シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-19

 戦闘は一時おさまってきていた。勝負が決まりかけているともいえるかもしれない。敵の大方は、すでに退却に入っているらしい。深追いするつもりはないが、勢いに乗って追撃にかかっているらしく、本陣での将軍達の動きはあわただしかった。カッファの姿はすでに見あたらない。
 エルテア=ハスは、カッファをそれほど知っているわけでもないが、彼の気性はすぐに飲み込めた。彼は一つ所にじっとしていられないタイプの人間ではあるらしい。あの王子というには、どうも違和感のある青年とは、ある意味では相性がいいのかもしれない。どちらも、何となく組織から浮いてしまいそうな存在ではある。
「ハダート将軍はどちらかしら?」
 エルテアは、忙しなく走る兵士の一人を捕まえて訊いた。
「ああ、ハダート将軍なら、気分が優れないとおっしゃられて、あちらで休まれているかと」
「そう、ありがとう」
 兵士の指さした方向には、急作りの簡易テントが張ってあった。エルテアは、ずかずかとそちらの方に歩いていく。前には、見張りの兵士はいない。よほど自信があるのか、それとも、人を近づけたくないかのどちらかだろうか。
「ハダート=サダーシュ、ここにいるんでしょう!」
 答えを待たずして、エルテアは、バッと入り口の布をまくった。
「エルテアさんかい」
 鬱陶しそうなハダートは、杯片手に足を組んで座っていた。
「相変わらずぶしつけなんだな、あんたは。……いきなり、でかい声かけないでくれるか?」
 なにせ、俺は調子が悪いんだから、といいながら、どこからどう見ても、疲れてもいなさそうなハダートの様子だった。肩には、黒い鳥が従卒のように寄り添っている。いかにも余裕ありげな様子をみやりながら、エルテアはあきれかえった。外では、まだ兵士達が忙しく動いているというのに、この男、単にサボタージュしていたに違いない。
「まあ、呆れたわね。もう、勝ち戦のつもり?」
「いいええ、私は日差しに弱いものですから、ちょっと休憩してるんですよ」
 そういいながら、杯を傾けるハダートの様子を見てエルテアは、腕を組む。ハダートが飲んでいるのは、水ではない。赤い色のそれは紛れもなく葡萄酒なのだ。ここ一帯に住む人間よりは色素の薄いハダートが日差しに得意でないのは本当かもしれないが、気分が悪いなど大嘘なのである。
「へえ、日差しにやられて気分の悪い男が、きつい酒飲んで陽気に高見の見物なんかするわけ」
「高いところから状況を見渡すのも基本だろうが。それとも、エルテアさんはそんなこともわからないのかねえ?」
 ハダートは鼻先で嘲笑いながらエルテアに目を向けた。
「もう、実際、戦いは終わったも同然だろう。それに、敵方だってちょっと突っつきにきただけのことよ。本気でかかってきたわけじゃあねえからな」
 そういってハダート=サダーシュは、自信を滲ませて笑った。
「もともと、あっちだって本気じゃあなかったのさ。最も近い場所にいる敵の司令官は戦王子だ。アレならこのぐらいで、攻撃したとは思ってもいやしないだろうからな」
 そういうハダートの声には確信があった。一見、戦王子、つまりリオルダーナのアルヴィン=イルドゥーンの気性を読んで言っているようなこの言葉だったが、逆に敵から正確な情報を得ているからこその自信にも思える。エルテアは思わず顔をしかめながら尋ねた。
「ねえ、ソレ、……情報があっていっているの?」
「アンタに教える必要なんざあないね」
 ハダートは冷たく言った。
「だが、どちらにしろ、この戦い方みてればわかるだろ?」
「さあ、私にはよくわかりませんわよ」
「へえっ、それはセンスがねえんじゃないのか」
 もはや、仮面をかぶろうとすらしていないハダートの態度は、実に遠慮がない。腹がたつことは立つのだが、遠回しに丁寧にやられるよりは、いくらかマシかもしれない、と考え直し、エルテアは腰に手を当てた。
「私は、あなたに聞きたいことがあってきたのよ」
「それはどうもご足労を。何でもおたずね下さい、姫将軍様」
 わざとらしい言い回しにもそろそろ慣れてきた。この男がキザったらしい態度を取るときは、何か隠していることがあるときでもあるらしい。エルテア=ハスは、惑わされずに真っ直ぐに訊いた。
「この戦を仕組んだのはあなたね?」
「さあ、どうだろうな」
 ハダートはすっとぼける。
「俺でなくてもこれぐらいはやれるだろう」
「でも、確かにあなたが仕組んでいるはずだわ。全ては、彼を殺すため。そうね? 敵が本気で戦ってきていないにしても、あなたの術中に落ちたにしても、それでザファルバーンが勝つのは、全部あなたの作戦の内、そうなんでしょう?」
「……聞き捨てならんね。それじゃ、俺がまるで裏切り者みたいじゃねえか」
「実際、どうなのかしらねえ」
「じゃあ、そう思ってろよ」
 証拠がないはずだぞ、と言わんばかりの態度だ。
「どちらにしろ、俺は知らないぜ。もし、何かの偶然であの三白眼坊主が死んでもな」
 偶然、と言う言葉に嫌にアクセントを置きながら、ハダートは鬱陶しそうに言った。
「大体、ここであの坊ちゃんが死んだなら、運が悪かったって事だろ? 勝ち戦を我が軍に提供して、一人討ち死にだなんて、確かに悲劇的な英雄だよなあ。神殿に石像ぐらい建ててもらえるんじゃねえの?」
「ちょっと! あなた、そのいい方は最低よ!」
 さすがに酷いハダートの言いように、エルテアは声をあげた。 
「ハッ、何とでもいえ!」
 ハダートは急に態度を変えた。
「大体なあ! これは、俺とあの坊ちゃんの問題だろ。あんたには関係ないはずだ! この前口を挟まないとかどうとか言ってたのはどうなったんだよ!」
 ハダートは、思わず立ち上がって言ったが、エルテアもそれではひかない。
「だから、そのことについて訊きにきたんじゃないのよ! 私がききにきたのは、あなたが裏工作してたかどうかってこと! あなたが、下手な筋書きかいたせいで、こっちはやりにくくて仕方がないのよ! 勝負するなら勝負するでいいけど、全軍巻き込むのはやめてちょうだい!」
 ハダートは、そっぽをむいて酒を含みながら、いらだった様子で横目でエルテアを見た。
「軍隊を勝利に導くのはオレの仕事だろ? 邪魔をしてないのなら、あんたにとやかく言われる筋合いなんざねえと思うがな」
「だれも、あなたに導いてくれなんて頼んでません。勝手に筋書き作られちゃいい迷惑よ! 私も兄上もカッファ殿もね! 思い切った戦術とれば、もっと早期に片がついたかもしれなかったのよ! それをあなたが裏から手を引いてるから……!」
「へー、じゃあ、あんたのその思い切った戦術とやらで、無鉄砲に突っ込んでいって死ねばよかったんじゃねえの? 俺は俺なりにいい方に考えてやってるんだがなあ!」
「一々、トゲのあるいい方するわね! 性格歪んでるんじゃないの?」
「その言葉そっくりお返ししますよ。エルテアさま」
 ハダートは、そう言い放ち、これ見よがしに手にした杯の酒を一気に飲み干した。折角の酒は、苦いばかりで酔いすら感じない。
 そのまましばらく、二人は険悪な沈黙の中で対峙していた。
 


 気配を殺して、岩に背を着け張り付いている。右手に握ったままの、刀の柄が汗でじっとりと湿っているようだった。
 馬蹄の音が静まったのは、ついさっきのことである。ようやく辿り着いた騎馬の男達は、目標が突然消失したのに驚いていた。リオルダーナの紋章が目立つ。
「さっきまでここにいたはずだぞ!」
「逃げたか!」
「その辺に隠れているのではないのか!」
 口々になにかと言い合いながら、彼らは、狐につままれたような顔をしていた。
 先程まで、ここには一人男がいたはずなのである。若干痩せぎすな印象はあったが、背は高いし、目立たない男ではないはずだ。その証拠に、遠くからでも矢をいかけることができた。
 だというのに、一瞬岩に視界が遮られた瞬間に、彼の姿はフッと消えてしまっている。彼らは、慌てたようにまわりを探るが、それでも気配すらつかめない。岩の後ろを注意深く探してみるのだが、それでもわからない。
「やはり、逃げたか?」
「いいや、わからんが……」
 男達は、やや苦く唸る。一人の男が、やや恐る恐る疑問を口にする。
「しかし、ここにいる男が、本当にあの情報にある『ヤツ』なのか?」
「情報を信じるならばそうだ」
「信じられる情報か?」
 一人が疑るように訊いた。その言葉に彼らは黙り込む。
「確かに、アレが本当のことを告げてきていると確信するのは……」
「だが、少なくとも、先程の様子をみると手はず通りだな」
 彼らは一通り考えた後、頷いた。
「仕方があるまい。先程、馬が去った方向を調べてみよう。もしや、あれと連動していたのかもしれぬし」
「心得た」
 そう声が聞こえ、彼らはそのまま先程ギョールが去った方向に馬を走らせていった。けたたましい馬蹄の音がおさまると、やがてつかの間の静寂が訪れる。
「やあれやれ」
 入り組んだ岩場の隅で、ようやく彼はため息をついた。さすがに、何重にも岩が重なったここは、すぐには発見できなかったと見える。なにせ、ここは、シャーが選んだ隠れ場所ではない。曲がりなりにもシャービザッグの一員が選んだ場所である。さすがにいい場所を示してくれた。
「やれやれ、第一陣は、やりすごしたか」
 かといって、まだ油断はできない。これで済むとはおもえないのだ。
 小声でいいながら、シャーは冷や汗をぬぐった。そして、思わず岩に背を預けたまま、天を仰ぐ。
「ったくよお……。オレもなんで大概こんなカッコの悪い……」
 剣をもっていない方の左手で、前髪をかきやりながらシャーはぶつくさ言った。
「ホント。ったく、かっこわるいったらありゃしねえ。同じ手に二度もひっかかっちゃうなんて、オレらしくもないぜ」
 シャーは、思わずそう呟いた。シャーにしては、珍しく本気で悔しかったらしい。その声には、微かに苛立ちが含まれていた。
「今まで、同じ手には引っかからないのが自慢だったんだけどなあ」
 引っかかったとしても気づかないのを抜きにして、と付け足して、シャーは岩から背を離した。
 それは、ハダートによく心理を読まれているということかもしれない。自分では「青二才」などといっては見たものの、例えそうであっても、シャーは実際は負けず嫌いな男である。「青二才」だ、「小僧」だといって自分を落ち着けてはいるものの、それが一方で負け惜しみであることも自分でよくわかっている。
 実際、スリルを求めるところのあるシャーのような人間は、自分に迫ってくるほど恐ろしい相手でないと気が済まない癖に、同時に負けず嫌いでもある。もしかしたら、そういうのはハダートも同じなのかもしれない。
 ちらっと、シャーは横にいる少女に目をやった。同じく気配を殺している娘は、気の強そうな顔でまだ外に警戒していた。あまり上等の服を着ていないせいか、ややみすぼらしい印象もあるが、気の強そうな可愛らしい顔立ちである。黒目がちな目は、とげとげした警戒に満ちていて、とてもでないが、シャーがおだててどうにかなりそうな印象はない。
 少女の顔には、覚えがあった。この前、ギョール率いる一群に襲われたとき、シャーに最後に襲いかかってきた娘だ。あの時、そのまま逃がしてやったのだが、その少女がギョールが去った後に目の前に現れたときは何事だろうかと思った。だが、少女は、いきなりシャーの手を引っ張って、ここに隠れるように言ったのだ。
 一瞬、ギョール・メラグの作戦かとも思ったが、少女をみていてシャーはそれは違うと否定した。少女は無愛想で、感情をすぐに外に出してしまう気質らしい。嘘をついているなら、もっと動揺していてしかるべきである。これは、きっと彼女の単独行動なのだろう。
(これは、また、……じゃじゃ馬ムスメ越えて手におえねえ野生の荒馬って感じだな)
 それどころか、下手に触ったらトゲが飛んできそうだ。シャーは思わず苦笑した。
「ところで、君、名前なんてーの?」
 少女は、ちらりと睨み付けるようにシャーを見た。シャーより少し下ぐらいに見える少女は、気の強そうな目でシャーをちらりと見た。大きな目だが、相変わらず、そこに甘さのようなものはない。シャーは、気まずさの入り交じった苦笑をもらした。
「そう、教えてくれないわけ。……ん、まあ、いいけどねえ」
「こっちに来い」
 いきなり、少女はたっと駆けだした。身を低め、岩の影に上手く隠れながらさっさと移動する。シャーは、相手にされていない様子に肩をすくめながら、仕方なくついていく。
「あたた、……人のお話ぜぇんぜん聞いてくれないのねえ」
 少女もシャービザッグの一員であるので、足が速い。シャーも、どうにか頑張って向こう側から見えないように背を低めながら岩場を走って、少女にどうにか追いついた。
「なあなあ、ちょっとちょっと」
 小声で前を行く少女にシャーは呼びかけた。
「あのさ、オレききたいことがあるわけよ」
 こんな時に何だ、といいたげな目で見られ、シャーは思わず気迫負けして笑った。
「悪いね、オレは疑問を疑問としてほっとけないタチなのよ。あんた、どうしてオレを助けてくれたんだい?」
 ふと、シャーは表情をただした。
「組織の掟は絶対なんだろ? オレを助けたりなんかしていいのかい?」
 シャーの口調は、少し硬かった。少女は口を開かない。
「……あのオッサンは、出来た人かもしれないが、たとえ、出来た人間でも、掟を破った者は……」
 シャーは続く言葉を飲み込んで、苦笑した。
「組織ってのは、そういうところだから、上の人間ってのは常に冷酷なもんだ。……そう、オレも含めてさ……」
「別にあんたの為ってわけじゃない」
 少女は、ぶっきらぼうに言い放ってきた。続けて、
「あたしは、ただ、あんたに助けて貰ったから、その義理を返しただけだ」
「それがいけないって言ってるんだよ、オレは……」
 やれやれ、と言いたげにシャーは癖の強い巻き毛の後ろ髪をかきむしった。 
「今なら間に合うから、すぐに逃げないと……。ばれたら、正直、オレでも多分かばいきれないぜ」
「お前にかばってもらおうなどと考えてもいない」
「あのね。強情な人だな。……どうなっても、知らないよ、オレ」
 きっぱりと返され、シャーは困った。とりあえず、一旦安全な場所に逃げることが出来たら、気絶させてでもこの少女とは別れないとならない。助けて貰ったことには感謝しているが、このままで、あのシャービザッグの頭領が済ますはずがないのだ。ザファルバーンにだって軍規はある。日の目を見てはいけない影の組織は、その倍は規律を大切にするものである。裏切り者には死をもって償わせる、それは当たり前の行動だ。
 時々わざと反目したりするが、シャーには、人の上に立つ人間がどういう考え方をするかはよく分かっていた。
(まったく、だから、あの時言ったでしょうが)
 シャーは、心の中でぼそりと呟いた。
(オレは女の子に死なれたら、一週間は立ち直れねえんだって!)
 それでも、この子に今言い聞かせたところで、それは無駄だ。ともあれ、もう少し安全な所に逃げてから、もう一度、どうにかこの危機を乗り切る方法を考えないとならない。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi