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笑うムルジム28

 ジャッキールが、酒場を訪れた時は、リーフィは休憩なのかシャーの側にはいなかった。酒場の中もがらんとしており、数名の客がぼんやりと昼下がりを過ごしている様子だった。シャーも、眠たそうに机の上にだらりと頭を垂れている。
「やはり、ここにいたのか」
 最初に訪れた場所で、早々に彼を発見できたのはよかったが、シャーはもういつものシャーらしい。ちょいと顎をあげて、例の三白眼でジャッキールをみやるとにんまりと笑う。
「あら、ダンナ。いらっしゃい〜!」
 その顔を見ると、ジャッキールは、なんとなく今までの心配が馬鹿馬鹿しくなるような気がした。これだけ心配をかけさせておいて、このいい加減な顔を見たときの腹立たしさをどうすればよいのだろう。
 ジャッキールは、何となく理不尽な気持ちをおさえながら、一言言った。
「元気そうだな」
「おかげ様でねえ〜。いやあ、ダンナには世話になったね〜」
 顔がにやけているところをみると、どうやらうまくいっているのだろう。この男はちょっとするとすぐに機嫌が直るのだ。
「リーフィさんは?」
「んー、今厨房の方でお仕事と休憩しているみたいよ? なあに、リーフィちゃんに用があるの?」
「いや、俺は貴様に用があってきた」
 ジャッキールは、シャーの向かいにどっかと座ると、懐から紙切れを差し出してシャーの方に投げやった。
「ナニコレ?」
「蝙蝠から伝言だ。貴様に伝えてくれとな」
「蝙蝠? ああねえ」
 シャーの表情が少しだけ曇った。大体の事情はわかっているのだろう。紙切れを開いてなにやら難しい顔をしている彼に、ジャッキールはため息交じりに言う。 
「事情は大体きいているが、そういう状態では、貴様、こんなところで遊んでいる場合ではないのではないのか」
「それはそうなんだけどさ。証拠がないのに踏み込めないんだよ。いや、証拠があっても踏み込めない相手なんだよ、コレが。オレに出来るのは、自衛策を張り巡らせることだけさ。まあ、そういうのは、オレが指示しなくてもさくさくあっちでしてくれているんだけどね」
 シャーは、眉根をひそめた。
「第一、オレが絡むとシャレになんねえからさあ。なるべく直接関わらないようにしてるんだよ」
「洒落にならんとは?」
「余計な血を見そうになるから」
 シャーは、少しぶっきらぼうな言い方になった。
「オレはあのヒトとは、相性が悪すぎてね。オレは女のコ……、いや、あれはおばちゃんだけど、とにかく女性にゃ手を上げない主義なんだけど、我慢できなくなったらいけないから、さ。ガキのころ、あのババアに皮肉言っただけで、ものすごい騒ぎになったことがあってね。今はそのときより恨みが深いから、関わらないほうがいいんだよ。オレも、かっとなったら何しでかすかわかんねえし。親とか兄弟多いとこういうとき大変だぜ」
 シャーは、物憂げにため息をついた。
「それこそ、こういう話はハダートとかそういうひとに任せてるんだ」
 ふむ、とジャッキールは頷く。
「まあ、諸事情あるなら仕方がないが、お前も十分に気をつけたほうがいいぞ。相手はどんなものを雇ってくるかわからん」
「まあね。とはいえ、アレよ。オレの場合、あのおばちゃんにオレがここにいることは案外バレてなくってねえ。むしろここにいる方が安全な面もあってさあ。オレってほら、一般人に溶けこんじゃう方だから、見分けがつかなくなるらしいんだよねえ。何気にオレの顔知ってる人も少ないし」
「まあ、どこにいっても現地民に見えるのは間違いないな」
 ジャッキールが、呆れ気味にそう呟く。
「だが、狙撃などにも十分注意しておいた方がいい。もし、顔が知られていると大変だからな」
「わかってますって。一応、これでも気をつけてるのよん」
 シャーといえば、昼寝中の猫のような姿勢で、ごろごろしながらそう答える。コイツ、本当にわかっているのだろうな。といいたいのを我慢して、ジャッキールは、それはそうと、と話を変えた。
「実は俺のほうからも蝙蝠に話したいことができてな。ヤツに会いたい」
 シャーは、目を丸くして、意外そうな顔つきになった。
「え? あいつに会いたいの? いるかどうかわかんないけど、お屋敷にいきゃあ捕まるよ? 屋敷ぐらいわかんでしょ?」
「俺のような人間がいきなり訪れても会ってくれんだろう。不審すぎるだろうが」
 そうねえ、とシャーは相槌をうちながら、あ、と声を上げた。
「ああ、それじゃ、オレの紹介状を持っていきゃいいよ」
 シャーは、そういうと店においてあるペンを拝借して、紙切れになにやら走らせる。彼にしては珍しく丁寧に何か書いている様子に、ジャッキールが興味深げに目をやっていると、シャーは、ほれ、と彼に紙切れを渡した。
「これをもってけば、屋敷は通れるよ、多分」
「ふむ」
 と、ジャッキールは、紙を覗き込む。そこには、紋様のようなものが書かれていた。よく見ると、文字を派手に崩して紋様のような形にしてあるようだった。
「花押だな」
 ジャッキールも、この国でそうしたサインが公的に使われていることを知っているので、頷いて綺麗に折りたたもうとしたが、シャーが、ふとにやつきながら一言言った。
「あ、いっとくけど、それ、悪用しないでね。シャレになんないから」
「シャレにならんだと?」
 眉をひそめるジャッキールに、シャーは、そっと声を潜めつつ、口の側に手を立てながら告げた。
「そのサイン、勅命用なワケ。数少ないオレが直接出す命令書に書いてあるサインってわけよ。そんなわけで、それを持ってりゃこの国じゃあ、何やっても通る予定。オレがそれ書くの超レアなんだからね。大切にしてよね?」
「そ、そんなものを軽々しく書くな!」
「んなこといっても、他にあんまり箔のつくやつもってないからさあ。あんたが落としたり、悪用したりしなきゃ問題ないじゃん?」
 焦るジャッキールにそう軽々しく答えて、シャーは、何にきづいたのか、あれえと声をあげる。そしてにやにやしながら尋ねてきた。
「それにしても、なあにさ。今日は重装備じゃない? どうしたの? 夜逃げでもするの?」
 そういわれて、む、とジャッキールは、シャーに目をやる。明らかに何も考えていないような、へらへらした顔にだんだん腹が立ってくる。
(俺があんなに心配してやったのに……、なんなんだ、コイツは!)
 ジャッキールは、ざっと立ち上がる。その態度に、思わずシャーはどきりとして、やや緊張感を抱いたようだったが、ジャッキールは暴力を振るうこともなく、吐き捨てるようにこう言った。
「就職活動だ!」
「ええ〜、マジで? ダンナも大変だよねえ?」
 まさに他人事という調子でシャーが言った時、不意に声が聞こえた。
「エーリッヒ」
 ジャッキールが入り口の方を振り向く。シャーは、その視線を辿ってみる。入り口に、見覚えのない男が立っていた。その佇まいをみると、どうもただものではなさそうな印象があった。
 そもそも、エーリッヒというのが、誰のことなのか、シャーは知らないので、なんと彼が言ったのか聞き取れなかった。
「それでは、俺はこれで。リーフィさんによろしくな」
「アレ? 会ってかないの?」
 さっさと出て行ってしまうらしいジャッキールに、小首を傾げてシャーは尋ねるが、彼の返答は短かった。
「俺は忙しい」
「あらま、つれないのねえ?」
 シャーは、意外そうにいいつつ、入り口に足早に向かう彼を見やった。入り口で待っているあの男は一体何者だろう、とは思うが、ジャッキールが連れているということは危険はなさそうだ。シャーは、そう判断してはいたが、何となく気がかりになって彼らの様子を伺っていた。
「すまなかった、待たせたな」
 ジャッキールが、そう声をかけると、男、ジュバは、ああと頷いた。
「用件は済んだかい?」
「ああ、十分な」
 と、ジュバは、酒場の中をちらりと見やった。まばらな客の中で、先ほどジャッキールと話していたシャーに目を留める。
「あの男は一体何だ?」
「あの男か? ああ、ただの遊び人だ、気にするな」
 先ほどの恨みもあってか、ジャッキールは冷たく言う。
「それよりも、見つからんうちに目的地に向かうぞ」
 ジュバにそういい歩き始めた所で、向こうの方から駆け足に何者かがこちらに向かってくるのが見えた。派手な上着をちらつかせた男は、ジャッキールの顔を見て声を上げる。
「おっ、ダンナ。元気そうだな」
「なんだ、貴様か」
 相手がゼダなのを確認し、ジャッキールは背後でそっと短剣の柄を握ったらしいジュバに目配せした。危険がないらしいことを察知して、ジュバが警戒を緩める。
 ゼダは、にやにやしながら、二人を見た。
「ダンナ、連れがいるとは珍しいな。どこかにお出かけかい?」
「諸事情あって忙しいのだ。ヤツに用があるのだろう? 酒場の机でべったり寝そべっていたから、相手してやれ」
「ああ、そう、それは都合がいいねえ」
 ゼダは、そういいながら、足早に去りかけるジャッキールに、一言尋ねた。
「それにしても、暑苦しいカッコしてどこに行くんだよ? 夜逃げかい?」
 ジャッキールは、ぴたりと足を止めて、わずかに口元を引きつらせた。その台詞を聞くのは三度目だ。
「就・職・活・動・だ!」
 きっちりとアクセントをつけてそういいおくと、ジャッキールは、ジュバに行くぞとつげ、早足で立ち去る。
 なにやら興味深そうに見送るゼダを完全に無視して足を速めていると、ジュバがにやにやしながら声をかけてきた。
「おいおい、エーリッヒ。なんだかお前らしくもない知り合いが多いな」
「腐れ縁だ」
 まったくヤツらと関わると、どうもペースを乱される。ジャッキールは、不機嫌に言い捨てて目的地へと急ぐのだった。


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