シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-8


 ゆるやかな夕方の太陽の光を見やり、エルギスは目を細める。夜の到来を感じつつ、彼はテントのあつい布をはらった。
 中は、ややうすぐらいが、中央のテーブルの上には、水差しの他にランプがある。だから、なかにいる相手の顔が見えないこともない。だから、美しい妹が、いかにも不機嫌そうに彼を睨んでいるのもきちんと見える。エルギスは、それをみると、妙に疲れ果てた気分になった。
「エルテア、いい加減機嫌をなおしたらどうだ」
 エルギス=ステナー=ハスは、ため息をつく。だが、妹は機嫌をなおすどころか、ますます悪くしてこう非難するように言った。
「兄上は、よりによってあの男に謝りにいったのですか!」
「どうも、留守をされているようで、会えなかったがな……」
 エルギスは、やや眉をひそめていった。
「昼間のアレはどう考えてもお前が……」
「兄上は、では、あの銀色コウモリの言うことをきけと、おっしゃるのですか?」
 エルテアは、きりっと兄を見上げる。
「アレは、どう考えても詐欺師の目をしています!」
「さ、詐欺師はいいすぎだろう! ……お前は、本当に融通のきかない……。私はお前の言動が不安でならん」
 エルギスは、思わず天を仰ぐようにした。だが、エルテアは、兄の苦悩などしったことではない。
「私はああいう男が大嫌いなんです」
 きっぱりと言い切って、エルテアは、水差しの水を一口ふくみ、続けた。
「適当に顔がよくて、妙に自信家で、それで、本当はというととても弱い男なんですよ、アレは」
「……初対面の相手をそう言い切ってはならんだろう」
「兄上は、そういう甘いことを言うから、いつもなめられるんです!」
 エルテアはそういいきって、水差しをテーブルに置いた。力を込めて置いたので、水差しがけたたましい音を立てる。
「わかりました。兄上の言うとおり、しばらく、大人しくしています!」
 エルテアは、そう言って、失礼、と鋭く言い残すと、すたすたと入り口から出ていってしまう。一旦は止めようと思ったエルギスであるが、ここで止めても仕方がないので、ため息混じりに肩をすくめた。
 また、夕食の時にでも話をする機会があるかもしれない。妹がでていった入り口からは沈みゆく夕方の空が覗いていた。明日にでも、またハダートに会いに行って、妹の非礼を詫びよう。アレは、またこれからも何かしでかすに違いない。
 水差しから杯に水を注ぎながら、エルギスはそう思った。
「全く、……いつからああなったのやら……」
 エルギスは、やれやれとため息をつきながら、杯の水をゆっくりと飲んでいた。




 この雰囲気は、正常ではない。スーバドは、会話が一切なくなったまま、ぼんやりと立っている二人を、それとなく後ろから見ていた。
 お互い、別に表情だけ見ていれば険悪ではないのだ。なのに、このぎすぎすした空気は、何だろう。その空気の真ん中に立って、何も言わずにまだにやにやしているシャーの神経はやはり理解できなかった。
 スーバドがどうなることかと思っていると、いきなり、シャーがにんまりと笑った。
「いつか来ると思ってたけど、案外はやかったねえ。アンタ、見かけによらず、気ィ短いでしょ?」
 シャーは、そういって人の良さそうな笑みを浮かべた。ハダートは、それには答えない。
「それとも、オレが昼間ちょいっと煽りすぎたかな? あれは別に挑発でやったんじゃないんだけどさ〜」
 オレは、元々目つきがよくないのよ。と、シャーは付け加えた。
「来たからには、何かお話があるんでしょ? ……今なら、オレとあの新米君しかいないからいいよ。カッファとかがいたら、あれこれ面倒でしょ?」
 シャーはそういい、腕を組んだ。
「そうですね……」
 ハダートは、静かに言った。
「では、遠慮なくそうさせていただきましょう」
 ハダートも、別に無策でのりこんできたわけではない。彼はこの半日で、シャーに関する情報をいくつか手に入れてきていたし、その性格もそれとなく分析してはいたのだ。兵士に聞く限り、彼のことが司令官だと知るものはほとんどおらず、普段は一般の兵卒とふざけまわって遊んでいるということだ。おまけに、兵士のほとんどは「シャルル=ダ・フール」がここにいるとは信じていない。彼らが司令官だと思っているのは、「青兜」というあだ名の名前のない男であって、それが恐らくシャルルの影武者だろうとも言っていた。そして、誰もあの三白眼とその影武者を結びつける者はいない。
 真実を知るハダートとしても、確かにいきなり彼を王子とは思わなかった。それは、あの青年が、自分の外見や特性を見切って、うまく利用しているからかもしれない。本人の隠れ蓑としては、これ以上いいものはないだろう。
 そういう彼の性格から考えて、下手に手を打つわけにはいかないと思ったのだ。おそらく、彼は自分の思惑を感づいている。下手なことをして、失敗するわけにはいかない。だが、いつまでも何もしないわけにもいかない。ここは、多少、危険かも知れないが、一応探りを入れた方がいいとハダートは思ったのだ。そうすれば、彼の力量を、よりはっきり推し量ることができるだろう。
「王子様は、わたくしが何故ここに来たかご存じでしょう?」
「知るも知らないも、そうだね〜〜。あんたが、オレの援軍だって事は知ってるよ、外向けの理由だとしても……。でも……」
 シャーは、初めて眉をひそめて、不満そうな顔をした。
「アンタ、あえてオレのこと、王子様って呼んでるだろ? 他の人が殿下とか、腐れ三白眼とか言ってるの知ってる癖に」
 横目でじっとりと睨むが、ハダートは涼しい顔でわざとらしく首を傾げた。
「なにか、気にさわりましたか?」
「……いいえ〜。気に障ったからと言って撤回してくれないひとも世の中にはいるんだもの〜」
 シャーは、そう不機嫌そうにいって、くるりと身を翻した。
「でも、様づけなんてしなくてもいいんだよ? 正直、あんたはオレのことを敬いたくはないでしょ?」
「何を?」
 シャーは、急にふと背を伸ばし、表情を変えた。笑っているのは相変わらずだが、いつものへらへらした印象は、消え去っていた。独特の雰囲気を滲ませながら、シャーは豹のようにゆらりと前に足をすすめた。
「なぁさあ、いい加減腹のさぐり合いはやめようじゃねえか。どうせ、オレが何を考えているか、ちょっと不安になって探りにきたんだろう? アンタ」
 シャーは、少し低い声でいって笑った。ハダートは、片目だけを少し細めた。
「アンタもオレも、ある意味じゃご同類。ついでに、あのハビアスのジジイも含めてね。いい加減、いい子ぶるのはやめにして、いい加減に本題にでも入らないかい? というより、オレから話を仕掛けてもいいんだけど」
 いきなり向こうから話を振られて、ハダートは多少面食らった。いつかは、直接きかれるかもしれないとは思ったが、こんな風にいきなり正体を現すとは思わなかっただけである。
「なるほど。……私も、あなたがそうおっしゃるだろうとおもってこちらに来ました」
「心のこもらない敬語はききたくないね。……礼儀は要らないぜ。オレがしたいのは、ただのお話だよ」
「お話と申しますと?」
 口調の割に辛辣にやりこめられ、ハダートはわざと丁寧に返す。シャーは、別にそのことには触れないで、さらりとかわした。
「今からオレがする話は、アンタのお嫌いな王族シャルルじゃなくて、ただのシャーからただのハダートさんへのお話よ……わかる?」
 そういってにやりとするシャーの目を見ながら、ハダートは彼の真意を探っていた。
「オレは、まどろっこしいのは好きじゃないからな。……必要な話なら、含みのないところでやろうっていってるんだよ」
 ようやく、その言葉の裏を理解したハダートは、偽りの笑顔を消した。確かに、罠である可能性はあるのだが、この話には乗った方が良さそうだ。そう彼の勘は判断した。すぐに危険に陥るものでもないらしい。
「じゃあ、その話の中身を教えて貰おうか?」
 ハダートは、丁寧な口調を完全にやめ、彼本来の口調でそう訊いた。
「王子様は俺の真意が知りたいだろう。でも、俺は王子様の真意が知りたいわけだ。その俺の好奇心を満たすような話になっているのかい? それは」
「どうかなあ。……でも、少なくとも、アンタにとっても損はないんじゃない?」
 シャーは、そういってにやりと笑いかけた。偽りの表情を消したハダートは、知的だがどこか粗暴な印象の目をしていた。あまり生まれの良くない彼の、それまでの生活がわかるような表情は、今までの彼の印象からはかけはなれすぎていて、スーバドは、後ろでそれを見ながらあっけにとられているばかりだ。シャーは、そんな彼の足をつま先で突っついて我に返らせる。
 そして、シャーは再びハダートの方に顔を向けた。
「オレ様ねえ〜、案外いや〜な性格してるから、こういう勘だけするどいわけ」
 シャーはじっとりとした口調で言った。
「でも、嫌な性格してるのは、あんたもいっしょだよね?」
「さあ、どうだろうな? そう見えると思うならそうなんだろ?」
 ハダートは、腕組みをして答える。
「かもねえ。……じゃあ、率直に言うけど、アンタ、オレが死んだ方が楽だろ? というか、その為に来たんでしょ?」
 さすがにハダートは、それには答えない。ただ黙ってシャーの方を見やるだけだ。警戒している様子に、シャーは奇妙な笑い声をあげた。
「にひひ、はっきり答えてもいいぜ。オレは、あんたがどういっても、別に反逆罪なんてメンドーなもんは使いませんよ。そんなのやったら、オレが後であのハビアスのジジイに逆さ吊りにされちゃうもんね〜」
 ハビアス、の名前に、ハダートは、思わず反応した。その様子に、シャーは少しだけ真面目な顔になり、静かな声で言った。
「心配するようなことはないさ。ハビアスのジジイは、あんたの才能を買ってるよ。だから、オレが、勝手に理由もなくアンタを始末したら、それこそオレがジジイに始末されるだろうって話さ。オレは、理由なくアンタを始末することはできないの。だから、安心していいよ、今はね」
 で、と、シャーは言葉を切って、もう一度、へらへらした表情に戻す。
「アンタはホントのとこはどうなの?」
「悪いな、俺は明確な主義を表明するのは好きじゃなくてね」
 ハダートは、薄い笑みを浮かべて軽く流した。シャーは、ああそう、と軽く答える。
「それじゃあ、オレが、決めつけるよ。……アンタは、オレに死んで欲しいってことね。サッピアのおばちゃんに無理でも頼まれたんでしょッ? てことにしとくよ」
 ハダートは、否定も肯定もしない。その様子を伺いながら、シャーは続けた。
「で、アンタはオレを殺したいらしいけど、オレは死にたくないんだよね〜。さすがに、こんな若い身空で死んだら報われないじゃないの」
「へえ。それで?」
 ハダートが冷たく訊くと、シャーは、意を得たりとばかりに、にっこりと笑った。
「だったら、ちょうどいいじゃない。お互いの利害が一致するところで、ひとつ提案があるんだけど。もちろん、さっき言ったとおり、これはオレとアンタの話。他の誰も立ち入らせたりはしないぜ」
「どういう提案だ?」
 いきなり、妙なことを言い出したシャーに、ハダートは初めて少しだけ興味が湧いた。一体、この奇妙な青年が、何を言い出すのか気にかかって仕方なくなったのだ。
 そのハダートの様子をみて、シャーは、ようやく安心して陽気に言った
「ここはマジメにいっちょオレと賭けをしない?」
「賭け?」
 いきなり、そう言われ、ハダートはきょとんとした。シャーは、すかさず続ける。
「そう、賭けだよ、賭け。アンタはそういうのお嫌い? そういう風に見えないけど」
ハダートは、静かに訊いた。
「その、代償は?」
「そりゃ、オレが賭けるのはオレの命よね〜。アンタだったら何を賭けたい? で、どういう賭がいいわけ?」
 シャーの笑みが挑戦的に歪んだ。それを見て、ハダートは、ようやく彼が何をもちかけてきたのかを理解しはじめてきていた。
「オレは結構やさし〜つもりよ、ハダート。ルールはアンタが決めていいぜ」
 シャーの笑みが、ゆがみを帯びた。
「……別に、鬼のようなルールでもオレはよくてよ? ただ、危険を冒す以上は、アンタもそれ相応の危険をおかさないとね」
 シャーのもちかけてきた賭けとやらは、つまり、ハダートに暗殺の機会を直接与えるモノである。しかし、それを彼が抜けた暁には、ハダートにその代償を払え、といっているのだろう。馬鹿馬鹿しくくだらない遊びだ。だが、その遊びは、人の命も運命も支配する。その皮肉さと刹那的な享楽が、ハダートには妙に痛快に思えた。
 ハダートは知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。
「ふふふ、……おもしれぇ」
 シャーは、はたと顔を上げた。ハダートは、いかにもおもしろそうな笑みを浮かべていた。
「いいだろう、王子様。それに乗ったぜ」
 ハダートは本性を見せて、にやりと冷酷に笑った。
「明日から、オレが仕掛ける罠を全部破って見ろ。それで最後まで生きていたら、アンタの願いを一つだけ叶えてやるぜ。もちろん、オレの首を切りたかったらそうすればいいし、オレにサッピアのことを話せというなら何でも話してやる」
 ハダートの顔に浮かぶのは絶対的な自信だ。シャーはそれをみやりながら、やはりそうかと思った。都合が悪くなれば、平気で人に頭を下げられるハダートは、普段はそれほどプライドが高いとは言えない男だ。だが、彼は、自分の言葉と策謀に、ほとんど全ての自信と誇りを捧げている。
 そして、危険を承知で探りをいれてきたり、仕える主人をころころ変えることからわかるように、ハダートには、退屈な時間はたえられないのだ。自信からくる不敵さからか、ハダートはスリルを求める体質になっているのである。
「それで何か不服でも?」
 考え事をしているシャーに、ふとハダートがそう訊いてきた。シャーは、軽く首を振った。
「いいやあ、それでオレはかまわないよ」
 そう答え、シャーは背筋を伸ばしてハダートを見やった。
「やっぱり、そうなんだなあ」
 シャーはにっと笑った。
「さすが、あんた思った通りのヤマ師だねぇ。そうじゃないと、ここまで上りつめてないとは思うけど。……でも、オレも、悪いけどわりかし勝負師なんだよねえ。こういう勝負事になると、ガキじゃないけど燃え上がっちゃう方なのよ」
「へえ、そうなのかい?」
 ハダートは冷たくいった。ああ、と答え、シャーはちらりと相手を見た。
「山師のあんたがどういう生き方をしてきたかってのは、何となく予想がつくよ……。でも、あんたにはそれしかなかったんだろうなあ」
 ハダートは、ハッとしたように薄い青の瞳を見開いた。
 すでに夕闇が迫っていて、赤い空は徐々に暗い青に変わっていた。そのほとんど沈んでいる太陽の残り火が、シャーのほのかに青い目の内に入って奇妙な赤い色が残った。
「だから、アンタのこと、他の連中はとんでもないみたいにいうけどさ、オレは、あんたのそーゆー生き方、嫌いじゃないよ」
 シャーは、そのまま、今度は悪気なくにこりと微笑むと、すたすたと歩き始めた。残されたスーバドは、一瞬どうしたものか迷っていたが、少し慌ててシャーに続く。
 青く暗くなる砂の上を歩いていくシャーとスーバドを眺めながら、ハダートは、ふと思い出したように舌打ちした。すでに向こうに行ってしまった二人を見やり、彼は憎々しげに吐き捨てた。握りしめた拳が、わずかに震えているのが自分でも分かった。
「あ、あのクソガキが……!」
 ハダートは、しばらくその場に突っ立っていた。日が沈んで暗くなる砂漠に立ちながら、彼はシャーとスーバドが視界から消えるまで睨み付けるようにそこに立っていた。複雑な胸の内を抱えながら、ハダートは悪意と策謀の渦巻く頭を働かせていた。
 だから、ハダートは、背後で、一人の人間がシャーとの会話をきいていようとは、思ってもいなかった。
 夜が来る。夜が明ければ、それが意地と命をかけたゲームの開始の合図なのである。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi