シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-4

「エルテア!」
 ふいに鋭い声が飛び、青年はすっとそちらに目をやって「おや」と、のんきに声を上げる。ハダートは、そちらをむき、慌ててかけてくるすっきりとした顔立ちの三十前後の男を見た。そのラギーハの紋章をみるでもなく、その男のことは昨夜会ったので知っている。ラギーハから派遣されてきたという将軍のエルギス=ステナー=ハス将軍だ。
 だが、ふとハダートは、何か違和感を感じた。今見ると、このエルギスという男と、目の前にいるエルテアという女は、どこか似通った印象があったのだ。そして、ハダートの予感は当たっていた。
「兄上……」
 女戦士が声をあげる。エルギス=ハス将軍は、そばまでかけてくると慌ててエルテアとハダートの間に入り、頭を下げた。
「ハダート殿、失礼した。この女は、エルテアと申しまして、私の妹にあたります」
「い、……妹御でございますか?」
 ハダートは、愛想笑いをうかべようとはしたのだが、それは思わず引きつってしまった。だが、エルギスはハダートの顔のひきつりなどには気を止めず、やれやれとばかりに妹を見やる。
「まったく申し訳ない。このエルテアは、少々口がすぎるところがあり、ハダート殿にはよほど失礼なことを……」
「兄上! わたしは……」
 エルテア=ハスは、美しい眉を少しだけつりあげる。
「エルテア、黙りなさい」
「いいえ、黙りません。わたしは、何の考えもなく発言することはありません。それなりに理由が……」
「エルテア! 失礼だぞ!」
 強情な妹の暴走に、エルギスはやや困ったような顔をする。後ろでハダートはまだ不機嫌にエルテアを睨んでいるし、先程の様子から見ても、かなりとんでもないことをいったに違いない。
「あっ、あのぉ〜……ちょおっとよろしいでしょうかあ〜……」
 ふと、へろへろした声が聞こえ、エルギスはそちらを覗きやる。そして、あっと声を上げた。のぞくと、いつのまにかエルテアの手からのがれて、地面に座り込んでいる青年が、しろめの多い瞳を彼にしては最大限遠慮気味にあげている。 
「ま、まあまあ、このぐらいで。ね、あとはオレの顔に免じてくださいな」
「で、殿下!」
「殿下?」
 エルギスが驚いて声をあげ、エルテアはそれを反芻して、ようやくその意味に気づいてあっけにとられる。
「で、殿下、……ってあなたが?」
 もちろん、その言葉に驚いたのはエルテアだけではない。今まで不機嫌そうに黙り込んでいたハダートも、またどきりとして顔をそちらにむけていた。
(殿下だと……)
 ハダートは、青年のへらへらした顔をもう一度見直して、表情には出さずに愕然としていた。信じられないこと続きのところに、トドメの一撃をくわえられたような気分だ。まさか、サッピアがおそれ、ハビアスが「くせ者」と評したシャルル王子が、こんな男だと思わなかった。ジートリューが、馬鹿のナンパ者だとは言っていたが、それでも、まだハダートは、その裏には何かあるだろうと思っていたのだが、まさかここまでわかりやすい馬鹿だとは思わなかった。
(コイツが、……殿下なのかよ)
 よりにもよって、女の教練を覗いて幸せに浸っているようなどうでもいい男が、標的の王子だ。そう考えると、ハダート=サダーシュは、急に腹立たしくなってきた。『お前の力では、こんな馬鹿一人殺すことができないのだよ』と、ハビアスが嘲笑ったような気がした。いいや、きっとあの時、彼が言った意味の内には、そういう皮肉があったにちがいない。
 そう思うと、ハダートは、この足下でへらへら笑っている三白眼男を蹴り倒したくなるような衝動に駆られた。
「一体、なぜこのような所に?」
 エルギスが非礼を詫びつつ訊くと、シャルル王子であるところのその青年は、苦笑いを浮かべた。さすがに、女性兵士を眺めてでれでれしていたとは言えない。
「い、いや〜、その〜、ま、あれこれ事情がありまして」
「兄上、……こ、こちらの方が、それでは……」
 エルテアが、まだ目を丸くしたまま兄にきくと、エルギスは改めてエルテアに向けて青年を紹介した。
「エルテア、こちらがザファルバーンの、シャルル=ダ・フール王子だ。すぐに礼を……」「エルギス将軍、あの、その、今は〜おシノビなわけで、そういうことされると、一番オレが困っちゃうわけですよ。なんで、そういうのは?」
 一応、エルギスには自分がシャルルであること自体は告げていて、それを秘密にするように頼んではいるのだが。シャルル=ダ・フール、つまり、シャーは、苦笑した。しかし、そんな心配をすることもないような気もする。なにせ、この二人は自分を見ても、王族だと絶対に思わなかったようだし、気づかれる方が異常な事態といえるのだから。
「まぁ、そう、もめないで。今はオレの顔に免じておさめてくださいな。あっ、エルテアさん、改めてはじめまして〜」
「は、はじめましてって……」
 面食らった様子のエルテアは、呆れと驚きの入り交じった目でシャーを見ている。この様子では、「おきれいですね〜」などと世辞を言ったら、とんでもないことになりそうだ。普通なら軽蔑の眼差しを向けられるぐらいだが、このエルテアなら、本気で蹴り飛ばされかねない。軽蔑の眼差しは心に刺さるだけだが、蹴られると本当に痛いので、シャーは口をつぐんだ。
 と、ふとふらりとハダートが動いた。が、エルテアとエルギスは、シャーに気を取られて気づかない。シャーだけが、ひっそりとエルテアを見る振りをしてハダートを見ていた。その視線に、ハダートはすぐに気づく。
 振り返りざまのハダートの視線は、妙にとげとげしかった。もちろん、それは主君を見る目でもなければ、主君の子息を見る目でもなく、自分の上司である司令官を見る目でもない。先程までの「どうしようもない兵士」を見る目でも、ソレはなくなっていた。シャーは、機嫌をうかがうような愛想笑いを浮かべた。
 と、その時、ほとんど無表情だったハダートが、ふと表情を変えた。唇を歪め、ハダートは、明らかににやりと嘲笑うような笑みを浮かべた。シャーは笑みをひそやかに返したが、それに対するハダートの反応はない。ただ、シャーの目とは別の質の青い冷たい瞳で彼の方を一度みただけだ。だが、その視線はひどく冷たいものである。
 シャーは目を反らさなかったが、そのハダート=サダーシュの視線には、敵意と背の凍るような憎悪のようなものが、隠しようもなくこもっていた。しばらく、その目を投げた後、ハダートはきっと顔を前に向けてそのまま歩いていってしまった。
 彼の姿が小さくなっていった頃、ふと、兄と話をしていたエルテアが異変に気づいた。そして、思わず声をあげる。
「あっ! あの蝙蝠男! 逃げたか!」
「エルテア、失礼だぞ」
 声をあげる妹をなだめつつ、エルギスはため息をついた。
「そもそも、機嫌を悪くされたのはお前のせいだろう。それにだな……」
 エルギスは、わずかに声を潜めた。
「例え、そう思っていても、本人の前でそういう奴がいるか?」
「もう、兄上はそんなことだから、いけないんです。ああいう男にはバシッと言ってやるのが一番いいんですよ!」
「とはいえ、エルテア、お前のいう噂とは、仕えていた国が滅びてすぐにザファルバーンに仕えたことだろう? ……国が滅びてしまえば、行き場をなくしたものはそうするしか仕方がないのだから……」
「いいえ」
 エルテアは、不機嫌に少し頬をふくらせていた。
「あの男は、それだけじゃありません。アレは絶対何かしています」
「何かって……」
 エルギスはかたくなな妹に、継ぐ言葉が見つからずに唸った。と、そんな兄から目を外して、エルテアは、ふと待たせている自分の部下達をみる。剣の素振りをしておくように言われていたのだが、すっかりやめている彼女達はこちらを気にしていた。だが、おそらく話している内容までは聞こえていないのだろう。好奇心に満ちた目でこちらを見ている。
「何しているの! 続けてっていっていたでしょう!」
 エルテアがそう厳しくしかりつけると、慌てて彼女達は剣の素振りを始めた。エルテアは、きりりと顔をあげると、兄に背を向けた。
「そろそろ、戻るわ。あと、シャルル様……」
「殿下でいいよ」
 注意を向けられ、シャーは相変わらずの間延びする声で答えた。エルテアは、やれやれと言いたげな顔をしたが、すぐににこりとする。とはいえ、目は笑っていない。
「では、殿下。先程の非礼は詫びますけど、……どうぞ、これからは覗きなどしないでくださいね。あなたなら、きちんとおっしゃってくだされば、それなりに場所をご用意します」
「あははは、でも、まあ、……そうお気になさらず。オレ様、ふらふら出歩くのが好きなので、それで巡回してるだけですから〜」
 あらそうですか。と、エルテアは明らかに冷たく言うと、さっと身を翻した。エルギスが、後ろで頭を抱えているが、妹は、兄に目を留めることもなく、つかつかと去っていった。
「申し訳ない、殿下。……まったく失礼なことを……」
「ああ、いいからいいから。オレは気にしてませんので〜」
 ため息混じりに謝るエルギスだが、ここにいる間にシャーの性格を掴んだらしく、それほど丁寧には話さない。真面目だが、それなりに融通はきくらしく、シャーもそうは疲れない相手だ。
 ふと、エルギスが、思い出したようにシャーの方を見やった。  
「おや、ハダート殿とは初めてお会いになられたのでは」
「うん、まあ、そうだけど」
 エルギスは、眉をひそめた。どうやら、エルギスは、ハダートがシャーに挨拶の一つもしないで行ってしまったことを気にしているようだ。
「では、ハダート殿は、やはり、エルテアのせいで機嫌が……。それで、結果的に殿下にはご迷惑を……」
 また謝ろうとする様子のエルギスに、シャーは笑って首を振る。
「あはは、仮にそうだとしても、でも、エルギスさんが気にする事じゃないよ。オレがあのヒトの機嫌をそこねちゃったのかもしれないし」
「そ、そうですか……。申し訳ない」
 エルギスはそう答え、もう向こうで指揮をとっているエルテアを見やりながら言った。
「あれも、悪いやつではないのですが、口と態度が少々。……元々、我が家では母が早くになくなり、兄弟といえば私を含めて男ばかり。それで、あれもこんなことになってしまいまして」
「へえっ、そうなんだ。でも、多少、元気のある方がいいよ。まあ、もうちょい大人しくしてもらえるといいけどってのはあっても」
 シャーはそういって苦笑いした。シャーはシャーで、自分の妹のようなあのカッファの娘を思いだす。そろそろ、十歳ぐらいになるのだが、たまに会うだけでも随分活発になってきていて、少々心配なぐらいだ。だから、何となくシャーはエルギスの気持ちがわかるような気がした。
「ともあれ、あれがまた何か無礼なことをしでかしましたら、どうぞおっしゃってください。今度は私がきつく……」
「ああ、いいよいいよ。オレはそういうの苦手だし。それに、オレも悪かったんだしね」
 シャーがそういうと、エルギス=ハスは、そうですか、と答えた。冷静で穏やかな男だが、さすがのエルギスもはねっかえりの妹には手を焼いているらしい。ため息混じりに、挨拶すると、エルギスは、仕事に戻ります、と、シャーに伝えてそこを後にした。
 急に一人になって、砂の上に腰を下ろして、膝の上に頭をのせつつ、シャーはため息をつく。
「困ったなあ。あーゆータイプ、使いにくいのよね。変なとこだけにプライドが高いから、いきなり逆鱗にふれちゃいそうだし〜」
 ぶつぶつと独り言を言うシャーは、眉をひそめる。もちろん、考える相手は、先程、彼に凍るような目線を投げつけていった人間のことだ。チェッと、シャーは舌打ちした。
「あのクソジジイ、……自分でどうにもできねえもんだから、オレにおしつけやがった!」
 あのハビアスの思惑はとっくに見当がついている。だからこそ、シャーにとっては厳しい関門なのだ。
「あの、……シャー……さん」
 ひょいと声が聞こえ、シャーはそちらに目だけを面倒そうに走らせる。案の定、そちらには、自分と同じ年ぐらいの若くて、何となく頼りなげな青年が立っていた。今回の戦いが初めての実戦だというラダーナの部下のスーバドだ。
「カッファ様がお呼びですが……」
 「殿下と呼ぶな、後、様づけ禁止ね、オレの正体ばれたら、あんたのあだ名をとんでもないもんにしてやるから!」とシャーがあんまりうるさいので、近頃、スーバドは、彼のことを殿下と呼ばない。いや、本音を言うと、呼べるものなら腐れ三白眼とか呼びたいものだが、そうもいかないから我慢しているだけではある。当然、呼びつけも危なさそうなので、一応、怒られないように保険に「さん付け」にしてあるが、本当のところを言うと、呼びつけで十分だとも思う。
「あ〜れ? 君、まだいたの?」
 シャーは振り返って、スーバドの顔を見るなりそんなことをいった。
「まだいたの……じゃないですよ」
 スーバドはあからさまに顔をゆがめる。相変わらず、何故か声を聞いただけで神経を逆さまに引っ張られている感覚がするのは何故だろうか。
「カッファがよんでんの? うーん、どうしようかなあ、オレ、今考え中なんだよなあ。ちょっぴり、一人で考え込みたい気分」
「何を?」
「いや、さっき、その辺歩いていった髪の毛が銀色のにーちゃんのこと」
「あれ? ハダート将軍に会ったんですか?」
 さすがに、銀髪の人間はここにはそういない。すぐにあのハダートのことだとしって、スーバドは、こういうだらっとした普段のままのシャーに会ったら、さぞかし幻滅するだろうなあ、などとぼんやりと思う。
「うーん、まあねえ」
「色々忠誠心がないとか、そういう悪い評判もありますが、見た目は、まあ、貴族的な優しい感じの人ですよね」
 スーバドは、昨日会った男を思い出す。将軍というには少々優しすぎる容貌ではあるのだが、言われているほど悪い印象はなかった気がする。と、それをきいていたシャーが、あからさまにため息をついた。
「スービィくん。君は大いに間違っている」
「は?」
 シャーに急にえらそうに言われ、スーバドはひくっと顔をゆがめた。シャーは、それに気づいているのかいないのか、目をこちらに半分向けてにんまりとしている。いや、恐らく気づいているに違いない。だが、仮にも上司は上司。例え、後ろから棒持って殴りたくても、相手には権威という厄介なものがあるのだ。シャーもそれをわかっているから、にやにやしているわけで、案外意地の悪い奴である。
 と、シャーは、出世の道と本能の囁きとを盛大に戦わせているスーバドから、目を外し、ふとこう呟く。
「あのヒト、優しくないし、貴族でもないよ。多分、逆だね」
 スーバドは、驚いた顔をしてシャーの顔を見た。
「え? いえ、しかし……確か、以前はニルフ領のどこかの貴族の……」
「たぶん、ホントのとこは、養子でしょ? そうなるまで、アレは結構悪い事して生きてたね〜。そういう感じ。だから、逆に貴族とか、そういうの全般を馬鹿にしてるよ。いいや、憎んでるっていってもいいかもしんない」
「憎んでるって……」
「つまり、アノヒト、オレも嫌いなんだろうねえ。さっき、オレの正体知ったとき、殺しそうな目で睨んでたんだよなあ。いや〜、オレ、それなりに恨まれやすいんだけどさあ、ああいう目を向けられたのは久しぶりだわ」
 さらりとシャーがいうので、スーバドは、その意味を一瞬取りかねる。とんでもないことをいっているのを知って、顔色を変えるスーバドを無視して、シャーはぽつりと呟いた。
「アレが、ハダートちゃんねえ……」
 輝く太陽に目を半分向けるようにして、シャーは首を傾げた。影では黒く見える瞳が、光を浴びて青い色を際だたせている。
「そう、アレはね〜、思ったよりも、かなり、ややこしい〜男だよ」
 シャーは、ひっそりと不穏な笑みを浮かべた。



 砂の上には、かなりくっきりとした足跡がついていた。それも、その内風にふかれて埋まっていくのだろうが、それは普段のハダートの足跡よりも少し深い。熱い砂の上を歩き、砂丘の上まできて、ハダートは遠くをみやりながら、口許に微笑をうかべた。それは、随分と歪んでいて、いつもは上品に取り繕っている彼の顔に、はっきりと本来の彼を浮かび上がらせている。
「あの畜生が!」
 ハダートは、足下の砂を蹴り上げた。砂漠のきつい陽光を浴びて、それはわずかに光りながら砂丘の下へと落ちていく。それを見やりながら、ハダートは先程の事を思い出していた。
 あの時、シャルル=ダ・フールは、彼のことを見ていた。髪の影に隠れれば、あの瞳は黒いままの筈が、何故かその時に妙に青ざめて見えていた。わずかな青みを帯びた目は、まっすぐに彼のことを見ていた。臆病者を装っていた癖に、あの時だけ、彼の目は本来の彼を覗かせているようだった。どこか、魔性のようなものを感じさせる、嫌な目だ。
「あのハビアスのジジイが、恐がるわけがちょっとだけわかったかもしれねえなあ」
 ハダートはぽつりと呟いた。
「気にくわねえ目だ……」
 あれは、全てを見通している。おそらく、ハダートがどういう目的でここに来たのかを、アレは感づいているだろう。
(シャルル=ダ・フール……か……)
 その時、ハダートは、何故かハビアスの挑発も、サッピアの依頼もその時忘れていた。ただ、それを抜きにしても、あのシャルルを忌々しいと思った。熱く黄色い砂を見ながら、ハダートは敵意のこもった声でつぶやいた。
「……見てろよ。そんな笑みも浮かべられないようにしてやるぜ」
 ハダートは、どこか涼しいところにでもいこうと再び歩き出す。なにせ、熱いところでは、まとまる考えもまとまらないと言うものだ。涼しいところで、よく作戦を練らなければならない。確固とした証拠が残らずして、あのふざけた王子を消す方法、それは、いくら彼でもよほど、慎重に練らなければならない策になるだろうから。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi