一覧 戻る 進む 笑うムルジム32 (なんでオレがこんなことを) シャーは、不満だった。 この国の住居の多くは平らな屋根をもっていて、ふた昔前の戦乱の前は、旧市街だったとかいうこの廃屋の多い地区でもおおよそそうだった。ところどころ土壁が崩れかかっているのを、うまく足場にして、シャーは屋根に上ろうとしていたのだった。シャーの風体だと不審にもほどがある光景だった。ここが人気のない場所でよかったと思わざるを得ない。 「よっと」 声をかけて屋根に足をひっかけて身を起こすと、先に屋根に上っていたゼダが身を低めながら、その向こうを伺っていた。 「やっぱりな。ここなら様子が良く見えるぜ」 「そりゃあそうだろ。屋根の上なんだからよ」 確かに、たいまつやランプをつけて路地裏をうろつく連中の姿がここからだと良く見える、が、襲い掛かるつもりなら、壁際に潜んでおいてから飛び掛ってもよいのだ。 「なんでこんなところから見る必要があるんだよ」 シャーが、焦れたようにたずねた。 「相手は少人数なんだし、ちゃっちゃとやっちゃおうぜ?」 「おめえも、案外せっかちだなあ」 ゼダは、のんびりとそう答えた。 「だって、人数増えると厄介じゃねえか」 「増えてもすぐわかるだろうが。いいだろう。まだ日も落ちたばっかりだぜ。ことを起こすには早すぎるってよ。まずは、敵の状況を知るのも大切だって」 「あのなあ」 楽しそうなゼダに、シャーは呆れ気味だ。 二人が上ってきたのは三階建ての建物で、比較的遠くまで街の様子が見下ろせる。まだ日が落ちてから、それほどの時間が経っていないこともあり、ぽつぽつと建物には明かりがともっているし、花街のほうは煌々と輝いていた。そのずっと向こうには、巨大な宮殿がわずかに影を見せ、そのところどころに明かりがともっていて、昼間見るよりも大きく見えている。 「さてと、ベリレルさんをさがさねえとな」 「暗いのに、こんなとこから顔なんかわかるかよ」 シャーが悪態をつくが、ゼダは特に話を聞いていないようである。 (こいつ、やる気あるのかな?) そんなシャーの疑念など知らぬ顔で、ゼダは向こうでうごめく灯火の群れを面白そうに眺めているようだった。が、不意に彼は顔を上げてなにやら別の方向を凝視していた。 「あれ? なんかあっちのほう、やけに明るいよな」 「え? なになに?」 シャーがつられて顔を上げる。ゼダは、指をさした。 「王城が明るいのは、いつものとおりだが、その東側さあ。なんだ、大神殿のあるあたりかな?」 「大神殿だ?」 シャーは視線を移してみる。確かにゼダのいうとおり、宮殿から東の神殿のほうに向けて、明るくなっていた。その道筋にかがり火か松明でも焚いているのだろうか。 「そういえば、なんか儀式でも……」 といいかけて、シャーは、思い当たる節があったらしい。 「ああ、そういや今日は礼拝の日だったかもしれないな」 「礼拝? ああ、そうか。あの神殿は王族ご用達の大切な神様の神殿だったよなあ」 ゼダは、思い出しながら同意する。 「時々、王様とかお偉方が真夜中とかでも不定期に礼拝するんだっていううわさ、聞いたことあるぜ。一応正式な儀礼だし、それなりに盛大にはやるってきいてるし、明かりぐらいつけるだろうよ」 ゼダの答えに、シャーは一応うなずくが、 「うん、まあ、そういうことなんだけど……」 そうつぶやきつつ、なんとなく落ち着かない気分になった。 (誰が代参するんだろう……) いつもなら、カッファ=アルシールあたりが代参することが多いとか聞いている。 シャーが知っているのはそれぐらいだ。彼自身は、あまり信仰心の篤いほうでもないし、そういう儀礼は好きではないので、詳しい事情は知らない。 ただ、一応、本来は国王がやるべき儀礼ではある。