アズラーッド＝カルバーン東方戦記
〜シャルル＝ダ・フールと七人の将軍〜

　１．ラダーナ-4

「向こうがそこまで来てるって事はやる気だってことよね」
　シャーは、相変わらずの様子でそういうと、ひょいっと柱に手を掛けると柱はややしなる。そこにあまり体重を掛けると天幕ごと倒れるのだが、シャーの体重ならどうにか大丈夫のようだった。
「じゃあ、やるしかないんじゃないの？」
「ないんじゃないの…って、相手は一国の運命を背負ってきているのです。後がない時の気迫というものは殿下もご存じでしょう！　おまけに、相手は増援を得て意気が上がっているのですよ！」
　カッファはしかるようにいったが、シャーは、いつも通りふらふらしている。
「だって、相手が説得に応じてくれないなら仕方ないでしょ？」
「殿下！　作戦も何もないのですよ！　それに、ガラータフはリオルダーナより小国とはいえ、あれを無策のまま、力ずくで踏み倒せるほどの兵力は我が軍にはありません！　おまけに背後に伏兵を仕掛けられている節があるとまでいうのですよ！　どうせよと！」
「んもー、カッファも頭堅いんだから」
　シャーは呆れたようにいって、兜の下で笑みをみせた。
「だぁれも力ずくでたたきつぶそうといってないでしょ。ねー、ラダーナ」
　こんな時でなければ、きっとカッファはシャーを張り飛ばしていたであろう。シャーの方はラダーナに視線を送るが、見事に無視されて、少し頭を下げた。それとも、ラダーナとしては、それなりに応えたつもりだったのかもしれない。カッファは、相変わらず無言のラダーナに助けを求めるようにしていった。
「ラダーナ、お主も止めないか！　殿下は一見馬鹿に見えて、実は頭がいい…と思って信頼したら、本当にとんでもなく馬鹿なことをしでかす性分なのだぞ！」
「ひ、ひどい…。そこまでいうことないじゃない。カッファ、それはあまりにもひどい」
　ショックを受けた様子で、ぼそぼそというシャーは、人差し指をくっつけて、礼の三白眼で下からそうっとのぞき込むようにする。
　兜を被って深い影が落ちている。闇の中でぎょろっとした目が輝いているようで、かわいげがあるどころか正直言って不気味だ。
　カッファは、唸るようにして育て上げた王子を見る。忠誠心があつく堅物のカッファであるが、さすがにシャーに対してだけは言葉が乱れることがある。それも仕方のないことで、七歳の頃からまるで息子のように育ててきたシャーである。頭では主君の子供で、現在仕えるべき主人だとわかっているのだが、どうしても多少息子のように扱ってしまうのだった。それは不可抗力というべきだろうし、シャーの方もシャーの方でてんで王族らしく振る舞ってくれないので、意識が緩まってしまうのだった。
「全く！　今回だけは無理です！　やはりここは大人しく一度退却して形勢の建て直しを！」
「無理だよ、カッファ。そんなことしてたら回り込まれてどかーんとかやられちゃうよ？　さっき自分で言ってたじゃない？」
　シャーはそういって、地形図を指でなぞる。砂漠といくらかの高地が示されたそこには、石が置かれていて、彼らと敵のおおよその現在地が見て取れる。シャーは、撤退ルートにある筈の岩場を指し示した。
「ほら、こっからぐぐぐーっと回られたら挟み撃ちされて終わりじゃない。こっちのラギーハの領主はこの前降伏させたけどさあ、オレ達に不満をもってるわけだろ？　だったらやっぱし、手を組まれてるかもしれないし、警戒はしたほうがいいよ。それに、こっから兵糧補給できる町ってほとんどないし、撤退している内に輸送部隊がやられたらやばいよ？」
　石をつつつーっと動かしながらいうシャーに、カッファは思わず詰まる。確かにそれは言われるとおりだ。シャーの部隊は機動性を重視した部隊であったが、撤退がいくらはやかったとしても、士気もがたんと落ちる。それに、今回は割と敵地の深いところに入っていることもあり、どこから敵が襲ってくるかわからないのだ。
「い、戦は盤上でやるものではありません！」
　カッファが体裁もあってか、やたらといいわけめいた口調で言う。
「あらあら、カッファがいっちゃったら、ハビアスの爺さん怒りそうだね」
「では、そのハビアス様に援軍を頼みましょう」
カッファは、ごほんと咳払いをしてシャーの雑感をかわす。これ以上、ぼろを出してたまるものかといったところだ。
「そもそも、ラダーナの兵とあわせても我々の兵力はせいぜい二万です。現在のガラータフは、どう考えても六万はいるはずですよ！　正直こんな兵力で遠征などハナから無理だったのですから」
「カッファ、それはやめといたほうがいい」
　シャーは、不意に真剣な口調でいった。慌ててカッファが彼の真意を探るようにシャーを見たが、その時シャーはいつもの顔に戻っていた。
「いやねえ、あの爺さん根性悪いからさ。言っても追い返されるだけだよ」
　シャーはあえて明るい口調で言った。だが、本当はある程度わかっているのである。カッファが言うとおり、シャーの遠征部隊は他の部隊に比べて甚だしく不利な兵力しか割り当てられていない。
　すべてはあのハビアスの考えだ。あの目の鋭い老人は、シャーを酷く恐れている。今回だってそうなのだ。反乱を恐れて、シャーにろくな兵士を与えてくれなかった。ラダーナの兵隊と合流しなければ、今回もたった五千人の兵士で戦わされるところだったのだ。
　ハビアスが自分をどう思っているのか知らない。だが、恐らく嫌われてはいない。ただ、憎まれているだけだろう。あのハビアスは、父に似ているくせに、一筋縄では操れないシャーに憎悪を感じている。それはもしかしたら恐がられていると言うことかもしれない。ハビアスは、自分の考えを見抜くかもしれないシャーに潜在的に怯えているのだ。
（オレよりもアンタの方がよほど恐いぜ、クソジジイ）
　そっと悪態をつきながら、シャーはカッファの方を見た。もし、下手に増援要請などしたら、それこそ嫌がらせをされるに決まっているのだ。しかも、ハビアスの弟子で、基本的には彼には逆らえない立場にあるカッファの方に。
　だから、シャーは、どうにかこの与えられた不利な状況で、戦い抜くしかないのである。
「それに、例え援軍が来たところで、一ヶ月ぐらいかかるだろうからね。その前にオレ達やられちゃってそうよ？」
「まあ、それはそうなのですが。ではどうなさるのです？」
　カッファは、顎をなでながらきいた。一体シャーが何を考えているのか、カッファにははかり損ねるところがあるのである。
「まさか、正面から…というわけでは……」
「もう、馬鹿ねえ。オレだってさすがにそこまで思い切りよくないってば」
　シャーはそういってにっと笑った。
「ここは、話し合いなんてどうでしょう？」
「は？」
　カッファは、思わず聞き返し、呆然とした顔でもう一度訊く。
「今、何とおっしゃいましたか？」
「話し合いっていったのよ」
「殿下」
　カッファは、震える手を刀に掛けながら、唇あたりをひくつかせながらいった。
「もう一言口を開いたら、容赦なく叩き切ります」
「ま、待って！　それ誤解！　からかったわけじゃないんだよう！」
　慌てて首を振るシャーに、まだ刀の柄を握ったまま、カッファは睨み付けてくる。
「あのね、オレにいい作戦があるわけ。ちゃんと考えてるからいったわけよ」
「ですが、ガラータフの説得工作はすでに過去失敗しております」
　冷たい口調でいうカッファに、シャーはふふんと鼻で笑う。
「それは、今までの話でしょ？　…あれは、いきなりオレ達が縄張りに侵入してきたから、腹が立ってたんでしょう」
　シャーはそういってふらふらっと歩き始めた。
「だったら、説得に応じさせる雰囲気を作るしかない」
「どうするおつもりです？」
　将軍達に背を向けていたシャーは、ちらりと振り返った。
「それは、一度どうにかして勝って優位に立つしかない。向こうがちょっと不利になったところで、もう一度説得してみよう」
　シャーはふと顎を引いた。兜の影がさらに深く顔に落ち、瞳の輝きばかりが目立つようになる。
「人間勝負してないときと負けた後では態度も違ってくるからね」
「しかし、どうやって勝つおつもりですか！」
「それには援軍がいるよね」
シャーのいきなりの言葉に、カッファは、えっと声をあげた。
「し、しかし、ハビアス様に援軍は駄目だと…」
「誰も爺さんに援軍を頼む訳じゃあない。要請を出すのは、当のラギーハ領主に向けてだよ」
「ええっ？　しかし、ラギーハは！」
「確かに、もしかしたらホントに裏切ってるかもしれないけど、ザファルバーンの方が優勢なのはよくわかっているはずだ。でも、ラギーハの領主としては、元々ガラータフの属国だった関係上、頼まれると断れないんでしょ、それで形だけ協力しているのかもしれない。だから、誰かをいかせてちょっと脅しをかけてきてもらう。ついでに多少兵士を貸してもらえればいい。そうすれば、作戦の取り方によっては勝てる」
「それは、そうでしょうが」
シャーは、黙っているラダーナの方を見て、少し笑っていった。
「ラギーハにはラダーナに行ってもらおう。明日までに出られるかい？　ラダーナ」
「心得ています」
　ぽつりとそれだけをラダーナは応える。カッファは、シャーの意図もラダーナの意図もわからず、慌てて訊いた。
「しかし、向こう側がどう出るか…。おまけにラダーナがいないと、ガラータフと当たったときに不利です！　うちの兵隊の半分以上はラダーナの部下ですぞ！」
「ああ、それもわかってるよ。…でも、少人数で脅しを利かせるには、ラダーナ以外だめだ」
　シャーはそういってラダーナの方を見る。
「ラギーハまでは、馬さえ使えば早いだろうけど、一応伏兵の予防に兵士を連れて行くといいよ」
「では」
少しの沈黙の後、ラダーナはおもむろに口を開いた。低くて落ち着いた声は、静かに響く。
「騎馬を少し借りていってもよろしいか」
「必要なだけ持っていってもいいよ。脅しかけるんだし、ここにいるのはほとんどあんたの兵隊だからね。遠慮しなくていいよ」
「では、五百ほどお借りする」
　軽い口調のシャーに、相変わらず抑揚のない声でそう言い、ラダーナはふらっと身を翻した。そして、そのまま静かに天幕を出ていく。
「あ、おい、ラダーナ！」
「いいんだよ。ラダーナはオレの考えに賛同してくれたみたいだし」
　シャーはカッファを止める。不思議な顔のままのカッファは、他の将軍達と同じく狐につままれたような思いでいるらしい。
「だが、これでやれるんでしょうな？　私はこれで勝ち抜ける自信はありませんぞ」 　カッファが、そういうと、シャーは少しだけ目を細めた。
「ま、何とかなるでしょ。…でも、ラギーハまでは早ければ十日もかからない。それまで持ちこたえられれば、まだ勝機はあるだろ？　今は背後に怯えるのが一番まずいんだから」
　カッファは、わずかに唸ったが、しかし、それももっともだ。改めて彼は、きょとんとしている将軍達に声を掛けると、その後の策について練りはじめた。

　その日の午後、ラダーナは五百の騎馬兵と共に、シャルル＝ダ・フールの本陣を後にした。