も、対抗も準備していない内にそうしてしまうと、多分、ハダートはそのうちにサッピアに殺されることになるだろう。ギョール・メラグなどに、護衛を頼んでみるのも手かもしれないが、いずれ、権力を握るかもしれないサッピアに彼が逆らってくれるかどうかもわからない。
 無邪気ににやにやしているシャルル=ダ・フールが、何を言うのか、ハダートはこのとき一切読めなかった。夕日の逆光を半ばあびつつ、シャーの唇がふと小さく開いた。
「それじゃ、その王子様ってのやめてくれる?」
 シャーは、軽い口調でいった。それがあまりにも軽かったので、ハダートは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「……なんだ?」
「だから、王子様っていうのやめてくれるって言ったのよ。正直、あんたに言われたいやみでそれが一番心に響くわけ」
 シャーは眉をひそめた。
「オレだって、自分がそういう単語が似合わないってことわかってるんだからさあ。逆に精神的にくるものがあるんだよねえ」
 しばらく黙ってきいていたハダートは、ひく、と唇を引きつらせた。
「ど、どういう意味だ?」
「いやあ、ほかのを頼んでも良かったんだよ。女の子ナンパしてきてちょーだいとかさあ。でも、あんたならともかく、オレの顔を見たら、みんな引きそうだし……」
 シャーは、のんびりとそういうと身を翻した。
「まあ、だから、精神的に堪えるんだから、それやめてってのでいいよ。ああ、そう、呼び方に困ったら別にシャーでいいんだけどね、シャーで」
 ハダートは、いまだに返す言葉を見つけられないまま、まさに絶句していた。シャーは、ひらりと手を振った。
「それじゃ、オレは、今日は疲れたからもう寝るから。じゃあねえ」
 疲れ気味に手を振りながら、シャーは、悠々とその場を後にした。
 シャーの姿が消えると、岩がところどころに屹立している荒涼とした荒地には、ハダートが一人だけ残された。いまだに意味を把握しかねた顔をしているハダートは、しばらく、呆然と荒地の風に吹かれていたが、ふと口をゆがめた。
「く……」
 ふっと笑い声がとんだ。直後、ハダートの笑い声は大きくなり、やがて、荒地に響くほど大きくなった。おかしくてたまらないというような声をあげて笑いながら、ハダートは、あまりにも馬鹿馬鹿しくなって頭を抱えた。
 賭けのことではない。ハダートが思わず自嘲したのは、自分がシャーの報復を一瞬でも恐れたことだ。冷静になって考えてみれば、シャルル=ダ・フールが自分を殺すことはできないのだ。最初にシャーは確かに「ハビアスの爺はあんたを殺す気はない」といった。それでも、適当な理由があれば、確かに自分を殺すぐらいはできるのだろうが、あの性格から考えて、そんな無粋な結末を望むはずもないのだった。同じように、彼の命がかかるサッピアのことについて、何かしら証言を引き出そうという気もなかったのだろう。
 始まりがふざけたゲームなら、終わりもやはりふざけたものでなければならない。そうしたものの筈なのに、ハダートは、彼が自分を殺すか、そうでなくても彼の悪事を暴露する気でくると思い込んでいた。それは、きっと、自分が彼を殺すことで頭がいっぱいだったからだろう。
 だから、本当は、シャーが偶然に助かったなどどうでもいいのだった。なぜなら、ハダートは賭けに乗った時点でシャルル=ダ・フールにすでに負けていたのだから。
 そうだとしても、でも、恐れ入った。まさか、王子様と呼ぶな、ということを要望にもってくるとは予想していなかった。ハダートは、銀色の前髪をかきやりながら、大きくため息をついた。
「……参ったよ。ホントに」
 ハダートは笑いをおさめて、やや苦しげに、しかし、どこか安堵したようにつぶやいた。
「俺の……完敗だよ……。シャルル=ダ・フール……」
 荒れ地の風が吹き抜けていく。ハダートのつぶやきは、風にのって紛れてしまった。


 
「殿下。……よくぞご無事で」
 声をかけられ、陣営に戻りかけていたシャーは立ち止まる。ふと顔をあげると、そこには、あのギョール・メラグが岩場に溶け込むように立っていた。
「ああ、あんたかい。まだ何か用なのかい?」
「いいえ、通りがかったのをお見かけしましたのでね、声をかけただけです」
 ギョールは薄く笑んだ。シャーのほうは、不意に険しい表情になる。
「あんたが、あそこの頭領さんなんだろ?」
 ギョールは直接は答えず、笑みをわずかに強めただけである。それを肯定ととって、シャーは、続けた。
「あの娘さんはどうなったんだい?」
「ああ、あれですか? ……ご安心を。ハダートの旦那も殺せとは言いませんでしたし、私も殺すつもりはありません」
 ギョールが愛想よくいうと、シャーはようやく安堵した様子で笑い返す。
「そりゃよかった。とりあえず、ハダートちゃんにもありがとうっていっといて」
「いえ、礼を言うのは私のほうなのですよ」
 ギョールは、静かに首を振った。
「アレは、私の死んだ親友の一人娘なんですよ……。よく無茶をする娘ですが、私としましては、親友に頼まれた手前、邪険にも扱えませんしね。手を下すことになっていたら、後悔していたところです」
「へえ、あんたでも、そんなことを考えるんだね」
 別に嫌味でいったわけではない。シャーはそういうと、静かに微笑んだ。
「ええ。……なんだかんだいって、私も所詮凡人ですからねえ」
「そう。なんとなく気持ちはわかるよ」
 シャーはそう答え、じゃあ、と手をふって通り過ぎる。ギョールは、静かに頭を下げただけだった。シャーは、振り返らずにそのままゆったりと帰っていく。その様子をみながら、ギョールはふと思った。
(感情に左右されるのは諸刃の剣なんですよ。今回のように、くだらない遊びに興じることも、あの子に情をかけたことも……。下手をすれば、いつかあなたの首を絞める)
 静かにそう思いながら、ギョールは、でも、とつぶやいた。
「ハダートの旦那と同じく、そういう人間のほうが私は好きですがね」
 空を見上げると、すでに一番星が出ていた。もうすぐ、この空は闇に落ちるだろう。ギョールは、その闇にまぎれるように、そっとその場を後にした。
 




 岩場から戻っていたハダートは、ふと前を向いた。岩に一人の女性が寄りかかっているのが見えた。黒髪をなびかせた女は言うまでもなく、ラギーハのエルテア=ハスである。
 ハダートを見つけると、エルテアはにっこりと笑って歩み寄ってきた。
「首はまだつながっているようね」
「ずいぶんなご挨拶だな」
 物騒なことをいう娘に肩をすくめながら返し、ハダートはどこか諦めたような笑みを浮かべた。今日はもうだめだ。何を言われても、今日は言い争いをする気にはならない。いろんな意味で疲れてしまった。
 エルテアはそんなハダートに気づいたのか、ますます明るく言った。
「結局、私の勝ちだったでしょ?」
「そうみたいだな」
 ハダートは、案外に素直に認めた。
「なんだ、何かほしいものでもあるのか? 何の用だよ?」
「別に」
 エルテアは、少し微笑んだ。
「ただ、ちょっとあなたに会いにきてあげただけのこと。落ち込んでるかと思ったけれど、そうでもないわね」
 ふん、とハダートは鼻先で笑った。
「なんだ、笑いたければ笑えよ。……どうせ、そういうつもりで来たんだろ?」
「別に笑わないわよ」
 エルテア=ハスは、にこりと微笑むとハダートの顔を覗き込んだ。思わず、きょとんとしてハダートは彼女を見返す。
「何だよ? どういう風の吹き回しだ?」
「意外とやるのね。見直したわ」
 エルテアが、そういってこちらを見上げてくるので、ハダートは不気味そうに彼女を見やる。
「何が?」
「あの状態から、一応形勢をたてなおしたってことよ。確かに、あの時のあなたの戦術は間違ってなかったわ。……それについては認めてあげるわよ、悔しいけれど」
 ハッ、とハダートは顔をそらしながら答える。
「何だ、新しい嫌味かよ? ……俺が、最初に失敗したことを知ってるくせに」
「まあ、どこまでひねくれてるのよ? 別にそんなつもりじゃないわ。純粋に見直してあげただけよ!」
 あきれた様子でいうエルテアに、ハダートは冷たく視線を投げた。
「いやに上からものを言うじゃねえか。どの程度見直してもらえたのかね」
「少なくとも、結構評価は上がったと思うけれど……。なにせ、あなた、第一印象が最悪だったもの」
「それは、俺だって……」
 そういいかけて、ハダートはふと、絶句した。というのも、エルテアと一瞬目があったからなのだが。エルテアは、一度瞬きし、眉をひそめて聞き返す。夕日で赤くきらめく大きな瞳の上にはねた睫毛が繊細な細工物のように見えた。夕日のせいだろうか、一瞬、赤く世界が揺らいだ気がした。
「俺だって?」
「い、いや……ああ……」
 ハダートは、あいまいに答えた。果たして、エルテアは気づいただろうか。夕日に染まってすでに赤く見えていたハダートの、どちらかというと色の薄い頬が一瞬、さっと朱をはいたことを。
「どうしたの?」
 首をかしげるエルテアから不自然に視線をはずし、ハダートはいきなりぶっきらぼうな声になった。
「な、何でもねえよ!」
 ハダートは、紅潮した顔を見られないように、器用に顔を背けながら、かぶった布で顔を隠すようにした。そんなことをしなくても、もしかしたら夕日で見えなかったかもしれないのだが、ハダートは、柄になくあわてたのだ。
「お前みたいなやつにほめられても、うれしくもなんともないね!」
「なにそれ! 本当に、いやなやつね! あなたって!」
 エルテア=ハスがあきれ返った様子でこちらをにらんでくるのがわかったが、ハダートは、それどころでないのだ。そのまま、今度は言い返すこともできず、彼はどこか焦ったように、その場を後にした。
 
 

 シャシュール太陽神殿暦711年、四月、ザファルバーンのセジェシス大王が一子、シャルル=ダ・フール、リオルダーナ領に侵入。リオルダーナのアルヴィン=イルドゥーン王子、軍を再編。
 ザファルバーンのジェアバード=ジートリュー将軍、領を出発。


 





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。