シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-6

 テントの布を一枚めくった瞬間に、彼の最大の危機は訪れた。閃く白刃が薄暗い屋内から迫ってきたからだ。スーバドは、来るであろう惨劇に、とりあえず彼から顔を背けたが、生憎と惨劇はやってこなかった。
 前を行くシャーは、避ける暇すらなかったのか、思わず迫ってきた刀を両手ではっしと受け止めた。眼前で止まった真剣と、その向こうでぎらついた目で彼を睨む男をみやり、シャーは、へらっと微笑んで見せた。だが、そんな愛想笑いが通じる相手ではない。
「どこをほっつき歩いていた! このボンクラ王子が!」
 カッファの怒鳴り声に首をすくめつつ、シャーは、痺れる手にぴったりとついている冷たい鉄の感触に焦りを感じていた。
「カ、カッファ。今日は罵声が遅いね〜。もしかして、年?」
「時には、口よりも早く手が動くこともあるのです。それはどういう時でしょうかね?」
「あ、あまり答えたくないです〜。ていうか、カッファ、これ真剣でしょ! 死ぬって!」
「……今、あなたは生きていらっしゃいますが?」
 カッファにじっとり睨まれ、シャーの苦笑は凍る。
「や、やだなぁ、カッファ。こういうのって、シンケンシラハドリーとかいう技で、常人はできないのよ? もー、やめてよ。っていうか、オレ、このままだと死んじゃう……」
「ほほう、でも、あなたはそれができるということは、常人から一歩も二歩も横道にそれていらっしゃるようだ」
 カッファの目は妙に本気だ。シャーは肩をすくめて、ひきつった頬で苦笑いした。
「いや、その、遅れたのはさあ、基本的にオレじゃなくスービィーが悪いんだよ。あいつが、オレを捕まえていかないからなのよ? オレ悪くないんだってばさ」
「オレに罪をなすりつける気ですか!」
 責任転嫁に走るシャーに、いきなり話を振られ、スーバドは非難の声をあげた。冗談ではない。自分は嫌々、この変な三白眼にふりまわされているだけなのに。
 しばらく、カッファはシャーを睨んでいたが、剣をひいた。シャーは、剣を必死で挟み込んでいた手を広げて、傷が入ってないらしいのを見てほっとする。カッファも、本気でやったわけではないらしいのだが、それにしても乱暴な男だ。
「まあ、もういいでしょう!」
 やれやれと言いたげに、カッファはため息をつきながら、剣をおさめた。そして、少し眉をひそめながら訊く。
「ハダート=サダーシュにお会いになったとか?」
「うん、偶然顔を合わせちゃったってやつかなあ。ちょいっとね」
 何がちょいっとだ、と言いたげな顔をしつつも、カッファは少しだけ心配そうな顔つきをした。
「いいですか? あの男だけは信用なされぬよう。何を吹き込まれたかわかりませんが、アレを信用してはなりませんぞ」
「あー、大丈夫。口すらきいてもらえてないから」
 それもそれで十分すぎるほど問題があるのだが、ひとまずカッファは安心する。シャーは、怪訝そうな顔、といっても、他人からはけしてそうは見えないのんきそうな顔を、カッファに向けた。
「カッファにしては人を疑うじゃない? 何か悪い噂でも訊いた?」
「世間で言われている以上のことはきいていませんが、……何となく勘が……」
 カッファは唸った。
「何となく、ではあるのですが、あの男は怪しい気がします。とはいえ、証拠も何もないし、これ以上追求できそうにはないのですが」
「ふむふむ。ま〜尻尾を出すほど、間抜けな人じゃないしね」
「ですが、実は心配なことが」
 明らかにのんきそうなシャーは、警戒しているのかどうなのかわからない。カッファは、いかにも不安そうに目を向けた。
「ハビアス様からの命令で、ラダーナが一旦こちらを離れることになりました。後に合流いたしますが、その間……」
「つまり、その間はハダートがつとめるってこと?」
「そういうことです」
 カッファは、顎に手をあて、眉をひそめた。
「問題は、それです。……ラダーナがいれば、ハダートは警戒するでしょうが……」
「なるほどね……。もし、ハダートが、どこかのお人と手を組んでたら、とか、考えてる?」
 いつの間にやら、すっかりくつろいで座っているシャーは、下からじっとのぞきこむようにして訊いた。
「あれ? もしかして、見当がついているんですか?」
 きょとんとして訊いたのは、今まで黙っていたスーバドである。政権の争いには詳しくないが、好奇心はあるらしい。シャーは、にんまりと笑った。
「そうね〜〜。聞きたい?」
「ええと、できれば……」
 そうねえ、じゃあ、とシャーは横目でスーバドを一瞥してから、手を頭の後ろにあてた。「オレの予想としては、サッピアのおばちゃんかなあ? ……あのヒト、外見のいい人が好きだから、捨て駒でも二枚目使うんだよね〜」
「え? サ、サッピア様というと、あのセジェシス陛下の……」
「そう、オレの義理のお母様よ?」
 驚き声をあげるスーバドに、慌ててカッファがシャーを睨む。
「殿下!」
「だいじょうぶだよ〜。まさか、壁に耳つけてるような馬鹿な子はいないってば。それに、おおよその話はきけてないんじゃあない? そんな遠くからじゃよくきこえないよ? もっと近くに来たらぁ?」
 ちらっと外の方をのぞきやりながら、シャーは、いきなり声を高めてにやりとした。途端、タッと人が走る様子が見えたが、それは恐らくハダートではない。影の様子をみればすぐにわかる。慌ててカッファが、兵士に後を追わせたが、シャーに焦った様子はない。
「ま、いたとしても――あの程度じゃ、ネズミにもなれないね。いやはや、母上様の面食いにはこまったね」
「全く、油断ならん! 殿下、後を追わせましたが……」
 カッファが、イライラしながら戻ってくるのをみやりながら、シャーはのんびりと言った。
「……そんな荒っぽい真似しないでいいよ。どうせ、叩いたのは陰口程度なんだから〜」
「しかし……」
 カッファが言い募ろうとしたのを、シャーは片目をつむって引き留める。それをみて、カッファもつりあがった眉をおろした。確かに、シャーの言うとおりだろう。サッピア王妃とのこういう関係はいつものことなのだ。
「し、しかし……」
 微妙な空気に気を遣って、スーバドはそっと小声で話を切り出す。
「しかし、ではどうやって身を守りますか?」
 その質問に、カッファは首を傾ける。
「うむ、それが一番の問題だ。我々が守ると言っても、限度があるからな……。幸い、ハダートはそれほど武芸に秀でた男ではないので、大丈夫だとは……」
「それはどうかな」
 シャーの声が一瞬だけ真剣味を帯びた。ハッとカッファが、目を向けるが、その時にはすでにシャーはいつもの明るさを取り戻していた。
「ま、……相手が尻尾を出すのを待たないと、なんにもできないじゃない? しばらく静観でもしとかない?」
「な、何をのんきな……。殿下!」
「わーってますって。まあまあ、そう怒らないで」
「怒っているのではありません! 私は心配を……!」
 うめきながら、カッファはシャーを見やる。シャーはいつもどおりへらへらするばかりだ。だが、この彼の若い主君は、明らかに何かを感じ取っているらしい。すっとぼけたのにも何かしら理由はあるのかもしれないが、先程の様子を思い出すと、カッファはますますこれから先が心配になった。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi