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笑うムルジム14


「さて、どこで寝ようかな」
 シャーは、寝ぼけ眼をこすりながら、毛布をもってうろうろしていた。まだ早朝だから、誰にも見つかるまい。
 正直、寝ようと思えばどこでも寝られるのがシャーの身上であったが、路上で寝るには少しは危険が伴うし、厄介ごとに巻き込まれても困る。自然と彼の足は、自分がよく知る界隈に向いていた。
 弟分たちの家に押しかけてもいいが、こんな早朝からだと厄介そうにされるだろう。それなら、もうちょっと自分に優しい人のところにいったほうがいい。
 そう考えると、自然とシャーはリーフィを思い出してしまう。
 そうだ。彼女なら、起こしても笑顔、でもないが、いつもどおり淡々と迎えてくれそうだ。そう一瞬思ったが、さすがにそれは気の毒である。リーフィの家の軒下を借りるとかどうだろうとも、考えたが、なんだか変態に間違われそうだ。
(やめとこう)
 せっかく、数少ないシャーに優しい女の子なのだ。リーフィに嫌われてしまっては、誰もかばってくれなくなって寂しい。
 とはいえ、どこに行こう。
 ぶらぶらあるくシャーは、無意識に酒場の方に足が向いていた。なんとなくよく知っている場所を選んでしまったのだろう。
 不意に、シャーは思い出した。シャーは、大体毎日ふらふらしている男であったが、時々、夜遅くまで遊びすぎて、おまけに雨が降ったりした時に、帰りそびれることがある。そういうときは、誰かのうちに泊めてもらうのだが、まれに泊めてもらえないときもある。そういう時は、酒場の軒下などで野宿をするのも平気だったが、時々朝やってきた酒場の女の子などに見つかって罵られたり、しかられたりすることも多かった。
 そんなシャーを気の毒に思ったのか、リーフィがある提案をしてくれたのだ。
 ちょうど、酒場の裏手にリーフィたち女の子達の勝手口があり、そこに控え室がある。リーフィなどは、酒場では厚遇されている方らしく、狭いながら専用の部屋が与えられていた。その勝手口にいくつか小さな物置があり、女の子達に割り振られているらしい。その一つがリーフィの物置にあたるのであるが、あまり物を持ち込まない彼女は、中が空っぽのままだった。
 そこでリーフィは、雨が降った時など、勝手にそこを使って寝ていてもいいといってくれたものだった。今まで、どうしても帰れないときなどに、確かにそこで寝かせてもらった事はある。ここなら、リーフィ以外の誰も扉を開けないので、寝ていても怒られることもなかった。
「仕方ない、リーフィちゃんの好意に甘えちゃうか」
 シャーは、そういって酒場へと足を向けた。そっと勝手口の方に回ると、まだ朝が早いせいか、人気がない。それはそうだ、まだ誰も来る時間でもない。
 シャーは、その側の物置を見た。一メートル四方の小さな箱程度のもので、上に蓋がついている。鍵はかかっていないのでそれをあけると、案の定何も入っていなかった。
 狭いことは狭いが、体を折りたためば別に寝られないこともない。大体、シャーという男は、基本的にはどこでも寝られるし、どんな体勢でも基本的には寝られる猫のような男だった。
「それじゃ、リーフィちゃんに感謝しつつ」
 シャーは、都合のいいことをいいながら、蓋をしめてその中に忍び込んだ。あまり太陽が昇ると暑くなってくるが、ここはちょうど家の軒で陰になっており、太陽が昇りきるまではそれなりに心地よいことをシャーは知っている。
 ようやくここで心置きなく眠れる。シャーは、大あくびしつつ狭い物置の中で毛布を抱えて眠りについたのだった。
 しばらくは、気持ちよくすやすやと寝ていたように思う。ふと、彼が何かに気づいて目を覚ました時、まだそれほど太陽は昇っていなかった。
 不意に人の気配を感じて、シャーはなんとなく目を覚ました。
 誰だろう。酒場にやってきた女の子達だろうか。だとしたら、こんな所を見つかると叱り飛ばされてしまうので、静かにしていなければ。
 けれど、女の子達にしては、声がしない。リーフィは、一人で酒場に来ることも多いが、普通の女の子達は数人固まってくることが多かった。それは、この界隈がそれほど治安のいい所でないという事情もあったし、彼女達はリーフィより若い子が多かったから、他愛のない会話を交わしながら歩いてくるのももっともなことだ。
 シャーは、蓋を親指で押しつつ、そっと外をうかがった。
 確かに誰かがいる様子だったが、視界の中には入らなかった。
(勘違いか?)
 シャーは、そう思い直してそっと蓋を閉めてまた眠ろうとした。が、ざっという足音が聞こえた。シャーは、気を引き締めて再び外をうかがった。誰かが酒場の壁に隠れているようだった。
「それでねー、本当にいやになっちゃったの」
 ふと、女の子の声が聞こえた。これはどうやら酒場の女の子らしい。酒場の準備をするのにきたのだろう。
「まったく、あいつったらしつこくって」
「それは災難だわねえ」
 笑いながら彼女達は、勝手口の鍵をあけて中に入っていったようだ。だが、壁に隠れた何者かの気配はまだ消えていない。
 ここからでは見えないかもしれない。かといって、この物置から飛び出てしまうのは気が引けた。相手に自分の存在を教えてしまう。逃げてしまうかもしれない。
 そうシャーが思いをめぐらせていると、ふと壁際の人物が動いた。
(あいつ!!)
 シャーは、息を呑んだ。思わずその名を叫んで飛び出しそうになったが、すんでのところで我慢した。
 隠れていた男は、そっと酒場の中をうかがっているようだった。誰かを探している様子だ。
 その時、また外から別の足音が聞こえた。中をうかがっていた男は、慌てて壁の方に戻った。静かにこちらに歩いてくるのは、シャーの見知った人物だった。
「あら、リーフィねえさん。早いわねえ」
 酒場の中から誰かが声をかけ、彼女は静かに返す。
「早く起きてしまったからね」
 そういってリーフィが酒場の中に入っていく。酒場の中では、女の子達の明るい会話が続いていた。
 男は、リーフィが酒場に消えたのを見届けて、もう一度だけ酒場の中を覗き込んだ。が、誰かに気づかれそうになったのだろうか。確認するのを諦めたらしく、足早にそこから離れていった。
 男が消えたのを確認して、シャーは、そっと物置から抜け出した。
「あいつ……」
 あの男は、ベリレルだ。顔はちらりとしか見えなかったが間違いはない。あの男が、再びリーフィのところにやってきた。それの意味することは何だろう。
「リーフィ姐さん、いい香りね」
 ふと、酒場の中の声が聞こえた。シャーは、そっと足音を忍ばせて窓のほうに近寄った。中では、リーフィと彼女より年下の娘が座って話をしている。リーフィはジャスミンの花を手に持っていた。
「昨日、姐さんが髪の毛にさしていたものでしょ? もうちょっと大丈夫じゃないのかな?」
「昨日一日飾っていたもの。もうそろそろ花がかわいそうよ。しおれてしまうわ。こうやって活けておけば、もうしばらくいい香りをさせてくれるわよ」
「そうかなあ」
 リーフィに向けて無邪気な笑みを浮かべつつ、娘は明るくきいた。
「そんなに後生大事にしてるなんて、もしかして、姐さん、いい人にもらったものなの?」
「これ? これは、シャーにもらったのよ」
「えええっ! あの住所不定無職で毎日ふらふらしてるだけの三白眼に?」
 シャーからときいて途端興味をなくしたように、彼女は肩を落とした。
「なぁんだ。姐さんも、本当に変わってるわね。あんなの、相手にしなきゃいいのに」
「まあ、手厳しいわね。でも、シャーは、あれで凄くいい人よ」
「人畜無害なのは知ってるけど、だってかっこ悪いじゃない。だんだんムカついてこない?」
「さあ、それはどうかしらね。意外とそんな単純な人じゃないかもしれないわよ?」
 リーフィは、なにやら思わせぶりに微笑んで、近くの一輪挿しを手に取った。花を花瓶に挿すつもりらしい。
「そういえば、姐さん、昨日、どこかいってたの? 昨日お店を早く終わってたから、他の子にきいたんだけど」
 シャーには取り立てて興味がないらしく、娘が話題を変えた。
「ええ、少し。昔の知り合いの女の子を訪ねて、歓楽街の方にいたの。まだ向こうのお店ではたらいているってきいたから」
「そうなんだー。てっきり、男前の彼氏とでも待ち合わせしてるのかと思ったのに」
「私には、しばらくそういう色気のある話はないわよ」
 からかうような娘の言葉に、リーフィは、淡々と答えてかすかに笑い、水差しを手にとって一輪挿しへ水を注ごうとした。
 シャーは、壁に背をつけてひっそりとその話を聞いていた。
 昨日帰り際に見た、白い花を髪に飾った若い女は、やはりリーフィだったのだろうか。そして、先ほどリーフィの様子を伺おうとしたあの男。
 やはり、リーフィも彼を探しているのだろうか。
「水差しの水が切れているみたいだから、ちょっと水を汲んでくるわね」
 リーフィの声が聞こえた。シャーは、はっとして起き上がった。リーフィは井戸の水を汲みにくるのだろう。
 シャーは、慌てて駆け出した。
 


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このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。