シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-15


 ざらざらした黄色い石の城壁にもたれかかりながら、男は下に集まる男達を眺めていた。おのおのが思い思いの武器を下げて、思い思いの鎧を着ている。人種民族も様々で、かなり広い地方からやってきただろうことが予測できた。彼らは、正規のリオルダーナの兵士ではない。各地からリオルダーナが戦の準備を始めているらしい噂をきいて集まってきた傭兵達である。
 髪の毛を乾燥した風に遊ばせながら、アルヴィン=イルドゥーンは、半ば殺気だつような雰囲気の男達の様子をみやっていた。雇い入れの手続きをしている最中ですら、ともすればどこかで喧嘩が起こりそうな気配がある。それほど、荒くれ者が集まったということでもあるが、その中に優秀な戦士がいるらしいこともさらりと見て取っていた。
「なるほど。案外いい質の兵が集まったようだが」
 アルヴィンは、そういって、背後の老爺を振り返る。
「ザス爺。相変わらず手を打つのが早いな」
「いいえ。これは殿下の名前が轟いているからでございます。殿下のお名前をきいて、皆が集まって参ったのです。とはいえ、近隣の者しか集まっていないのでしょうし、まだまだ集まることだと思われますが」
「はは、持ち上げるな」
 アルヴィンは、そう答えて、再び目を返した。
「さて……」
「何をご覧になっておられるのですか?」
「ん? ああ……」
 アルヴィンは、あごひげをなでやりつつ呟いた。
「一人ぐらい、この連中を率いる人間がいるかもしれんなと思ってな……。傭兵は結局傭兵、我々が下手に介入するのはよくない」
「なるほど。しかし、おりますかな……?」
「さあ……。いなければ、部下でもっとも荒っぽいのをつければよいだけだ」
 アルヴィンは、そういうと、ふと一カ所に目を留めた。
 一人、ふと目を引く男が静かにそこに佇んでいるようだった。他の傭兵とは若干距離をおいているようでもあり、他の者達から避けられているようでもあった。いや、避けられているのが正しいのかもしれない。その傭兵のまわりだけが、何か空気の色が違うような印象もあるぐらいだ。独特の雰囲気が漂っていた。
 全身黒一色の男は、真昼の砂漠地帯の中でも、ひときわ闇のようにどろりとした印象があった。どことなく酷薄そうな冷たい顔立ちは特に感情をあらわにはしていなかったが、無表情というわけでなく、何となく冷たく陰気な、しかし鋭い空気を感じさせるものである。外見からは、彼の出自はよくわからない。身分が高いのか低いのか。西方からきたのか東方からきたのか。ただ、流れ者であることは、おおよその見当がつくことだった。背に剣を背負っているのが見えるが、それも、この周辺の地域の鍛冶屋の好む装飾ではなさそうである。
 と、となりの傭兵達が、いきなり彼のいる方になだれ込んできた。何のことはない。血の気の多い連中が集まったのだから、殴り合いの一つや二つ起きようというものである。すれ違いざま肩がぶつかったとかいう些細な事からかもしれないし、或いは盗みでも働いたかもしれない。考えられる理由は大量にある。
 傭兵達を押しのけて、一人の男が倒れ込んだ。それを追って争っていた相手が姿を現す。黒衣の傭兵は、かなりの長身だったが、現れた男は縦も横も、その傭兵よりも大きい巨漢だった。
 まわりの空気が瞬時に変わった。反感を持つ者もいるが、多くはもめ事に関わらないようにしているようだった。巨漢の傭兵は、ソコソコ名前のしれた男だったようだし、その巨体に見合う力は備えているようだった。稼ぐ前に怪我をするのはおもしろくない。つまりはそういうことだったのだろう。殴り倒された男が、助けを求めようとしても、大概の連中は素知らぬ顔をしていた。
「逃げんな、こら!」
 大声を上げた巨漢は、怯える男を大股に追いかけて笑い声をあげた。割れる人波の中、慌てながら男はばたばたと逃げ回る。後ろを向きながら逃げる男の手に、誰かのマントが当たった。男は、一抹の希望を抱いてその布きれをつかむ。
「た、助け……」
 そこまで言いかけて、男は息をのみ、慌てて手を放した。見上げた上には、短い黒の髪の毛に、どこかしら青い顔色をした男がいた。冷たく静かな目は、縋り付いてきた男の方を見てはいたが、静けさとは裏腹に、嫌な殺気がギラギラと灯っているような印象があった。ヒッ、と息をのんだ男は、しりもちをついたが、黒衣の傭兵は動かなかった。
「なんだ、貴様!」
 巨漢の傭兵は、そこに座り込んでいる男でなく、黙って立ちはだかっている黒衣の男の方に目を向けた。邪魔をするでもないし、男を助ける気配もない。だが、この騒ぎの中、知らぬ顔で腕を組んだまま立っている黒衣の男の態度が気に入らなかった。大男は、大股でどすどすと黒衣の傭兵の目の前に進んだ。
「なんだ、その態度は! なんでそこに突っ立ってやがる!」
「別に」
 傭兵は、静かに答えた。
「俺は元からここに立っていた。どかなければならない理由がないので、どかなかった。それだけのことだ」
 低い声でそういった男は、大男に目を翻して一度だけ向けてそらす。その目がどこか挑戦的なのを見てしまった巨漢の傭兵は、思わずカッとした。
「てめえ……!」
 巨漢は思わず黒衣の男の胸ぐらを乱暴に掴んだ。そのまま、殴り倒そうとして、大男は一瞬びくりとした。それは、男の冷たい目が、バッと斜めに彼を見上げたからだった。黒いマントから出てきた手が、胸ぐらを掴んだ腕を掴んだのはその直後である。いきなり、太い腕を手首から握りつぶすような力でつかまれ、巨漢は思わず目を見開いた。
「うるさい男だ。戦の前に、怪我をするのは、経済的ではないと思うのだがな」
「な、何……」
 腕を引きつけられ、巨漢の男は悲鳴を上げた。そのまま、黒衣の男の足が巨漢の傭兵を蹴り上げた。そのまま、思いっきり地面に叩きつけ、彼は再び両手を組んで男を見下ろす。「ち、畜生! てめえっ!」
 大男は、思わず腰にある剣に手を掛けた。
「ほう、やる気か?」
 黒衣の傭兵は、初めてはっきりと唇をゆがめて笑った。その笑みは、不吉さを感じさせる不気味な笑みである。
「なるほど。名の知れた貴様が、名前もしれない俺にやられたとあっては、体裁があるだろうからな。だが……」
 傭兵は、ゆっくりと腕組みをとくと、すうっと引きつけられるように肩の剣に手を掛けた。先程よりもゆがみの強くなった笑みを浮かべる。今までとは違い、それはどこか楽しそうな笑みだ。
「俺は見境のない男でな。一度抜くと血を見るまでおさまらんぞ」
 言い終わると同時に、男の手がわずかに動き、覗いた鉄が陽光を浴びて鈍い光が走らせる。男の印象はそれだけで、がらりと変わっていた。元よりぞくっとするような、冷たい雰囲気の持ち主だったが、それに野獣のような暴虐と陰にこもる狂気が同時におりてきたようだった。慌て、巨漢の傭兵は、構えを低く取った。それは、戦士としての彼の習性がさせたものでもあるが、同時に本能が危機を叫んだからでもある。微かな恐怖を覚えながら、剣を先に抜いてしまった大男は、自分からその場をひくこともできない。
 ふと、ひゅうっと風をきる音がした。黒衣の傭兵は、巨漢から目を外し、背後へと視線を流した。風に乗りながら光がちらりと目を掠めて飛んだ。彼は、自然な動作で剣を抜くと、その光を弾き飛ばした。
 甲高い音と共にそれは向きを変えた。彼の背後の方にいた黒い服の男に、その切っ先は向いていく。腰の剣を掴んでいたアルヴィンは、軽く笑うと飛んできた短剣を剣を半分抜いてたたき落とした。短剣は砂の上に落ち、一度だけきらりと輝いたように見えた。
「貴様、何をす……」
 状況に気づいて叫びかけた、背後に控えていた爺やの口を手で制して封じ、アルヴィンは軽く手をたたく。
「見事見事。……いや、からかってすまなかったな」
 アルヴィンは、静かに笑ったが、相手の男は表情を変えなかった。ちらりとアルヴィンは、大男の方を見る。びくりとした所を見ると、彼は自分が誰であるか知っているのかもしれない。もう一人、最初に殴られていた男の方は、騒ぎの間に人ごみに姿を消していた。
「そんな屑でも戦力は戦力。戦の前に、なにも口減らしをすることはなかろう。俺が困るのでな」
「そうか。では、やめておこう」
 傭兵はそう答えると、抜いた剣を大人しく戻した。
「貴様、ここで雇われるつもりできたのか?」
「さしあたりはそういうつもりだが」
 男は軽くそう答えた。アルヴィンが本当は誰であるか知っているのかもしれない。あえて、敬語を使ってはいないが、態度の節々にそういう形跡が見受けられた。
「なるほど。それは上々」
 アルヴィンは、にやりとすると剣を戻した。鞘にそのまますべり込ませた剣の柄が、鞘の口を装飾している金属に当たって甲高い音を立てる。傭兵は、静かにそれを見やった。そのどこか不吉な印象のある男は、何か殺気はこもってはいるものの静かな目でアルヴィンの方をじっとみているようだった。知らず、アルヴィンの口許は歪んだ笑みを浮かべていた。
「その面構え、先程俺の短剣を弾いた腕前。なかなか気に入ったぞ。貴様、名を何という」
「名はジャッキールだ」
 低い声でぶっきらぼうに傭兵は答えた。
「姓は?」
「そのようなものはない」
「出身は?」
「さあ、そんなものはとっくの昔に忘れたが」
 はじめて男は、苦笑に似た薄ら笑いをうかべて目を伏せた。 
「そうか……。まぁいい。邪魔をしてすまなかったな」
 アルヴィンは、そう答えるとにっと笑い、ゆらりときびすを返した。ジャッキールと名乗った男は、何も言わず、それを見送る。アルヴィンは、再び、城壁に昇る階段をのぼっていった。慌ててザスエンが、主君の意中を計り損ねたようについてくる。
「殿下……」
「なるほど、なかなかおもしろい」
 振り返らず、アルヴィンはそう呟き、少し声を整えて言った。
「決めたぞ。あの男を組成した部隊の隊長につけろ」
「えっ? あ、あのような男をですか?」
 思わずザスエンも驚いた様子で聞き返す。
「し、しかし、殿下……!」
 ザスエンは、目の端でまだこちらを見ている様子のジャッキールを見やる。普通の傭兵ならばいいのだが、あの男は、やや特殊だ。得体もしれないし、殺気が強すぎる。彼自身見境がないなどと言っていたが、どこか狂気を感じさせる彼はいざ、戦になるとどうなるやらわからないところがある。アルヴィンの言うように、才覚はもしかしたらあるかもしれない。だが、ジャッキールという傭兵は、やや癖が強すぎるのだ。ザスエンとしては、余計な危険の可能性は排除しておきたかった。
 その心中がわかったのか、アルヴィン=イルドゥーンは苦笑した。
「心配はわかるがな、かえってああいう男の方が箔がついていいと思ってな」
「しかし、何かありましたら殿下の……」
「心配するな」
 アルヴィンは、爺やの心配を一笑に付すと、軽い笑いをうかべながら言った。
「それに、ああいう男の方が、寧ろ俺の軍隊にはちょうどいいのだろう。俺も、世間ではまともだとは思われておらんからな」
 ザスエンは、主君の言葉に顔をしかめた。確かにそうかもしれないのだが、だからこそ、ザスエンは、彼にはもっと正統派でまともな部下を連れて欲しいと思うのである。名前にも関わることなのだが、この王子はそのような事は気にしない。だから、いっそう彼は心配になることがあるのだった。
「ところで、シャルル=ダ・フールは今どこにいる?」
 ふと、話を変えられ、ザスエンは我に返った。
「は。現在はガラータフの国境地帯をやや越えたところ、セッバの城塞の行動圏内でございます」
「ほう、なるほどな」
 アルヴィンは、あごをなでやり、ザスエンの方をちらりとみた。
「そろそろ、ちょっかいをかけてみてもよいころだと思うがな。ザス爺、貴様はどう思う?」
「そうですな。確かに、そろそろ攻撃を仕掛けても問題のない位置にきているとは思います。おまけに、あそこは複雑な地形。地の利のない者には恐らく不利かと」
 ザスエンはそういってにやりとした。アルヴィンは満足げに頷く。
「なるほどな。それでは、一度粉を掛けてやるか。……早馬で伝えろ。シャルル=ダ・フールの軍勢を監視し、隙がありしだい奇襲をかけるように」
「はい、すぐに手配いたします」
 ザスエンはそういうと、軽く礼をして早速兵士を招き寄せた。
「アズラーッド=カルバーン……か……」
 アルヴィンは、再び城壁から傭兵達を見下ろした。ジャッキールという名の傭兵は、静かに佇んでいたが、先程にも増してまわりに距離をあけられていた。
「さて、こやつらをヤツにぶつける日がくるかどうかだな」
 楽しそうに言いながら、アルヴィンは、どこかであの三白眼の小僧が、生き延びることを望んでいた。そうでなければ、これだけの準備をした意味も価値もないし、あの時見込んだ自分の間違いを認めるのも少々癪である。
「せいぜい、生き残るがいい」
 そう呟き、アルヴィンは傭兵達を見るのをやめた。下では、ジャッキールという名の傭兵が、ふとアルヴィンの様子を見て、それから目をそらしてフッと陰気に笑った。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi