アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜
2.ハダート-13
気まずい空気にたちつくしているシャーの後ろで、戦いの音声があがりはじめていた。
「何ボーっとしているの! はやくこっちへ!」
「は、はいはーい! ほら、ぼーっとしないっ!」
横にいる呆然としているスーバドを軽く小突き、シャーはエルテアにいわれるままに、彼女の方にかけよった。後ろに馬を二頭連れた従者がいるのをみてもすぐにわかる。恐らく二人がそのまま乗り捨ててきた馬をエルテアが拾ってきたのだろう。それを指し示しながら、それに乗馬するように言う。怒られるのも恐いので、シャーはすぐさま、スーバドは後から慌ててそれについていき、素早く馬にまたがった。それを確認すると、エルテアは、さっと手を挙げ、護衛の者達に号令を下す。彼女の命令にしたがって、彼らは隊列を少し変えながら、走り出した。
「さあ、逃げるのよ!」
そういうと、同時にエルテアも馬を走らせる。シャーとスーバドは、慌てて馬にむち打ち、駆けだしたエルテアにようようついていった。
「さあ、早く安全なところへ」
「あ、あの〜、部下の方達は……」
「ある程度戦ったらひくように命令しているわ。少なくとも、あなたが心配するほどには柔な連中でもないしね」
「さ、左様で……」
シャーは、睨まれて冷や汗をかいた。どうもこの地方は、確かに美人がおおいのだが、先程の娘といい気の強い子ばかりである。シャーの思い等無視して走り始めたエルテアに、慌ててついていき、彼らはそこをようやくのがれた。
荒れた砂の上を走りつつ、ようやくシャー達は、本隊のある岩場にまで逃れてきた。背後やまわりを確認して、安全であることがわかってから、エルテアは、ついてきていた数人の部下に休むようにいいつけていた。本隊に戻る前に、少々話があったのである。
「エルテアねえさーん……!」
馬から下りたエルテアに、軽い調子の声が飛び込んでくる。それが、話をしなければならない当人だと思うと、エルテアは何となく頭が痛くなる。が、そうしているだけではいけないので、彼女は近くに寄ってきていた三白眼青年を振り返った。
「いやあ、助かりましたです。今日は一段とおきれいで……」
「ふざけている場合じゃないでしょう……」
冷たい視線を浴びせられ、シャーは、ああ、とため息をついた。
「エルテア姐さん、つれないなあ。殿下って呼んでくれるぐらいなら、もちっと、こう、優しくしてくれてもいいのにさあ」
「そうしてもらいたいなら、もっと王子様っぽく振る舞いなさい」
「いけずなおかた……。わ、わ、わかりましたよ。からかったオレが悪かったです!」
少々ふざけていたシャーは、エルテアの睨みがいっそう強くなったので、慌てて両手を広げた。このまま続けていたら、その内殴られてしまう。
「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。まぁまぁまぁ」
まったく、とエルテアは、口に出さずに呟いた。シャーは、しばらく愛想笑いを続けていた。その様子を横目で見るようにしながら、エルテアはふと声を低めた。
「この前、通りがかったとき、悪いとは思ったけど、あなたとハダートの話をきいたわよ」
「あらら、砂丘の裏あたりにいらっしゃったの? 一声かけてくれればよかったのに」
シャーは、のんびりと言った。エルテアはその様子に半ば呆れながらため息をつく。
「……本当にノンキなのね……。あなたは、遊びかもしれないけれど、アイツの方は本気よ」
エルテアは、ふと声をわずかに潜ませた。
「ハダート=サダーシュが何をやったか、あなたは知らないわけじゃないんでしょう?」
「お仕えしてる王様をとっかえたぐらいはきいてるよ。でも、それぐらい、今の世界じゃ珍しいことじゃないじゃない」
あっけらかんというシャーに、エルテアは声を低めたまま言った。
「そうよ、以前仕えていた王家が、あなたの国に滅ぼされて、なし崩し的にそちらに移って、いつの間にか出世を――。でも、それだけじゃあないわよね」
「賄賂とかはもらってそうだよねえ」
「それぐらい、よくあること、っていうんでしょう?」
エルテアは、先回りしてシャーの口を封じると、腕を組んで、少し神妙な顔になった。
「あの男、戦歴が以上にいいわよね。確かに、頭も悪くないんでしょうけれど、それだけじゃないわ。策を使う前に、普通の人なら知るはずのない敵方の情報をつかんでいたり、敵対している将軍が急死して、実際は戦いにならなかったり」
この意味するところがわかるでしょう? と、エルテアは表情で訊いた。シャーは、やや表情をただす。
「さっき、あのリオルダーナの兵士達と鉢合わせる前に、危なっかしい奴等と一戦やったんだけどねえ、もしかしてそれかな。……オレも噂にだけは訊いてるよ。ハダートが元いた北方ザファルバーンから東方にかけて暗殺から間諜までを伝統的に生業にしている集団がいるとかどうとか」
「シャービザッグっていってね、古代のさる密儀宗教から派生したともいわれている組織の一つだと思うわよ、この地域でなら」
エルテアは、そういって軽く息をついた。
「彼らは、特に金銭で雇われるっていう話なんだけど、……私が掴んだ噂によると、ハダートは、随分前から彼らにかなりの額を投資しているそうよ。おそらく、彼らをかなり自由に使えるんでしょうね」
「なるほど」
シャーは、軽く頷いた。
「先程、襲ってきたのは、それね。後、敵にも通じているみたいだねえ。リオルダーナの兵隊が、何も知らずにあんな時に襲ってくるなんて、ちょっと話ができすぎてるよ」
「そこまでわかるのなら、もう、いい加減わかるでしょう?」
エルテアは、遠慮無くきっぱりと言った。
「正直、あの男と戦うのに、あなた一人では無理だわ。危険すぎるのよ」
「ちぇーっ、エルテアさん、はっきり言うねえ、図星だけど」
シャーは、やや苦い顔をした。それを了解ととり、エルテアは畳みかけるように言う。
「だったら、せめてカッファ殿にいうべきでしょう?」
「ま、それはそうなんだけど」
「あなただけなら信用されないかもしれないということね。そういう心配があるなら、私が一緒にいってあげるわ。そうすれば大丈夫でしょう?」
渋るシャーに、そういうとエルテアは、彼の表情をうかがう。少し不満そうだが、無言のシャーの様子を見て、彼自身それが良く理解できているとわかったエルテアは、そのままきびすを返そうとした。
「待って、エルテアさん」
シャーは、ふと声をかけた。はた、と立ち止まり、シャーの顔を見る。さきほどまで不機嫌に無言だった彼は、少しマジメな顔つきになっていた。
「オレから、ハダートとサシで勝負をやるって約束しちゃったんだよ。今更、オレからそれを破るのは信義って奴に反するんじゃないのかい?」
「でも、あっちは一人じゃないのよ」
「それは最初から承知の上だよ。オレもハダートも暗黙の了解で」
シャーは、そういい困惑気味にあごに手をやった。
「オレは武芸を売る身で、ハダートは頭を売る身でしょ? 頭を使って戦うっていうのは、最初から、自分以外の人間も使うっていうのと同義だから、ハダートが他の人間を使うのは当たり前の行動さ」
「それは――」
いきなり、今までふらふらしていた青年が、突然そんなことを言い出したので、エルテアは少なからず動揺した。動作と同じくゆらめくようだった青い目には、普段は覆い隠されている理性が見えていた。
「コレは、オレとハダートの真剣勝負なんだよ。オレが、あんまりあからさまに誰かを頼るわけにはいかない。……オレは、ハダートを殺したいわけじゃあないんだよ、ハビアスの爺も生かしたがってるみたいだし、オレが殺すわけにもいかないでしょ。正直、あれが、ひとまずでもオレに敵意を向けなくなればいいだけのことさ。だから、今は、誰かを頼って大事にしちゃいけない」
シャーは、そういって、ふと軽い口調で付け足した。
「そもそもねえ。オレは、ハダートに、他言しないって約束しちゃったからね。オレから約束破るのは、ちょっと気が引けるのよねえ。だから、黙っておいてくれないかい、エルテアさん」
軽く笑っていったそれは、けして重い口調ではないのだが、妙に逆らいがたい雰囲気を含んでいた。
「オレにも、男の子の意地っていうのがあるわけよ。ねえ、あのことは秘密にしといておくれでない?」
「……仕方ないわね」
エルテアは、ため息をつきながら前髪をかきやった。
「あなた……、見かけによらず、強情で意地っ張りなのね……」
「むふふ、それは、もうねえ。大体、カッファにばれると危ないって止められて、オレの自由にできないからさあ」
シャーは相好を崩した。
「オレは、柄はこんなんだけど中身は結構硬派のつもりなのよ」
今度はあまり信用できなさそうな軽薄な印象がある。先程、一瞬だけ見せた表情は、すでに、いつもの軽くて明るい表情に消されていた。エルテアは、苦笑を漏らす。
「仕方ないひとねえ、本当に」
エルテアは諦めたような顔つきになった。シャーは、すでに元の表情に戻って、黙って後ろに立っているスーバドに、なにか理由をつけてはからかっている。
ふと、兵士がエルテアを呼んだ。それが、先程おいてきた別働隊が戻ってきたということを告げているのだろうということは、シャーにも大方わかることだった。