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※この話には、暗殺編のネタバレが含まれてます。

笑うムルジム23


「よ、よし! よくやった!」
 酒場から少し離れた住居の壁に、一人の男が張り付いていた。
 その視線の先では、リーフィとシャーがなにやら笑いながら雑談している。どうやらちゃんと話をしているらしい。シャーの表情を見ると、どうやら大丈夫そうである。繊細さでは、おそらくリーフィよりシャーの方がかなり繊細であるし、シャーは案外不安が顔に出るタイプなのである。
 シャーをああ焚き付けてはみたものの、朝から出かけた彼が、ちゃんとリーフィと話をするかどうかが気がかりで、ジャッキールは先回りして酒場の近くで待っていたのだった。
(こういう雰囲気で話せているのなら、うまくいったようだな。後は、昼飯でも奴がおごれば……。いい店でも紹介してやればよかっただろうか……)
 ジャッキールは胸をなでおろしつつ、ため息をついていた。
「朝っぱらから、デバガメとはいい趣味だな」
 そう声をかけられて、ジャッキールは、慌てて後ろを振り向いた。
 いつの間にか、後ろの家の軒先の段差に男が座っている。その肩にカラスが一羽乗っていた。男は、眠そうに大あくびをしながらものめずらしそうに彼を見ていた。
「む、誰かと思えば……!」
「朝からいやにごっつい男がうろついてるなあと思ったら、あんたかよ。しかも、トシゴロの娘が意中の男前追いかけるみたいに、壁際にそっと手をかけて、何覗いてるんだ」
 ハダートは、あきれたように言った。ジャッキールは、少し顔を上気させているらしいが、元から顔色が悪いのでそうそう目立たない。だが、その居住いがおかしいので大分動揺しているらしかった。
「べ、別に、俺は、奴の人間関係などが心配になって、思わず見守っていたわけではないのだ。た、ただ、ちょっと……とおりすがったらだな、奴らがちょうど……」
(心配してるんだ……)
 ハダートは、内心意外に思いつつ、顎を撫でた。
「なんだか保護者みたいになってるな。ちょいと毒されすぎじゃねえ?」
「だから、別にそういうつもりはないというに!」
 ジャッキールは、わざとらしく咳払いをして、なにやら挙動不審なままハダートに尋ねた。
「それより、貴様こそ朝からこんなところで何をしている」
「俺かい? 俺は、あそこのにーちゃんに用事があってきたんだが、昨日はすっぽかされちまってねえ。てっきり、この酒場に来ていると思ったのに。で、面倒になったから、酒場で御執心の美人に渡してもらおうと思って待ち伏せしてたのさあ」
 ハダートは、そうだ、といわんばかりに、懐から手紙を取り出すとジャッキールに渡した。
「面倒だから、あのにーちゃんに渡しといてくれよ。どうせ、あんたならあいつに会うんだろ?」
「まあ、そうだが、俺に渡してもよいものなのか。何か重要な情報などが」
 ジャッキールは、やや困惑気味だ。
「暗号になってるし、あんたなら意味がわかっても、他言しなさそうだからいいだろ。というか、ここで内容言っちまってもいいんだけどな?」
「そんな機密を話していいのか?」
「いいだろ。その様子みてると、アンタ、あのにーちゃんに大分入れ込んでいるみたいだし、いまさら裏切らないだろ」
 む、とジャッキールは詰まる。その様子が面白いらしく、ハダートはにやにやした。彼は、周囲に人気がないのを確認して、少し声を潜め、ジャッキールを手招いた。ちょうど人気のない路地裏だ。生活感がないわけではなかったが、外に出る人間もいない。小さな声で不穏な話をするのには、案外向いていた。近づいたジャッキールに、彼はにやついたまま話を続けた。
「いや、実はな、近頃ちょこちょこ事件があるんだよ。そいで俺は忙しいんだ。あんたも女狐のことは知ってるかい?」
「女狐?」
 ジャッキールは、そう反芻して眉をひそめた。ハダートは、その反応に満足してうなずいた。
「その女狐さ」
 このザファルバーンで女狐といえば、現国王シャルル=ダ・フールの数人いる継母の一人のサッピアを指す言葉だった。先代国王セジェシスは、かなり大雑把な人間でちょっと変わったところがあったらしい。彼は夫人や王子に序列をつけるのを嫌がったらしい。そこで周囲のものがなんとなく序列をつけたのが、そのまま王位継承順位になったということだった。
 第一夫人には、セジェシスも気に入っており、二人の王子を産んだ王妃が事実上選ばれていた。彼女は大人しく、王子も優れた人物だった。それに、セジェシスの実子のうち一番の長子はシャルル=ダ・フールであったが、その次に生まれたのが彼女の王子二人である。シャルルは、庶子だったため、彼女の王子が当然次の王位につくと見込まれていた。
 そして、第二夫人と序列されたのが、そもそも強力な力をもっていた貴族の娘であったサッピアである。彼女は、やたらと権力欲が強い女で権謀術数に長けていた。さらに後ろ盾も多く、何かと王族の揉め事にかかわっていると言われている。先だっての内乱でも、相当暗躍したらしく、シャルル=ダ・フールに厳しく蟄居を命じられたといわれていた。
 ジャッキールも、前の暗殺未遂に関わった時、多少はサッピアのうわさを聞いている。もし、シャルルの暗殺に成功しても、サッピアから妨害を受ければ、彼らの担いでいた王子の王位簒奪は成功しないのだ。しかし、その時にきいた情報では、今は表にはでてきていないとのことだった。
「その女狐がどうした。大人しくしていると聞いていたが」
「それが大人しくしてるような女じゃない。あんたもかかわった暗殺未遂事件以降、復活してやがるのよ」
 ハダートは、肩をすくめた。
「アンタは直接あの事件に関わってたから、わかるだろう。もともと、シャルルが王位に就く予定がなかったことは、あんたもよく知ってるだろうけど、本来、一応王位継承順位の割り当てがあったんだよ。内乱前にな」
 ふむ、とジャッキールは唸った。
「まあ、少しは……」
「シャルルを第一王子と数えた時に、あんたの大将が担いでたのが第三王子。王位継承一位だった第二王子ラハッドは内乱時に毒殺されちまって、二位はその第三王子ザミル、三位は女狐の一人息子の第四王子リル・カーン」
「第三王子のザミルは、兄が死んだ後の継承順位は自分が先だと主張したのだったな。しかし、実際、兄に手を下していたのがザミル本人だった」
「そう。だが実は真犯人がヤツだということは、王朝の重臣にはバレてたのよ。そんなヤツを王位に就かすわけにはいかねえが、かといって序列からいくと次はリル・カーン王子。つまり女狐の幼い一人息子が来てしまう。そうなればそうなればで当人と外戚がうるせえのは目に見えてる。王子もまだ少年だし、こんなところであの女に垂簾聴政されちゃあ地獄だってえんで、苦肉の策で出してきたのがシャルルだったのさあ」
「長子だという点を重要視させて、強引に推したのだったな?」
 ジャッキールが、確認するようにたずねると、彼はうなずいた。
「そうよ。実はその他色々有象無象がいて収集がつかなくなっていたし、それに序列外だが一番性格がオヤジに似てるのがアイツだったからね。セジェシスっていうのは、困った人間だったが、なかなか面白い人で、それだけ信奉者が多かったんだよ。シャルルがオヤジによく似ているというだけで、それだけで賛成に回る人間はいた。まあ、貧乏くじだけどな」
 ハダートは、肩をすくめた。
「ごたごたはそれで一応収まったんだが、まあ、不満な人間はいた。その筆頭がザミル王子だったわけさ。ヤツは、そもそもの王位継承位で正当性を主張できる大義名分があった。女狐も息子を推したかっただろうが、ザミルがいたんじゃ難しいからな。ところが、ザミルは待ちきれずに暗殺未遂事件を起こしてしまった。さっきも言ったとおり、兄貴を殺したのが実はザミルだということは、重臣の間では周知の事実だったんだが、シャルルが情けをかけて情報をそこで握りつぶしたので、取り立てて処罰されてもいなかった。もちろん、他の王族もこのことは知らなかった。ところが、暗殺未遂事件により、そのことが周知の事実となり、さらにヤツは国王暗殺未遂の咎で王位継承権を剥奪されているんだよ。そうなりゃ、邪魔者がいなくなった女狐は、元気にもなろうというものさ。あの女は、前の内乱の時に、アイツにかなりきつーくやり込められて、今後、表に出てきたら容赦なく殺すとまで言い渡されたので、しばらくは大人しくしてたんだが、こんな好機に黙ってるような女じゃねえわな」
「きつく? 珍しいな、あの男が女相手にそこまで」
 ジャッキールが小首をかしげてそうきくと、ハダートは、あきれたように言った。
「あんたは経緯を知らないからそういうのんきなことが言えるんだよ。あの女とアイツは、昔っから犬猿の仲だぜ? アイツは両手と両足の指で数えられないほど、あの女に毒を盛られーの、刺客を派遣されーのしてるんだから、そりゃあそういう気にもなるさ。実際何度か死にかけてるからな。前回の内乱の時だって散々いろんなことしでかしたもんで、怒り心頭だったんだぜ。俺なんかは、てっきりとうとうぶっ殺すのかと思ってたぐらいよ。あの男も、一応は、母親の一人だってんで、我慢してるが、本当は世界で一番殺したい女だと思っている筈だぜ」
 ハダートは、くわばらくわばらと首を振る。
「それで、その女がらみでちょっと動きがあってだな。前にタレコミがあって、女狐が要人暗殺をたくらんでいるってきいてたんだよな。それっきり何もなかったんだが、続報があってね。どうも、手の込んだ裏工作をしているらしいから、気をつけなっていいにきたのさ。ま、詳細はこの紙に書いてあるよ。あんたからも、気をつけるようにいっといてくれよな」
「俺が言ってもしょうがなかろう。それより、少しは、まともな帝王学でも学ばせておいたらどうだ。ヤツは、感覚が小市民的かつ繊細すぎるぞ」
「いまさら手遅れだよ。もともとそういうことを期待されてなかった男だからねえ。そう思うなら、アンタが教えてやってくれよ」
 そんなことをいわれて、ジャッキールは困惑気味になる。
「俺は、一介の剣士なので、そのようなものは学んでいない」
「いいじゃねえか。一般常識的に教えてやればさあ。意外と、アイツはあんたには一目置いてるらしいから、多少は素直にきくだろうさ」
 ハダートは素気無くそういうと、ふいににやついて小首をかしげた。
「しかし、ダンナも、今日はいやに完全武装じゃないか。朝っぱらから夜逃げの準備かい?」
 王都に住み着いているのは、すでにハダートの知る所になっているらしい。だから、普段の彼が、最近、黒い半そでの普段着でうろついているのも知られているのだろう。
 雰囲気が物騒なジャッキールであるが、さすがに普段着でうろついている分にはそれほど物々しくない。けれど、今日のように、鎖帷子を着込んだ上着に黒いマント、例の魔剣を背負っていると、やはり目に付く。
「別に。少し仕事があるからな」
「仕事? なにやら穏やかじゃないな」
 ハダートは、にやりと笑って立ち上がった。
「それじゃあ、俺はこのあたりで。屋敷に帰ってゆっくり寝たい気分なんでね」
 大あくびしながら彼はふらふら歩いていく。それを見送りながら、ジャッキールはため息をついて、手の中の紙を掲げた。
「……ろくでもない話を聞いてしまった」
 よく考えれば、何故、一国の将軍とこんな路地裏で、暗殺未遂だのなんだのと、国家転覆の陰謀めいた話をしなければならないのか。第一、自分は今は一般市民だ。前回の暗殺未遂には多少関わってはいたが、よく考えると自分は敵方の人間だったわけで、何故こんな深い事情を聞かされているのだろう。
(これは、確実に何かあったときに、巻き込まれるな)
 ふと、壁の向こうをみるとシャーとリーフィは酒場の中に消えていた。
 あの調子で談笑しているところに、こんなひどく無粋な話を持ち込むこともなかろう。せっかくリーフィと和解して、ほのぼのした空気のところに、そんな重い話をもっていくのは、彼が可愛そうな気がした。
「仕方がない。所用が済んだ後で、立ち寄るとするか」
 最初から言付かるのを断ればよかった。ジャッキールは、重いため息をついてとぼとぼと路地裏を後にするのだった。


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