シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-10

 太陽が空高く昇る正午のころ、昼を食べるのを兼ねて休憩が入った。砂漠から、少々岩山の続く荒れ地に入ったところである。あちらこちらに立つ奇妙な形の岩が、今はまばらだが、先に進むごとに多くなっていくだろう。
 保存食の堅焼きのパンとスープなどが振る舞われるのだが、それは予想できるようにあまりうまいものではない。だが、スーバドは、この青年に付き従って以来、そのあまりうまくない食べ物をこれほどうまそうに食べる人間を初めて見たような気がしていた。もとい、王族を、といってもいいかもしれない。
「昼飯はうまいなあ〜。うーん、うまいものを食べるときって、人間って感じがするよね。美食は文化だよなあ」
 行列から少し離れたところで、シャーは与えられた食事をうまそうに食らっていた。
「……大げさな……。狙われているのに毒殺も疑わずに、迷い無くがつがつ食べるあなたの神経がうらやましいです」
 そういうスーバドの食はあまりすすんでいなかった。食べ物がまずいというよりは、正直、気が気でない。
「ああ、オレが狙われてるってことは、君のに入ってるかもしれないしね。さっき、こっそり入れ替えたし」
 さらっといいながらシャーは、残りの堅いパンを口の中に押し込んだ。それがあまりにもさらりとしたものだったので、スーバドは一瞬意味を取りかねていたが、意味が分かり次第、思わず飲みかけのスープを吐き出した。
「がはっ! ななな……」
 すり替えたとはどういうことだ。もしかして、毒味につかったのでは、真っ青になるスーバドを見ながら、シャーはふとのうてんきな笑い声をあげた。
「なはっはーはは、嘘に決まってるじゃない? 君、ホントわかりやすくておもしろいなあ」
「嘘なんですか!」
「そんなコトする必要ないもん。やるわけないでしょ?」
 何て悪趣味な男だ。スーバドは、ひくりとこめかみがひきつったが、シャーのほうは、しれっとした顔でスープを上手そうに飲み干した。
「あのねえ、あの人に限って毒殺なんてあり得ないじゃない」
「そ、そですかねえ」
「そうそう、少なくとも、あのハダートちゃんは使わないよ。だって、そんなことしたら真っ先に疑われちゃうじゃない。多分、ハビアスのジジイには、どこから命令きたのかばれてるんだしさ〜。そんな手際の悪いことしないでしょ。もっと、自然にオレを殺さないと」
「自然ってたとえば……」
「一番、オレが死んで普通そうなのは、やはり戦死だよね。だって、下手に丈夫にできてるし、敵にやられたーって言ったらそれなりにそうかな、って納得するでしょが。遠征中の司令官が、敵や地元住民に襲われるのはあり得ないことじゃないもんねー」
「そうですか?」
 他人事のようにいうシャーを見やりながら、スーバドは何となく納得ができない。一体どれほどわかっているのだろうか。
 あ、そうだそうだ、とシャーはふとぼんやり言った。
「ねえねえ、ちょっとこれ被ってみて」
「何ですか、いきなり」
 スーバドは、手渡された布きれを怪しそうに見た。シャーが似合わないながらに被っていたあの布だ。
「何の冗談でしょう」
「ねえねえ、いいから被ってみてってばあ」
「わ、わかりましたよ」
 このまま無視するときっと鬱陶しいことになる。スーバドは仕方なくそれを頭から被ってみた。余計なことに、薄い青が意外と目立つ色だったり、一カ所だけ花の縫い取りがあったりして、妙な感じに派手だ。シャーの普段の格好は、派手なのやら地味なのやら一見分からないが、異国風の妙な格好をしている王子、とくくってしまうと、やはり地味とは言えない。そもそも青の元になる藍は、東方からの輸入が多いので、全身それで固めているのは、結構贅沢なのかもしれない。といえ、シャーが着ると、どんな服も安物にみえるのだが。
 被って一応整えてみて、スーバドはため息をついた。
「これでいいんですか」
「おおー、似合うじゃん。オレよりかっこいいんでない?」
(それは、あんたが似合わなさすぎるだけです)
 心の中で答え、スーバドはやれやれと言いたげにため息をつくが、シャーはそんなこと気にも留めない。
「それじゃ、しばらく、ソレかぶってていいよ〜。女の子にもてるかもしれないし」
「こんな荒れ地のど真ん中で女の子になんか会えるはずないでしょうが」
 スーバドは、舌打ちしながら言った。いい加減人をからかうにも程がある。とはいえ、被っていた方が涼しいし、うるさくないので彼はしばらくそのままでいることにした。どうせ、ここで文句をいったところで、シャーに軽く流されるのがオチなのだ。
 

 岩にもたれかかって隠れるようにしながら、銀色の髪を持つ男は腕を組んでいた。
「何のようだ。俺には極力ふれるなと言ったはずだぞ」
「へえ、それはわかっているのですがね」
 黒い服に身を包んだ中年の男は、どことなくこびを売るような調子でそういった。ハダートは、見かけだけは上品な顔に、裏の表情を浮かべた。
「なるほど、金が足りないのか?」
「そういうことです」
「チッ、欲深い男だな。まぁいい」
 ハダートは、手をはたいた。
「前金は、街の金貸しあたりからもらえ。俺の名前を言えば、すんなり渡してくれるだろうよ」
「相変わらず手回しのいい方で」
「成功したら、上乗せしてやるよ。……それでいいだろう」
 男はにんまりと笑った。
「わかりました。では、それで手を打ちましょう。いつもごひいき下さってありがたいことです」
「ヘッ、お前と取引している事がばれたら、俺は将軍職なんざつとめてられないだろうな、ギョール」
「将軍のようなご理解の深い方がいらっしゃるから、我々のような者は生き延びられるのですよ」
「相変わらず、上手い世辞だな」
 ハダートがそういうと、ギョールという男はへへへ、と笑った。ギョール・メラグという名を名乗るこの男のその名が本名であるかはわからない。ハダートにも、この男の実体はわからない。ただ、彼はこのザファルバーン近隣の暗黒組織につながる男で、主に諜報や暗殺に長けているということだけだ。金をやれば、絶対に仕事に間違いはない。そういう評判だし、ハダートが今まで知る限りもそうだった。 
「旦那にしては珍しいじゃないですか。それだけの金額をすんなりお出しになるとは。いつもは、もう少し粘るんじゃないですか?」
「俺は目的のためなら金に糸目はつけない主義だがな」
 ハダートは苦笑した。
「いいや、金に糸目をつけない、などとおっしゃられるほど、入れ込んでいらっしゃるのが珍しいと。……一体、今度の獲物のどこが気に入ったのでしょうかねえ」
 或いは、気に入らなかったか、のどちらかだが。と、ギョール・メラグは、心の中で呟いた。ハダートが、何か言おうと口を開こうとしたが、それは途中で止まった。青い空に、突然、黒い一点が現れたのが見えたからだ。それが彼の使いであるカラスであることを、ギョールも良く知っている。
 青い空に黒い羽が踊るのを見て、ハダートは右手を差し出した。戻ってきたメーヴェンは、そこにちょこんと止まるとそのままハダートの肩にとまった。
「ご苦労」
 そう呼びかけ、ハダートは干し肉を柔らかくしたものをカラスに差し出した。そのカラスの足の筒を見やりながら、ギョールは、ハダートがまたどこかに使いをやったことを知る。
「さすがは、旦那、もう一手打っておられるとみえる」
「そんな大げさなものでないさ。ちょっと、粉をふってやっただけだ。ちょいとこれからあの小僧の辿るの予定をね……」
「なるほど。我々が細工してはぐれさせた某お方を、敵に殺させるおつもりで? ……もっとも、我々が手を下したとしても、それはあの方が、地元民の反感を買ったから、という理由で片づいてしまいますからね」
 ハダートは、考えを読まれたのが不快だったのか、少し顔をしかめた。
「そこまで読んでいるなら、滅多なことを言うな」
「はあ、すみません」
 ギョールは、へらへらと笑った。昔からそうだが、どこからどこまでが本心なのか分からぬ男だ。
「相手は餓鬼だが、手加減はするな。見かけはああだが、ただ者じゃねえぜ、あれは」
 ハダートは笑いながら釘をさすように言った。
「あれをなめると、貴様がここいらで有名な暗殺組織の元締めっていう肩書きを失うですまないだろうぜ。……生半可にしかけたら死ぬな、それはもちろん俺も含めてのことだが」
「ほほう。それは恐ろしい小僧だこと」
 ギョールは、半ばからかうようにそういって、と、ふと少々真面目な顔になった。ハダートの表情を伺うようにした彼の目に、好奇心の文字がちらりと見える。
「旦那は、珍しく楽しそうですね。命を賭けているのに」
「命を賭けているからだろう」
 ハダートは、こともなげに言って、それから少しだけにやりとした。色の薄い瞳に剣呑な光が、不気味に輝いていた。男は、ハダートとつきあってそこそこだったが、彼のそういう目を見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。正直、こんな楽しそうな顔のハダートを見たことはなかった。
「遊びっていうのはなあ、多少……アブねえ方がおもしろいのよ」
「そうですか」
「ああ、……じゃあ、後は頼んだぜ」
 ハダートはそういうと、穏やかならぬ笑みを浮かべ、そのまま帰っていく。それを見送りながら、ギョールは薄く笑った。
「旦那、あなたもまだお若い」
 ギョール・メラグは、取引相手としても気の抜けないこの男にも、そういうまだ可愛らしい一面があったことに、何となくほほえましさを覚えながら呟いた。ハダートにきこえないように小声でいったソレを彼がきいていることはないだろう。
「そういうのは、遊びじゃなくて、意地をかけた「勝負」というんですよ。旦那」



目。目。目。
 シャーは、あごをなでやった。そう先程から、何かの視線を感じるのだ。
 昼休みが終わり、シャーとスーバドは再び行軍に戻る。とはいえ、食べた後でいきなり激しい運動をすると吐きそうなスーバドに遠慮するという口実で、シャーは、さぼり気味に何となく列から外れ気味にのっそりと馬を歩かせている。
「いいんですか?」
 スーバドは、大分列から外れていくのを見やりながら、何となく不安そうにいった。だが、シャーはいつものとおりだ。
 いつの間にか、ごつごつした岩が周りを取り囲む場所になっていた。比較的見渡しのきく砂漠と違って、視界もよくないし、それに大体狭い。こういう場所は、地の利のある者のほうが有利だから、さっさと通り抜けてしまいたい場所ではある。
「ものすごく列から離れてますよ、いいんですか!」
 そういうと、シャーは、鬱陶しそうに眉をひそめた。
「んーカッファにばれてないから大丈夫」
「そういう問題じゃないです」
「まあ、もうちょっといいじゃない。食事の後にいきなり動くのはよくないもんねー
 シャーはそんなことをいって、未だにだらだらしていた。まったく、ロクでもない。ちょっと暑くなってきたなあ、といって、マントを脱いでまるめてしまっているシャーを横目で見ながら、スーバドはため息をついた。どうして、こんなだらけた主人に仕えなければならないのだろう。
 岩の間を縫うように進む。横に砂でできたようなざらざらした岩が延々と並んでいた。
 と、ビインと、音が鳴り、直後、その矢が砕ける音がした。スーバドは何がなにやら分からず、横の岩を見やる。岩に傷が付いていて、その下に矢が落ちていた。一瞬わからなかったが、状況はすぐに飲み込めた。狙われたのだ。
「うわわわわわーっ!」
「そこだッ!」
 突然、硬直するスーバドの背の弓を分捕り、シャーは、そのまま盗んだ矢をつがえて放った。向こうの岩山の方を掠っていった矢の風を切る音が切れた途端、きゃあっ、という甲高い悲鳴があがる。そのまま弓を持って出てきたのは若い娘だ。黒髪に気の強そうな大きな目が印象的だ。逃げざまに射かけてきた矢を、握った弓の端でたたきおとし、シャーは思わず声を上げた。
「ヒューッ、オレ好みのかわいこちゃんじゃない。反撃するんじゃなかったかなあ。好感度下がりそう」
 シャーはそういうと、マントを引き回してつけて、いきなり手綱を引っ張った。馬が大きくいなないて走り出す。娘が向こうの岩場に隠れたのと同時に向こう側から、矢がいかけられてきた。シャーは刀を抜くと、それをたたき落としながら走る。
 これはまずいと思ったスーバドが慌ててシャーについていく。必死で馬を飛ばし、ようやく彼に追いついて、スーバドはシャーに叫んだ。
「ちょ、ちょっと! なあに考えてるんですか!」
「ほーら、女の子にもてたじゃない?」
 シャーのにまりとした笑顔で、スーバドは全てに気づいた。この男、身代わりにするのに自分の被っていた布をスーバドにかぶせたに違いない。今のを見ると、どうもその布を目がけて射ってきた気がする。そういえば、マントを脱いだのも、どちらが自分かわからなくするためではないだろうか。
「あなた、な、何考えてるんですか! 危うく死ぬトコだったんですよっ!」
 真っ青になるスーバドは、危うく丁寧語を心がけることも忘れてしまいそうになりながら叫んだ。シャーは、ははははは、と軽い笑い声をたてた。 
「そういわないいわない。オレが狙われたら反撃が遅れちゃうでしょ? 君が危ない目にあってもオレが助けてあげられるけど、君はオレを助けられんじゃない。それに、一発で当てるつもりはないと思ってたし」
「だからってねえ!」
「当たりそうだったら、助けてあげたってば」
 うう、とスーバドは、苦い顔をして詰まる。そういわれると否定できない。大体、コレは、こんなんでも一応王子様であって、自分はその臣下だ。本当は身代わりになってしかるべきな身分なのである。それを考えると、どうにも文句がつけがたい。一応危険を回避しようとしてくれているだけマシといえばマシな扱いなのだ。ただ、この場合、どうみても王子が王子に思えない人間なだけで。
 矢がまだ飛んでくる中、岩の間から顔を布で覆った男達が馬に乗ってあらわれた。大きな曲刀を持った男達は、正規のルートを進む兵隊ではなく、シャーとスーバド向けてとびかかってきている。あわあわと、悲鳴をあげるスーバドとは対称的に、シャーは冷静だ。
「やっぱしなっ! 現地民を買収してると思ってたんだよッ!」
 背後を振り向きながら、その数を確かめる。人数はそうはいないのだが、相手には地の利というものがある。こんな狭い岩場でやるのはよくない。
「戻ってみんなに助けてもらいましょう!」
 折良くスーバドが、泣きそうな声でそう叫ぶ。
「ソレは無理!」
 すげなく突っ返されて、スーバドはますます慌てた。
「何でですか!」
「あんなところでやりあってみろォ! 死人がゴロゴロ出るわ、オレも動けないじゃねえか!」
 シャーは後ろに向かってそう言った。どことなく楽しそうな口調に、表情なのがスーバドには理解できない。
「大体、これはオレとハダートの勝負なんだ! 他の奴等は関係ないね!」
「だったら、あの人達もついでにオレも関係ないんじゃ……ひっ!」
 顔を掠めるように飛んできた矢に息をのみ、スーバドは青くなる。後ろから追いかけてくる馬の蹄の音が近づいてくる。シャーの馬術は、スーバドのそれ以上で、しかも、彼の馬はかなりの駿馬だ。どうしてもスーバドは遅れがちになり、焦った。そして、地理に詳しい背後からの追跡者がいつ迫いついてこないともかぎらない。
「シャーさん、ちょっと、どうにかしてください!」
「ええ? 何が? オレに助けてもらうのはやだとかいってたじゃない?」
 にやりとしたシャーの顔は、やっぱりね、と言いたげである。
「いや、それは、そうですけど!」
 先程の会話を思い出したのか、スーバドは苦笑いした。
「で、でも、あの時はこんな事になるとは!」
「あはは、じゃあ、しばらく自分で頑張ってみる?」
 そうこう言っている間に、徐々に後ろから男達が迫ってきている。矢が飛んでくるのはなくなっていたが、このままでは、あっさりと捕まる。青くなったスーバドは、慌てて叫んだ。
「い、いえ、オレが悪かったです! お願いですから、少々待つだけでも!」
「あらら、頼っちゃってるじゃない。君、頼らないんでしょーッ? ダメなやつだなあ、もう」
 シャーはそういうと、スピードを緩め、スーバドに少し追いつかせた。
「あ、あの、すみません」
「だから、後で後悔してもしらないよっていったでしょ?」
 シャーはにんまりと笑うと、ちらりと後ろとの距離をはかる。スーバドは焦っていたが、この距離ならまだ危険はないし、、恐らく彼らより自分たちの方がスピードも速い。ただ、問題なのは、前の方は、もっと岩が詰まっている狭い場所だということである。中にはいると、馬では通れない場所がでてきそうだった。
「あの前で一度馬をおりる」
「おりる、って、後ろからのはどうするんですか!」
「狭い場所で暴れられないまま死ぬよりはマシさ」
 シャーは、そういってにやりとした。スーバドには、相変わらずこの青年の意図が読めない。その言葉が不気味に響いたのも、また仕方のないことだ。
 





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi