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笑うムルジム27

  金額交渉を済ませた後、ジャッキールは前金の金貨を受け取った。
 ちゃりんと音を鳴らせ、彼は指でそれをもてあそびながら、話の続きを聞いていた。
 リーフィのいる酒場近くの路地。ジャッキールにとってはよく見知った場所だった。さすがに追っ手はきていないようだった。まだ少なかった見張りをなぎ倒して強行突破し、彼らはここまで逃げてきたのだったが、そこでそのまま金額交渉と詳しい話をきいていたのだ。
「ちッ、もっと負けろよ、昔の好だろう。エーリッヒ、意外にお前もがめつくなったな」
 恨めしげにいうジュバに、ジャッキールはにっと笑う。
「それは心外だ。逃亡を手助けしてやった上、逃亡先まで紹介してやろうというのだ。それぐらいが相場だろう? 第一、無一文にしたわけではあるまい。恨み言を言われる筋合いはないな」
「そのかわり情報をくれてやっただろう」
「ちゃんとそのあたりは考えた金額にしたつもりだがな。俺も何かと経費がかかるのだ。悪く思うな」
 ジャッキールは、にやにやと笑う。ジェバは肩をすくめ、そっと小声になった。
「しかし、ずいぶん楽しい話をきかせてやったじゃあねえか。お前の好きそうな不穏な話をたんまりとよ?」
「ああ、まあな。楽しくて背筋が凍りそうな話だ」
 口でそういう割には、ジャッキールがあまり喜ばしそうな顔でなさそうだった。むしろ、少し不機嫌そうな表情である。ジェバは意外そうに言う。
「お前なら、こういう話を聞くと飛びつくと思ったがな。暗殺計画には一度乗った身だろう。しとめそこなった相手をしとめようとは思わないのか? お前らしくもない」
「少々、事情があってな」
 ジャッキールは苦笑する。まさか、その暗殺対象に深く関わりすぎて、少々思い入れができてしまったなどとはいえない。
「一度、暗殺計画ではひどい目にあっているので、あまり関わりたくないのだ。高見の見物をさせてもらおう」
「へえ。高みの見物か。悠長なことだな」
 ジュバは、ふと何か思いついたらしく、にっと唇の端をゆがめた。
「だが、この話をきいても、そんなツラでいられるかい?」
 む、とジャッキールが、ジュバの顔を見る。ジュバは面白そうな顔になっていた。
「敵方にはサギッタリウスが雇われているんだぜ」
「何?」
 ジャッキールが、あからさまに表情をゆがめた。
「サギッタリウスだと! まさかヤツが?」
 思ったとおりに反応するジャッキールに満足して、ジュバはにやにやし始める。
「お前は先ほど、面が割れなかった、自分を知っているものがいなかったといったではないか!」
「ふん、お前は俺より奴の性格を良く知っているだろう? 奴は俺のことを知っていても、べらべらと喋らんよ。だから素性が割れなかったのさ」
「確かに、な」
 ジャッキールは、何か難しい顔になっていた。
「奴が、この国に来ているとは初耳だ。奴はリオルダーナにいるのではなかったのか。故郷で貴族に返り咲ける資格はあったはずだが」
「あの男はとっくに故郷を捨てているよ。今でも流れ者の傭兵さ。あの男ほど気ままな旅をしている男もそういないぜ」
 ジュバは、思い出したように言った。
「そうだ、奴は、まだお前を探している様子だったがな。皆が死んでいるといっても、信じていない風だった。エーリッヒはあれぐらいで死ぬわけがない。必ずどこかに潜んでいる、ってさ。まあ、今のお前の元気な様子を見ていると、奴の勘はさすがといったところかな」
 ジュバは、腕組みして彼を見上げた。
「お前とサギッタリウスは、今でも宿敵らしいな。その反応じゃ……。お前がムキになるのは珍しいからな」
 ジャッキールは、返事をしなかった。彼は眉根を寄せて、なにやら考えこむ様子になっていた。
「まさか、貴様と同じ雇い主に雇われているのか、奴は」
「そのとおりさ。そりゃあ、奴ほど暗殺に向く男もいやしないだろう。奴はなにせ、百発百中の弓矢の名手なんだからな。そんなことは、お前の方が嫌というほど知っているだろう」
「うむ、まあ、な」
 そっと声をひそめながら、ジュバは続ける。
「それに、あの男は、本当かどうかはしらねえが、東方遠征の時にシャルル=ダ・フールを射ち落したっていううわさもあるぐらいだからよ。遺恨もあるからちょうどいいんだろう。しとめそこなった相手を殺せるチャンスさ。あの男にとっても美味しい仕事だぜ」
「あ、ああ。そうだ、そうだったな」
 ジャッキールは、ますます眉をひそめた。なにやら思いつめたような顔で何かを考えているジャッキールだったが、ふと顔を上げた。
「まさか、雇い主は、そのことを知っていて奴を雇ったのか?」
「さあな、だが知ってるんじゃねえかい? あの男は自分でそういうことを吹聴するような性格じゃあないが、周りからきいているだろうよ」
「それはまずい……」
 ジャッキールは、反射的にぼそりと呟く。
「なんだって?」
「い、いや、なんでもない」
 聞きとがめたらしいジュバに、ジャッキールは、慌ててごまかすように笑った。そして、ふと話を変えた。
「しかし、奴とて成功したら消されるとわかっているのではないか。あの男は考えナシの大馬鹿だが、勘は鋭いはず。さすがに消されるとわかっていて仕事に乗るか?」
「ああ、奴もそれぐらいのことは気づいているさ。だが、俺が下りたことも知っているよ」
「では何故?」
「一応下りる時に、顔なじみのよしみだから、そういう話はしたんだぜ。だが、奴はなんと言ったと思う?」
 ジャッキールは、無言でジュバを凝視している。
「『以前射抜き損ねた男を殺す機会は早々ない。相手が今は国王になっているとしたら、なおさらのことだ。この機会を逃す手はない。神が与えた好機といえるだろう。だから、俺は、すべてが終わった後、報酬をもらう前に抜け出すつもりだ。それで俺が死んだとしても、それは神の思し召しだということだ』ってさ」
 ふ、とジュバは笑った。
「だが、アイツにとっては、本当に神の思し召しかな。おかげで、サギッタリウスはお前に会えそうだぜ、エーリッヒ」
「ふん、俺はあんな単細胞馬鹿の髭男に会いたくもない。どこぞで野垂れ死んでいればよかったものを!」
 ジャッキールは、あからさまに不機嫌そうに言い捨てる。その妙にむきになっている姿がものめずらしいらしく、ジュバは、なにやら面白そうににやついていた。
「そんなことより、もう一度確認するが、雇い主は、その女で間違いないのだな?」
「間違いない。それに、シャルルが死んでくれて一番嬉しいのはあの女だろうさ。血のつながりのねえ息子だし、元から仲が悪いといううわさだぜ? 大体、シャルルを王だと認めたくないっていうんで、いまだに『王妃』を名乗っているっていう話だろ、あの女狐は」
 ジュバは、忌々しげに言った。
「第一、レンク・シャーの奴が募集をかけていたんだぜ。あの野郎は、内乱の時に大分あの女狐の言うことを聞いて暗殺を手がけているし、女狐とズブズブの関係なのは有名な話よ」
 ふむ、とジャッキールは唸った。
(よりによって、もっとも敵に回したくない男がついたものだな)
 まだ、目の前のジュバならどうにか対処はできた。確かに腕は立つし、まともに相手をするとそれなりに厄介だが、彼ならシャー本人でもあしらうことはできよう。
 だが、サギッタリウスとの二つ名で呼ばれる男は、ジャッキールと本気で戦って勝負がつかなかった男なのである。今でも本気で戦って勝てるかどうかはわからない。自分でもそうなのだから、シャーが相手でも同じようなものだ。
(しかも、戦場で、確かにヤツを射落としたのはサギッタリウス本人。それは俺が目撃しているから間違いない。射ち落されたヤツは、あいつの顔を知るまいが、さすがに瀕死の重傷を負わされたのだから、それなりに恐怖心はあるだろう)
 それよりも厄介なのは、サギッタリウスが標的の顔を覚えている可能性があるということだった。そのときの「彼」は、青い兜を目深に被った少年で、今の彼とは雰囲気は多少は違ってはいる。が、ジャッキールも彼の姿を見て、あの時の青い兜の少年であると気づいたのだ。
 狙った獲物は必ず仕留める。それが彼の知るサギッタリウスだった。ジュバが言ったとおり、彼が逃した獲物は数少ない。その筆頭が自分であり、そして、あの時青い兜を被って指揮をしていたザファルバーン側の将軍、――つまり現在のシャルル=ダ・フールと言われている王子だったのだ。
 その王子の正体を、果たしてヤツは見抜けるだろうか。
 ジャッキールは、あの男の鋭い眼光を思い出した。
(ヤツが雇われているとしたら、間違いなく、近いうちに狙撃事件が起こる――)
 彼はそう確信した。
「王妃サッピア」
 一番厄介な女に、一番敵に回したくない男がついている。その事実は、ジャッキールに、重くのしかかっていた。何か不穏な予感が、彼を珍しくじりじりとした気分にさせていた。



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