シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-9

夜営中の陣の上を黒い何かが飛んでいった。
 だが、それを見ている者はいない。この漆黒の闇の下では、人間の目ではその姿をとらえることはできないだろう。それに、夜は眠りの時間に他ならない。そもそも、起きている人間自体が少ない。
 かかった松明が、時折、ぱちんと弾けては炎を少しだけ燃え上がらせるぐらいで、静まりかえった砂の上は、人の息吹を感じさせない。誰もいないようにすら見えた。
 だから、一時間ほど前に、そこに一羽の黒い鳥が紛れ込んだことに気づかなくても不思議ではない。その鳥が、一人の将軍の休むテントに入っていったことも。



 闇にキィキィと、金属が軽く軋む音がする。周りの兵士達はきっと寝てしまっているに違いない。暗がりに、ランプの火が揺れる。自分の陣幕の中で、ハダートは骨組みにひっかけた鳥籠が揺れるのを眺めていた。いや、鳥籠が揺れているのかどうか、単に火が影を揺らしているのかはすぐにはわからない。ただ、その鳥籠の上には、闇に潜みように静かにじっとしている黒いものがいた。
 艶やかな漆黒の羽を持つ羽が揺れる。そこにいるのは、一羽のカラスだ。黒曜石のような翼が、ランプの赤い光に微かにてらされてほんのりと色づいている。カラスは印象の悪い鳥だが、その黒い翼は美しい。どことなく、気品を感じさせる黒を持っているように見えた。
「メーヴェン」
 ハダートは、その自分と対照的な色をもつものを呼んだ。カラスは、ぱっと鳥籠から飛び立つと、ハダートの差し出した右手に止まる。足に金属製の筒がついていて、すでに中身はハダートにより抜き取られていた。探りをいれさせたものからの情報は、芳しくないが、ある程度予想していた。サッピアも、自分がシャルル殺しに関わったという証拠を残したくないのだろう。いくら、宮殿内での評価が高くないシャルルでも、曰く付きの王族だけに怪しい噂が流れれば、サッピアに疑いが向くのは当たり前のことだ。
「やはり、そういうことか。これは、あっちからの援軍はオレも期待できないみたいだなあ」
 ハダートは、メーヴェンをなでやりながら苦笑した。
「まあいいさ。どうせそんなことだろうとおもって、手を打ってたからなあ。だが、そこまで急に話が進むとは思わなかっただけのことよ」
 メーヴェンは、ふと首を傾げた。カラスには人間の言葉がわかるのだろうか。そんなことはハダートは実際には知らない。だが、彼にとって、このメーヴェンという美しいカラスは、最も信頼の置ける話相手にほかならない。なにせ、彼女ならば、ハダートが何をいっても、その秘密を誰に言うはずもないからだ。
「そう、お前が行く前とは状況が変わったんだよ。のんびりとはしてられなくなったんだ」
 ハダートは、ふと、口をゆがめた。
「あの小僧、自分から仕掛けてきやがった!」
 主人の表情が歪んでいても、メーヴェンは首を軽く傾げるだけだ。ランプの光で薄くてらされたテントの中で、ハダートの色の薄い瞳は燃え上がるような赤い色に見えていた。
「サッピアの命令なんてどうでもいい、ましてや、もはやハビアスの挑発もどうでもいい。俺は、純粋にあの小僧の目が気に入らなくなったんだよ。純粋にな」
 口許の笑みとは逆に、目は全く愉快そうではなかった。ハダートが、軽く手をあげるとメーヴェンは、肩にうつる。ハダートは、テーブルの上に投げ出してあったペンを握り、インクを付けて紙の破片の上に走らせた。
「さて、ご本人から直々のお許しも貰ったんだから、これから行動にうつらなきゃなあ。だが……」
 ハダートは、紙に用件を流れるような文字で書いてしまうと、ちらりとメーヴェンのほうを見やる。
「だが、下手で直接的なやり方は、俺の美学に反する。そうだろう、やるならキレイに片をつけるのが一番いい。こんな国、いつ見限ってもいいんだが、あからさまに俺がやったとわかるようなものを残すなんざ、後味が悪くてしかたがない」
 ハダートは、書いてしまった紙を丸めると、側のメーヴェンをまた手の上に戻した。
「その為には、多少の前準備が必要だと、お前も思うだろう?」
 メーヴェンは軽く首を傾げた。そして、おもむろに一声、クワアと声を上げる。それをみやり、ハダートは満足そうにメーヴェンをなでやると、足の筒に丸めた紙を入れ込んだ。
「すぐで悪いが、お前にまた働いて貰わないとな」
 ハダートは立ち上がり、テントの入り口に佇んだ。冷たい夜風が、ハダートに吹き付ける。さあ、と彼は口を開いた。
「このままの方角へ」
 黒い鳥は、一旦彼の顔を見やったが、すぐに了解したかのように羽を広げた。ばさり、と音を立て、メーヴェンは夜の闇に飛び立った。夜空の黒にとけ込んでいく鳥をみやりながら、ハダートの口には知らず、笑みが少しだけ歪んだままでのっていた。
 ひゅうと、風と飛んできた砂がハダートにあたってざらざら音を立てる。静まりかえった砂の大地で、ハダートは静かに、しかし愉快そうに呟いた。
「あの小僧、二度とへらへら笑えなくしてやるぜ」
 すでにメーヴェンの姿は見えなくなっていた。ハダートは、夜の凍るような寒さにたえかねて、戻ることにした。その彼の側に、上空から一枚、黒い羽が落ちてきた。


 その日は、うだるような暑さだった。すかっと嫌な具合に青々と晴れた空、すがすがしいということは、時に苦痛を与えるものである。清らかすぎる水には住みにくいのと同じだろうか。
 砂の上をゆっくりと行軍するだけなのだが、それだけでもかなりきついものである。
「嫌なほど快晴」
 ぐったりとした声がとなりで響き、スーバドは、頑張って鼓舞していたやる気を横から大幅にもっていかれた。どうして、こんなにこやつの声は精神的な破壊力があるのだろう。
「嫌なほど青い空」
「小声で呟くのやめてくれませんか」
 スーバドは、とうとう耐えきれなくなって言った。このまま隣から声が聞こえ続けたら、残るやる気も消えてしまいそうだ。
「じゃあさあ、大声ならいいの?」
「それもやめてください」
 いつまでこんなやりとりをするんだか、とスーバドは切なくなった。
 横、というより厳密には少し前あたりに、馬にぐたりともたれかかった青い服の青年がいた。暑いせいもあってか、今日は兜は被っておらず、申し訳程度に布をひっかぶっているが、正直いうと悲しくなるほど似合っていない。だが、当の本人には特に興味がないらしい。
「あぁぁ〜。オレ日干しになっちゃいそうだよ……。ったく、カッファは何考えてるのかなあ〜。こんな日に進軍することないのにさー。暑さにゆだっちゃったんじゃないの〜。なにもわかってないってかんじー」
 ぐつぐつ文句を言うシャーは、本当に鬱陶しいことこの上ない。
「それ、本人の前で言ったら、殺されるでは済まないかと思いますけど……」
「聞こえなきゃどうでも……はっ!」
 突然身を起こし、シャーはびくりと背後を見やった。カッファはかなり後ろからこちらを睨んでいるのだが、果たして聞こえていただろうか。距離的には聞こえていないはずなのだが。
「何だ、遠くから殺気が放たれたような気が……」
「聞こえてたんじゃないですか?」
「チェッ、カッファの奴、あれで地獄耳なんだからもー」
 そういってまたばったり身を倒しながら、シャーは、「暑いな〜」とか「もう嫌だ」とか、またぶつぶつと文句を言い始めた。このだらだらした口調の男がしばらく横にいると思うだけで、暑さが二倍になりそうな荒れ地の真昼である。
「しかしですねえ」
 文句をききたくないこともあって、ふとスーバドは自分から話を切り出すことにした。
「なんで、昨日はあんないい方を?」
「ん? なぁに?」
 まだ、ぐたりと馬の背にもたれかかっているシャーの顔には、緊迫感というものがない。スーバドは眉をひそめたが、果敢にもう一度訊く。
「将軍にですよ。……あのハダート=サダーシュ将軍に」
 シャーは、のんびりと背を起こした。
「あんな言い方したら、相手の闘争心煽るに決まってるじゃないですか? どうして……」
「そりゃ、あれは身を守るためにきまってるじゃない。先手必勝って知らない?」
 シャーはこともなげにのんびりと答えた。
「オレからは、挑発のように見えましたけど……」
 横目で睨むようにしてスーバドは、そういった。正直、彼にはシャーの考えがよくわからない。シャーはそれをきいて、少しだけにっと笑った。
「ああ、そりゃそうでしょ? アレ、正直挑発だもの」
「はぁっ?」
 いきなり肯定されてあっけにとられるスーバドだが、シャーはよっこらしょっとばかりに身を起こした。
「わかんないかなあ? あのねえ、スービィ。人間ってのは、来るってわかってると対処できるけど、いつくるかわかんないと気が抜けちゃうもんなのよ。オレもそろそろ気を引き締めないとやばいかんじだし、たまには自分を追い込むのも手なのよね」
「しかしですねえ、あんな事して味方につけられるんですか? 絶対、前より嫌われたと思いますけど」
 スーバドは、横目で不審そうに、実は上官の青年を見やった。自分より大人びているような、そうでもないような、相変わらずよく分からない男だ。
「あっ、今、オレのこと、なーんも考えてないと思ってるでしょ?」
 シャーは、どうも疑られていることに気づいたのか、ちょっと口を尖らせた。
「君、言ったでしょ? オレは、あのハダートちゃんを殺せないわけなのよん。だとしたら、手なづけるしかないわけよね。でもねえ、あの人はむーずかしい性格だから、露骨にすり寄ったところで、好感度さがるだけなのよ」
「とはいえ、それだけでこんな危ない真似を」
「ははは、そんなわけないでしょうが? そりゃ、人一人の心を掴もうと思ったら、命ぐらいは賭けなきゃいけないものさ。でも……それだけで、オレは命を賭けられるほど立派な人間じゃないんだよねえ」
 だったら、と言いかけたスーバドの口が開く前に、いきなりシャーの声が割り込むように入った。
「それにねえ、オレも好きなんだよねえ〜〜」
 何でもないように空を見上げていうシャーの唇が不自然に歪んだ。ふと、瞳が何かに酔ったように、一瞬青みを増したように見えたのは、気のせいだろうか。
「こういう殺るか殺られるかって感じの火遊びがさ〜ッ!」
 ソレは一瞬だけだが、何とも言えない冷たい笑みだ。普段は隠しているシャーの暗い部分だけを純粋に取り出したような、そういうあまりにも不気味な笑みだった。
 見てはいけないものをのぞき込んだような気がした。思わずぞっとしてスーバドは、少しだけ後ずさりする。
(やっぱり、この人普通じゃなかったー!)
 普段の雰囲気に惑わされてすっかり忘れていたが、やはりこの男は普通ではない。そういえば、この前だって助けてはもらったが、戦闘中は別人のようだったし、とスーバドは思う。
(思えば、なんで、オレ、この人の監視役みたいなの受けちゃったんだろ? そういえば、危ない奴じゃないかよ、この三白眼王子はーッ!)
 『殿下は、とにかく用心深い方なので』と、カッファは言った。『だから、君のような同年代の人間なら、まだしも警戒感が緩んで動向が掴みやすくなるのかも!』そういう期待をもって、彼をラダーナに頼んでシャーの側に置いた。とはいえ、やっぱり、シャーはふらっと逃げていなくなるし、一緒にいてもからかわれるばかりなので、妙にイライラするだけだと思っていたが。
(なんだか、いつか、色んな意味での修羅場見そう……)
 今や新たな心配に気づいて、スーバドはおののいた。
「なぁにやってんの?」
 彼があれこれ葛藤している間に、すでにシャーは元のシャーに戻っていた。振り返って何やら怯えている様子のスーバドを見て、不審に思いながら、彼はひょこひょこと近づいてきた。 
「どしたの? スーバド君。君、実戦だけじゃなくこういう進軍中でもびびるクチ? どこからか敵がきそうとか?」
「違います!」
 猫のようにふにゃっとした動作で言われると腹が立つが、先程の表情を見たスーバドは迂闊な行動が取れない。シャーの方はというと、怪訝そうに眉をひそめた。
「ていうか、君、ホント大丈夫〜?」
「失敬なっ! 大丈夫です!」
 試されるように言われ、スーバドはさすがにいらだった。何となく、シャーにだけは言われたくないような気がする。
「ホント? マジなわけ? ていうか、オレ次は助けないわよ?」
「誰も助けて貰おうなんて思っておりません」
 えぇ〜、と、非難めいた声をあげ、にたりとシャーは笑んだ。
「マジ? ていうか、本気? ホント、オレ助けてあげないよ? 後で後悔してもしらないよ〜。きっと、後悔するよ〜」
「何でそんなに楽しそうなんですか! 頼りませんよ!」
 むかっとして、スーバドは勢いよく突っぱねる。シャーは、途端嬉しそうな顔になった。
「いっておくけど、男には二言はないのよ? いいのね〜? うひゃひゃ、その後が楽しみだなあ〜」
 ひゃっはっは、と耳障りな笑い声をたてる君主は、正直言って馬鹿なぼんくらそのものだ。まったく腹立たしいことである。
「でも、案外、もう火遊びは始まってるのかもしれないよお」
 ふと、シャーが呟いた。え、と、言いたげなスーバドを、楽しそうにみやりながらシャーは言った。
「案外、オレ達、もう術策はりめぐらされた中にいたりしてね」
「ま、まさか……」
 スーバドは慌てて背後を見やる。ハダート自身はかなり後ろがわにいるはずで、みえるわけがない。でも、ハダートのすぐ後ろには、他の将軍達もいるはずで、急に動きを見せる筈がない。
「むふふ、あの人の趣向は何となくわかっちゃってるからねえ。ま、荒れ地で谷みたいなとこと、集落の前後ぐらいは基本気をつけた方がいいかもしんないけど、一体どこから来るつもりかねえ」
「つもりかねえって」
 他人事のような口振りのシャーは、またぐたりと馬にもたれかかる。スーバドは、再び不安になってきた。ハダートもハダートだが、やはりこのシャルル=ダ・フールも、相変わらず理解のできない男である。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi