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笑うムルジム31


「別に俺は詮索しようというわけじゃあないんだがさあ。あんたもなかなかわからねえところのある男だよなあ」
 急に声をかけられて、うつむいてぼんやりしていたジャッキールは、声のほうに視線を向けた。そこには、ハダート=サダーシュがにやにやしながらたたずんでいる。
 ハダート=サダーシュの屋敷の一室。客室の一つで、ジュバをつれてきたジャッキールは彼と別れてそこで時間をつぶしていた。豪華な調度品が整えられた部屋で、時間をつぶしあぐねたのか、何かの心境の変化なのか、彼にしても珍しく煙管をくわえて一服していたジャッキールは、煙をふっと吐き出してから居住まいを正した。
 紫煙がゆらりと湧き上がって、空気にまぎれて見えなくなるのをを視線で追った後、ジャッキールは、ゆったりとハダートに向き直る。普段のこの男は、意識しているのかいないのか、意外に行動がおっとりとしていて、気の短い人間には腹立たしいほどだ。ただ、このときばかりは、ジャッキールのほうにもなにやら思惑があったのだろう。時間を稼いで、ハダートの反応をうかがっていたのに違いない。キラリとハダートの方に走らせた視線には、ジュバの話を聞いてハダートが何を考えているのか探る意図はあった。
「何がだ?」
「いや、性格も経歴も変わっているし」
 ハダートは、にっと唇をゆがめて、ジャッキールをからかうように見た。
「今回は珍しく、俺のところにお友達を連れてきてくれたじゃないか」
「情報を売るには、ここが一番よいと思ったからな。話がわかると思ったし、アレでも昔の知り合いなのであまり手荒なことをされても困る。他のところに下手に持っていったら、誤解されて痛めつけられる可能性もないでもないからな。そういう時は金で解決できる紳士的な人間が一番だ」
 紳士的という言葉に、やや強くアクセントを置きながらジャッキールは発音する。出身地不詳のジャッキールは、もともと発音にやや癖があるのだが、今回のはわざとのようだ。
「そりゃあそうさ。ああいう金で解決できる人間は、大歓迎だぜ。おまけに意外と有能みたいだし、是非これからもねんごろにお付き合い願いたいものだぜ。さすがあんたのお友達だよ」
 ハダートは、しれっとしてそう返答する。
「できれば、あんたも金で解決したいんだけどねえ。あんたは金では心を売らない主義なんだろう?」
「そこまで聖人君主でもない。食える程度の金は欲しい。だが、あまり不相応な財を持ちすぎても身を滅ぼすのは知っている」
 ジャッキールに、ハダートはそうかといってから、意味ありげに唇をゆがめた。
「それで気になっていたんだよな。それほど、金に執着しないあんたが、ヤツには相当額ふっかけたらしいじゃないか。あの金は何に使うつもりなのかなと思ってさあ」
 ジャッキールは、煙管の火を消してしまうと、苦笑した。
「ヤツにもいったはずだ。職にあぶれているので、少々金に困っている」
「へえ、それならどうして、俺に紹介料を請求しなかったんだ? 俺は払うといったんだが」
「その代わり、調べてほしいことがあるといったはずだ」
「ああ、サギッタリウスの件だな」
「ヤツとは、浅からぬ因縁があるのでな」
 ジャッキールは、煙管をしまいこみながら立ち上がり、苦い笑みを浮かべる。
「へへえ、俄然興味がわいて来るねえ。まあ、そのことについては、あんたの口を割らせるより、調べた方がはやそうだけどな。あのお友達からも、ちょこっとは聞いているよ。あんたとサギッタリウスが、お互い武器を捨てて日が暮れるまで殴り合いした話とか、なかなか面白かったぜ? そういう面白い話きかせてくれないのかよ?」
「ふん、そんな面白い話でもない」
 ジャッキールは、やや不機嫌になったらしく、眉根をひそめた。ジャッキール自身は、リーフィほど無表情でもないものの、あまり表情の豊かな男ではない。ただ、普段から眉間に皺が寄って、気難しそうな顔をしているだけに、不快な表情だけは割りとはっきりとわかるのだった。それが彼を余計に気難しく強面に見せていて、誤解のタネではあるのだが――。
 ともあれ、ジャッキール自身は、ジュバの申告どおり、どうやらサギッタリウスという男と犬猿の仲ではあるらしい。ハダートは、興味津々と言った様子になった。
「へへえ、興味あるねえ。あんたにもそのサギッタリウスって男にもね」
 ジャッキールは、その視線をやや鬱陶しそうな顔つきで見やった。それは、ハダートにとっては予想済みのことである。ジャッキールは、サギッタリウスに自分が打ち負けそうになった過去を話したくないし、それを忌々しく思っているのだ。ハダートとしては、それを思わずからかいたくなってしまうので、ついつい顔がにやついてしまうのだが、あまり彼を怒らせてしまってもいけない。それ以上追い討ちを掛けるのをやめておいた。
「サギッタリウスのことは、知らんわけではないだろう。情報通の貴様としては」
「ああ、まぁね。弓の名手だということと、リオルダーナの没落貴族出身だというのは、聞いたことはあるね。あんたと同じく流れ者で、何かと動きがつかみにくいことも」
「そのとおりだ。自分でヤツのことを調べるともっと金がかかる。だから、金の代わりに頼んだ。それだけのことだ」
 ジャッキールは、やや強引に話をもどす。ハダートは、ややつまらなさそうに、しかし、気を取り直して、もう一度絡んでみた。
「それはそうかもしれないが。……なあ、もういいじゃねえかよ。本当のことを教えてくれてもよ」
 ハダートは、もはや遠まわしに言うのを止めて、直接的にきいた。
「ヤツにもらった金は何の目的に使うんだよ? 清貧を絵に描いたようなあんたの生活費にしちゃ、ちょっと多すぎるだろう?」
「詮索しない主義ではなかったのか?」
 やれやれと言いたげにジャッキールは苦笑する。
「主義はそうなんだが、好奇心は旺盛なのさ」
「はは、なるほどな」
 ジャッキールは、少し困った様子を表情のはしばしに見せながら、にやりとした。
「そう焦ることもない。俺は、隠すのは苦手なので、いずれわかるだろう」
「ちっ、あんたも、なかなかイイ性格してるよなあ。で、もう出て行くのかい?」
 いよいよ出て行きそうなジャッキールをみて、ハダートは苦笑いしながら尋ねた。
「そろそろいい時間だからな。俺は忙しい」
「忙しい? 一体何の仕事があるんだよ?」
 そう問い詰めるハダートにまともに取り合わず、ジャッキールは話を変えた。
「そんなことより、お前の方はどうなのだ? せっかくよい情報をもってきたのに、護衛を増やさなくてよいのか?」
「その辺の手はずは整えているさ。まあ、一番守らなきゃいけないヤツがどこにいるのかよくわからねえと来ているんだが」
 ハダートは、肩をすくめる。
「ともあれ、狙われやすいところには、一応注意するようにしておいたよ。ただ、あまり急に動くわけにはいかない。あまり急激な動きをすると、あっちを刺激しかねないからな。だから、今のとこ予定の入っている行事やなんかは普通に進めるみたいだ。警備はもちろんしっかりはするけど。たとえば、今夜の礼拝の儀式とか」
「礼拝? 今夜にか?」
 ジャッキールが眉をひそめる。
「ああ、王は、宮殿から出てすぐの場所の神殿に夜半に礼拝するんだ。日程は占いで決められ、神殿側から依頼が来る。それがたまたま今日の夜だった。この国の王様は神殿から即位の認定をされて王になるということもあって、神殿の儀式には協力的でなければいけない。とはいえ、王様っても、そんな宗教ごとに熱心ならともかく、普通は誰かに代参させるのが基本なのさ」
 ジャッキールは、眉根を寄せてあきれた様子になった。
「ヤツは、そのことを認識もしていなさそうな態度だったぞ」
「そりゃそうだろう。あの男は、特に宗教ごとには興味ないし、ああいう退屈な儀式に耐えられないからな」
 ハダートは、さもあらんといった様子で答える。
「まあ、アイツはいつでもそういう態度なんだが、”お兄ちゃん”が結構まじめな男でね。今回は体調がよいので代参するってえ話だよ」
「兄? 詳しくは知らんが、影武者をつとめているというあの?」
 ハダートは、声を低めて言った。
「まあ、そう。そのお兄ちゃんが今回は代参するという話さ」
「それはマズイのではないのか。傍目に見れば、本人が参拝するように見えているだろう?」
 ジャッキールが、難しい顔つきになる。
「その辺の警備はちゃんとやってるだろう。それに神殿には窓もほとんどないし、外側から狙い撃ちできるような状態ではないだろう。暗いしな。狙うとしたら移動の間かもしれないが、移動は宮殿からほんのわずかな間をするだけだし、警備の兵隊も多いからとてもじゃないが狙える状況にない。いかにサギッタリウスが弓矢の名手とはいえ、物理的に射れない的を射落とすことはできないさ」
「それは、まあ、そうなのだが……。あの男のことだからな」
 ジャッキールは、なんとなく腑に落ちない顔つきだった。
「あんたがその男を買っているのはわかるけど、ジュバの情報じゃあ、襲撃はもっと後の日程にあわせる予定だったとも聞いてるぜ。確かにジュバの言う日のあたりには、大掛かりな儀式の予定があって、王は公衆の面前に出てこなければいけないし、広場でやるから狙いやすい。その男が有能な射手だとしても、まさかわざわざ今日みたいな日を選んでこないだろう」
 ふむ、とジャッキールは、唸った。
「それもそうだな。俺の考えすぎかもしれん。女狐は、ヤツが街で遊んでいることぐらいは知っているのか?」
「さあ、どこまで知っているかはわからないところさ。終日宮殿にいるわけじゃないことはわかっているだろうが、実際、アイツがどこで何しているかっていうことは把握していないと思うぜ。実は、俺も、後見人のカッファさんも知らないんだよ、アイツの今の棲家。尾行しても上手い具合に途中でまきやがるし。俺はアイツから依頼を受けているから、最低限、居場所がわかるが、言わなきゃ現地の人間に溶け込んで、どこにいるのか本気でわかんねえからな。溶け込まれたら、探すのも大変なんだぜ」
 ハダートは、探した経験でもあるのか、うんざりとした様子になる。
「あんただから言うけど、大体、アイツは王族や臣下の中でも、ほとんど面が割れてないのさ。儀式の時は兜を目深に被っていたり、仮面をつけていたりして、顔を覆い隠していることが多かったものでね。その上、人柄を知っているのも一握りなんだ。昔は、社交的な場では大層無愛想だったので、そういう感じだと思っているか、”お兄ちゃん”の方しか知らないかのどっちかが大半でね。だからこそ、似てるのは痩せ型なのと髪がやや癖毛ってだけの”お兄ちゃん”を代理にしてても、怪しまれていないんだよ。アレの本性を知っているのは、俺達軍人の一部と文官の限られた人間だけさ。女狐も顔を知っている程度だろうと、本人が言ってたよ」
「なるほど。そういう意味では本人には、危害が加わる可能性が少ないということか」
「まあね。群衆の中に溶けこんで紛れ込んで、正体を消してしまう才能は天才的だぜ。こういっちゃナンだがスパイに雇いたいぐらいにな」
 ハダートは、やれやれとため息をつく。
「よくわかった。それなら、まあ、俺が出るほどのこともあるまい」
「おや」
 ハダートは、出て行こうとするジャッキールの黒い背中を見やりつつ、思わずにやりとした。
「アンタも因果な性分だねえ。結構子守が似合ってるんじゃないか? 本当のところ、気になってアイツの様子見に行くんだろ?」
 意地悪にそう呼びかけると、一瞬、ジャッキールは動きを止めて、顔を半分だけ彼に向けた。
「いいや。子守は、俺でなくそちらの役目だろう?」
「そうかな。まあいいや。なんかの時は、助けてやってくれよ。そうすりゃあ、俺も、仕事が減って万々歳だ。何せ忙しいんでね」
 ジャッキールは不機嫌そうに舌打ちすると、そのまま顔を進行方向に戻した。
「お互いにな」
 振り返りもせずに一言返して、彼は部屋から出て行ってしまった。足音が聞こえなくなったのを確認しつつ、ハダートはため息をついて壁にもたれかかった。
「ちぇッ、あの唐変木」
 ハダートは、悪態をついて口を尖らせた。
「色々話す振りして、肝心なことはいわねえでやんの。金の使い道ぐらい教えてくれてもいいようなもんなんだが。そんないかがわしいことに使うわけでもねえだろうに。俺に散々しゃべらせておいてよ?」
 まあ、自分が話したくて話した部分もあるのではあるが。彼ならめったに口を割らないだろうから、こういう話を打ち明けるにはもってこいの相手だった。秘密の捌け口という部分もあるが、実際に有益な方向に働くことも期待しているのだし。が、ハダートには、なんとなくその口の堅さが腹立たしいところもあるのだった。
「もちっと単純で扱いやすいヤツだと思ってたが、案外強敵だな」
 ハダートは、あくびをかみ殺しつつ、目を細めた。


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