シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-7

 
 砂の上に佇んだまま、今日も彼は夕焼けを見ていた。少し風のきつい今日は、彼のマントを砂混じりの風が汚しながら揺らしていく。物静かというよりは、下手をすると存在感自体がないほどの静けさをもつ男は、その割にはかなり背が高くて、遠くからだとよく目立つ。だというのに、近くにいると時折、静かすぎているのかどうかすらわからなくなるのだ。
「やあ、ラダーナ」
 声をかけられ、カルシル=ラダーナは、そちらに静かに目を向けた。想像通りに、相手は、自称をシャーという青年だ。その後ろに、自分の部下のスーバドが少しはなれたところで見ているのは、恐らくカッファに監視を頼まれているのだろう。どうせ、いなくなるときはふらっといなくなるシャーなので、監視などあまり意味はないのであるが。
 青い服を夕日で赤く染めながら、シャーはふらふらと歩いてきた。
「ホント、あんたは飽きないね〜。夕日なんかみて何がおもしろいの?」
 シャーは、そういいながらにっこり笑った。
「明日出発ってホントかい? ほとんど偵察というか、相手の牽制なんでしょ?」
 ラダーナは、静かにだまって頷いた。相変わらず、必要な時以外、いや、必要な時でも喋らない男だ。
「ハビアスのジジイも急だねえ、また……」
 そういわれて、ラダーナは首を振る。目を見ると、どうやら命令書が届く時間の間に状況が変わりかねないから、迅速で動くのは当たり前、といいたいらしい。とはいえ、それは、シャーにはようやくわかるぐらいで、スーバドにはどういう意味なのか分からない。
「ま、それはそうかな?」
 シャーはそう答え、腰に手を当ててにやりとしたが、すぐに表情をただした。
「この前、オレに気をつけるようにいってたね……。将軍の中に王妃とつるんでる奴がいる……」
 それは、と、シャーは、夕日で赤く染まった瞳をラダーナの方にあげた。
「あれは、ハダートのことなんだな?」
 ラダーナは、少し考えてから静かにうなずく。シャーは、それを見て薄く笑った。
「いや、元からそんな気はしてたよ。……というか、うちの将軍共の中で一番抜け目ないだろうしねえ。あのヒト。顔合わせたら想像以上にできる奴でびっくりしたけどね」
 シャーは、うーん、と唸り、少し困ったような顔をした。
「それで、どうするか考えているんだよ。あっちは、多分、いつかオレに何か仕掛けてくるだろうけど、ハダートは相当の切れ者だろ? 多分、自分に疑いが向かないように、オレが自然に死んだように見せかけてくると思うんだ。多分仕掛けられるのを待ってたら、死ななくても、オレは痛い目みそうだし……」
 ラダーナは、シャーの方に顔を向けた。どうやら、この不敵で不審な三白眼青年も、今回ばかりは困って相談しにきたらしいということがわかったのだ。
「切り捨てるなら簡単かもしれないけど、そういう訳にもいかないだろ? それに、オレにはハダートをアンタのいない間に送り込んできた、ジジイの思惑がわかっちゃったんだよね」
 やれやれとため息をついて、シャーは顔を上に向ける。いい案が思い浮かばないらしく、彼の顔はどこか沈んでいた。
「でも、どうすっかなあ〜ってさ。……あの人には正攻法もきかないけど、ごまかしもだめだ。素直に話をもっていったって、きっとはぐらかされるに決まってるし、逆に策を練りすぎても……それを逆手に取られて逆襲されるかもしれない。――あの人オレよりアタマいいでしょ? しかも、自分から出てこないし、オレとしては手の打ちようがさあ……」
 シャーはくるくるの癖のついた髪の毛をいじりながらため息を深くついた。
「……ハダート=サダーシュは………」
 ラダーナはようやく口を開いた。
「ハダート=サダーシュは……ただ力で押さえつけても、絶対に服従はしないはず……。無策に力で解決しようとすれば、恐らく彼の罠にはまる……。だが、待つのは危険……」
 突然そう話し始めたラダーナに、シャーは期待の目を向けた。
「そうなんだ。でも、方法がわからないし、喧嘩の吹っかけようもないし」
 ラダーナは、軽く頷いた。
「……ハダートという男、……彼が殿下に忠誠を誓うかどうかはわからない。だが、あの男を舞台の上に引きずり出す方法はあるはず」
「それは……」
 シャーの目が真剣味をおびて、一瞬輝いたようだった。
「ハダート=サダーシュは、……危険度が高く、遊びめいた駆け引きを好む。……つまり、自分たちの命を賭けた賭博……」
「え、賭事師なの? あの人……」
 ラダーナは瞬きして頷く。
「……あの男が好むのは、危険と隣り合わせの駆け引き。相手の絶対的な自信の隙をつき、相手を出し抜いて勝つことを……。最初から全てを読み通し、それでもって危険の中をすり抜けていく……それは、彼にとっては一種の遊び」
 ラダーナは目を伏せた。
「それは、戦い方を見ていれば、すぐにわかることです」
「なーるほど。一緒に戦ってたアンタがいうなら間違いないね」
 シャーは、背伸びをしながら言った。
「オレも多少そんなトコあるけど、力に自信のある奴は、思わず自分を試したいところあるからね〜。わざと、危険な方向に駒を進めてみて、それで抜け出せるかどうか試してみるとか、そういう遊びが好きだってこと?」
 ラダーナは頷く。
「それをうまくこちらから仕掛けることができれば……、少なくともハダートは、本性を現すかと……」
「なるほど、小粋な遊びを仕掛けろってことね……」
 シャーは、顎を撫でてラダーナを見た。ラダーナは、そっと彼に目を向ける。
「……それ以上の策は、恐らくあなた自身が考えた方がいい。私の策では、あの男を出し抜くことは不可能です」
「なるほど! ああ、でも、何となくわかった!」
 シャーは、手を打ち、途端表情を明るくした。ラダーナの表情は変わらない。ただ、少しだけほっとしたような素振りを見せるのが、ようやく少し分かる程度だ。シャーは、いつもの表情に戻ると、そのまま腕を組みながら歩き出す。
「ありがとう。ラダーナ。……何とかなる気がしてきたよ」
 シャーは、にっこりと笑うと、ラダーナに手を振った。
「健闘を祈ってるよ、ラダーナ!」
 軽く頭を下げ、ラダーナはシャーが、スーバドの方に向かうのを見ていた。その足取りの軽さに、ラダーナは、ひとまず安心していた。



「なるほどね〜。なんで、気づかなかったんだろ? そういわれりゃ〜、あーいう遊び人タイプにはそういうのが多いじゃない」
 ぶつぶついいながら、シャーが戻ってきたので、スーバドは一体シャーがラダーナと何を話していたのかが、妙に気になった。何やら話していることはわかったのだが、ラダーナの声は大きくないし、結局何を話しているのか全然聞き取れなかったのだ。
「シャー……さん! あの……」
 そのまま、彼を無視して進んでいきそうなシャーを、思わずスーバドは呼び止める。無視されるのはあんまりだ。何かぶつくさ言っていたシャーは、その白目の多い目でスーバドの姿を認めると、怪訝そうに言った。
「あらら、アンタ、まだいたの?」
「まだいたのとは、何ですか!」
 意外そうな言われように、むっとしてスーバドはきつい口調でたずねる。シャーは、きょとんとしたまま、続けた。
「いや、明日、ラダーナがたつんだから、一緒に行くんでしょ?」
「何でですか?」
 スーバドは不服そうに口を尖らせる。
「何でですかって……」
 シャーは明らかに鬱陶しそうな顔をした。
「あなたのそばで戦いというものを学ぶよう、ラダーナ将軍に目で命令されましたし、カッファ様も、連絡係にほしいとか」
 本当は、不安も十分あるのだが、これも任務だから。正直、ラダーナについていった方がいいような気がするのだが、頼まれたし、期待されているから。スーバドは、そんなことを思いながら告げた。
「そんなわけで、オレはこちらに残って、あなたのおそばにつくことに決まってしまったのです」
「へー……、オレのそばって、なんとなーく、雑用っぽくない? それ? ……ねえ、カッファにはオレがいっとくし、ラダーナは目で訴えてきただけだし、このままついていっちゃいなよ〜」
 シャーが、妙にしつこくそう言う。わざとらしく気の毒そうな顔をして、シャーは、続けてスーバドを説得にかかった。
「オレの従者もどきやってても、のちのち出世に響くだけだよ? ねえ、悪い事言わないから、君は出世コースに戻ってくださいな……。オレは、君の将来が心配で」
「結局、オレが邪魔なのですか!」
「えー、いやー、オレはやさしーからそんな直接的にはいわないけど……」
「間接的に言われても響くんですけどねえ!」
 元から暗にそういわれていることはわかっているだけに、余計に腹が立つ。これが、王子でなければ、この砂丘の上から蹴り落として砂漠を転がしたいところだが、そういうわけにもいかない。
「もー、仕方ないな〜……」
 シャーは、やれやれと言いたげにため息をついた。正直、ため息をつきたいのはこっちだ、とスーバドは思う。彼のことを考えていても、単に腹が立つだけなので、一度それは考えないことにする。
「それにしても、ハダート将軍が危ないってわかっていて……、ラダーナ将軍を出してしまうなんて……」
「それがジジイの命令だから仕方ないっしょ? アレでも宰相だもん」
 シャーは、横目でそんなことを言う。
「それにしても、そんな危険が伴うことがわかってて、そういう不用意な……。偵察や牽制にするなら、別の部隊を動かしてもいいはずなのに!」
 批判的にスーバドが言ったとき、シャーがふと言った。
「不用意ってほどでもないんじゃないの?」
 えっ、と声をあげると、シャーがこちらの方を見た。
「あの爺さんが無駄なことするわけないじゃない。何か目的があるからこその悪行でしょ? あのハビアスは、ハダートが来ている今、ラダーナにいて欲しくないから移動させたんだよ」
「ええっ?」
 しれっとしたシャーが、とんでもないことをいうので、スーバドは焦った。
「えっ、じゃあ、もしかして、ハビアス様は、わざとハダート将軍を……? まさか、あなたを亡き者にしようと?」
「オレを暗殺ってこと? うーん、それも違うね残念。いいやあ、さすがに極悪な爺さんでも、そこまでは考えてないよ〜」
 シャーは軽く首を振る。
「はあっ? どういう意味ですか?」
 いよいよわからなくなって、スーバドは肩をすくめた。
「……爺さんも素直じゃないねぇ。オレに頭下げるのが嫌なのね、きっと」
 シャーは、独り言のようにのんびりと言った。
「懐柔して欲しいっていうならさあ、そう頼めばいいのに」
 その「懐柔」の意味に気づいたスーバドが、一瞬おくれてえっと声を上げようとしたとき、ふと、人の気配がした。そちらを向いたスーバドは、思わず固まる。
 そこには、今まさに話題にしていた男の一人が立っていたのだ。
「おおや……」
 スーバドに続いて振り返ったシャーが、そうぼんやりと声を上げた。噂をすれば何とやら、とスーバドにだけ聞こえるように呟いて、シャーはわざと笑顔を向けた。
「やあ、……どうしたんだい?」
「いえ、ご挨拶しようと探していたんです。こちらに、殿下が向かったというお話をききまして……。ああ、そうですか」
 わざとらしい愛想笑いを浮かべた男の髪の毛は、夕日に染まっていてジートリューのように赤かった。すらりとして悠然とした貴族的な面もちの男だが、その背後から立ち上るものは、貴族でもなく将軍でもない。どちらかというと、どこか崩れたところのある賭博師の持つ空気に少し似ていた。
「ああ、あなたがシャルル=ダ・フール殿下ですね」
 感激したような素振りを見せながら、ハダートの目は笑っていなかった。
「挨拶がおくれて申し訳ありません。お初にお目にかかります、王子様」
「初めて……って……あの……」
 スーバドが言いかけるが、すぐに思わず黙り込んだ。口調は丁寧だが、ハダートには明かな悪意がある。わざとらしい優美な笑みと異様に丁寧な口調の裏には、どす黒い憎悪が隠れていて、それが奇妙な迫力に変わっていた。
 スーバドはその異様な空気に思わず後ずさるが、シャーは相変わらずだった。
「へえ、オレとあんたと初めてだったっけ? オレ、銀髪のお兄さんとすれ違った気がするんだけどなあ」
「さあ、他人のそら似ではありませんか?」
「ああ、そうかもね。同じ名前で同じ髪の色したよく似たひとかもね」
 シャーはそう答え返して、にっこりと愛想良く笑った。ハダート=サダーシュは、確かに笑い返してきたが、それは妙な違和感の残る笑みだ。将軍というよりは、明らかに策士の顔が透けて見えるような笑みで、スーバドは思わず不気味さを覚える。上辺だけの親愛の情を示しながらも、時折ひきつるハダートの唇の端だけが、彼の本当の表情を全て表現している気がしていた。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi