シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-20

 いくらなんでも、おかしい。おかしすぎる。いいや、あの方らしくない。
 カッファ=アルシールは、ぶつぶつと口の中で呟いていた。
 戦は勝ち戦。このままいけば、きっと大事なく勝利に至れる、と思われる。だが、そういう場合でも、あの三白眼青年はじっとしていないのだ。警戒心も強いし、それに、どちらかというとじっとしているのが得意ではない。そういうシャルル=ダ・フールなのである。
 だが、先程から見ていると、あの青い羽根飾りの付いた兜が、一カ所から動いていない。ただ、時折、風に揺れて、羽根飾りがふわりとするだけである。
 後ろ向きの彼は、先程からずっとその場から動いていない。
「……まさかとは思うが……」
 カッファは顎に手をあてる。付き添っていた従者が慌てていった。
「そんな殿下に限って、左様なことは……。あのお強いお方が討ち死にされるなんて……」
 気を遣ってそういった従者に、思わずカッファは怒鳴りつける。
「何を不吉なことをいっているか!」
「え、しかし、そういうご心配をなされたのでしょう?」
「私は、まさか寝ているのではないかと思ったのだ。あの殿下なら、十分あり得る!」
 カッファは、腕を組む。
「一度そういうことがあったのだ。信用ならん」
「は、はあ」
 従者が、なんだそんなことか、と表情で語る。全く王子が変わっているせいか、後見人までおかしい。とはいえ、たしかに彼にはありそうなことではあるのだが。
 そんな従者の嘆きに似た気持ちなどには構わずに、カッファは彼を置いて主君の元に駆け寄った。
「殿下あ、殿下! 何をなされておりますか!」
 声が相手に届いた瞬間、あからさまに相手がびくうっと肩をすくめたのがわかった。カッファは、さすがに怪訝に思う。果たして、声をかけたぐらいでそのぐらい驚くだろうか。
 カッファは、後ろから駆け寄って、主君の肩を掴んだ。
「殿下! 一体……」
 いいかけて、さすがにカッファは驚く。そこにいたのは、見覚えのあるくるりとした髪の毛の青年ではない。絶句したカッファに、振り返ったスーバドは、何となく青ざめた顔をしていた。
「すみません、カッファ様……」
 スーバドは泣きそうな声で言った。
「に、逃げられました……」
 ざあああっと青ざめて、カッファは事の次第に気づいた。詳細はわからない。だが、事実が把握できれば、大体予想がつく。
 何があったかはしらないが、あの男、またふらりと一人でどこかにいってしまったのだ。
「あ、ああの……」
 ひくっと唇を引きつらせながら、脳裏には様々な説教が思い浮かぶ。だが、そんな細やかなことをつらつら述べるより、カッファにとっては次の一言で自分の感情全てを表現できる筈だった。
「ああの、腐れ……」
 言いかけたところで、カッファは、ふと異変に気づいた。戦場から響いてくる声が、少し質の変わったもののように聞こえたのだ。ここは、それなりに高さがある。なので、比較的まわりを見回しやすいはずである。
 顔をあげ、ちらりと一度だけ確認するつもりだったカッファは、それを見やった後、慌ててもう一度状況を見た。それを凝視する気配に、何となく落ち込んでいたスーバドもやがて落ち込んでいた顔をあげる。
「何! 馬鹿な……!」
 カッファは、思わず驚きの声をあげる。
 先程までは勝ち戦だった。それに、戦いはもう収まりかけていたはずだった。追撃していく兵士達を見送ったばかりではなかったか。そうは思っていても、目の前に広がる現実は、そんな楽観視できるようなものでもなかった。
「これは……!」
 鈍いカッファにも、経験不足のスーバドにも、状況が悪化していることはすぐにわかった。
 ちょうど彼らがいる下の方、兵士達がまだ残っていた場所には、かなりの数の敵兵が混じっているのが、それでもすぐに見えたのである。
 


 外がさわがしくなり、ハダート=サダーシュは、エルテアから目を離し、慌てて天幕からでてきた。アルコールが舌の上に苦く残っているままでも、彼は状況を瞬時に把握できた。まわりを見回してみるまでもなく、彼にはなにがおこったのか、大体の予想が出来たのだ。
「――やられた!」
 陣営はやや高いところに築かれているので、状況を知るには見下ろすだけでいい。そして、彼は思わず唇を噛んだ。
 先程までは優勢だったはずが、いつの間にか押されている。いいや、押されているのではない。完全に乱されているのだ。陣形は完全に乱れ、混乱の中で戦いは続いている。自軍の兵士に混じって敵兵の姿が見えるが、それは一見して区別が付かないほどだ。
 いつの間にか、裏側から回り込まれて入り込まれたのだ。岩場に伏兵がしかけてあったのか、それとも奇襲されたのか。ハダートには、すぐにはわからないが、どちらにしろ、自分たちは相手の策にはまったのである。
(何故だ?)
 ハダートは思わず青くなった。
 こんな筈はない。あの時たてた作戦に狂いはなかったはずだ。それに、当然、相手方が攻め込んでくることも予想して手を打って置いたはず。だというのに、一体何がおかしかったというのだろう。
 ハダートは、ふとまなじりをゆがめた。自分の計算の狂った原因について、思い当たる節があったのである。
「畜生。あの王子だ――」
 ハダートは苦々しく吐き捨てた。
 それしか思い当たることはない。おそらくシャルル=ダ・フールに気を取られていたせいで、一つ、致命的な間違いをしたのだろう。
 敵方と多少なりとも繋がりはあるといっても、ハダートは敵を信用していないし、裏切るつもりもない。こういう風に地の利を使われることは、当初から予想していた。だから、カッファを誘導して、それに対応できるような配置をおいたつもりだった。
 だが、その配置の中には、標的であるシャーも混じっていたのだ。
 シャルルをおびき寄せるのは、恐らく簡単なことである。ギョールを適当に近づけさせていれば、彼は必ず何らかの方法を使って出てくる。ハダートはまだ知らないが、この作戦は図に当たっている。
 だが、その何らかの方法が何の方法であるかまでは、さすがに読めなかったのだ。
 ハダートは、これでもシャーという人間の才覚を評価はしていた。彼がいる限り、怪しい動きがあれば何らかの反応を取るだろうと思っていたのだ。
 彼の姿は、先程まで見えていたし、それからどこかに行ったとしても、おそらく、的確に何かを指示している筈だ。そう読んでいた。
 だが、実際は、ハダートが彼の青い甲冑姿を遠くに認めたときには、シャーは既にそこにいなかったのである。その時、ハダートが見たのはシャーではなく、シャーの格好をさせられたスーバドだったのだ。
 もし、彼がそれに気づいていれば、もう少し細かく兵士の動きを観察していたし、シャーがいないというなら、それはそれで別の機転のきく将軍を動かす筈だった。
 さすがに、シャーがスーバドを使ったことはわからなかったが、ハダートは、あの王子の行動が、何か自分の考えを越えたモノだったのだ、ということについての予想はついていた。
 それでも、もう少しハダートが冷静だったら、こんなことはなかっただろう。もう少し何か事前に手を打っていたはずだ。そう、シャルルの事がなければ、わざわざ気をそちらにつかうことはなかったのだから。全ては、あの王子を殺すためにお膳立てしすぎたからだ。芝居に手を掛けるあまり、舞台の土台への監視がおろそかになった。
「なにか、旗色が悪いんじゃなくて?」
 エルテア=ハスの声が近くで聞こえた。
「これは、あなたにとっても意外なことなんじゃあないの?」
「いちいち、うるせえな」
 ハダートは、咄嗟にそう吐き捨てたが、すぐに態度を変えた。表情をただし、ハダートは浮き足立つ将軍達が固まっている方向に歩いていく。
「どうするつもりよ?」
 非難のこもったエルテアの声に、ハダートは顔を半分だけ向けた。
「このまま見ていたってどうにもならないだろう。なら、どうにかするまでだ」
 予定が狂ったのなら、直せばいい。
 自分の失態なら、自分でカバーすればいい。
 例え、シャルルを殺せても、ここで大敗を喫するようならダメなのだ。きっと、ハビアスは彼の失態を見逃さない。
 いや、それ以前に、ハダートとしても、それなりに意地はある。
 カッファはいない。だから、彼を通して命令を告げさせることは出来ない。ここは、おそらく、自分が指揮をとらなければならない。
 ハダートは、意を決して、こちらを向いた将軍達に向けて口を開く。背後では、エルテア=ハスが、腕を組んだまま彼の行動を見ていた。
 





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi