一覧 戻る 進む 笑うムルジム36 短剣を刃先で弾き、シャーはそのまま進行方向に飛びのいた。追っ手は意外としつこく、先ほどからゼダと二人で、逃亡する機会を狙っているのだが、なかなか逃してくれない。 一度に複数人を相手にしていることもあって、シャーはゼダのことなどかまっていられないのだが、彼もさるもので、うまく善戦しているようだ。そういう面で心配無用なのは、シャーとしても気が楽である。 しかし、いい加減に逃げなければ埒があかない。どうしたものか。 思わずそんな考えを頭にめぐらせる。それが一瞬のスキになったのか、目の前に銀の光が飛び込んできた時、動きが遅れた。刺客に先回りされていたのだ。 「っとッ!」 舌打ちしてそれを避けるが、間髪いれずに膝蹴りが襲ってくる。直撃を避けようとして身をよじったせいか、蹴りはシャーの左胸に入った。みしりと軋んだ音が鳴り、痛みが走った。衝撃でシャーは後ろ向きに吹っ飛ばされて倒れこむ。 が、シャーも決定的なダメージは避けていた。すばやく、そのまま馬乗りになろうとする男を蹴り上げて、反動で起き上がり、剣の柄で叩きのめす。 「い、ててて……」 シャーは、左胸をおさえつつ立ち上がった。 「おい、大丈夫か?」 まとわりついてくる刺客をどうにか突き放して、ゼダがシャーの方に駆け寄ってきた。 「ああ、たいしたことねーよ。ちょっと古傷がな」 シャーは、何か嫌なことでも思い出したのか、それとも単に傷が痛むのか、少し眉根をひそめて答えるが、すぐに手を離した。 「にしても、本当にしつこいな。こいつら……」 「ああ、どうも、まだ逃がしてくれる気はないらしいぜ」 闇を透かせば、まだ刺客は複数いる。一体、最初何人いたのかわからないが、倒しても倒しても、後から後からわいてくるように思えた。いまだに戦う意思を捨てていないようだ。 さすがにゼダも、汗をぬぐい、あせった様子になっていた。 「でも、いい加減そろそろ強引に突破してでも逃げねえと……」 「ああ、わかってる」 シャーが答えて、目をすがめ、相手の出方を探った時だった。 突然、夜の王都にけたたましいラッパの音が響き渡ったのだった。 シャーもゼダも、そして刺客たちも一斉に動きを止め、はっと城のある方角を見た。連動するように、あちらこちらの櫓や兵隊の詰所から、同じ旋律が響き渡る。 ラッパは、王の軍隊の命令伝達に使われる手段だった。いまだ内乱が治まったばかりのこの国では、備えはきちんとしてあり、夜間でも緊急事態が起これば、そうした手段で兵隊をすぐに配置させるようにできていた。 表向き病弱で軍事にはかかわっていないとはされているものの、シャルル=ダ・フールは元々軍人であることから、現在のザファルバーンの軍事に関する備えは、かなり整備されていて優秀だった。何かことが起これば、すぐに命令を伝達できるように、さまざまな体勢も整備してある。かつて、先代の第三王子による現国王の暗殺未遂があったとき以上に、現在は迅速に動くことができるようになっていた。 (これは……) ラッパの旋律は、細やかな指令を伝えるものであり、暗号の意味を持たせて定期的に変更されている。だから、シャーとはいえ、現在全ての旋律の意味を把握しているわけではなかったのだが。しかし―― (これは、緊急招集命令だ) シャーはその意味を悟って真っ青になった。 そして、シャーがその意味を理解したのと同時に、刺客たちが慌てたようにきびすをかえして去っていく。黒い服をきた彼らは、すぐに暗闇に溶け込んで見えなくなってしまった。 「な、なんだ、あいつら? 何があったんだ?」 ゼダは、きょとんとした様子で、あたりを見回した。 「引き上げてくれたのはいいけど、あのラッパの音、なんか城であったのかな?」 ゼダも、不安げな様子であたりを見回す。大通りのほうに目を向けると、すでに詰所から出てきたのだろう。松明を手にした兵隊達がばたばたと現れている。 それをみて、勘の鋭いゼダは、状況を把握した。 「なんだ、もしかしてなんかヤバイのか? 夜間外出禁止令でもでるんじゃねえか、これ」 ゼダは、シャーの方を振り返った。 「おい、マズイぜ。こんな時に刀振り回して暴れてるのがばれたら、俺たちもしょっぴかれちまうぜ! とっととずらからねーと」 ゼダは、シャーにそう話しかけたが、シャーは、何か考え込むように宮殿のある方向を見つめている。返事をしないシャーの肩にゼダはぐいと手をかける。 「おい、どうした?」 「え? あ、ああ」 シャーは、はっとしてゼダのほうを見る。ゼダは、怪訝そうに首をかしげた。 「どうしたんだよ。顔色良くないな? なんか心配なことでもあるのか?」 「い、いや、別に」 シャーは、首を振る。ゼダは、少し眉をひそめて、彼には珍しく素直に心配そうな視線をシャーに向けた。 「らしくねーな。冷や汗かいてるぜ? さっきの傷でも痛むのか?」 ゼダの視線はシャーの左胸に向けられていた。実際、シャーは刀を握っていない左手を、胸にそっと当てていたのだ。 「べ、別に、そんなんじゃねーよ!」 シャーは、慌てて否定したが、急に顔をしかめた。不意にズキリと左胸の奥が痛み、シャーは思わず呻く。 「おいおい、大丈夫かよ?」 ゼダが、気遣ってシャーの顔を覗き込む。 「へへ、ちょっと当たり所が悪かったみたいだな」 シャーは、そういって強がると、顔を上げた。 「んなことより、逃げるんだろ。もうすぐここいらも巡回の兵隊でいっぱいになるぜ」 「お、おう。そうだ、はやくここからずらかろうぜ」 近くからがやがやと人の声が聞こえた。兵隊達が外に出てきたのか、それとも、家の中にいた住人達が、何事かと外にでてきたのかはわからない。どちらにしても姿を見られるのは厄介だ。 二人は、同時に駆け出していた。 例のゼダの隠れ家に向かって走りながら、シャーの心は乱れていた。先ほどから古傷がズキズキ痛んでいたが、治っていた怪我が再発したというより、シャーの心が動揺しているからのようにも思えた。 左胸をかばって走るシャーは、自然とゼダから遅れがちになっており、彼の背中を追う形で走っていた。 (一体、何が起こったってんだよ!!) 思い当たるのはあの神殿での礼拝だ。今日は一体誰が訪れたのかしらない。ただ、堅固な城の中より、外出時のほうがスキはできるだろう。 今すぐにでも現場にいって確認したかったが、この状況では向かうこともできまい。なにせ、自分の正体を知るものはほとんどいない。末端の兵士の前で正体を明かしたところで、気の狂った若造だと思われて牢屋にぶち込まれるのがおちである。シャーの風体は、どこからどうみても浮浪の生活を送るみすぼらしい青年だし、身分を明かしたところで誰も信じてくれるはずもない。 それにしても、思い出すのは、ハダートやジャッキールが言っていたあの名前。「女狐」のことだ。 シャーにとっては、不倶戴天の敵であり、そして義理の母でもあるあの女。この世で唯一、八つ裂きにしても足りないぐらいの殺意を抱いたことのある女だ。 (あのくそババア……!) シャーは、歯噛みしながら、けたたましく召集のラッパが鳴り続ける暗い空を睨みあげた。 (弟がかわいそうだと思って、今まで殺さないでいてやったが、何かしでかしてやがったら、今度こそ、その命ないものと思えよ!) シャーの前にはゼダが走っていた。このとき、もしゼダがシャーの方を振り返っていれば、彼は今まで見たことのないような、鬼のような形相の彼を見たことだろう。 あいにくゼダも、振り返る余裕はなかった。増える兵隊達を避けて路地を走り抜けつつ、後ろのシャーが完全に遅れてしまわないか距離をはかるので精一杯だったのだから。 神殿の中は、明かりが落とされ、星明りとランプのわずかなともし火だけが、中の人影を映し出していた。あたりは騒然としており、神殿の庭では、兵士達があわただしく駆け回っている。 ランプを手に、あちらこちらを歩き回っていたレビ=ダミアスにも、外から召集を告げるラッパの音が響いているのが聞こえていた。 「もういいだろう。神殿のともし火を元に戻してくれ」 そういうレビ=ダミアスの命令があってはじめて、神殿の中に松明が数本入り、元の通り、燭台の蝋燭に火が入っていく。ようやく見通しが利くようになったころ、ちょうど外で命令を出していたカッファが中に入ってきた。 神殿の中では、神官達がまだ呆然とした様子で立っている。数人は、命令されてようやくそろそろと震える手で、灯火をつける作業をはじめていたが、兵士を含め動揺するものたちが多くいる中、狙われた当人であるレビ=ダミアスの態度たるや、異常なほど悠然としたものだった。 レビは、まだ薄絹で顔をかくしたままだった。しかし、例え、顔をさらしていても、剣を収め、落ち着いた態度で冷静に命令を下す彼が、この状況下で本物の国王シャルル=ダ・フールではないのだとばれる危険性は少なかったかもしれない。それほど、彼の態度は王位についている人間として、説得力のある泰然としたものだった。 「陛下。すぐに城下の護りは固めさせ、門を堅く閉じるように命令を出しました。曲者が都を脱出することはできないかと思います」 「ああ、色々手配ありがとう」 レビは、にこりと微笑んだようだ。 「しかし、驚きました。陛下は、いつ、狙われていると気づいたのですか?」 カッファは、冷や汗をぬぐいながらそう尋ねる。 「うん、そうだね。ちょうど天窓を見上げた時に、ちらりと光が漏れているのを見たんだ。それに、妙な殺気が感じられるような気がしてね。警戒をしていてよかったよ。何かが風を切る音がすぐに聞こえてきた」 「そうですか。しかし、お怪我もないようでよかった」 カッファは、おっとりと微笑むレビを頭からつま先まで見て、安堵のため息をついた。 レビは、病弱ではあったが、基礎的な武術の訓練は受けていた。そして、センス自体はもともとあるらしく、実際、見かけによらずかなりの腕前ではある。もちろん、幼少期から戦場で訓練を積んできたシャーと比べるわけにはいかないが、それでも常人より技術も持っており、王族の中でも実際は相当剣の腕が立つほうだった。彼が持ち合わせていないのは体力だけである。 あの時。 カッファが、風を切る異音に気がついて、はっと天窓を見上げた時、すでにレビ=ダミアスは、敵の襲来に気づいていた。優雅な動作で、しかし、すばやく剣を抜いたレビは、天窓から飛び込んでくる矢を目の前で叩き落したのだった。 呆気に取られるカッファや神官達を制し、レビは、すぐに室内の照明を消すのように命令した。そして、狙撃者があの塔の上にいることを告げ、すばやく兵を差し向けるように命令を下した。 軍人向きの性格ではないが、元々高貴な身分の出である彼は、帝王学に通じているせいなのか、命令を下すのになれているし、こういう事態に対する肝が据わっていた。 だが、すでに剣を収め、明るくなった拝殿の中を、ゆるりと歩き回りながら検分している彼は、いつものおっとりした彼そのもので、先ほどのように俊敏な動きができるようには見えない。感心していたカッファとて、今の彼ののんきな様子には驚きを通り越してあきれるほどである。 「でも、危ないところだったね」 レビは、ゆったりとそう答えて、足元に落ちていた折れた矢をつまんで、白いハンカチの上にのせた。 「ごらん、カッファ。鏃の部分」 レビは、そういってカッファにそれを向けた。矢の棒の部分は真っ二つに折れ、砕け散っていたが、鏃のほうは綺麗に残っている。そして、鏃の周囲の布がぬるりとした緑色の液体で染まっていた。 「これには毒が塗られているようだよ」 レビは、そういって鏃を指差した。 「敵は、どうやら私を本気で殺す気だったようだね」 そういう声色も、どこか緊張感に欠けている。 「ところで、塔の上はどうだった?」 「陛下のご命令どおり、早速兵を差し向けましたが、すでにも抜けの空だったようです」 「なるほど。敵もなかなかやるものだ」 レビは、嘆息をついて、天窓を見上げた。 「それにしても、夜間、あの塔からここを狙うなどとは、なかなかの名手だな」 「ええ、おそろしい腕前ですな」 「ああ。けれど、もっとおそろしいのは、あれだよ」 レビ=ダミアスは、ついと顔を上げた。 その視線の先には、青いタペストリーがかかっている。その中央の紋章は、シャルル=ダ・フールを示すものだ。孔雀の羽と剣で飾られたその旗の中央に、一本矢が刺さっており、その布を壁に縫いとめている。 「実は、矢は二本飛んできていたんだよ。あれが、私を狙っていたら、さすがに私も危なかったな」 「では、射手は一人でないと?」 「一人が二本射ることもできないことはないだろうけれど、しかし、あれは別のものだろう。多分、私が感づいたのは、あれを射った男の殺気だと思うのだよ」 レビは、カッファに笑いかけて話した。 「私を狙ってきた毒矢の主も相当な腕前だが、多分、あれの主はそれ以上の手錬れだよ」 カッファは、きょとんとしてレビとタペストリーを見比べた。 「あれが? しかし、随分と外しておりますが」 「外したのではないだろう。わざとあの旗を狙ったのだ」 レビは、柳眉をひそめる。 「わざと? 何故? 陛下を狙う絶好の機会だったのでしょう? 故意にはずす必要など」 「さあ、それは私にもわからないのだが」 レビは、ゆるりと首を振り、まっすぐに矢を見上げた。 「ただ、もしかしたら、だが、あの矢のあるじは、あるいは彼のことを知っていて、私が”本物”でないことを悟ったのでないかと思うのだ」 「何ですと? し、しかし」 カッファは、周囲を見回す。幸い、神官や兵士達はすでに離れたところにいた。彼は声を低めて続けた。 「『殿下』の顔を知るものなどそういません。王族でも殿下の顔を知っているものも少ないのに、あの距離からレビ様と殿下を見分けたというのですか?」 「さあ、それはわからないよ。しかし、あのタペストリーは、シャルルのタペストリー。それは、あくまで彼を殺すという意思表示のようにも思える」 「しかし、それは偶然では?」 「私の杞憂であればよいが、どうにも偶然のようには思えないのだ」 ごらん、と、レビは矢を指差した。 「あの矢はどこに刺さっていると思う?」 「は? ああ、ちょうど羽と剣の紋章の重なった中心ではありますが」 「旗の中心部。いわば心臓ということだね。……偶然にしては、嫌な場所に撃ち込んでくれるものだ」 レビは、目を伏せてカッファのほうに向き直る。 「ともあれ、夜間外出禁止命令を出してくれ。そう簡単には尻尾をつかませてはくれないだろうが、けん制にはなるだろう。こちらもそうそう簡単にはいかないところを見せておかなければならないからね」 「はい。それはもうすぐにでも……」 カッファはそう答えると、急いだ様子で神殿を出て行った。 レビ=ダミアスは、ため息をついて、もう一度タペストリーを見上げる。 彼は、この旗の本来の持ち主である「彼」は、大丈夫だろうか。と、レビは、心配になった。 こんな騒ぎを彼が聞きつけると、どうなるだろう。彼は心優しく心配性だが、行動力と能力が下手にあるものだから、自分で背負い込んでしまいがちだ。 「なんとも厄介なことになったものだ」 レビは、ぽつりと呟いた。 一覧 戻る 進む |