シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-22


(よし……)
 ハダート=サダーシュはようやくため息をついて、額をぬぐった。肩には黒い鳥がはりつけた彫像のように静かに彼の見ているほうを伺っていた。
 目の前に広がる戦場の戦況は、ようやく予定していた静まりに近づきつつあった。エルテアを含め、将軍を配置しなおした。散らばっていた兵士たちの周りに新たに将軍の兵士たちを配置させ、周りをとりかこませた。そもそも、侵入した敵はそれほどいなかったはずだ。冷静に対処すれば、きっとどうにかなる。
(やれやれ)
 ハダートは、ふとまだ右手にまだ杯を持っていることに気づいた。ぬるくなった酒は、まだ半分ほど残っているようだ。
 ハダートは、改めて戦場を見直した。明らかに敵の数は減っているし、残った敵も逃げに入っているようだった。カッファのつれていったものたちも、こちらに戻ってきているようだ。
(さて……、俺のほうは一応首がつながったが、肝心の――)
 ハダートがそう思って、杯に口をつけようとしたとき、ふと肩のメーヴェンが、ばさりと羽を動かす。
「軌道修正といったところですかな? ご予定はどうです?」
 ふと、声が聞こえ振り返ると、後ろにギョール・メラグが静かに佇んでいた。いつの間にか、背後には警備兵の姿はない。彼が何か言いつくろって移動させたのか、それとも、混乱の中いなくなっていたのか。どちらにしろ、やはり、この男は侮れない。
 いつの間に戻ったのかわからない影の男に、ハダートはにやりとした。
「まあ、あらかたな」
「そうですか」
 ギョールは薄く笑った。
「貴様の方はどうなんだ? その様子だと、やはりとどめは刺しきれなかっただろう」
「お察しがいいことで」
 ハダートは、別に驚かない。どうせ、そんなことだろうと思っていたのだ。
「私のところもどうにかなりました。……実は、申し訳ないことに小娘が一人、もう少しで裏切りそうになったのですが……。ええ、まあ、軌道修正はできたので問題はないのですが、その娘をどうするか、ということで少々考えまして。いいえ、殺すにしてもまだ子供ですからね」
 ギョールは、わざとなのか神妙な表情をつくりつつ、いやに遠まわしなことを言う。
「将軍、どうすればよいでしょう?」
「そういう始末は貴様の担当だろう。どうして、俺に訊く?」
「いいえ、旦那がどうでもいいというのなら、わたくしのほうでどうにか致しますが。やはり、裏切り者が出たとなると、我々としては……」
 はっ、とハダートは、鼻先で笑った。
「何言ってやがる。お前がそういうってことは、大方、助命嘆願なんだろう。そうでなければ、俺にそんなことを訊きにこないのはわかっているさ。俺がそういったから、特例で許してやれ、とかそういうつもりなんだろうが」
「さあ、どうでしょうか」
「俺はお前の組織の内部事情に口を出すつもりなどない。お前が助けたいなら、助けてやればいいさ」
 それは、と、ギョールは薄く笑った。
「ありがとうございます。ハダートの旦那は、本当にお話のわかるお方で……」
「世辞はいいぜ。どうせ、お前の組織のことに首を突っ込んだ瞬間に、俺の首が本当に落ちるんだろうが。そんな危ない橋を渡ってまで、知りたいことじゃねえからな」
 ハダートは皮肉っぽく笑ったが、すぐに表情を改めた。
「それで、手はずはどうなんだ?」
「ええ。それは順調に」
 ギョールは、目を伏せつつ笑った。
「すでに配置しておりますよ。旦那」
 そうか、とハダートはにやりとする。
「……あの野郎も所詮まだ若造だ。さすがにこれ以上は精神がもたねえだろうからな」
「でしょうねえ」
 ギョールが相槌を打つ。ハダートは、静かにかみ締めるようにしながら微笑した。薄い青の瞳が、不気味にぎらつく。
「ちょっとは感謝しろよ。……テメエの好きなカッファさんの前であの世に送ってやるぜ」
 そうはいいながら、ハダートの心には複雑なものがあるのかもしれない。けして、彼はそれを表には出さなかったが、ギョールはなんとなく、ハダートの迷いのようなものを感じた。
(まあ、私も迷いますけれどね)
 そう、ぽつりと心の中でつぶやいて彼は目を伏せる。結果はどうあれど、依頼は依頼だ。どうなるかは、あとは神と標的のシャーのみが知るのだろう。
 



「大人しくいうこときけって!」  慣れない馬を扱うのは、意外に気を使うものである。しかも、この馬ときたら、相性が本当によくない。そこそこ馬術には自信があるシャーであったが、それでも馬を暴れさせないように力ずくで言うことをきかすのが精一杯だった。
 おまけに、戦場の真ん中に突っ込んでいくわけであるから、敵も多い。敵の返り血と泥と汗にまみれて、さすがのシャーもここにたどり着くころには、正直に疲れ果てていた。
 だが、油断はできない。絶対にこれで終わるはずがないのはわかっている。
 ハダートは必ず、何か仕掛けてきているはずだ。これだけでは絶対に終わらない。ここでもう終わっているとは思えないのだ。
(どこから来る気だ? あの野郎)
 飛び掛ってきた兵士をかわして、さらに馬を飛ばす。それでも、かなり敵の数は減ってきていた。ハダートがどうにかしたのだろう、とかいう意識はシャーにはないのだが、味方の動きを見ても、何かしら、先ほどとは違う。事態は収拾されようとしていた。
(一度カッファに会うべきかなあ。でも、怒られそうだしなあ)
 シャーは、言うことのきかない馬を押さえつけつつ、ふとそう考える。戦況がこのままで勝てるようになるのなら、あまり無理して戦いつづけても孤立するだけだ。
「殿下! 殿下!」
 ふと、声が聞こえ、シャーはあわてて馬を止めた。急激にとめられて、馬は不機嫌そうに暴れるが、無理やりそれを押さえつける。目の端で確認をすると、横からやってきた兵士が手を上げている。
「どうしたんだ?」
 兵士はこちらまで走ってきて、一礼して早口に告げた。
「戦いはほとんど収拾されております。ただ、カッファさまが何事かお話になりたいとのこと。どうぞ、カッファさまと直接お話ください。あちらに――」
 兵士はさっと向こうのほうに手を伸ばす。
「えっ? 何? カッファが?」
 シャーは、指差されたほうをみて、顔をしかめた。向こうでシャーに気づいたらしいカッファが手を振っている。手を振るということは、大方は友好の意味を含むはずなのだが、この場合は違った。カッファの動作からは、にじみ出た怒りのようなものがちらつく。事情がすべてばれたわけではなさそうだが、多分、スーバドを身代わりにして抜け出したことはばれたに違いない。シャーは盛大にため息をついた。
「ああ、わかったわかった。いけばいいんでしょ」
 ありがとう、とシャーは軽く答えると、たっと身を翻した。兵士の姿がわずかに遠ざかるのが見える。
 ふと反対側をみると、確かにカッファが「でんかーでんかー!」などと叫んでいるらしいのが見えた。どうせ怒られるんだろうなあと思うのだが、この状況もある。シャーは、そのまま、馬を飛ばそうと手綱を握って、馬の腹にけりを入れようとして、大きく上体を前に傾がせた。
「あっ! おいっ!」
 シャーは少しあわてる。手綱に力をいれて引いたところで、いきなり馬が暴れだしたのだ。勝手に走り出した馬は、スピードを上げながら、シャーを振り落とそうとする。
「おい! もうちょっと滑らかに走れな……」
 そういいかけて、シャーは思わず口を閉じる。それ以上口を開いていると舌を噛む、と反射的に判断したのだ。直後、鐙を踏みしめていたシャーの足がはずれ、上向けて力がかかる。あっという間に彼の体は宙に踊った。そのとき、ヒュウッと一筋銀色の光が流れて、大きくシャーを外れて馬の鞍を掠めていったが、シャーの目にその光は入らない。
 だん、とそのまま、腰の辺りから地面にたたきつけられる。落馬して、なんとなくがたがたしている様子のシャーの様子に、彼が誰だか知るものは一様に苦笑いしている。向こうのカッファが頭を抱えているのがわずかに判断できた。
「いってええ……」
 腰をおさえつつ、シャーは、ゆっくりと立ち上がる。さすがに受身を取ったといっても、痛いものは痛いのだ。
「ち、ちきしょう! ……だから、相性の悪い馬は嫌いなんだよ!」
 そうはき捨てながら、シャーは、乗せた相手のことなどどうでもよさげに去っていく馬を憎らしげに見つめた。
「……ああの野郎、とっ捕まえたら馬刺し決定だ! 絶対、食らってやる!」
 ひく、と顔を引きつらせながらシャーはそういい、馬を捕まえるのはあきらめて別の馬を探そうかと周りを見渡す。騎乗している部下がいれば、その馬を拝借してしまおうと思ったのであるが、シャーの目は、ふと近くの地面に落とされた。
 地面に矢が突き刺さっている。シャーは、首を傾げつつ、そっとそれに近づいた。引き抜いてみると、鏃の先から滴がわずかに滴った。この位置は、先ほど、自分がそのまま走り抜けるはずの場所だった。
 ふと振り返って周りを見るが、先ほど、「カッファ殿がお呼びです」といった兵士の影は、どこにも見当たらなかった。やじりの先の液体は、少しどろりとしているようで、わずかに刺激臭がした。シャーには、ようやくすべてに合点がいくと同時に、背筋のあたりがさすがに寒くなった。
「……へえ……マジかよ……」
 冷や汗をひそかにぬぐいながら、シャーはわざと口元に笑みを作った。
「まずいな。当たってたら、こりゃー、マジで死ぬとこだったわ」
 苦笑しながらシャーは言った。さすがにあんな至近距離から撃たれたら、よけられなかったかもしれない。大体、今日は使う分の神経は精一杯使ってしまったのだ。これ以上、不意打ちされても、体も精神ももちそうにない。
 向こうでカッファが呼ぶ声が聞こえた。シャーは、やれやれとため息をつくと、自分を振り落として逃げ去った相性の悪い馬の背を見つめた。とっくに遠くに逃げ去っている馬は、こちらに戻ってくる気配もない。かわいくねえなあ、とポツリとつぶやいたシャーは、思わず苦笑した。
「馬刺しにしてやろうと思ったけど、今回だけは助けてやるか」
 シャーは、そういって矢を折ってぽいっと投げ捨てた。


 遠くで、数人の従者とスーバドをつれたカッファに捕まったシャーが説教されているのが見えていたが、彼にはそんなことどうでも良かった。
 そんなことはもはやどうでもいいのだ。彼の関心は、そこにはもうない。
「そんな馬鹿な!」
 ハダートは、思わず口走っていた。
「絶対外れるはずがなかったのに!」
 金属製の杯を持った手がわずかにふるえる。信じがたいことだった。すべては、うまくいっていたはずだ。確かに計算違いはあったが、予定通り、シャルルをこの場に呼び出した。そして、彼を流れ矢に見せかけた矢で射殺す。矢には毒が塗ってあるのだ。掠っただけでも、助からない。射手は、ギョールの部下の中でも、最も腕のいい男である。
 計算どおり、すでにシャルル=ダ・フールは心身ともに相当疲れていた。普段なら、かわせるはずのものでも、今ならかわせまい。そういう計算だった。そして、それはおそらく間違っていなかったのだ。
 だから、シャルル=ダ・フールは、後見人のカッファや将軍が見守る中、落馬して絶命しなければいけなかった。
「なのに何故だ!」
 たまたま、彼の乗っている馬が暴れた。そして、矢が彼に当たる直前に、シャーは無傷のままで落馬したのだ。その結果、矢は彼を大きく外れ、シャルル=ダ・フールは命拾いをしたのである。
 運もまた実力の内。そんな言葉がハダートの脳裏によぎる。それは間違いのないところだが、認めるのは苦しかった。
 すべて、自分の読みは正しかったのだ。そして、あの王子はさすがにそのすべてを予想できていなかった。自分は勝つはずだったのに――。
「畜生! なんだって、最後でこんな!」
 ハダートは、癇癪に任せて金属製の杯を地面に投げつけた。甲高い乱暴な音を立てながら、杯はカランカランと転がっていく。残っていた真っ赤なぶどう酒が、シャルルの血の代わりに、地面に流れ出していた。
 それをじっと見つめるハダートの瞳は、わずかに揺れているようだった。しろくなった唇が、軽くかみしめられていた。
 ギョールは静かにそれを見守っていたが、突然口を開いた。
「方法はないでもないんですよ。旦那。どうしましょうか?」
 ギョールは静かに訊く。
「実は、あそこのカッファさんの右側にいる従卒は、私の部下なのです。……あなたがどうしてもというなら、私の命令で動きますよ」
 やや茫然自失気味のハダートの顔色は悪い。ギョールは、相手が話を聞いているかどうかわからないのはわかっていながら、話を続けた。
「今、あの王子は、安心しきっているはずです。いいえ、疲労困憊ともいいますかね。……今、いきなり突っかかられたら、おそらく避けきれません。確実にしとめることができますよ」
 ハダートは答えなかった。地面を見つめたままだ。
「比較的安全な手段だと思いますし、おそらく、今度こそ確実だと思いますが……」
 ギョール・メラグは、わずかに声を落とした。
「……その御様子では、さぞかし悔しいのでしょうね、旦那。それがひどくて口もおききになれないのでしょう。……ええ、お気持ち察します。やはり、それでは、私が代わりに……」
「待て」
 ハダートはようやくそう答えた。
「偶然だろうが、なんだろうが、俺の仕掛けた罠は全部破られたんだ。あの時点で俺とあいつの勝負はついた」
 青ざめた顔だったが、ハダートははっきりと言った。
「いくら、目の前にチャンスが転がり込んだといっても、これは俺の想定していた策じゃない。余計なことはするな……。ここであいつを殺すのは、賭け事の規則違反だ。勝負のついた後で、賭けた金を盗み返すようなものじゃねえか」
 本当は、ハダートも怖いはずだ。顔色が悪いのは、負けたことへのショックだけではない。こんな大それたことをしたハダートを、シャルル=ダ・フールがどう扱うかわからないからだ。誰かに今までシャルルを殺そうとしたことが露見するだけでも、ハダートには死ぬ理由ができるのである。臣下が王家に刃物を向けるということは、許されない反逆なのだ。
 下手をすれば、ハダートはこのまま殺されるかもしれない。それでも、ハダートははっきりといった。
「俺の負けだ。……賭けにのった以上、それは認めなくちゃいけねえんだよ」
「左様で」
 ギョールは、顔を俯かせてハダートに見られないように、ひっそりとにやりとした。
「それは申し訳ありません。差し出がましい口をききました」
 ギョールは、さっと手を振った。それは、作戦終了を告げる合図でもあるのだ。いいや、最初から、ここで作戦は終わらせるつもりだったのだ。おそらく、ハダートなら、そう答えると確信していたのだから。
 勝利に酔いしれた時は、勝ち誇ってもいい。負けたものをあざ笑っても、それはそれで仕方のないことだ。その代わり、自分が同じ立場になったとき、相手の嘲笑を甘んじて受けなければならない。――敗北したときに、文句をつけてはならない。
 決まりごとのあるゲームで負けたとき、言い訳を口にしてはならない。見苦しく騒ぐなど言語道断だ。負けたときは潔く、負けを認めなければならないのである。たとえ、そのことで自分が死ぬにしろ、自分が乗った賭けだ。乗った自分と負けた自分が悪いだけなのだ。
 それが、他人を押しのけて生きてきたハダートの、彼なりの流儀であり、美学であり、多分、良心なのだろう。
 同じ策士でも、うわさのカーラマンのあの男なら、ここで躊躇せずに殺しただろうな、とギョールは思う。結局、ハダートは冷酷な策士にはなりきれない気まぐれな賭博師なのである。気まぐれに生きるものは、逆にそうした気まぐれに縛られてしまうものなのかもしれないと、ギョールは不意に思った。
(こういっても何の慰めにもならないのでしょうが)
 ギョール・メラグは、ふと心の中でつぶやいた。
(私があなたを裏切らないのは、多分、そういうところが気に入っているからなんですよ)
 負けたハダートがどうなるのか、ということについてなど、本来、ギョールの知ったことではない。依頼人がその後どうなろうが、彼らの組織にはたいした問題はないものだ。
 それでも、ギョール・メラグは珍しく、同情的な気分になっていた。そして、彼はそう思う少々人間的すぎる自分を、人知れず静かに自嘲するのである。




ほどなくして、戦闘は終わった。とりあえずは、ザファルバーン側の勝ち戦ということになるかもしれない。それほどの被害はでなかった。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi