一覧 戻る 進む 笑うムルジム16 日がくれたころ、シャーは、酒場を目指して歩いていた。もう少し遅くても良かったが、何かと張り切るジャッキールが鬱陶しいので、早く出てきたほうがちょうど良かったのである。 シャーが、いつものとおりに酒場の扉を開けて中に入ろうとしたとき、ふと、先に誰かが中から扉を開けた。 「おおおっっと!」 「きゃああっ!」 慌ててシャーは、扉と衝突するのを避けるが、扉を開けた女の子の方がかなり驚いたようだ。 「あんらぁ、サミーちゃん。こんばんは」 シャーは例の調子で声をかける。 「なあんだ、あんたなの。驚かせないでよ」 リーフィはシャーには優しいのだが、基本的にリーフィのいる店でも他の女の子はシャーにはそんなに優しくない。鬱陶しそうに顔をしかめたサミーに、シャーは慌てて愛想笑いをする。特にサミーは店でも最年少で、強気な彼女は何かとシャーを侮っていた。 「そんな顔することないじゃん。冷たいねえ。大体わざとじゃないんだよ」 シャーは、誤魔化すようにそういいながら、店の中を覗き込む。 「あのさ、リーフィちゃんいないの?」 「リーフィ姐さんは、今日は帰ったわよ」 「ええ? マジで?」 思わぬ返事にシャーは、前のめりになりつつ聞いた。 「どうしてさあ? どっか悪いの?」 「そんなことないと思うけど」 シャーにやや気おされて、サミーは答える。 「朝早くから来てたし、なんか用事があったからじゃないかしら」 「用事って、何か話してなかった?」 ええっと、といいかけて、サミーは、はっと我にかえる。 「ちょっと、いいじゃない。姐さんには姐さんの事情があんの!」 「ん、んん、まあ、そうなんだけど」 サミーに強気に出られて、シャーは思わず後ずさる。 「わ、わかったよ。ありがとう」 シャーは、とりあえず礼を述べると引き下がることにした。とにかく、リーフィは家に帰っているらしい。それはそれで、ちょうどいい。仕事中に連れ出すわけにはいかないので、仕事が終わるのを待っていなければならない。終わっているというなら、話をしてつれてくればいいだけの話だ。 リーフィの家は、酒場からそう遠くない。シャーはぶらぶらとリーフィの家に向かった。 そうわかっていながら、何故かシャーは、不穏な気配を感じていた。いや、不穏なのは気配ではないのだ。シャーの心につっかえた鉛の塊のようなものが、じわじわと重くのしかかってくる感じがする。 それを打ち消す為に、シャーは、わざと明るく物事を考えることにした。 「それにしても、あのダンナが普段ああだとはねえ。リーフィちゃんを前にからかいがいがあるよな」 さて、どうやってからかおうか。リーフィに、その様子をどうやって知らせようか。色々考えると、楽しい事は尽きない。何せ、ネタがネタだけに、色んな料理法がある。 そうしたことを考えていると、いつの間にかリーフィの家のまで歩いてきていた。 「リーフィちゃ……」 扉の前に行くまでに、外から声をかけようとしたとき、ふいに彼は足を止めたのだった。 扉の前に誰かいる。リーフィの部屋から漏れる光で、相手の顔がちらりと見えた。 「お前……」 シャーは、ぽつりと言った。はっと相手が身構えてこちらを見る。 「あんたは……」 「な、何しに来たんだ! ここに!」 シャーは、反射的に剣の柄に手をかけていた。 「俺は、別に……」 いつの間にか、鞘走らせていたらしく、シャーは白刃を掲げながら相手に挑みかかるように睨み付けた。 「お前は、ここに来ていい人間じゃねえんだ! どうして……」 シャーは詰め寄るが、突然、相手が身を翻して駆け出した。シャーは、後を追いかける。 と、その時、暗闇から飛び出した影があった。反射的に身をかわしたが、右手に軽い衝撃があった。少し遅れて痛みが走ったが、大した傷ではなさそうなのを感覚的に知り、シャーは剣を抜きながら相手を払いのけた。相手が倒れた気配があって、シャーは追撃しようとしたが、不意にきゃあっという甲高い悲鳴が上がったのを聞いて、思わず手を止めた。 シャーの目の前に、娘がへたり込んでいた。が、その目は、シャーを炎のような視線でにらみつけていた。思わずそれに気おされて、シャーは、ポツリと呟く。 「あんた、ミシェっていう……」 「やっぱり、あんたも、あいつを殺すつもりなんでしょう?」 少し涙声で震えていたが、彼女の声ははっきりと通った。その手には、短剣が窓から漏れるともし火にちらちらと輝いていた。 「まだ気になって、あの酒場の前を通りすがったら、あんたを見かけたのよ。そうしたら、あの女(ひと)のところにいくから……」 「オレを酒場からつけてきてたのかい?」 シャーは、苛立って歯噛みをした。ミシェは、きっとシャーをにらみ上げた。 「あんたのことは、最初からなんだかおかしいと思っていたの。もしかしたらあいつのことを知っているのではないかって……! ……あんたが、あいつを快く思っていないことも、なんとなくわかっていたのよ! さっきだってあんたは、何かあれば、あいつを殺すつもりだったわ!」 「ふん、借金取りに追われてる奴さ。オレじゃなくても、大概の恨みは買ってるさ。この間だって、たちの悪い連中が、あんたに話しかけてたじゃないか」 シャーが、そういうとミシェは彼から目をそらさずに答える。 「けれど、あんたは他の人と違う。なんだかこわい。恐いわ」 シャーは、一瞬ドキリとしたように表情を引きつらせた。 「こ、こわい、だって?」 シャーは、ひく、と片眉を動かした。シャーの目つきが変わったのを見て取ったのか、ミシェは、思わず身を引いた。 「オ、オレは、別に……」 シャーが何か言い募ろうとした時、扉の向こうでばたばたと音が聞こえた。 「どうしたの? 誰かいるの?」 リーフィの声だった。 「もしかしてシャー?」 その声を聞いた途端、ミシェは慌てて立ち上がって闇の中に駆け出した。 「あ、待て!」 シャーが声をかけた時、扉が開いてリーフィが現れた。 「シャー、待って」 リーフィは、彼女にしてはやや慌ててシャーを止めた。リーフィの制止で、行動を止めたシャーは、駆け寄ってきた彼女を見て口ごもる。 「で、でも、あのコは……」 「ええ。わかっているわ。いいの。ほうっておいてあげて」 「で、でも」 扉から漏れ来る光で、シャーの右の袖が黒く濡れている。それに気づいたリーフィが、シャーを見上げた。 「シャー、血が出てるわ。あのコにやられたの?」 「こ、こんなの、たいしたことないよ」 急にシャーは、居辛くなってこの場から逃げ出したくなったが、すでにリーフィは彼の袖をつかんでいた。 「いけないわ。中に入って。手当てしてあげる」 リーフィは、シャーの手を引っ張って室内に彼を案内した。 一覧 戻る 進む |