シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

2.ハダート-2

(ちっ、あの狐にも参ったねえ)
 ハダートは、ぼんやりとそう思いながらため息をついていた。狐というのは、ハビアスのことではなく、彼が今さっき会ってきた女のことである。
 麗しきザファルバーンのセジェシスの妃、サッピア。だが、ハダートにとっては、ちょっと厄介でヒステリカルで、しかも野心に満ちた扱いにくい女でもあるのだった。
 サッピア王妃は、セジェシスの妃の一人である。ザファルバーンの西の地方の姫だった彼女は、政略結婚同然に嫁に来ており、セジェシスとの間にリルカーンという息子がいる。
 厳密に、セジェシスの妃には、序列はない。それは、セジェシスの胸にサーラという名前の彼の一番最初の寵姫がいるからだという噂もあるが定かでない。だから、今のところ序列がないので明確な王位継承の順位は決まっていなかった。
 一応、ちまたではラハッド王子が後を継ぐのでないかと言われている。だが、ラハッドの母は大人しい女性で、ラハッド本人も大人しいので、サッピアが少し駆けずり回れば、どうにかなる可能性はあった。
 だから、サッピアが一番恐れているのは、噂のラハッド王子ではない。彼女が一番厄介がっているのは、後ろ盾がないはずの出生の怪しいシャルル=ダ・フールの方だった。もっとも、出生が怪しいといわれながらも、シャルルはあのサーラの息子だという事になっているので、それだけでも厄介といえる。
(どうしたもんかねえ)
  ハダートはため息混じりに言った。帰途につく足、といっても、馬に乗っている訳なのだが、その足が妙に重いのは、先程サッピアにきつく命令されたからである。ハダートが東方への援軍を承知したことは、すでにサッピアの耳に入っていて、ハビアスに呼ばれた数日後には、すでに直々にお呼び出しをくらったのである。
 地獄耳女、と、ハビアスは、口の中でだけ吐き捨てた。
「チッ、弱ったなあ」
 馬の上でハダートは困惑気味に呟いた。
(あの王子を殺す分には別に気が咎めないんだが)
 そう、気が咎めるのは、というより、気乗りしないのは、このままサッピアの味方をするということである。
 流れる黒髪に薄衣のベールを被ったサッピアは、吊り目で切れ長の目をした気の強そうな美人だ。もちろん、本来、王の奥方に一臣下が直接会うのは、世間的にはあまりよくないことなのだが、セジェシスがあまり気に留めないことや、サッピアの権力が案外強いこともあり、暗黙の了解で認められているところがあった。
『ほう、それはよい機会ではないか』
 どこか高慢な印象のある口調で、サッピアは開口一番そういった。大体、そういう反応だろうと思っていたハダートは、別に驚く節もない。続けて、美しくも冷たい視線を這わせ、サッピアは言った。
『あの三白眼は好かぬ。あの男の目をみるだに寒気が走る』
 そういってサッピアは、身震いするようにしてキッと赤い唇を噛みしめる。ハダートは、さすがにサッピアがどうしてシャルルをそこまで嫌うのかは知らない。大方、やりすぎたせいで
『この機会に乗じて殺してしまえばよい』
『はい。……もちろん、機会があれば……』
 そう言いかけたハビアスの口を遮り、サッピアはぴしゃりといった。
『いいや、殺して参れ。……何かあれば、わたしがたすけて進ぜよう』
『あ、いえ、しかし……お言葉ですが……』
 ハダートは、反射的に首を振ったが、サッピアは許さない。
『それに、わたしのかわいらしいリルカーンにとっても、あやつはよくない存在。そなたの朗報を待っておるぞ』
 反論を許さずにそれだけ言ってサッピアは、ハダートを追いだしてきた。最後に、お任せ下さい、と、一応言っては見たものの、ハダートとしては不満もたまろうものである。
(あの女狐!)
 立場をごまかすのもあってサッピアに近づいてはみたが、結局、ハダートは、何となくこのサッピアという女が好きにはなれないのだった。息子を王にしたいがための母親の愛なのか、それともただの権力欲か、母親というモノを見たことがないハダートには、所詮判断の付きかねることだ。それに、サッピアは、何となく危険だ。用済みになると、証拠隠滅を兼ねて消されそうな気配が漂っている。
「チッ、どうも逆風だな。……この国もそろそろ見限り時か?」
 ハダートはとんでもないことを口にしながら、ふらふらと馬を走らせていた。と、ふと、後ろから大声で自分の名前を呼ぶ者がいるのに気づいた。サッピアとの会談は、一応密談であるので、一体誰がそんな無茶苦茶なことをするのだろう。ハダートはうんざりしながら振り返った。
 そして、その無神経な男の顔をみやって、ああ、と無気力に言った。
「なんだ、お前か、ジェアバード」
 馬に乗っていた相手は、遠くからでも赤い髪の毛が異様によく目立った。走ってきた
「その言い方はなんだ?」
 ムッとした様子の男は、いかにも武人風の顔つきをしかめる。燃えるような赤い髪が特徴の男で、彼の一族の人間は大方そういった赤い髪をしているという話だ。ハダートほど背は高くないが、がっしりとしているし、一目見て彼が一定の権威のある武官だということがわかる。
 ジェアバード=ジートリューという名のこの男は、ザファルバーン一ともいわれる軍事力を有する、いわば軍閥の当主であって、そして七部将の一人でもある。ジートリュー一族は、そもそもはカリシャ朝ザファルバーンに仕えた地方豪族で、建国以前に強大な軍事力をすでに持っていたらしい。
 ジェアバードは、その名家の長男として生まれた、いわば生まれながらの当主のような男で、立ち回りでここまで成り上がってきたハダートとは、まるで違う人間だった。本来、名家の人間を「お坊ちゃん」と心で軽蔑しているハダートだが、このジェアバードにはそれほどの嫌悪を抱いてはいない。
 根っからの武人気質の彼は、名門の出とはいえあまり気取ることはない。単純で武骨でいわゆる貴族的な印象とは遠い男だったので、ハダートも過剰反応することはなかったのだろう。
 ハダートとジェアバード=ジートリューが、雑談をかわすようになったのは、そう古いことではない。ジートリューが、他国からの投降者であるハダートが他の将軍と軋轢を生んでいるのに気づいて、何かと彼らの間に入って不器用ながら仲裁したことにある。そうでなければ、ハダートはジートリューと義務的な話以外かわさなかっただろう。
 そういうジートリューの気遣いもあってか、ハダートは、彼には割合に本性をのぞかせて、いつもの丁寧な口調を捨て去っていた。
「なんだ、今、どこにいっていた?」
 ジートリューは、そう訊いたが、別にハダートが答えることを前提にはしていないらしく、その質問の仕方は非常に軽いものだった。ハダートが答えない様子なのを見て、ジートリューは軽く肩をすくめた。
「なにやら、貴様の怪しい噂をきいている。……あまり火遊びはせんほうがよいのではないのか?」
 忠告のつもりなのか、眉をひそめていうジートリューをみて、ハダートはにんまりと笑う。
「まあ、今のところは大丈夫だろう」
「貴様はいつもそうだな。いい加減に身を固めてはどうだ? 花街で遊ぶのも結構だが、余計悪い噂がたつのが目に見えているのだぞ」
 一瞬、サッピア派とのつきあいが噂になっているのかと思ったハダートだが、どうやらジートリューはその心配と言うよりは、やや遊び人風のハダートの風聞を心配しているようである。少し安心すると同時に、ハダートは何となく不機嫌になった。
「オレはそんな軽率な男じゃないぞ。別に好きこのんで遊んでいる訳じゃあない」
「じゃあ、なんだ?」
 ジートリューは、むっとして聞き返す。ハダートは、整った顔をにやりとさせた。
「オレが口説いているわけじゃない。向こうがよってくるのが悪いんだ」
 なまじっか顔がいいだけに、余計にとんでもない意味になっている言葉だが、ハダートの本性を知っていると、何となく滑稽な感じもする。ジートリューは、何を馬鹿なことを、と言いたげに肩をすくめた。それを気持ちよさげにみやりながらハダートは、にんまりとした。
「あんたみたいに、身を固めるのはオレの主義にあわねえからな。この国で身を固めてしまったら、自由がきかなくなるだろ?」
「まだそのような事を言っているのか」
「そんなツラするな。お前の説教は、意味がわからん上に長いからききたくない」
「ふん、貴様のような奴にする説教などないわ」
 ジートリューは、これ以上ハダートと口で勝負しても駄目なことに気づいたのか、そういって話を打ち切った。そして、ちらりとうつむき加減にぼそりと訊く。
「シャルル=ダ・フールの遠征部隊にいくそうだな?」
「ああ、そうだ」
「実は私もその内にあちらにいくことになっているのだ」
 そういいながら、ジートリューはあまり嬉しそうな顔をしない。感情がもろに顔にでるジートリューのことだから、なにか気にくわない事があるに違いない。だが、わかっている癖にハダートは、わざとらしくジートリューに訊いた。歪む唇に含まれた意味にジートリューが気づくことはない。
「浮かねえ顔だな、ジェアバード」
「む?」
「どうした? なにか気にくわないことでもあるのか?」
 次にジートリューが、怒り出すことを予測して、ハダートはわざと素っ気なく言った。
「ああ! 大ありだ!」
 予想通りにジートリューは、鼻息を荒くしていった。
「へえ、またなんでだ? ……遠征先にいやなものでもあるのか?」
「しらんのか? あの三白眼のことを!」
 三白眼が誰をさすかをハダートは正確には知らないが、おそらくサッピアの話と引き合わせてみるとシャルル=ダ・フールのことをいっているのだろう。
「生憎と、オレは当人に会ったことがない」
「そうか! なら、会えばわかるだろうな!」
 ふん、と鼻をならすジートリューを眺めながら、ハダートはふうむと唸る。
「そんなにシャルル王子に頭を下げるのが嫌なのか?」
「あんな軟弱者に敬称などつけるな! きいただけで虫ずが走る!」
 ジートリューは、なにやらすごい剣幕でそういい、それからまだ気持ちが収まらないのか言葉を続けた。
「あんな軟弱者に頭を下げろだと! ふざけるな!」
 ジートリューは声を荒げる。
「ハビアス殿が買っているという噂をきくが、あんな軟弱なものの命令をきくなどできん! あんな素人で軟弱な男を、軍の頂点に戴かせている事自体、私には認められん!」
「へえ。随分お熱いことで」
 いいながら、ハダートはどこか冷たい笑みを浮かべた。
「そうか、お前もアレは嫌いなのか」
「ああ、そうだ!」
 ジートリューは、むっとした口調でそう吐き出した。
「あんな小僧が、セジェシス様の息子な筈がない。間違いだ!」
「ふーん、……そう」
 ハダートは、ややため息をついて、話を変えた。
「まあ、いい。じゃあ、その王子とやらを見物するとするか」
 そういってハダートは、手綱を引き、馬の向きを変えた。
「それじゃあな、数日したらここを発つが、運が良ければまた会おうぜ」
「ああ、気をつけろ! 武勲を祈るぞ!」
 ジートリューは、思い出したように明るい顔になって手を振る。相変わらず、気が短いが人のいい男である。裏表のない彼のその表情には嘘がない。きっと、ジートリューは、本当にハダートの武勲を祈ってくれているに違いない。
「……オレの真の武勲とやらはそっちじゃねえんだがな」
 手をふりかえし、道を曲がって自分の屋敷への道を進みながら、ハダートはぼそりといった。この距離なら、後ろにいるジートリューにはもう聞こえているはずもない。 
「だが、あんたも嫌いなのなら、そいつぁよかった。じゃあ、ついでに祈っておいてくれよ」
 さすがのハダートも、この城内で唯一自分を対等に扱ってくれるジートリューに敵対するのは気が引けていた。だから、一応ジートリューが、シャルルに対してどういう感情を抱いているのか、知っておきたかったのだ。だが、彼があれほど嫌っている以上、ハダートは別に何に遠慮する必要もない。
「その邪魔で軟弱な腐れ王子を血祭りにあげられるように!」
 昔から、王族も貴族も、吐き気がするほど嫌いだった。恵まれなかった少年時代、彼らに踏みしかれてきたハダートは、権威と権威を持つものに無意識に憎しみを抱くようになってきた。未だに時折現れるその衝動を、ハダートは静かにではあるが、もてあましているところがある。
 主君を変えたのは、時勢の流れにのっただけだ。と、本人も他人も思ってはいる。だが、本当にそれだけだろうか。主君を裏切ったときに、生き残った自分と滅びた彼らとの差に優越感を覚えて、それに浸った事を否定することはできない。
(あの女に協力するためだけじゃない。ただ、オレを苔にしたあのジジイの挑戦を受けてやるだけだ)
 積極的に動く理由をつけながら、しかし、ハダート自身も、どこかでわかっているのかもしれない。
 サッピアに味方しきれない理由も、ハビアスの挑発にこれほど憤る理由も、シャルルをたたきつぶしたい理由もただ一つ。ただ、権力のある人間に対し、ハダート自身理由がわからないほどの得体の知れない憎悪を抱いているからだ。
 そして、それは、権勢に踏みしかれてきたハダートの、静かで間接的な復讐であるということも。


 
 机の上で書きものをしていたハビアスは、ふいにその手を止めた。何かに気づいたように窓の方をみやり、ため息をつく。
「恐ろしいモノだな」
「は? どうなさいましたか?」
 秘書官の一人がそれを聞きとがめて、首を傾げた。
「いや、な……ハダートのことだ」
「ああ、ハダート様。そろそろ、出立されると訊いておりますが」
 秘書官は、ますます怪訝に思う。怖いものなどないように見えるハビアスが、よりによってあの若造のハダートに恐ろしいと思うはずがない。確かに彼は頭は切れるものの、大体まだ若いし、その行動を逐一知らせているのは自分達なのだ。
「そんな顔をするものではない。いや、あの男はお前達が思うよりも難しい男だよ」
 ハビアスは、苦笑しながらそういい、ふと表情を引き締めた。
「恨みと執念というモノは、よほど恐ろしいモノだ。個人に向けられるものはもちろんそうだが、個人相手を対象としない恨みは余計に、な」
 ハビアスは、ふと珍しく殊勝な態度で呟いた。
「あの男は正直できるなら敵に回したくない」
 今はまだ若造だからいい。だが、ハダートは、きっと今以上に冷静になるだろう。そうなると、ハビアスの考えなど簡単に読むようになるだろう。そうすれば、絶対に恐るべき敵となるのは目に見えている。
「……だから、アレに預けることにしたのだ。…わかるか?」
 ハビアスは、驚いて声もない秘書官にふと目をやって、苦い笑いを浮かべた。
「あの小僧、認めたくないが、人の心に入り込むことに関しては天才的……。だからこそ、あれにかけるしかない。……もし、それで駄目なら、ハダートは始末しなければならないだろう」
 いきなり恐ろしいことを言った主をみて、秘書官は声を飲んだが、ハビアスはそれも見ずに、くすくすと笑っていた。
「心配するな。……おそらくその確率は低いだろう。あの小僧にもわかるはずよ。あれを懐柔できねば、自分が殺されるかもしれないぐらい」
 ハビアスは、にやりとしたが、秘書官はあまり落ち着かない様子だった。東向きの窓の方をみやりながら、ハビアスは、あの王子がすべてに気づいたとき、自分に何と毒づくのか何となく予想ができていた。
 

 数日後、ハダート=サダーシュはシャルル=ダ・フールのいる東方へと出立した。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi