シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

 1.ラダーナ-8

 矢の雨が降り、スーバドは身を縮めていた。
(いきなりこんなのないだろ!)
 砂の大地を蹴散らしながら、馬を必死で走らせる。そうしながら、彼ははっきりと混乱していた。錯乱まではいかないが、もう仲間も敵もどちらがどうなのかわからない。
 青いシャルル=ダ・フール遠征軍の旗が夢のようにはためく。あちらでは、ガラータフの黒い旗が揺れる。だが、それももう幻の中の出来事のようだ。
 ラダーナがこの陣地を旅立ってから、すでに十五日がすぎようとしていた。頼みのラダーナはいっこうに姿を現さない。スーバド含め、ラダーナの軍の兵士達は、正直逃げ出そうかと思ったぐらいであったが、小競り合いが続くだけで、戦闘には発展しなかったのが幸いだった。だから、今までどうにかこうにか、逃亡者などを出さずにやってこられたわけである。
 そうやってどうにかこうにかもっていた今朝、とうとうガラータフ軍の総攻撃が始まったのだ。
 シャルルの陣は、さすがに戦慣れていただけあって、混乱はそれほどない。兵士達の士気が落ちていることだけが気がかりだったが、まだ衝突したばかりである今は、それほど危険はなかった。
 だが、実質これが初戦闘になるスーバドは、矢があちこちから降り注ぎ、隣の兵士がその矢に当たって負傷したのを見たとき、恐慌に陥ってしまったのだ。
 恐くなったスーバドは、めちゃくちゃに馬を走らせ、そして、敵と味方の区別の付かない場所に入り込んでしまったのである。剣は握っているものの、それを振るう以前に、どちらが敵で味方がわからないスーバドは、手綱を引き回すのが精一杯だった。
「ど、ど、どこにいけばいいんだ……!」
 スーバドは、ぶつぶつと呟いた。味方がどちらかわからない。旗の色と砂漠の色と血の
色と鉄の色が、全部混ざってぐだぐだになる。その中で、青い色の塊が瞳のすみで踊っているのが見えたが、それがなんであったかよくわからない。
 と、ふと少し離れたところに兵士達の集団が見えた。スーバドはそちらに目をやる。仲間だろうか、と期待したとき、彼の希望は儚く消えた。いきなり、自分に向かって矢が飛んできたのだ。
「あああ!」
 慌てて、スーバドは馬を飛ばした。むち打たれて、馬はいななきながらそれこそ混乱したように走る。背を向けて逃げようとしたのに、混乱した馬は、よりによって矢の飛んでくる方向に頭を向けた。
「違う、そっちじゃない!」
 スーバドは叫んで馬を制御しようとしたが、もう言うことを聞かない。そのまま矢の方向に走っていく。スーバドは絶望的な気分になりながら、目の前から飛んでくる物を見て絶叫した。
「わぁああああ」
 目の前から迫るのは、矢と刃の群れだ。目が回るほどに早く、先端の尖っているものが全て彼目がけて飛んでくる気がして、彼は恐慌に陥った。思わずのけぞってしまったスーバドは、ふと、どんと背中を叩かれてハッと顔を上げた。
「しっかり立て!」
 後ろから鋭い声が飛んできて、がっと前の方にほとんど突き飛ばされるように押され、いきなりスーバドは前のめりになった。危うく馬の頭にぶつかりそうなところでどうにかこうにか持ちこたえる。そんなスーバドの耳に、声が聞こえてきた。
「前はともかく後ろにひっくり返って落馬したら蹴られて死ぬぜ」
 そのしっかりとした口調をきいて、スーバドはてっきり大先輩の兵士が助けてくれたのだと思った。そっと横をのぞくと、青い布が見える。ひらひらと舞う全身を覆う青いマントに、スーバドははっきりと萎縮した。
 青い兜の男、アズラーッド=カルバーンだ。
「す、すみません……!」
 慌てて謝るが、かえってきたのは苦笑いのようだった。
「まぁ、最初は誰だってそうだって。でも、ちょっとアンタ、敵の奥に入りすぎ」
 いやに軽い声だ。だが、スーバドは、あえて自分を気遣って彼がそうやって話しているのだと思っていた。
「大体、矢なんてモノもさ、当たるか当たらないかなんて占いと同じようなもんだろ。当たるも八卦、当たらぬも八卦っていうじゃない? っていっても、あんた八卦知らなさそうだね」
 そう脳天気にいう声に、妙に聞き覚えがあるが、スーバドの混乱したアタマは彼とそれを同一とは見なさなかった。
「矢も占いと同じようなもんだよ。当たらないときは――」
 びしいっと音が鳴り、振るった刀が矢を折り曲げる。その生々しい音に怯えたが、男は平気そうな顔のまま矢の雨の中でにやりとした。はじめてスーバドの方をむいた顔は、兜の暗い影が落ちていて、大きな目だけがひときわ光っているように見えていた。スーバドは一瞬息をのむ。
「ほら、全く当たらない」
 スーバドは驚いて口を開いたまま、なかなか声を掛けられなくなっていた。青い兜の男といえば、彼らの指揮を執る将軍の一人の筈である。しかし、兜の下にあるのは、自分と変わらぬかなり若い男だ。しかも、それは――
「お前は、シャー…」
「あらぁ、名前覚えてくれたの? ふーん、オレも結構印象強いのかねぇ」
 見覚えのある三白眼の男はのんきそうにそう言った。
「戦なんてのは、冷静な奴とこのノリに乗ったもん勝ちなんだよ。嫌でもいいから、とにかくこの場に慣れろ。だったら、少なくとも生き残る確率はあがるよ」
 そういうもんだからさあ、とシャーは付け足す。すっと紐を取り出し、彼は口をつかってそれを右手に結わえ、例のこの辺りでは見ない刀とを結んだ。激しい白兵戦を覚悟してのことだろうが、スーバドにはそれはすぐにわからない。
「だから、あんたも慣れるようにつとめな!」
 もう一度背中をたたき、アズラーッド=カルバーンは、馬を軽く蹴った。ぐっと前にでていくシャーの兜の青い羽根が目の前に踊る。
「それがここで生き残る全てだ!」
 馬蹄の音がひたすらひびく。もう一度彼は、ちらりと後ろを向いて笑った。
「生き残りたければ、オレについてきな!」
「え、……あ、ああ……」
 スーバドが反射的にうなずいたのを見て、シャーは口の端で少し笑っていたような木がした。そのまま青いマントを翻しながら走っていく。
 矢の雨の中、シャーは、ぐんぐんとスピードを上げて、スーバドより随分前を走っていた。青い色で全身を固めている彼は傍目にも目立つ。集中攻撃を浴びながら、彼は笑みを口に刃の渦の中に飛びこんでいく。
 目の前にはすでに敵の歩兵があふれていた。
「青兜だ!!」
 ガラータフの兵士が叫んだ。
「ザファルバーンのアズラーッド=カルバーンが出たぞ!」
 矢が髪の毛を掠め、兜を掠めても、アズラーッド=カルバーンは、止まらない。その勢いに、さすがに前衛の兵士がひるんだ様子をみせる。
「退くな! かかれ!」
 後ろから隊長が興奮気味に叫び、怯える兵士達は我に返って持っている槍を突きだした。だが、怯えている時間に、すでにシャーは随分と近い場所に入り込んでいた。長さでは彼の持っている長刀より、槍の方が長いのだが、それがすでにあまり意味を為さない所まではいりこまれていたのだ。
「判断の遅れは命取りだぜ!」
 シャーはそういいながら、既に振り上げていた刀を薙ぐ。彼に向いていた槍の二本ほどをなぎ払う。その内の一本の穂先を正確に切り落とす。羽飛ぶ穂先に、兵士達の顔色が変わる。
 穂先をを正確に切り落とせると言うことは、つまり、その刀の切れ味の良さを示しているのだ。彼らの顔色が変わった瞬間を狙い、シャーは手綱を強く引いた。
「どかねえと怪我するぜ!」
 一応威嚇に叫んだが、その必要はない。突然突撃してくる馬に、反射的に彼らは道をあけてしまっていたからだ。その後を必死で追いかけるスーバドも、だからその隙をついて通過することができた。
「アズラーッド=カルバーン!」
 不意に横から飛んできた声に、シャーは目をそちらにすっと向け、刀を目の前に振るった。危うく兜に当たりそうだった矢が音を立てて折れる。たっと馬を止め、シャーはそちらを見た。一人の将軍らしい男が、騎乗して弓を構えている。
「さすがだな」
 にやりと笑いながら、男は弓をしまった。シャーが馬を止めたので、追いつきそうだったスーバドも、どうしたものか迷いながらスピードを緩めた。敵の兵士達も、そこを遠巻きにしているだけで、積極的にこちらにこようとしない。おそらく、この将軍らしい男が、手を出すなとでも命令しているのだろう。
「一局手合わせ願おうか!」
「ガラータフの人じゃないねぇ、アンタ」
 シャーは、ほとんど鉄仮面状態で顔もわからぬ男の顔を見ながら言った。もしリオルダーナの将軍なら、その黒いマントについた肩章にリオルダーナの鷹の紋章が刻まれてあるはずだ。だが、それは直接は見あたらず、肩章を外したあとが見て取れるだけである。
「リオルダーナの誰かさん?」
「そうだといえばそうであるし、違うと言えば違う」
「名乗りもしないとは、嫌な奴だな。リオルダーナの関与を認めるわけにもいかねえってか?」
 シャーは肩をすくめて笑い、スーバドに目配せした。先に行けということらしい。えっ、と戸惑う彼に、シャーは今度は目を向けずに軽く手を振った。
「悪いが急ぎでねェ」
 シャーは、低い声で言った。
「オレは、マイゴを届けに行かなきゃならんのよ。……勝負はまた今度にしてくれよな?」
「それは無理な話だ。貴様に今度などあるものか?」
 鉄仮面はせせら笑った。
「ラギーハ領主は、我が国と通じているのだ。増援など送ってくるものか!」
「そんなこと予想済みだ。……でも、強面の使者相手に、そうきっぱり断れるもんかい?」
 シャーは、顎をなでながら言った。
「必ずラギーハの領主は、増援を送ってくるさ。……なぜなら、ガラータフはすでにリオルダーナの手に落ちてるってことも、あのこせこせした領主のおっさんは予想してるはずだからよ」
 鉄仮面の顔色はわからない。だが、シャーは、笑いながら続けた。
「リオルダーナは支配地の支配体系を変える国だ。だったら、うちに降伏したまま、領主でいるほうが、あのおっさんにはいいはずだろ?」
「だとしても、もう遅いわ! この戦況でどうにかなるとでも思っているのか! それに……!」
 鉄仮面は、ややいらだった声で言った。
「貴様はこの場で私が殺す!」
「こんな若い身空で死ねるかってんだ!」
 シャーはそう言い返し、わずかに刀を引く。それを合図にしたように、鉄仮面は、馬にむち打った。同時に刀を抜く。
「いけ!」
 シャーは、後ろに向かって叫ぶ。スーバドは、自分に対して声を掛けられているのだと知って弾かれたようにびくりとした。
「早く先に行け! このまままっすぐ走れば、味方の陣に戻れる!」
「し、しかし!」
「いいから、先に行け!」
 シャーは有無を言わさぬ口調でそういい、足でスーバドの馬の腹を蹴った。驚いた馬は突然いななき、叫び声をあげるスーバドをのせたまま走り出した。
「他人の心配をしている暇は……!」
 横からかかってきた声に、シャーは右手を振るう。相手から振るわれてきた刀を薙ぎ返し、そのまま突きかけた。さすがにそれは避けられたが、シャーは、左手で手綱をにぎったまま笑った。
「おっさんも、声を掛けてるぐらいならかかってこいよ?」
 斬り掛かってきた鉄仮面に目を向ける。ひさしの下から、楽しそうな両目が闇の中に覗いているのがわかる。
(ったく、……ロクでもねえ)
 シャーは心の中で吐き捨てた。
(こういう戦いを楽しがる奴が、一番厄介なんだよな)
太陽の光を浴びて、ちらちらしながら降りかかってくる刃を、シャーは舌打ちしながら叩き返した。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi