アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜
1.ラダーナ-11
鉄仮面の男が、自分の陣中に戻った時、彼の帰りをずっと一人の背の低い老人が待っていた。茶色の落ち着いたローブを羽織った彼の姿は、まるで隠者のようにも見える。
馬を下りた鉄仮面を見上げると、彼は急いで駆け寄ってきた。
「お帰りなさいませ! ご無事でございますか!」
「ふっ、俺のどこか無事にみえんところがあるのか?」
鉄仮面は笑い飛ばすと、ざっと地面に降り立った。
「だが、戦の方はさんざんだ」
「わかっております。しかし、あなた様にお怪我がないのなら幸いです」
老人は、安堵したようにそういい、ふと鉄仮面の男を見上げる。その細い老いた目は、しかし、知性を湛えて鋭く光っていた。
「どうでしたか?」
「ふふ、あの青い兜の男の事か?」
聞かれて鉄仮面は仮面を外した。
「なるほど、思ったよりなかなかやる!」
黒髪の男は、すこしウェーブが髪の毛をオールバックに肩の辺りにのばしていた。ヒゲが生えていたが、年齢はそう上でもないだろう。せいぜい、三十を少し出たぐらいだろうか。整った顔つきに、鋭い瞳の男だ。
「一体彼は何者でしたか、殿下」
「さぁなぁ、俺にもわからん。だが、親父殿が恐れるほどには、あの男は強い。剣技だけでないぞ、精神的に強いといういうことだ。まだ十七やそこらだというのが一番恐いな。正直どれほど強くなるのか読めない」
男は、ふんと鼻先で笑う。
「ザファルバーンのセジェシスも恐ろしい奴だったが、或いはそれ以上かもしれんな」
「ほう……、殿下がそのような殊勝な事をおっしゃるのは珍しい」
老人は嘆息を漏らす。
「ふん、俺も時には殊勝になるぞ」
男は鉄仮面を老人に預けると歩き出した。慌てて老人はその後を追っていく。
「あのハビアスのことだ、きっと親父殿が言ったとおり、リオルダーナにも攻め込んでくるぞ。奴は! ガラータフなどに構っている暇等はない。急遽国に帰って守りを固めろ!」
「では、ガラータフは、見捨てると言うことに?」
「こんな貧しい土地ぐらい、あの陰険なジジイにくれてやれ! このアルヴィン=イルドゥーンは、そのぐらいケチるような男ではない! もちろん、親父殿もその辺は理解してくれるだろう!」
すたすた歩きながら、アルヴィンは、整った顔に歪んだ笑みを浮かべた。
「待っていろ、アズラーッド=カルバーン! ……次は、俺の庭での戦いだ。容赦はしない!」
その夜、ガラータフ城内からリオルダーナが撤退したことは、すぐにはシャルル=ダ・フールの軍には伝わらなかった。彼らがそれを知るのは、その戦いの疲れが癒え始めた三日後のことである。
近くのオアシスに転がり込んで、一休みすることは、辛い遠征の中では本当にささやかだが貴重な幸せでもある。ちょうど、木の下にべたーっと座っている怪しげな三白眼は、近くの泉で汲んできた水をうまそうに飲んでいた。その隣には、例の隊長の姿が、向こう側にはラダーナが静かに休んでいる。
「ということで、ラギーハの領主はこれからも協力してくださるそうです。カッファ殿から話はきかれていると思いますが、リオルダーナはガラータフを見捨てて撤退したとの話……おそらく、今度は降伏を進めてもすんなりと同意してもらえるかと……」
「へー、それはよかった! ……っていうか、あのこすいおっさん、こすい癖になかなかいい部下もってるじゃんか〜。あのあんちゃん、なかなかいい人だったよ?」
シャーは、水をがぶがぶやりながら、すでに緊張感の欠片もない喋り方でそう答えた。
「あなたのいい方は激しく失礼ですが、まあ、本当に良い方でよかったです」
隊長はため息をつき、向こう側のラダーナの様子を見る。すっかりくつろいでいる様子の彼は、話を聞いているのかいないのかすらわからない。と、シャーが、あっと声をあげた。
「っていうか、説得ってことはさ、……ラダーナちゃん、しゃべったの?」
「はい、将軍にしてはそれはもう雄弁に! リオルダーナは、支配した国の領主を部下ととりかえることなどや、もしザファルバーンに身を寄せるならばガラータフに以前奪われていた領地を戻すことなどを一生懸命説かれました。説得には三日かかりましたが、ご覧の通り見事に成功を!」
興奮気味に喋る隊長をみて、シャーはため息をつく。
「……っていうかさあ、実際ホントはあんたが喋ってたでしょ? ラダーナは、背後に立ってにらみ効かせてただけじゃないのォ? それで瞬きほとんどなしで延々と睨み続けるもんで、領主がびびっちゃったんじゃないの?」
「ち、ち、違います! 将軍が、ちゃんと締めにお話を!!」
慌てて隊長はフォローするが、シャーはすでににやりとしていた。
「うーん、元々オレはそのつもりでラダーナに頼んだからいいけど、もうちょっと喋ったらどうなのよ? ねえ」
シャーは反対側で休んでいるラダーナの様子をうかがうが、ラダーナは腕組みをして遠くを見ているばかりである。ああいうときのラダーナは、話しかけてもきいているかどうかわからない。もちろん返事が返ってくることなど期待してはいけない。
「まあ、思惑通りに事がすすんだからいいんだけどねえ〜オレは。カッファに死ぬほど怒られたけど、まあ、うん、ソレも仕方がないって」
と、ふと近くに足音がして、シャーはひょいと顔を上げた。
「おやま、久しぶり。元気だった?」
「お、お陰様で!」
近づいてきていた青年は、いささか緊張した面もちになっていた。スーバドは、どうやらシャーが一体何者であるかということについて、大体の予想がついたのだろう。
「殿下、この前はどうもありがとうございました! そして、数々のご無礼お許し下さい!」
「あのねえ」
頭を下げたスーバドをやる気なく見上げて、シャーは言った。何をいわれるのかとドキドキするスーバドに、シャーは、いつも以上に気の抜けた口調で告げた。
「駄目ねえ、スービィ。オレはシャーだっていってるでしょ? 君ィ、案外物覚え悪い?」
「なっ!」
「もー、だからマジメなヒトって嫌いなのよねえ〜。オレって、堅苦しく呼ばれちゃうと、何となく体の骨がとろんと軟化しちゃうような、そういう感覚? っていうのがあるのよねえ。わかる? だから、オレのことはシャーでいいのよ、シャーで」
「い、いいえ…」
ふといつもと変わりない彼の声をきくと、やはり何となくむっとする。この声をきくだけで神経を逆しまにひっぱられたような感覚がするのは一体何故だろう。危うく顔面にけりを入れそうになったが、「命の恩人命の恩人上司上司上司」と心でぶつぶつ繰り返してスーバドは、自分の感情を鎮める。だが、シャーはそんなスーバドの思いなど気にせずに続けた。
「そもそも、オレはねー、お前のオヤジには、世話になったことがあってね、それで、今回あんたを守るって約束したんだよ。だから、感謝することないの。帰ったら、お前のオヤジに、後悔するほど酒をおごらせる予定なんだもん」
嫌に間延びしたいつものいい方でシャーはそう言って、ごろんと寝ころんでいた。さすがオアシスの日陰は涼しい。日中の砂漠では、さすがにごろごろするのが好きなシャーでも、焼き肉寸前になるのでやらないのだ。
「お前のオヤジ引退してるだろ? あん時、こそっと会いにいったら、息子が心配だーっていうからさあ、それで面倒見てやることにしたの」
「うちの父がそんなことを!」
スーバドは驚いて身を起こした。
「あのオヤジ、結構昔から親ばかだからねー。オレなんか、ガキの頃からあんたの話と娘の話ばっかりされて、正直もう飽きちゃってたんだけど」
シャーは、疲れたようにいいながら、ふと口調を変えていった。
「オヤジさんが心配してたよ。あんたはマジメだから、多分全部マジメに受けとっちまうだろうってさ。恐怖も使命も何もかも。無理するな。戦ってのは、生き残ってなんぼなんだ。多少、オレみたいにいい加減な方がイイのさ」
「いい加減すぎるっていうのもどうかと思いますが」
隊長はあきれ顔だが、シャーは懲りていない様子だ。軽く肩をすくめる。
「そりゃひどいなあ、オレは、適度にいい加減なだけだってば。ま、そだねえ、まだ死を賭けるような無茶をするには、オレ達は若すぎるぜって事かな!」
ぱん、と肩を叩いて、シャーはにんまりと笑う。その笑い方があまりに普通の若者なので、スーバドはますますこのシャーという人間がわからなくなった。
(変な奴……)
本気でそう思いながら彼はため息をつく。そして、何となくこのペースに巻き込まれて抜けなくなってしまいそうな、そんな自分を見つけて苦笑いを漏らした。ラダーナが、あれほど命をかけ、そして、父が密かに尊敬している理由が、何となくわかるような気がした。
確かに、この変な三白眼の側にいると、何も恐れずに戦えるような、そんな気がする。次はきっと今回より大分うまく戦えるだろう。
「ねえ、ラダーナもそう思うよね?」
シャーは一方、ラダーナの方に同意をもとめていた。
「ね、そう思うでしょ! ラダーナ!」
だが、ラダーナは彼の方にちらと目をやるだけである。ほとんど喋らなかった癖に、彼は彼なりに今回の戦で喋りすぎたとでも思っているらしい。喋りすぎると後悔してしまうのか、それとも、しゃべりすぎると疲れるのか、一日に何度も口を開くようなことがあったと思ったら、ラダーナは翌日から極端に無口になるのだった。
(あ〜ら、この調子じゃ一ヶ月ぐらいしゃべんないかもなあ)
いつも以上に無口になったラダーナを見て、シャーは軽く肩をすくめた。
シャシュール太陽神殿暦711年、三月、ガラータフ王、シャルル=ダ・フールの説得に応じて降伏し開城。ザファルバーンのセジェシス大王が一子、シャルル=ダ・フール、ガラータフ併合。