そうなると、あの病弱で世間知らずの「彼」が、ひょっこり代参を申し出たりしていないかだ。 (まさか、兄上、そんなところに出てこないよな?) いつもは、夜で気温も下がるので、体調を考慮して辞退しているらしい。しかし、体調がよいときは一通りの職務を通そうとする彼であった。おまけに作法なども心得ているし、そうした儀礼の場では特に、本彼は物のシャルル=ダ・フールとは比べ物にならないほど王らしく見えるだろう。 シャー自身もそのことは自覚はしている。そもそも彼は、生まれながらに貴人の素質を兼ね備えた男ではあるのだった。物心ついたときには、貧民街の路地裏で、どうにかこうにか食い扶持を稼いで糊口をしのいでいたシャーとは、そもそもの出発点が違うのであった。 しかし、なにぶんあのレビ=ダミアスは、世間知らずなのだ。警戒するということを知らない。腕も立つし、頭も良いし、意外に政治的な微妙な判断もできる彼だったが、どこかしら抜けたところがある。その辺が、とてつもなく心配になってしまう。それも、このところ、ハダートからなにやらきな臭い情報を聞いてしまったばかりなのだ。 (いやいや、でも、神殿だろ。あの神殿だよな) シャーは、昔、訪れたときのことを思い出す。まじめに参拝していなかったのだが、建物のイメージはさすがに覚えてはいた。石造りの神殿は、窓が極端に少なかった。確か天窓がひとつ開いているぐらいだ。飛び道具で狙うとしたら、そこしかないし、神殿自体は宮殿から近いうえ、周りはたくさんの兵士で護衛もなされている。神殿に攻め込まれることは考えづらい。 あとは、道すがら襲われる心配はあるものの、宮殿からそれほど遠くないし、あれだけ煌々と明かりを焚いて、相当の警備をしているのだろうから、よほどの大軍でせめて来ない限りは大丈夫そうだ。そして、それほどの大軍で行動しようものなら、さすがにハダート=サダーシュあたりの網に何かしらの情報が事前にひっかかろうというものである。 (だ、大丈夫だよな。あんなところで襲ってくるわけねえし) シャーは、頭に浮かんだ不安を払拭するように首を振った。 「おいおい、どうしたんだよ?」 「ん、いやっ、別になんでもねーよ!」 怪訝そうにゼダに尋ねられ、シャーは我に返ってあわてて首を振った。 「いきなり、深刻な顔で何考えて……」 ゼダはなにやら言い募ろうとしたようだったが、はっと開きかけた口をそのまま止めた。 そのとき、下のほうから、わっと声が聞こえたのだった。松明が激しく動き、その場を縦横に駆け巡る。お互い罵り、わめく声、そして悲鳴が後から続いていた。 「どうしたんだ? ムルジムってのが見つかったのか?」 シャーが、様子をうかがいながらゼダに話しかける。 「でも、それなら、その直前に見つけたぞー! とか何とか聞こえてもおかしそうなもんじゃねえか。そんな声、ぜんぜん聞こえなかった。それに、別にさっきから松明の数が増えたわけじゃない。さっきまで一塊だったやつらが二つに分かれてるだけに見えるぜ」 「それって、まさか同士討ち?」 ゼダの答えに、シャーは、はっとした。 そうだった。先にどうしてそのことに思い至らなかったのだろう。 そもそも、彼らが捜しているらしい『ムルジム』は、かなり込み入った事情のある男らしかった。ハダートやジャッキールの持ち込んだ情報を総合して考えれば、あのサッピアが一枚噛んでいるのは間違いなさそうだった。 だから、『ムルジム』が見つかっても、見つからなかったとしても、どちらにしろ、彼らは消される運命だったのだ。制限時間が来て、証拠隠滅のための行動に連中が移っただけのことにすぎない。 「これは厄介なことになったぜ!」 シャーは舌打ちして立ち上がった。 「行くぜ、ネズミ!」 そうゼダにいうと、シャーは、剣の柄をおさえたまま、隣の屋根へと飛び移った。 神殿のある宮殿の東側は、閑静な場所だった。大神殿は、金星をつかさどる女神のものであったが、その周辺には他の神々を祭った神殿もぽつぽつと存在していた。祭礼の日は、それは盛大な騒ぎにはなるのだが、そうでないときの夜は静かなもので、こうして王族の礼拝が行われるときも一般人の人通りはほとんどなかった。 ただ、篝火が焚かれ、神官などの聖職者が入り口を往来しているし、今日のように兵士がぐるりとそのかしこを警戒している。その様子からそれなりの重要人物が礼拝を行うのだということは、周囲からもすぐわかった。 宮殿の入り口付近にも、松明が焚かれ、何かとものものしい空気が漂っていた。 そこに、普段礼拝の代参を勤めることの多い、カッファ=アルシールが、落ち着きなくうろつきながら、主人の到着を待っていた。 現在、宰相をつとめているカッファ=アルシールは、シャルル=ダ・フールの後見人であり、教育係であった。そもそもは、前王の親衛隊と勤めていた武官だったとされ、シャルルが遠征を行った時にも、常に傍にはべっていたという。どちらかというとがっしりした印象の男で、文官らしい落ち着きよりは無骨な印象のほうが強かった。 前宰相でかつて辣腕をふるったというハビアスの弟子であり、彼の推薦があったこと、そして、七部将と呼ばれる七人の将軍達との関係が良好であったことから、現在では宰相の座についてはいるが、そもそも彼自身は、宰相に上り詰めるような後ろ盾のある身分でもなく、権謀術数に通じた男でもなかった。 しかし、実直誠実な性格と、協調を重要視する姿勢が評価され、信頼されているのは間違いなく、彼の存在が、現在の表面上の政情の安定に一役買ってはいるのだった。 「陛下のお支度は? まだ参られないようだが」 痺れを切らして、カッファは、とおりすがった顔見知りの女官に尋ねる。 「もう参られますよ」 彼女はそう答えて、苦笑した。 「カッファさまは、せっかちですのね」 「あの方が、のんびりされて……いや、落ち着いておられるからだな」 女官は、ますます楽しそうに笑う。 「もうすぐ参られますわ。ご心配には及びませんよ」 カッファは、そうか、と答えてため息をつく。 カッファとしては、今日の礼拝は、自分が行うだけで済ませたかったのだった。ハダートから、なにやら良くない情報もきいているし、そうした場に彼を連れ出すことは避けたかった。しかし、肝心の彼自身が「今日はどうしても参拝したい」と言うのだから仕方がない。 (あれで、案外強情でいらしゃるからな。レビ=ダミアス様も) カッファは、首を振った。 何かあると心配なので、取りやめようといったとき、彼は「神事に関わることなのだから、そのようなことぐらいで中止にすべきでない。神への非礼にあたるではないか」と答えたものだ。やんわりとした口調ではあったが、そこに反論をさしはさむ余地はなかった。 (お体の調子が良いのはいいことなのだが、それはそれで困るな) カッファは、もう一度深くため息をついて、内外の警備の状況をぐるりと見回した。まあ、これだけ厳重に警戒しているのだから、大丈夫だろう。危ない場所にいくわけではないのだ。 そんなことを考えていると、向こうから輿が現れた。はっとしてカッファは、そちらに駆け寄った。 「やあ、カッファ、遅くなったね」 彼の声が聞こえる。カッファが輿を覗き込むと、彼は天蓋の布をちらりとめくってカッファに顔を見せた。 「陛下、お加減はいかがですか」 「ああ。今日は体調は万全だよ。久しぶりに外に出るので、楽しみにしていたしね」 彼の顔の半分は、布に覆い隠されていたが、目を見てもはっきり彼が微笑んでいるのがわかる。 彼、レビ=ダミアスが、こうして顔を隠しているのは、もちろん、彼が本物のシャルル=ダ・フールの身代わりをつとめていることを知られることを防ぐためでもあったが、もともと、シャルル自身が顔を隠していることが多かったからでもある。それなので、彼が仮面をつけたり、布で顔を隠したりすることを、それほど不審がるものはいない。 そういうこともあり、今回も、彼は布で鼻から下を隠していたが、上品で柔和な印象はそれでも周囲に漂っている。 「カッファばかりにおまいりを任せているのもよくないし、良い機会だよ」 「はあ、それはそうですが……」 カッファは、やや困った様子になった。 「しかし、先ほども申したとおり、なにやら不穏な動きもあるそうで……」 「ああ、聞いているよ」 レビ=ダミアスは、ゆっくりとうなずいた。 「そのあたりは十分気をつけてくれているだろうし、私も気をつけているよ」 「ええ、ですが」 「カッファは心配症だね。”彼”が、言っていたとおりだよ」 くすくすとレビは笑って、カッファを見上げた。 「これだけ警備を固めていては、なかなか有効な襲撃を企てるのは難しいよ。隙はあるかもしれないが、そのときはそれなりに私が対処できるだろう。むしろ、不穏な空気があるときに、”彼”がここにいなくて良かったじゃないか」 「え、ええ、それは、まあ」 「そうだろう? ”彼”は、こういうことがあると、ついつい頑張ってしまって、何かと空回りしてしまうことがあるからね」 レビは、そういうとにっこりと笑ったようだった。 「”彼”は、そういえばここのところ姿を見ないね。元気にしているだろうか?」 「殿下のことを心配なさることは、ございません。見かけないときのほうが、元気にしておられますからね」 カッファは、秘密を守る為と、幼いころから呼び習わしてきたこととの両方の理由から、普段は彼のことを殿下と呼ぶことが多い。 「あれは、一ヶ月に数日しか宮殿に戻ってまいりませんので」 カッファは、やれやれと言いたげにため息をついた。 「花押を書きにきているのだろう?」 「ええ、命令書にあれの直筆サインが必要になることがございます。その仕事の分、小遣いをやっておりますので、金があるうちは戻ってこないでしょうな。無一文になるころに、ふらっとやってきて、仕事をするので時間給でよいので金をくれと頼み込んでくるのですが」 カッファは、眉根をひそめてむっとしたような表情になる。 「ハダートとは連絡をとってはいるようですが、殿下の場合、下手に便りがないほうが無事ということですので、それなりに楽しくやっているのでしょう」 はは、とレビは笑う。 「彼らしいな。幸せそうでいいじゃないか。それなのに、不満そうだね。カッファは、彼に真人間になって欲しいのかい?」 レビは悪戯っぽく笑う。 「昔、彼が荒れて大変だったから、殿下が元気でいるのなら、もうどこで遊んでいてもかまわない。優しく明るい殿下でいるのなら、この際、高望みはしない。って言ってたじゃないか」 「そ、それは、そうですが……。いや、でも、やはり真人間になって欲しいというのは……」 カッファは、咳払いをすると首を振った。 「真人間とは申しませんが、その、私は、せめて、もっと潤いのあるまともな生活をして欲しいと望んでいるのです。正直、もうちょっと地に足をつけた生活をですね……」 あはははは、とレビは楽しそうに笑う。 「それでは、今夜は、彼が潤いある生活ができるようにとも祈っておくよ」 「は、はい。ありがとうございます」 「けれど、彼にとっての、潤いあるまともな生活って、きっとカッファの考えていることとぜんぜん違うと思うんだ」 レビは楽しそうに答え、渋い顔のカッファに優しく笑いかけた。 いよいよ出発の時間が近づいてきていた。レビの乗っている輿がゆっくりと前進し、目の前の門がゆっくりと開いていった。 一覧 戻る 進む |