シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-21


 岩場を走りながら、シャーは、ふと何かに気づいて前を行く娘の手首を掴んだ。ぐいっと引かれ、娘はきりっとシャーを睨んで、その手を離そうとする。危うく回し蹴りをかけられそうになり、シャーは苦笑して手を離した。どうも、また疑われたらしい。
(オレって、そういう人間に見えるわけ?)
「何をする!」
「まあまあまあ」
 シャーは、ついつい反射的にそう宥めてしまいつつ、身をひいた。
「落ち着きなって。状況がわかるでしょ?」
「意味の分からない事を言うな!」
「まあまあまあ」
 シャーは、参ったなあという顔になった。やれやれ、慣れてくれたとは思うが、やはりかたくなで威勢のいい相手は困る。
「飛び出るとアブナイっていってるわけよ、オレは」
「だから、意味のわからないことは……」
 いいかけた小娘の口が、閉ざされる。シャーは今度は容赦なく、左手で彼女の手を掴んで、そのまま自分の背後まで引っ張り込む。同時に右手で抜いた刀を軽く前にふるう。飛んできた矢が、乾いた音を立てて折れ、地面に叩きつけられる。
「そんな。ここがわかるはずは……」
「ああ、ちょっと遅かったかもしれねえな」
 少女が驚きのままに呟いたシャーを見やる。
「もうちょっと早く、あんたを突き放すとくべきだったかねえ」
 素人がこんな入り組んだ道に入り込んだ二人を見つけだすのは、無理だ。きっと、誰かが手引きしたに違いない。この娘が手引きした様子はない。だとしたら、もう見つけられてしまったのか、それとも、或いはこの子も知らない最初の方からつけられていたのか。そのどちらかを確定させる必要はない。
 ただ、この娘の裏切り行為は、彼らに把握されてしまった。
 目の前に広がってくる騎馬と徒歩の兵士は、十数人。リオルダーナの紋章をつけているまでもなく、敵であることはすぐにわかる。
「やっぱりな」
 シャーは、肩をすくめた。ふふん、と鼻で笑うようにしながら、シャーは娘を後ろに追いやりながら前に立ちはだかる。
「そう簡単には逃がしてはくれないよね?」
 いたぞ! と声があがる。シャーは、なるべく包囲されない内に娘の手を引きながら走り出した。
 すぐにまわりを囲んでいた兵士の一角が飛び込んでくる。シャーは、だが、ためらわなかった。そのまま飛び込んでいく。切り込んできた兵士達のを横に薙ぐ。 
 さすがにかわす暇はなかった。悲鳴と共に飛んできた返り血を浴びながら、シャーはそのままその場を突っ切った。娘を半分抱えるように引っ張りながら、シャーはひたすら走る。多少切られたぐらいで、追撃の手は緩まらない。
 後ろに追いすがって、マントを掴んだ男をそのまま蹴り倒しながら、シャーはゆるく坂になった荒れ地を上の方にのぼった。徒歩はともあれ、馬は、足場が悪いとのぼってこられないはずだ。
 もしかしたら、相手方は自分の正体を知っているのだろうか。どちらにしろ、あのハダートが自分を重要人物だと吹き込んではいるはずだ。
「早く!」
 手を引きながら、足場の悪い坂道を飛ぶように上る。一度、刀を振って汚れを落とし、シャーは、さすがに躓いて遅れをとりそうになる娘をいつの間にかほとんど抱えていた。
 遠くから矢が飛んでくる。いっそのこと刺さるなら、刺さりやがれ! と半ばヤケになりながら、シャーは、振り返らなかった。足をのけた側から、矢がその後をついてくる。
「ここを抜けるとどこに出るんだい?」
 荒い息をつきながら、シャーは娘に訊いた。
「オレのとこの陣地にはつかないのかな?」
「いや、方向はあってるはずなんだ」
 娘は、少し考えていった。
「ただ、戻るにはもう少し左の方に走らなきゃ……」
「なるほどね。ちょっと遠くまできすぎたな。ホント、オレも軽率だったよ」
 シャーは、自嘲気味に笑った。本当に、自分は少々危険を遊びすぎる。ハダートのことを笑っている場合でもないのだ。
 そのまま、今度はやや左斜めに向きを変えた。坂の向こうの方がどうなっているのか見てみる。そこそこ急な下り坂の向こうでは、まだ彼の姿を認めていない騎馬の男が数人立っていた。
(よし!)
 シャーは、唇を噛みしめる。そして、そのまま坂を一気に下り始めた。足場は悪い。一度でもつまずいたらおしまいだ。すべるようにくだる足音に気づいて、騎馬の男達が目を向けてくる。
 と、その直後、シャーは一番近くにいた騎馬の男に襲いかかった。左手に抱えた娘をなるべくかばいながらも、飛び掛かって男をうまく馬の鞍から蹴落とす。うわあっという叫び声が響く頃には、馬がいななきをあげて暴れ出していた。体勢もうまくとれないまま、シャーは手綱を掴んでひっぱたく。
 シャーと娘をかろうじて鞍にひっかけたまま、馬は暴れながら走り出す。
「ああ、畜生! 相性のいい馬じゃねえな!」
 シャーは苦笑しながら、剣をもったままの手で手綱を引き、娘をひっぱりあげる。ようやく彼女を鞍にあげたところで、シャーはようやくあぶみに足をかけた。まだ馬は暴れていたが、徐々に彼の誘導に従って走るようにはなっている。
 後ろから追ってくる騎馬兵をかわしつつ、シャーは、ようやく馬に乗ることが出来た。娘を前にかばう形になりながら、シャーは、まだあがった息を整えられない。
「大丈夫か?」
 少し苦しげだが、そう聞いてやると、今までずっと呆然としていた娘は、ようやくはっと顔をあげた。
「あ、ああ」
 娘は、ようやくやや驚いたように答えた。
「そう、今まで静かだったから大丈夫かなと思ってたよ」
 正直、酸欠で頭痛がしていたが、足を止めることは死と同じ。シャーは、馬を駆り立てながら、必死で荒れ地を走る。でこぼこした岩に身を隠しながら、わざと危うい道を選んでそのまま走る。
 後ろから飛んでくる矢は減っていた。大分巻いたのか、それとも、新たな罠の始まりなのか、その予想はつかない。ただ、元いた戦場に近づいてきているのはよくわかった。まだ混戦中なのか、わあわあと騒がしい音が聞こえる。
(おかしい)
 シャーは、少しだけ眉をひそめた。あの状況では、とっくに勝負がついてもいいはずだった。
(あのハダートのコウモリヤロウ、しくじりやがったんじゃ……)
 だから、カッファには気をつけておくようにいったのだが、それとも、何か手違いでもあったのか。シャーは、早く戻らなければ、と何となく焦った。
 いつの間にか、追っ手は相当遠くになっていた。シャーは、走り込んだ岩山の影で急に手綱をひいた。無理矢理止めさせられた馬は、悲鳴のようないななきをあげる。その行動が突然だったので、少女は驚いた様子をみせた。
「どうした?」
「残念だけど、君はここまで」
 シャーはそういうと、慌てる少女を半分抱えて下ろした。
「な、何を……!」
「慌てない。これ以上行くと、却って危険だからね。混戦の最中で、これ以上女の子連れ歩くのは、オレだって限界なんだよな」
 シャーの言葉は、娘の言葉を遮ると、そのまま馬から少し身を乗り出して、彼には珍しく早口で告げる。
「あんたなら、ここから連中に見つからないように逃げられるだろう? いいかい、絶対お仲間のところには戻るんじゃないよ」
「えっ!」
「ここなら、あんたならすぐに逃げられるんだろう。だったら、すぐに逃げてくれ! いいな!」
 シャーは、そう言い残すと、姿勢を正して馬を走らせる。
「あ、待て!」
 少女は、焦って叫んだ。が、シャーはすでに駆けだしている。岩場を飛び出した途端に、矢の標的になった彼には、その声は届かない。
 ふと、少女はあたりを見回し、そして、シャーの向かった方向をみやった。戦場はすぐそこだ。もう少し近くまで走れば、彼らの陣営も遠巻きにみえるようになるだろう。それに気づいたとき、少女は、さっと顔を青くさせた。
 確かに左の方にいかなければならないとはいった。だが、それは違う。そうしないと戻れないが、その道はだめなのだ。いいや、その方角はいけない。
「ダメ! ダメだ! そっちは……!」
 慌てて少女は走り出そうとする。足を踏み出したところで、ふと声が響いた。
「メグ」
 静かな声が聞こえ、少女は体をこわばらせた。背後に佇む男は、一切の気配を感じさせていなかった。メグ、と呼ばれた少女は、思わず背を伸ばし、かたまったままゆっくりと背後に振り返る。青ざめた顔にまっしろな唇が静かに震える。
「……頭領」
 ギョールはソレには答えず、ゆったりと足を前に進めた。
「あ、あなたですか! ヤツらに、あたし達がここを進んでいるって教えたのは……!」「メグ、もうよしなさい」
 ギョール・メラグは、メグの叫びに耳を貸さず、腕を組んだまま首を振った。
「特例、を、作ってはならないが、お前はまだ子供だ。それに、お前が手引きしたお陰で、結果的に我々の仕事が非常にやりやすくなったことですし、その功績を差し引きすれば、今回の罪は許してあげてもよいのです」
 真っ青になってかすかに震えているメグをみて、やや優しい口調でギョールは言った。
「あの王子にあなたが少なからず魅力を感じたのはわかる。でも、もう諦めなさい。彼は掌中に落ちた」
 ギョールは、やれやれと言いたげに物憂げに言った。
「彼がどうしてここの道を選んだかわかりますか? ここに至る道が比較的短く自分の陣地に帰れる道であり、しかもあなたと安全に別れる為にいい場所だからです。なにせ、他の場所には、私の部下や兵士を潜ませておりましたからね。あなたは気づかなかったでしょうが、彼は気づいていたんでしょう」
「頭領……!」
 メグは、思わず身をひいた。
「当初、あなたが現れて、危機を脱してしまったときは、正直困りましたよ。でも、作戦を修正すればよかっただけなのです。いいえ、寧ろ、こちらの方がよかったのかもしれませんね。あそこで、彼をリオルダーナの兵士に追いつめさせたとはいえ、逃げおおせる可能性もありましたし」
 ギョールは静かに言った。
「あなたをかばった事で、彼は一人なら、けして通らない道を通った。最終的に、我々とハダートの旦那が、最後にはった罠にかかる道筋を通ったのですよ」
「あなたは、それでも……」
 思わず、メグは腰の短剣に手を触れる。
「私に逆らうつもりですか?」
 言いかけたメグの続きを遮って、ギョールは冷たい口調で言った。普段は、温厚な印象が漂うギョール・メラグの瞳が、わずかに細められる。氷のような鋭い光を灯した目は、普段の彼の印象とはよほどかけ離れたものだった。メグは、思わず寒気を感じて、後ずさる。
「それ以上やるというのなら、私はお前を殺さねばならない――。それがどういうことかわかるでしょう、メグ?」
 ギョールの声をきき、メグは気が抜けたようにしゃがみ込んだ。彼女がその場に膝をついてうなだれたのをみやり、ギョールは、ようやく緊張を解くとため息をついた。
「さて……。ハダートの旦那の方は少々手違いがあったようではありますが……」
 乱戦の様子を呈している様子を、覗きやりながらギョールは呟く。それをどうするかは、ハダート次第だが、おそらく、ハダートならどうにかできるだろう。
「まあ、結果をご照覧あれ、というところでしょうか」
 何重にも仕掛けてきた罠も、これが最後。だが、結果的にはこれでよかったのかもしれない。ギョールもあの青年については、気にいっているのだった。どうせならば、相応しい派手な送り方で送ってやった方がいい。
 敵に囲まれて一人で死ぬよりは、味方に囲まれて死んだ方が、救いがあろうというものだ。ギョールはそんなことを考えながら、遠くにさりつつある青年の背中を見ていた。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi