シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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アズラーッド=カルバーン東方戦記
〜シャルル=ダ・フールと七人の将軍〜

 1.ラダーナ-7

ザファルバーンの王都はカーラマンと言われる古くからの都であった。現在セジェシスは北西の戦線に出ているため、石造りの宮殿は、宰相ハビアスが守っていた。
 花も咲き乱れる砂漠の中の美しくもにぎやかなオアシスの都。セジェシスのような明るい男が治めるにはふさわしい都だといえるかもしれない。だが、主不在の宮殿は、今は冷たく厳しい雰囲気に満ちていた。
 宮殿のある広間に、その時、文官達が集まっていた。貴族出身のものから、勉学でかけのぼってきた官僚、と出身は様々だが、彼らには一つだけ共通点があった。彼らの全ては、皆、ある一人の男の教育を受け、ある一人の男の意のままに動くということである。
 それが、彼らの中心にたたずむゆったりした暗い服をきた男だった。白い髭と白い髪が、黒い服に嫌に映える。彼がそこに立っているだけで、なぜか気温が随分下がったような感覚すら覚える。
「ハビアス様!」
 ふと空気を破って声が聞こえ、一人の男が扉からだだっと走り込んできた。彼は、そこに跪きながらさっと文書のはいった筒を差し出した。暗い、ゆったりとした服をひきずるように老境の男はゆらりと彼に近づく。この男が一人いるだけで、この場の空気は恐ろしく変わる。気の許せない、緊迫した雰囲気に包まれ、空気がピィンと異様に張りつめる。男の鋭い目は、伝令役の兵士に注がれる。冷たく、猛禽のような鋭い目は、それだけで相手を威圧することもできるだろう。痩せた老いた彼であったが、その威圧感は将軍を凌駕しているといってもよかった。
「ご苦労であった」
 近頃ではしわの目立つようになった顔をわずかにゆがめる。この男は笑っているのだ。その冷たい笑みを見ないようにして、兵士はそっと引き下がる。白い髪を流し、冠を被った男は、冷たく鋭い眼差しのまま筒から中身を取り出して、巻いているそれを広げた。
「ハビアス様、いかがに……!」
 声をかけてきた文官達は一様に不安げでもある。戦況が気になるということもあるのだろう。ハビアスはそれには直接答えずに、目をさっと文章に走らせた。流れるような筆致でかかれているのは、あの戦の報告書である。それも、カッファから届いた正式なものではなく、彼が忍び込ませている手飼いの斥候からのだった。
 ふっと、笑い声が飛ぶ。場の空気はざわついたが、ハビアスのくっくっという笑い声は、しばらく陰気に石造りの建物に反響していた。
「宰相殿、な、何が……!」
 恐くなったのか、文官の一人が恐る恐るそう尋ねると、ハビアスはにやりとしながら笑い声を止めた。
 ザファルバーン建国の実質的黒幕であり、その駆け引きのうまさから、カーラマンの暗い鷹といわれた宰相ハビアスは、にやりとしながら彼らの方に向き直った。
「あの小僧、なかなかやりおるな。さすがに、ガラータフ風情けしかけても、まだ泣き言を言わんか。……あの条件でよくも泣かずにおられるものだ」
「は? こ、小僧と申されますと?」
 一瞬意味がわからなかったのか、聞き返してくる取り巻き達に、ハビアスは皮肉っぽい目を向けた。
「まだわからぬのか、あの三白眼のことだ」
 わずかに囁きが走る。
「シャ、シャルル=ダ・フール殿、のことでございますか?」
 ふとハビアスは目を伏せて、にやりとした。シャルルの名を呼んだ文官は、びくりと肩をすくめる。シャルル=ダ・フールという王子の身分は特殊だ。公式には認められているのだが、彼のことを内心認めていないものも多い。だから、殿下とも王子とも言わず、あえて家臣扱いの「殿」という敬称をつけたのだ。彼の思惑を感づいて、そしてハビアスは笑ったのである。その真意はわからない。
「その通りよ。現在交戦中という話だが、ラダーナが不在らしく、兵士達の不満も爆発寸前なそうな……。敵は私が与えてやった者達の二倍以上。さてどうするやら」
「そ、それではやはり……!」
 楽しそうにいったハビアスの言葉に、彼の手飼いの文官達はざわめく。
「早とちりするな」
 ハビアスは釘をさし、低い声で宣言する。
「だが、この勝負……あの三白眼小僧が勝つだろう」
 えっ、と今度は驚きのざわめきが走る。先程自分で不利だと言っておいたくせに、勝つとはどういうことだ。と、そう思うのも無理はない。しかし、ハビアスは、静かに言った。
「あの三白眼の頭で叩きだした策は、恐らく図に当たるだろう。アレのお粗末そうな頭はそれほどの才を秘めているはずだ」
「しかし、あの方は……」
 別の男がそうっと言った。
「普段、都にいるときは、毎日馬鹿騒ぎをして遊び回っているとか…。そんなあの方にガラータフをうち破るほどの力があるとは……」
「ほう、……暗君だといいたいのか?」
 ハビアスは嘲るようにいった。
「お主達は、まだまだだな。あやつの風評に惑わされるとは。たかが十七の小僧の掌で、すでに貴様らは踊っておるのだ。情けないと思え」
 厳しくそういい、ハビアスは、広げていた文書を近くにいる側近に渡した。慌てて彼がそれを直すのも見もせず、彼は自分の手足である文官達を見やる。
「あれが本当は相当な切れ者であることは、お前達に言っておいた筈だが? それとも、私の買いかぶりと見たのかな?」
「い、いえ!」
 睨まれて文官達は顔を見合わせてざわめいた。ハビアスはそれに目もくれない。
 そうでなければ、これほど恐れたりするものか、とハビアスは思う。市井でそだったシャルル=ダ・フールには、国に対する忠誠心というものがそもそもない。自分をあの街から連れてきた、父とハビアスに対し反感を抱いているのも事実だろう。だが、ただそれだけならば、ハビアスはシャルルを恐がったりはしない。自分を煙たがっているものは他の王子にも数人いる。だが、シャルルは彼にとって「特別」な警戒を要する人間だった。
「事実、あの小僧には力がある。だから、自らを偽るのだ」
 ハビアスは、シャルルのあの目が嫌いだった。父親に似た不敵な輝きと、母親に似た聡明な光を宿した目だ。暗い兜の下から、隠しきれなかった分の覇気を滲ませながら、じっとりとこちらをにらみ上げてくるあの密やかに青い目の光りがだ。この、ザファルバーンでは恐いものなどいないはずのハビアス自身の考えですら見通すようなあの青い目が――。
 だから、こんなにまでに恐いのかもしれない。彼がいつか反乱でも起こしたら、と思うとハビアスは、恐いモノなどないはずの老体が震えるのを感じる。シャルルを自分でも笑うほどまでに疎むのは、そんな風に怯える自分がいるのが許せないからでもある。
 そこまで全てわかっていながらにハビアスは、シャルルを疎んでいるのだ。
「し、しかし、それでは……カッファ殿に預けてよかったのですか?」
「そうですとも、カッファ殿があの方にもし操られでもしたら……」
 考えていたことにかなり近く、その実全く性質は別な言葉を聞き、ハビアスは冷笑した。彼らの心配しているのは、自分のように「カッファが敵に回る」ではなく、その頭のいい王子のお陰で、王子が即位し、カッファが権力を掌握することであろう。皆、自分の押す王子を即位させたいと思っているのは見え見えだ。
「普段、カッファの事を、武官あがりの愚か者と、陰で悪くいっているお前達が、「心配」か……。友情とはかくも美しきモノだな。感心したぞ」
 皮肉っぽくいってやり、ハビアスは静まりかえった様子の部下達を眺め渡した。
(どいつもこいつも……)
 貴族の中年達と、そして、高級官僚達の小難しい顔を見ると、ハビアスは時に嫌気がさし、わずかにまなじりをゆがめる。それが暗い笑みを形取っていることを、本人が知っているかどうかはわからない。
(権力にすがるだけの屑が!)
 心の中で吐き捨てながら、ハビアスは嘲笑する。怯えきった彼らを前にすると、ハビアスはまるで支配者のようにすらみえた。
「安心するがいい。カッファはお前達のような汚いネズミとは違う。あの愚直な男にそんな打算などあるものか。だから、私はあの王子を奴に預けたのだ」
 そして、それは、あの危険な王子を懐柔させるためでもある。それはある意味では効果を発揮していたかもしれない。シャルルは、カッファを父のように慕い、その結果、危機に追いやらないように、ハビアスの無理難題を飲んでいるからだ。だが、一つだけ計算外のことがある。
 あの王子のこととなると、彼の愚かで従順な手駒の一つであったはずのカッファがはっきりとハビアスに歯向かうことがあることだ。もしかしたら、今ならば、ハビアスの命令よりも、シャルルの命令を尊重するかもしれない。それは、忠誠心という感情から来るモノだけではなく、おそらくは、カッファも、シャルルに対して自分の息子のような愛情を抱いているからだろう。
 だから、もしかしたら、あの王子が自分に歯向かったとき、カッファはシャルルについて自分に牙をむくかもしれない。
(……貴様らしいな、カッファ。……お前だけは見所があると思っていたのだが……)
 ハビアスは、不出来な取り巻き達を嘲笑いながら呟く。
(だが、……見所がありすぎて私の思惑通りにはならんようだな)
 ハビアスは、ふっと笑ってさっと身を翻し、居並ぶ者達を全て無視して石造りの宮殿を歩く。
「書記官を呼べ! 命令書を書かせる!」
「は、はいっ!」
 慌てて若い側近が後をついていきながら、宰相の言葉に応答する。
「ガラータフは数日の内に降伏するだろう。……では、次はリオルダーナだな」
「はい、おそらくは……。東方の帝王と言われている大国でございますから」
「うむ、ラダーナだけでは恐らく足るまい。さすがの私もそこまで鬼ではないからな、誰か援軍をやろう」
 ハビアスは苦笑しながら言った。
「さて。……では、誰を行かせるか……だが」
 ハビアスは白く長い髭をつい、と撫でた。そして、ああ、と低い声で呟く。
「ハダート=サダーシュがいい」
「ハダート将軍ですか? しかし、将軍は……」
 書記官は思わず聞き返す。ハダート=サダーシュは、先頃投降してきたばかりの将軍である。ハビアスが以前と同じ将軍職を与え、彼を重用していたが、その実、あちこちの貴族や外戚とつながっているとの噂もあり、どっちつかずでも有名な男だ。
 そして、ハビアスはすでに情報を知っているはずなのだ。ハダート=サダーシュが、シャルルを疎む王妃の一族と繋がり、金品をもらったりして甘い汁を吸っていることを。
「あれならば、あの三白眼を事故に見せかけて暗殺しようとするかもしれん。もしアレが死んだら、間違いなくハダートの仕業よ」
「そ、それが……、わかっていて、サダーシュ将軍を?」
「……そうだ」
 ますますもって、この宰相は王子を追い込む気なのだろうか、そう思ったが書記官の思いとは裏腹に、ハビアスは少しだけにやりとしていた。その様子が妙に楽しそうで、書記官はふしぎに思った。
「いつ裏切るかわからぬような男には、ああいう不思議な男をぶつけてみるのも一つの手だからな」
 ハビアスはそう面白そうに言った。
 おそらく、ハビアス自身も少しだけ感づいてはいるのである。あのシャルルを疎む気持ちの裏側で、あの王子のことをどこかで気に入っているということを。
 
 そして、それが、彼をより遠ざける一原因になっているということも。





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背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi