アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜
1.ラダーナ-9
「アルシール殿に伝令!」
響き渡る声に、カッファは剣を交えていた敵を一度たたき伏せ、隙をついて背を向けた。戦士であると同時に参謀でもある彼は忙しい。おまけに、今は気になることがあるのだ。
「おう、もどったか!」
カッファは、三角の旗を背につけている伝令の兵士の姿を見て、慌てて声をかけた。
「殿下はどこだ! どこにいる!」
「それが、わかりません! 先程敵の陣に飛びこんで行くのを見かけた者が数人いるだけです!」
「あの馬鹿三白眼め! ……あれほど、将軍は自分から突撃するものでないと教えたはずが……!」
カッファは、ぼそっと呟き、慌てて続けて聞いた。
「わかった! それでは、戦況はどうなっている!」
「圧倒的に不利です! すでに味方は後退しつつあるようです!」
叫ぶような返事を聞いて、カッファは歯を噛みしめた。
「クッ、やはりこの戦力差ではどうにもならん! ……だから、無理だといったのに!」
文句をいいたい気分になっても、当の本人がいないのだからカッファは苛立ちをどこに持っていっていいものやらわからなくなる。おまけに、当人は、敵の中心に切り込んでいったとまでいうのだから、今無事なのかどうなのかもわからない。
「カッファ様! どうなさるおつもりですか!」
後ろからの声に急かされ、カッファは唸った。
「で、殿下が戻るまでは……と言いたいところだが……」
『戦場での判断は、一瞬の遅れが命取りだ。……非情で的確な判断をしなければならんが、かといって将兵の心を読まねば、後に自らを滅ぼすことになるだろう。難しいものだ。』
ふと、カッファの頭に、師であるハビアスの言葉が飛ぶ。あの鋭い目の男は、そして一言付け加えた。
『ただ、一つ言えるのは、私情にとらわれてはならぬということだな。』
いつの間にか周りには、数人の将軍が集まってきていた。シャルルがいなければ、判断は実質司令官同然のカッファがしなければならない。彼らの心配そうな瞳は、カッファの判断を注視している。
(殿下! ……だから無理はやめてくださいと何度も!)
心の中で吐き捨ててカッファは目を閉じ、唸りながら言った。
「……し、仕方があるまい! もし、これ以上下がるようなら一時後退しろとの命令をだす!」
納得した様子の将軍達を見て、カッファは慌てて付け足した。
「だ、だが、もう少しだけ待ってくれ! 殿下の様子がわかるまではもう少しだけ! 私の責任で、もう少しだけ……!」
そのもう少しが果たしてどれだけの時間を指し示すか、カッファには実はわからない。彼が敵のどこで戦っているかすら把握していない。と、必死で将軍達に訴えかけていたカッファは、彼らの目が自分の後ろに集まっていることに気づいた。
カッファは振り返り、背後を見た。混戦状態の戦場は、相変わらずようだったが、何かしらの違和感があった。
「カッファ殿!」
向こう側から書けてくる騎兵を見てカッファは声をあげた。
「どうした?」
走ってくる兵士は、やや驚いたような顔をしていた。結構敵地の奥までいっていたのか、その姿には激戦の後がありありと見て取れた。どうやら、状況を報告するため、駆け戻ってきたらしい。
「何故か敵の流れが一時止まっております! どうも、敵の指揮官と誰かが一騎打ちを行っているようで……!」
「ああ、殿下だ!」
カッファは、顔色を変えた。そして、カッファはようやく、シャーが一人ぶつぶつといっていた「オレにもそれなりに策はある」という言葉を思い出す。
あれは、おそらく自分が時間稼ぎをするということなのだろう。集団戦が中心の戦でも、さすがに敵の指揮官が一騎打ちをするとなると、様子を見るためもあり、戦闘の流れは一時とどまるのである。
(またとんでもない無茶を!)
シャルルの青い鎧は目立つのだが、一方で彼は姿をくらますことについては天才的である。カッファや他の将軍が見ていない内にふらっと砂煙に姿を消してしまうということはよくあることだ。
馬を寄せて、ほとんど鞍をぶつける。跳ね返る衝撃に負けないようにしながら飛びこむように相手に突きかける。ズガッという音と共に、手に来る痺れを感じる間もなく、シャーは身を軽くのけぞらせる。今の衝撃は、鉄仮面がシャーの一撃を受けた為の衝撃だ。すぐさま馬を器用に操って引いて逃げながら、シャーは相手の刀を受け流す。そのまま、素早く身を翻して体を離す。
タッと蹄の音と共に馬を止める。砂煙が立ち、一旦鉄仮面も動きを止めた。
いつの間にか、周りにはたくさんの兵士が集まっていた。おそらく実質ガラータフの指揮をとっている鉄仮面の男が一騎打ちを行っているのがわかっているのだろう。そのせいで、戦の流れが一時止まっているのだ。
「なるほど、やる」
鉄仮面はどうも笑ったらしいが、息づかいは少し乱れているようだった。もちろん、彼だけではない。シャーの方も、軽く肩が上下していた。
「ザファルバーンのアズラーッド=カルバーンとは有名だが、まさか、それが貴様のような痩せた青二才で、しかもここまでやるとは思わなかったぞ」
「そっ、そりゃあ褒め言葉ととってもいいのかい?」
シャーは兜の陰で、軽く息を整え、刻むような笑みを見せた。それは、到底十七の少年のやるような笑いではない。
「まぁ、そういうことになるか!」
「そいつぁ光栄だね!」
シャーは、含むように笑って相手を見た。
「しかし解せんな。貴様が有能なのはわかった。だが、その言葉遣いといい、度胸と腕といい、王族とは思えぬ。貴様一体何者だ!? ……シャルル=ダ・フールは影武者を使っているとは本当だったのか?」
「さぁ、どうとでも取りな!」
シャーは冷たく突き放すように言った。
「だったら貴様は捨て駒だな!」
鉄仮面の目はわずかに笑っていた。揺さぶりを掛けるためにわざと高い声でいいながら、彼は、目の前の青で身を固めた男を見る。戦っているときは、まるで魔法をかけられた時のように大きく見えるシャーだが、先入観を外せば、風に吹かれて飛びそうなほどの貧弱な男にすぎない。
「貴様は、あの宰相ハビアスに利用されているだけだ! こんな場所でこれだけの人数に向かわされた時点で、貴様はすでに捨てられている! ……ならば何に義理立てしているんだ?」
鉄仮面は嘲笑うように言った。
「私が貴様なら、間違いなく寝返っているがな! よくも、お前のようなガキが、泣き言も言わずに戦っていられるものだ」
シャーは、無言でそれをきいていたが、不意に顎をひいて鼻先で笑った。
「言いたいことはそれだけかい?」
思わぬ冷たい答えに、鉄仮面は思わず絶句する。
「さぁ、正直のところハビアスの爺さん含め、上の連中が何を考えているのか、オレは知った事じゃねえんだよ。オレは戦い専門なんでね! そのほかのことを言うのは野暮ってもんじゃねえか!」
寸分の動揺もない声で、シャーはきっぱりといった。顔をあげたシャーの兜の下では、暗い影の落ちた顔の中、大きな目がギラギラと光っているように見えた。それに移っているのは、憎悪や怒りといったものではない。諦めとも違う。ただ、冷静に感情を見せない目だ。
「それに、例え捨て駒だとしても、オレはこんな所で死んでやる気も泣き言言う気もないぜ! オレの師匠は、あんたより非道でね」
シャーは挑発的にいってケケケッと軽く笑った。
「こんな中途半端なところで妙な最期遂げて見ろ、あのジジイに地獄で、素振り三万回とかやらされんだぜ! だから、オレは半端にゃ死ねないのさ! その為には、どんな場所でも生きて帰らなきゃならねえんだよ。それが、オレがあの師匠から学んだ事だ!」
シャーは目を細めた。
「例え、オレが何に使われようが、ここから出なきゃならねえのには変わらないからな! 戦いの時に雑念めぐらせると、後ろから首斬られて死ぬぜ!」
シャーは声をわざと高めて馬を飛ばした。太陽の光で光る刃を斜めに切り上げる。甲高い音が、再び戦場にこだまする。
シャーの表情は、妙な自信に満ちていた。それを鉄仮面はきっちりとは見ていなかった。もし、見ていれば、ここで一騎打ちをやめて指揮に戻るべきだったのだ。敵兵にかこまれたそこでは、ほとんど状況は見えなかったが、シャーにはある確信があったのである。
向こう側に見える砂煙が、何を示しているかということを、彼はすでに感づいていたのである。
スーバドはひたすら逃げていた。と、いうより、まっすぐに走り続ける馬の背にかじりついているといった方がいい。前方には砂煙がたっていた。それの向こうにいるのが敵なのか味方なのか、果たしてよくわからない。
ただ、あの青い兜のシャーが、まっすぐ行けば味方だと言ったことを信じるだけである。
「どこまで行く気だ!」
背後から嘲笑う声が聞こえたが、スーバドはちらりとそちらを見ただけで、振り返ることができなかった。彼の後ろには、弓をつがえた騎馬の男が追ってきていた。まるで狩りを楽しむかのような冷酷な目を、スーバドに向けている。
「そっちににげても、オレ達の友軍しかいないぞ!」
「うるさいっ!」
スーバドは、反射的に叫んだ。今は信じて走るしかない。スーバドは手綱をにぎる震える手に力をこめ、馬の腹を蹴って、首にしがみつくようにした。
『戦なんてのは、冷静な奴とこのノリに乗ったもん勝ちなんだよ。』
シャーの台詞が蘇る。
「逃げてばっかりも辛いだろう! そろそろ締めにしてやるぜ!」
背後から声が聞こえる。弓をつがえるきりきり軋んだ音が、騒音でうるさい筈の戦場で、妙にはっきりスーバドに聞こえてきた。
ふと、スーバドは、王都を出るときの事を思い出す。あの時、スーバドの武官だった父は、死んでもいいから戦ってこい、とは言わなかった。陽気だが、武官としての誇りをもっていた父は、きっと自分を送り出すときには激励の言葉をかけるとは思っていたが、それは、スーバドの考えていた言葉とは違った。
『お前は生きて帰ってくるのだ。』
意外な事を言う父はもう一言付け加えた。
『「あの方」の元で、しっかり戦の仕方をおぼえてくるといい。』
あの方というのは、スーバドはラダーナのことだと思いこんでいた。だが、今になってみれば、それがラダーナで本当によかったのかどうかわからない。
(やっぱり、オレはこんな所で死にたくない!)
スーバドは、血が滲むほどに強く唇を噛んだ。弓の軋む音と嘲笑が後ろから追ってくる。ひたすらに馬を走らせるスーバドの涙でにじむ目の前に、砂煙にまじってたくさんの人影が見えたような気がした。
悲鳴があがったのはその直後だ。
身を固くするスーバドは初めて後ろを向いた。背後から追ってきていた男が急にのけぞって落馬していた。はっと前を向くと、砂煙は晴れつつあった。そして、砂煙の中にたたずむ騎乗したその長身を見たとき、スーバドは思わず瞬きをした。
この喧噪の戦の庭で、男は静かに弓を構えていた。矢を放った直後なのか、弦が微かに震えているようだった。その冷酷にみえかねないほど徹底した無感動な表情の顔を確認して、スーバドは危うく涙声になりそうになりながら、その名を呼んだ。
「ラ、ラダーナ将軍!」
「……スーバド! お前、どうしてこんな所にいる!」
無言のラダーナにかわって答えたのは、彼の後ろにいた例の隊長である。
「我々は、ガラータフ軍の裏側に回っているのだ。お前、敵陣を突ききってきたということになるんだぞ?」
半ばあきれたような口調の彼のいつもと同じ言葉で、スーバドは、ようやく平静を取り戻した。
「は、はい、混戦の最中、敵の中に迷い込んでしまって……! それで、あの青い兜の奴がここに逃がしてくれたんです!」
「青い兜! まさか!」
隊長は、さっとラダーナの顔色を見た。ラダーナは静かにうなずく。
「ラダーナ殿! 一体どうなされましたか?」
後ろにいた男が歩み寄ってきた。スーバドは、彼を見上げ、彼の旗と服装をみてハッとする。緑色の深い色の旗に、ライオンを模した紋章は、ラギーハ領主の紋章だ。
ラダーナは静かに振り返る。ラギーハを背負った三十をすぎたかすぎないほどの、まだ若い将軍は、それでもかなり有能そうな男だった。ラダーナは、直接は答えず、軽くうなずくような素振りを見せた。彼が寡黙であることについては、ここまでの旅の間で了解しているのか、彼はそれ以上追求しようともしなかったし、嫌な顔もしなかった。
「それで、……あの方はどうなされた?」
ふと、ラダーナは口を開く。自分に尋ねられたことを知って、スーバドは驚きながら、「あの方」が誰をさすのか一瞬わからなかった。だが、よくよく考えて、それがおそらくあの青い兜の男のことだと思いつき、スーバドは慌てて口を開いた。
「敵将と一騎打ちを……! まだ、あの中にいます!」
「なに! また、そういう無茶なことを!」
変わって悲鳴のような声をあげたのは、隊長の方だった。それをきいてラダーナは、くるりと振り返り、ラギーハの将軍を見た。
「……指揮はあなたと彼に。私は行かねばならぬところができた……」
「ラ、ラダーナ将軍! わ、私ですか! しっ、しかし、わたしはっ!」
慌てたのは指をさされた隊長である。ラダーナの側についているものの、彼の身分はあまり高くない。もとより指揮をする立場にはないのだ。だから、指名されて、戦いでも動揺したことのなさそうな彼が、はっきりと慌てたのである。
だが、ラダーナはそれに対しての返事をしなかった。彼は、ラギーハの将軍を見ていた。
「なにかたいへんなご用がおありのようだ、ラダーナ殿」
ラギーハの将軍は、深くうなずいた。物わかりのいい人物なのか、彼はさわやかに笑いながら答えた。
「よし、私が引き受けた。心おきなくいってこられるがよい」
「感謝する」
短くラダーナは呟いた。
「いや、我が主君を説得してくださったラダーナ殿には、本当に感謝の言葉もござらん。あのままでは、我が国はリオルダーナに蹂躙され、完全に滅ぼされるところだった」
彼は微笑みながら言った。
「我々だけでは動いてくださらなかった。時間をかけてしまったが、ラダーナ殿が来てくださって本当によかった。だから、このぐらい何ということもない」
ラダーナは、今度は言葉を発することなく軽く頭を下げた。そして、振り返りもせずに、馬を走らせていった。
敵の動きは今はわずかに止まっている。おそらく、その注目の中心に、あの青兜がいるはずだ。