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笑うムルジム12

 シャーがそう吐き捨てた瞬間、背後に凄まじい殺気を感じた。慌ててその場を飛びのいた瞬間、背後にあった建物の木戸にガッと剣が突き刺さる。それを力任せに強引に引き裂きながら、剣が抜かれる。
 いつの間にか背後までジャッキールが迫ってきていた。シャーは、木戸の惨状をみながら、思わずぞっとする。
「おおおおお、無茶しやがって……」
 ジャッキールは、酔っ払っているはずだが、足取りも乱れていなければ、特に息が上がるようなこともない。ぎらぎら殺気に輝く瞳をみやりながら、シャーは苦笑いした。
「チッ、冗談きついぜ」
 ジャッキールは、すでにシャーを獲物としか見ていないのだろう。そのまま横殴りに剣を振るってくる。
 右手をだらりとさげていたシャーは、一瞬手を跳ね上げた。
 火花が散り、ぶつかり合った金属の音が、路地裏に反響した。
 剣を抜いたシャーは、正面から彼の剣を受け止めていた。ギリギリ、とかすかに火花を散らす。
「本気できりかかってきやがって! 人が大人しくしてりゃあ何だよ! 頭にきたぜ!」
 力任せに押し切ろうとするジャッキールの力を上手く受け流して、すいと横に逃れるとシャーはすばやく反撃に出た。それを弾き飛ばしたものの、ジャッキールは思わぬ反撃に一瞬気を取られた様子だった。追撃するもそれはそれほど鋭くない。その剣先を弾きながら、シャーは後退ながらすばやく噴水の裏側に回った。噴出す水しぶきの向こうで、ジャッキールはこちらを見据えている。
「大体、俺だってあんたに黙ってやられる義理はねーんだ。そっちがやる気なら、今日っていう今日は地獄の底に送り返してやっから覚悟しやがれ!」
 シャーが、腹立ち紛れにそう啖呵を切る。
 一瞬ジャッキールは無言に落ちていたが、シャーが思わずドキリとしたのは、いきなり彼が低い声で笑い出したからだ。そういう時、にたりと彼は、麻薬に陶酔したように唇を緩めてだらしなく笑うのだ。
「へへ、調子よさそうだな、ダンナ」
 シャーは、冷や汗が流れるのを感じた。
 こういう時のジャッキールとは、本気でかかわらない方がいいのは、今までの経験則からわかりきっている。ただですら常人より丈夫な彼であるが、こういう状態の時は、それにしつこさとしぶとさが加わってくるので、多少手荒く止めても大した制止にならないのだ。そういうときの彼は、実際痛覚が麻痺しているのかもしれない。
 となると、文字通り殺すか殺されるかの状態に陥りかねないし、たとえ勝てたとしても無傷ではいられないだろう。ジャッキールが正気に戻るまで逃げ続けるか、戦い続けるか、どちらにしても、厄介なことになったとシャーは思った。
(こうなったら気合入れて鬼ごっこするしかねえか!)
 シャーがそう考えて、剣をひきつけた時、同時にジャッキールが苛立ったように行動した。普段の動作は、どちらかというとおっとりしている彼だが、こういうときの動きは、その体躯に似合わず速い。
 シャーが夜の闇にわずかな光を弾いて輝く水滴の向こうで、きらりと剣がひらめいたのを見た時、ふと何かふわりとしたものがジャッキールの目の前を覆った。
 それは一瞬だった。ジャッキールの顔に布のようなものがまとわりついている。いきなり視界を奪われたのに混乱したのか、それを取り外そうともがく。
「おい、三白眼! 手伝え!」
 不意に声が聞こえる。ジャッキールはまだ剣を手放していないので、右手をつかみ、その刃先を気にしつつ、彼を押さえつけている人影が見えていた。
「あ、ネズミ! 逃げたんじゃねーのかよ」
 シャーは、慌ててゼダの隣に駆けつける。
「どう考えてもやばそうだから、隙をうかがってたんだよ! 早くそっち掴め!」
 ジャッキールにかぶせている布はゼダの派手な上着のようだ。シャーは慌てて反対側をつかみつつ、暴れだした彼の左腕を押さえつけた。
「危ないから、剣を手から離させろよ!」
「そんなことできたら最初っからやってらあ」
 ゼダは、ジャッキールの右腕をつかんで振り回せないようにするのがやっとのようだ。
「とりあえず、頭を冷やさせようぜ!」
 ゼダがそういう視線の先に、ちょうど噴水の池がある。暴れるジャッキールを二人がかりで抑えつつ、二人は彼の頭を水の中に押し込んだ。
 当然ながら、ジャッキールがいっそう激しく暴れだす。
「うわわ、危ねえ!」
 剣を持っている右手をつかんでいるゼダが、手だけではおさえきれなくなって片足を乗せて押さえつける。ばしゃばしゃ水しぶきが飛び、ぶくぶくと泡が水中から上がる。シャーもゼダも死に物狂いだった。
 必死で押さえつけているうちに、ふとジャッキールの抵抗が弱まってきた。無我夢中の二人も、やりすぎたかとふと我に返る。 
「お、大人しくなった」
「さすがに溺れたんじゃないか」
 と二人が視線を交わした時、いきなりジャッキールが強い力で二人を振り払って起き上がった。わあっと悲鳴を上げつつ、振り払われて二人はひっくり返る。
 げほげほと咳き込みながら、ジャッキールは二人に交互に目をやった。頭からぼたぼた水滴を落としつつ、きっと鋭い視線を浴びせかける。その目が燃えるようだった。間違いなく怒っている。
 思わず、二人は身を引いた。その姿には、見るものを戦慄させるような、なかなか恐ろしいものがある。
「貴様ら……!」
 シャーはおよび腰になりながら、剣の柄に手をやった。 
「ま、まだやる気か、オッサン!」
「そ、そろそろ、寝る時間だろ」
「貴様ら……、絶対にぶち殺す!」
 どうもかなり立腹しているらしい。なんだか状況が余計まずくなった気がする。
 思わず二人が逃げようかと考えた時、ふとジャッキールの体がふらついた。くらくらするのか、そのまま後ずさり、建物の壁に当たってずるずると座り込む。そのまま、石畳の上にばったりと倒れこんでしまった。
「な、なんだ?」
「し、死んだかな」
「いや、このぐらいじゃ死なんだろ、このオッサン」
 一応は心配しつつ、そうっと近寄ってみる。
「寝てるっぽいな」
「だな」
 とりあえず、ジャッキールの息を確認しつつ、二人は盛大にため息をついた。
「頭が冷えたところで、ようやく酒が回ったかな」
「まったく、はた迷惑なオヤジだぜ」
 ゼダが派手な伊達帯をはずして言った。
「とりあえず、ぐったりしているうちに簀巻きにして運んじまおう」
「運ぶってどこにだよ?」
 シャーにも一応棲家はあるが、ここからは遠い。リーフィの酒場に運ぶわけにも行かないし、ジャッキールの家は知らない。シャーがきくと、ゼダは、さっさと先ほどの上着をジャッキールに巻きつけながら答えた。
「仕方ねえから隠れ家を提供してやるよ。ここから近いとこに一軒あるんだ」
「いいな、坊ちゃんは別荘があってよ」
「ただし、ここ数年使ってねえからなあ。埃っぽいだろうが、ま、我慢しろよ」
 ここはゼダの言うとおりにするしかない。
 とりあえず、ジャッキールを簀巻きにし、二人がかりで運ぶことにした。
 いつの間にか、華やかな街の裏側に出てきていた。向こうの方はまだ明るく、客引きの姿が目を引く。それに比べて、なんとなくその姿が情けなくシャーはため息をつく。
 本来、こういうことをしにきたはずではなかったのに。求める情報は手に入ったのだかわからず、最有力な情報源には逃げられ、挙句酔っ払いに振り回されてこの様とは、自分達は今夜一体何をしにいったのだろうか。
「こんなとこ、役人とかに見つかったらいやだなあ」
 どうみても不審者だよなあと嘆くと、
「そういう時は、正直に死体を運んでますって言おうぜ」
 ゼダが涼しげにそんなことをいう。
 ふと、ぼんやりと向こうから漏れる光を見ていると、路地裏の方でかすかな声がした。
「姐さん、そこまでは私にはわからないわ」
「そう、ありがとう」
 なんとなく聞き覚えのある声で、シャーはそちらに目を向けた。
 店の裏口なのだろうか、二人の女性がなにか話し込んでいる様子だったが、その一人が別れを告げて花街の光の方に歩いていく。
 光を受けて輝く黒髪に、白い花が挿してあるようにシャーには見えた。凛とした涼やかな香りが、不意に鼻先を掠めた気がした。――もちろん、こんなに距離があっては、その芳香など感じるはずもないのに。
「どうした?」
 ゼダにそうきかれて、シャーははっと我にかえった。
「な、なんでもねえよっ!」
 シャーは、ぶっきらぼうに答え、鼻先をぬぐった。そこに漂う残り香が、今のシャーにはわずらわしく腹立たしかった。
 
 


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このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。