シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-18

 戦況をきいたりみやりながら、カッファは指示を飛ばしたりしていた。ここが、本陣と言えるのだが、そこに本来いるべき司令官の姿はない。
 岩壁に寄りかかるようにして背後に立っているハダートは、あれこれ指示を出すカッファの様子をだまって見ていた。
(あーあー、そんな無駄な指示はいらねえというのにな)
 ハダートは心の中でうそぶき、肩にとまるカラスをなでやっていた。
(折角オレがお膳立てしてやった勝利をつぶすんじゃねえぜ。カッファさん)
 別に敗北させるつもりはない。多少、シャルルにプレッシャーをかけるため、危機を演出もしておいたが、本当に負けてしまったらハダートも困るのだ。今のところ、ハダートはまだリオルダーナに降るつもりはないし、だとしたらこの国でうまくやっていくために、せめてハビアスには睨まれないようにしなければならない。そして、この状況で抜け出したりしたら、それこそ、シャルルを殺したのが誰だかばれてしまうかもしれない。ハダートが生き延びるためには、この時点では負けて貰っては困るのだ。
 そう、彼の目的は、あくまであのシャルル=ダ・フールを殺すことである。全ては、まわりに疑われないように彼を殺す為の演出にすぎない。彼らが勝利に酔いしれる頃に、折良くあの三白眼王子の死体でも発見されれば、ソレが一番いいのだ。カッファの側にいて適当に意見してやれば、勝利に貢献したハダートは疑われない。
「カッファ殿、それより左翼側に命令を出した方がよいのではないでしょうか」
「お、おお、そうであったな」
 そう進言してやると、カッファは慌ててその命令も付け足した。ハダートは、心中にやりと笑みながら、今、あの王子がどこにいるかをふと考えていた。そういえば、戦いが始まってからというもの、彼の姿をあまり見ない。普通、彼ぐらいの将軍になれば、あまり前線にいかないものなのであるが、ハダートはそろそろ、あのシャーの気性を飲み込み始めていた。
「戦いの時、殿下はあまりこちらには立ち寄られないのですか?」
 わかっている癖に、そんなことをわざとらしく聞きながら、ハダートは、他人に任せておけない所のあるああいう一面が命取りだと嘲笑う。
「ああ、あの方は、一度打ち合わせれば後は一人で戦って来られるな。後は、私に判断をお任せになる」
 カッファは、そういって少しだけ不満げに呟いた。
「全く、勝手な行動ばかり……。一体どうしてあんな性格になったのやら」
(それは、あんたに育てられたからだと思うがな)
 心の中でハダートは毒づいた。そもそも、カッファ自体が、ザファルバーンの臣下の中でも少々毛色の違う存在でもある。元々は王の親衛隊身分であったことや、文官になっても抜けきらない武人気質、王子の後見になりながら欲がないのか、全く権力に興味を持たない。そうしたイレギュラーな部分を気に入って、もしかしたらあの老獪なハビアスが引き抜いたのかもしれないが、そうした人間に育てられた王子が、まともに王子らしい王子になるはずもない。
「しかし、殿下はカッファ殿をよほど信頼されていると見える」
 ハダートは、わざと優しく言った。別に、彼を慰めてやろうと思ったわけでもなく、ただ、この単純な参謀を少々からかって遊んでやろうと思っただけだ。
「確か、当初、カッファ殿があのお方をつれてきてらしたとか。よほど、その時は可愛らしいお子さまでしたでしょうな」
「……いいや、どちらかというと、今よりも手のつけられない子供だったかな」
 カッファは、何か思い出したのか、わずかに眉間にしわを寄せた。
「今は、少なくとも思いやりの深い方ではあるのだが、……あの頃はどちらかというとタチの悪い……いや、悪すぎてどうなるか、というようなお子だったな。……勝手な事ばかりの今の方が、ある意味ではよほど可愛らしい」
 少しだけ忌々しげに言うカッファは、ふと少しだけ神妙な顔つきになってぽつりと呟いた。
「あのお方は、昔、私のことを嫌ってらしたからな」
「まさか……殿下の場合は照れ隠しなのでは?」
 そういったハダートの言葉は、あながち偽りだけでもなかった。ハダートが見る限りでも、シャーがカッファを何かと立てているのはすぐにわかる。それが上辺だけの優しさでもないことぐらいわからないはずもない。
「いや、本当に、最初の頃、私にはなついて下さらずに、正直手を焼いてな……」
 カッファは、何かまずい思い出でも思い出したのか、眉をひそめた。
「でも、それも、当然のことなのだろうな。私は、あの方を無理矢理街から連れてきたし、そのことについて、最初は随分怒っていらっしゃったのかもしれない」
 カッファは、少しため息をついた。
「元々、悪知恵だけは回る方だったから、本当に手を焼いたものだ」
 ハダートは意外そうな顔になった。
「しかし、……私がきいた話だと殿下は、幼いころからカッファ殿について歩き回っていたとか……」
「うむ、それは……」
 カッファは、少々何か考えながら答えた。
「ある時から、いきなり態度が変わられて……。うむ、まあ、あのお方もあまり恵まれたお立場ではないからな……」
 カッファは何やら感傷的に言った。
「母上様とは会ったこともないそうだし、血のつながったご兄弟とはあまり話のできるお立場ではない。父上様は忙しくてあまりお会いになれない方だし……、いや、殿下の方が避けてらっしゃる所も……」
 ハダートもシャーが、落胤同様の立場だったことは知っている。サッピアのように権力を求める王妃達からはいい顔をされないだろうし、実は聡い彼が、自分の状況を感づかないわけもないだろう。王妃達や兄弟とはあまり会わなかったのかもしれない。父王であるセジェシスの人柄は、王侯嫌いのハダートにしては珍しくそう悪い印象はないから、あの男が息子を邪険にあつかったということはないだろう。ただ、多忙で思慮の浅いところのある彼のこと、何か誤解があるのかもしれない。または、本当に少々似ているところがあるから、シャーの意地と同族嫌悪が反発を生んでいるのかもしれない。
「そう、私の妻だな。あの妻と殿下が会ってから変化があったようだった」
 カッファは、ハダートの方を見ずに、昔のことを思い出して頷いた。
「私の妻が何やら話していたと思ったら、一日で大人しくなって……あれ以来、何やらころっと掌を返したように親しげになって……。一体、何があったのやら……」
 未だにわかりかねるように顎をなでやりながら、カッファは少し考え込んだ。
「まあ、もしかしたら、会ったことのない母御を妻に見たのかもしれないのだが……。おや?」
 ハダートが、何やらずっと考え込むようにして黙り込んでいるので、カッファは怪訝に思った。その様子が、どことなく思い詰めているようにも見える。いつも隙なく自分を飾り立てているようなハダートには、そういった表情はあまりにも珍しい。
「どうかなされたかな?」
 声をかけられて、ハダートは、ハッと我に返り、やや慌てた様子でカッファの方を見やった。
「何やら顔色が優れぬようだが?」
「え、ああ、いいえ……」
 慌てて作り笑いをうかべながら、ハダートは首を振った。
「少々、……日差しがきついものですから……」
 ハダートは、そう答えたものの、どこか複雑そうな顔をしていた。明らかに口数の減ったハダートに、カッファは何となく違和感のようなものを感じていた。
 


 さあっと素早く離れ、ギョールはシャーの刀が届かない距離に降り立った。だが、シャーは待たない。間髪入れずすべり込むように追いすがってくるシャーをどうにかかわして逃れる。服の裾が大きく引き裂かれ、びらびらと風に揺れていた。
 ギョールは、一見消極的な戦いしか仕掛けてこない。シャーの刀の届く位置より遠く、自分の短剣が投げられる範囲を選んでいるようだった。だが、それではなかなかシャーのような相手はしとめられない。それも、ギョール・メラグにはよくわかっているのだろう。
 足場の悪い岩場を飛び跳ねながら、二人は再びお互いの間合いの外に離れていた。
「飛び込んでこないのかい?」
 わずかにあがった息を、一度吸い込んでおさめながらシャーは訊いた。
「オレを確実にしとめるには、オレの刀の内側に入り込むのが一番得策だと思うがな」
「まさか……」
 ギョールの方が移動距離が長い。その分、肩で息はしているが、さすがにギョールは余力を残しているように見えた。
「真正面から飛び込むには、危険が多すぎます。あなたの命を奪う前に、私の首が飛ぶことになるでしょう。よほど考えねばなりません。とはいえ、あなたのおっしゃるように、それが一番近道でもあるのでしょうねえ」
 にやりとしてギョールは言った。
「……いかなるタイミングで勝負を仕掛けるか、それが我々にとっても全てなのですよ。あなたならおわかりでしょう?」
「なるほど。あんたぐらいになると、挑発したところで乗ってこないからやりづらいぜ」
 シャーは、目を伏せて軽く笑った。
「あなたこそ、やりづらいお方です。それこそ、色んな意味でね」
 ギョールは、お世辞ではないですよ。と前置きして、言った。
「本当に惜しいですよ、あなたは。あなたの才能は本当に素晴らしい」
 じり、とギョールの足下が、ほとんど聞こえないぐらいのか細い音を立てる。下段に構えたシャーの刀もほんのわずかに動いている。お互い喋りながら、相手がどう出るか見極めているといった所だ。ギョールは、隙を作らないように気をつけながらも、はっきりと言った。
「このまま若死にさせるのは実にもったいない。本当に素晴らしい才能をお持ちだ」
「あれ、素晴らしい才能の敵は生かしておかない方がいいんじゃないの?」
 シャーがにんまり笑ってそう訊いた。
「ああ、時にはそうでしょうねえ、しかし頭のいい人間にも、色々タイプがありますからね。……ハダートの旦那は敵にまわしてはならない方、敵に回すぐらいなら、さっさと殺った方がいいぐらいですよ、あのお方は……。あなたも、同じように敵に回すと恐ろしい方です。でもねえ、それがわかっているのにどうしても敵に回してみたい方もいらっしゃるのですよ」
 ギョールは、ふっと笑った。
「あなたは、寧ろそちらですよ。このまま、どこまで曲者になるのか、一度見てみたくなるというものです」
「へえっ、じゃ〜オレが老獪なジジイになるまで生かしてくれよ。さぞかし、殺し甲斐のある爺さんになると思うぜぇ〜」
「それはそうしたい所ですが……」
 ギョールがそこまで言ったとき、シャーの足が素早く地面を蹴った。ダッと駆け込みざまに、剣を振り下ろすシャーの素早さに下を巻きつつ、ギョールは掴んだ三本の短剣を横に薙いでそれを流しながら斜め横に逃れる。すかさず、シャーは流された刀をそのまま横向きにして追撃をくわえる。それをどうにか逃れ、ギョール・メラグは掴んでいた短剣の二本を投げやった。至近距離から投げられる短剣に、シャーは刀を引いて顔の前でそれを弾く。ギョールは、その瞬間に高い岩の方にタッと飛び上がって逃れる。
「しかし、残念ですよ、殿下」
 すぐに追いすがってくるシャーを見やりながら、ギョールは苦笑いした。
「私はどこまでも依頼には忠実な男なのです」
 ふと、後を追ってきていたシャーの顔色が変わった。さっとその場から後退したシャーの前に矢が何本か飛んでくる。
「しまった!」
 シャーは、思わず口走った。ギョールの佇む背後に、いつの間にか、リオルダーナの騎馬隊がこちらに向かってきているのが見えていた。ギョールは、岩場に佇んだまま、にっこりと愛想良く微笑んだ。
「あなたもまだお若い。目の前の勝負についつい熱中してしまうのは、お若い方の悪いところですよ。あと、二、三年、あなたが生きていれば、はまらない筈の罠なんでしょうがねえ」
 ギョールは、岩の背後に隠してあった馬を引き出すとそれに足をかけながら続けた。
「あなたが、抜け出してくるだろう事は、ハダート将軍も予想済みだったわけですね。……あなたは、何もかも自分で決着をつけようとなさるお方、一人で出てくるのはよくわかっていた。そして、私との勝負に思わず入れ込みすぎて、まわりが見えなくなることも……」
 少々呆然としているシャーの顔を見ながらギョールは言った。
「私もハダートの旦那も、武芸者ではありません。所詮、私は影に生きる暗殺者で、あの方は策士。うっかりいつもの調子で、正々堂々を大前提に考えてしまったあなたの失策です」
「チッ!」
 シャーは、舌打ちして、わざとにやりとして顔をあげた。ようやく、わかった。ハダートは、ギョール・メラグ本人に自分を殺させるつもりはない。当初、ギョールに殺させて、戦死したように装うつもりだと思ったが、そうではない。ハダートがシャービザッグと縁があることがばれてしまえば、彼にどうしても疑いが向く。
 ハダートらしい、とシャーは舌を巻いた。ギョールに殺させた方が早いにもかかわらず、そうしなかったのは、ハダートのこだわりだ。彼は、完璧に自分を戦死に見せかけて殺すため、敵国の兵士に殺させるつもりなのだ。間接的にハダートが、なにか細工をしたことが多少疑われても、殺したのはリオルダーナの将軍だ。そんなことになれば、カッファなどはハダートを疑うというよりは、リオルダーナへの報復の方に目を向けてしまうだろう。結果、ハダートはこの暗殺を完璧にやってのけることができる。自分の手は一切汚さずに。
「ったく、あの銀色蝙蝠……! ほんっと嫌なヤツだな、オイ!」
 負け惜しみ気味にそう吐き捨てながら、シャーは迫ってくる兵とギョールを見比べた。まわりは、比較的足場もよくないし、視界もそれほど開けていない。
「さて、それでは、私はこの辺りで失礼しますよ、殿下。運がよければ、また会うこともあるでしょう!」
 ギョールは笑って、あぶみに片足だけかけていた馬に鞭を入れた。勢いよく走り出す馬は、ギョールの姿をあっという間に小さくさせる。シャーはそれには、もうあまり目を向けなかった。それよりも、馬蹄を響かせてやってくる目の前の騎馬隊に気をつけなければならない。
「……ッたくよ……」
 シャーは、思わずからからに乾いていた唇を舐めた。
「オレみたいな二十歳前の青二才によくやるぜ!」
 さすがに苦い笑みを浮かべながら、シャーは掌の汗をぬぐって刀を握りなおした。
遠目のきく彼の目には、矢をつがえる男達の姿が見えていた。まだ、それをかわすぐらいは、できる。だが、その後はどうするか。この地形を利用して逃げ回ったとしても、逃げ切れるかどうかは――。
(やるだけやるしかねえが……)
 ふと、考えていたシャーの顔が瞬時に歪んだ。思わず引きつけた刀が即座に背後に向けられる。
「ひっ!」
 そこにいた人影が思わず息をのむ。険しい顔つきのシャーは、人影を見てふと表情を変えた。のど元に突きつけた切っ先をおろしたのと、シャーの表情が少々緩んだのは同時だった。
「……あんた……」
 驚きというよりは、納得しかねるといった顔をして、シャーは相手をみやった。切っ先を下ろされたものの、鋭く刀を向けられた衝撃からか、相手はまだ驚いた表情のままだった。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi