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笑うムルジム10


 シャーが彼の方に向かった頃には、ジャッキールは店主と話すのを終えて一人で飲んでいる所だった。話はちゃんときいてくれたのだろうか。
 元からそれほど感情を露にするほうではないのだが、表情らしい表情も浮かべずに、淡々と酒を飲んでいるジャッキールというのも、実に話しかけづらいものだ。
 声の届く位置になって、シャーは、思わず喉を鳴らしつつ立ち止まった。かといって、このままぼんやり経っているわけにもいかない。思い切ってシャーは声をかける。 
「あ、あのう、ダンナ」
 恐る恐る手招きすると、ゆっくりとジャッキールがこちらに顔を向けた。そこの位置で話をするのも恐いので、シャーとしてはゼダのいる場所まで彼に来て欲しかった。
 ジャッキールはというと、今日は片目しか見えていないが、明らかに普段と違う危なさが漂っている。
 シャーが手招きをしているのには、気づいているはずだが、彼はこっちに来ない。それどころか、ついと視線をはずすと、無視してまた酒を口に含んでいる。要するに、用があるならお前が来いということなのだろう。
 この野郎と思ったものの、こういうときのジャッキールに逆らうのは危険なので、仕方なくシャーは、そろそろと自分から近づくことにした。
「あ、あの、ダンナ、話しかけてもようござんしょうか?」
「なんだ」
 シャーが、そうっと様子を見ながら話しかけてみる。おっかないが、なんとか話を聞いてくれそうなそぶりもあるので、思い切って話しかけてみる。
「あの、お話はもう終わったんで?」
「終わった」
 ジャッキールは、ぶっきらぼうに答える。ちゃんと話を聞いてくれたのか聞こうとおもったが、ジャッキールが目を合わせないので、とりあえずそれは後で聞こうと思う。
「そ、そりゃーようござんしたねえ」
 シャーは、とりあえず追従しておくことにして、あのですねえ、と本題に持っていくことにした。この際、ジャッキールがどの程度の情報をつかんでいるかは、後で確認すればよいことだ。
「あのですよ、ちょっとダンナに別件で頼みがありましてね」
「頼みだと?」
 ようやくジャッキールが目だけをシャーの方に向ける。
「いやね、ちょっと困ってるんですよう」
 シャーは、かわいこぶってみるが、ジャッキールはいやに冷めた目をしていた。これは、どうも冗談が通じそうにない。
「あの、ですよ。アソコにいる調子こいた奴がいるじゃないですか?」
 シャーは、ベリレルをそっと指差して小声になる。ジャッキールがゆっくりとした動作で、指された先を確認していた。
「ふむ。あれがどうした?」
 ジャッキールに相手を認識させたので、少し安心しつつ、シャーは次の段階に入る。
「実は、アイツ、ちょっとしってる奴でですね、もしかしたら、今回の件にかかわってるんじゃないかなーっとか思うんですよ」
「ほう。それなら、調べればいいだろう。話をききにいけ」
「そ、それが、ですね」
 シャーは、機嫌を伺いながらもみ手をする。
「個人的な問題なんですけどもー。オレは、アイツと揉めたことがありましてね、話ききにいったら逃げちゃうんじゃないかと思ってえ……」
「それならネズミ青年がいるだろう」
 間髪いれずにジャッキールは、そういって酒を口に含む。どうもピッチが早い、気がする。
「アイツも、揉めたことがありましてね」
「揉めた、というより、早い話が貴様等が叩きのめした相手なのだろうが」
 ジャッキールにそういわれて、シャーはすばやくうなずいた。
「さ、さすがはダンナ。よくご存じで」
 ジャッキールは、シャーのへつらいを完全に無視しながら、ちらりとシャーに視線を送る。
「で、俺に何をしろと」
「だ、だからですね、軽くお話をききにいってもらえないかなーなあんて。いや、ここで今何をしているのかってことだけでもいいんで。いい仕事はないかとか、景気はどうかとか、そういう細かい話から類推しますから」
「話? 残念だが、俺は話を聞きだすのは苦手だ。他の方法を考えろ」
 普段は、頼みごとを余り断れないジャッキールだが、今日の彼はひたすら強気である。ここまでストレートに断られると思っていなかったので、シャーは慌てて言い直す。
「そ、それはしってますよ。ダンナは、そうゆうの苦手だってことは、ねえ、でもですよう?」
 シャーは、へりくだりながら上目遣いにジャッキールをみてみるが、彼はこちらを見ようともしない。
(このオッサン……。調子にのりやがって!)
 心の中でののしりつつも、とにかく今は彼をその気にさせなければ。
 ふいにジャッキールの飲んでいる杯が空になっていたのをみて、シャーはすばやく近くの酒瓶を手に取った。
「あ、ダンナ、空いてますね。お注ぎいたしまーす」
 シャーは、ジャッキールの杯に酒を注いだが、その瞬間、アルコール臭が鼻をついた。シャーは、思わず顔をしかめる。
(うわ、きっつい酒飲んでるな、オッサン。オレでもこんなののまねえのに。こんな酒飲む人だっけ、こいつ)
 それをどうとったのか、ジャッキールは、ふむと唸った。
「苦手だから他を当たれといっている」
(だから、他の奴なんかいねーっつーの!)
 と思わず言いそうなのを我慢しつつ、シャーは奥の手を出すことにした。このままでは埒が明かない。時間が経ちすぎると、相手が逃げてしまうかもしれない。
「で、でも、よーく考えてくださいよう。この件は、オレのためじゃなくってですね。リーフィちゃんのための調査だったんですよ」
 リーフィの名前を出すと、さすがのジャッキールもぴくんと眉をひそめる。
「ダンナは人付き合いとか苦手そうだし、そりゃー、事情をいきなり聞きだすのって大変だなーとは思うんですけども、しかし、リーフィちゃんのためですよ。ダンナだってリーフィちゃんに世話になったでしょ? ね?」
 そういわれて、ジャッキールはじっとシャーの顔を見やる。
「そうだよ、ダンナ。協力してくれよ」
 いつの間にか、見かねたのかゼダが横にひょっこり顔をだして援護に入ってきた。
「オレ達じゃ無理だから、ダンナにたのんでるんだからさあ」
 二人にそういわれて、さすがにジャッキールも何か思うところがあったらしい。
「そうだな。貴様ら二人のことはどうでもいいが、リーフィさんのためとなれば話は別だ」
 ジャッキールは、杯をあけてしまうと息をつき、ちらりとシャーに視線を送る。
「注げ」
(まだ飲むのかよっ!)
 思わず口に出しそうになったところで、ジャッキールの危うい視線に晒されて慌てて言葉を飲み込み、素直に酒を注ぐ。ジャッキールは、それを優雅に、しかしぐっと一気に飲み干してしまうと、視線を彼らに向けた。酔っているようには見えないが、どう見ても普段の彼とは違う目だ。
「ふむ、わかった。努力してみよう」
「おお! さっすがダンナ!」
 適当にのせながらも、どこか不安なシャーだった。第一酒を飲みすぎだ。そんなに酒が強い印象もない男なのだが、果たして大丈夫なのだろうか。そもそも、酒が入る前から今日は荒れそうだったというのに。
 ジャッキールは、さらに瓶に残った分を注ぐようにシャーに命令して、それを飲んでしまうと、ふらりと立ち上がった。
「それでは、あの青年に話を聞いてくる。貴様らは目立たんように待っていろ」
「は、はーい」
 返事をしつつ、二人はぶらぶらとベリレルの方に歩いていくジャッキールの背中を見送った。あたりの喧騒が耳につかないぐらい緊張していたのか、急に音がざあっと耳に入ってくる。シャーはいまさらになって汗をびっしりかいていたことに気づいていた。
「いいのか、あんなの飲ましてもよ」
 ゼダもシャーがジャッキールにきつい酒を飲ましたのに気づいたのか、小声できいてきた。
「だ、だってしょうがねえだろ」
「あの様子じゃ、水でもわかんなかったんじゃねえか?」
「バレたらこの辺一帯が血の海だぞ。そんなことできるかよ」
 シャーは、くわばらくわばらと首を振った。
「ここは気をよくしてもらって、あくまで下手にでといたほうが、怪我しないんだよ」
 シャーは、そういってジャッキールの方に目を向けた。
 あとは、彼が素直に話をきいてくれればよい。
 そんな風に思っていたところで、ふと、ジャッキールの前にシャーより年下らしい酔っ払った若者が数名ふざけながら飛び出てきた。
 一瞬、シャーはどきりとした。普段のジャッキールなら、争いを避けるために道を譲るぐらいしたかもしれないが、今の彼にそんなことを期待できるはずもない。
 直後、シャーの悪い予感のとおり、若者達は、ジャッキールに背中からぶつかった。あたりの食器をひっかけたのか、陶器の割れるけたたましい音が当たりに響いた。
 若者達の持っていた酒瓶の中身が、ぶつかった拍子にこぼれ出て、ジャッキールの肩口から降り注ぐ。
「うわあ……、嘘だろ」
 シャーは、小声で唸ったが、大変なのはこれからだ。
 濡れた服に気をとられたジャッキールは、おそらく手ぬぐいでも出して先に拭こうとでもしていたのかもしれない。だが、そんな彼の態度に若者たちが即座に反応していた。彼らは五人ほどだったが、こういう店に出入りするぐらいには荒れて修羅場も経験しているものだったのだろう。それに、多勢だということも、自信につながっていたかもしれない。常人なら、ジャッキールのような男には絡まないだろうが、彼らは違った。
「オッサン、なにぼさっと歩いてんだ! 邪魔なんだよ!」
「そうだ、殺すぞ! でかいくせにぼーっとしてんじゃねえよ!」
「何だと!」
 キッとジャッキールは相手を睨みつける。今までどちらかというとのんびりとした動作だったジャッキールの反応が、一気に早くなった。
(わあああ、何刺激してやがるんだ! あの餓鬼ども!)
 シャーは、慌てて彼らの方に歩み寄った。
 ジャッキールは、無言でしばらく相手をにらみつけていたが、その目が一気に血走っていたのをシャーは見ていたのだ。
 ジャッキールは、突然口元を引きつらせて冷笑を浮かべた。
「小僧、もう一度言ってみろ」
「ちょ、ちょと、ダンナ」
 さあっと青ざめながら、シャーは慌てて間に入ろうとするが、ジャッキールはすでに相手との間合いを詰めていた。
「人の服を汚しておいて、ずいぶんな挨拶だな?」
「何いってんだ? オッサン、ぼさっとしてるなら殺すっていってんだよ。年寄りァとっとと帰りやがれ!」
「あああ、なんてこと……」
 シャーは頭を抱えた。
「出ろ、小僧!」
「お、おい、お前ら。悪いことはいわねえから、早くダンナに土下座して謝っとけよ」
 案の定、あごをしゃくってついてこいとばかりに先に外に出るジャッキールをとめるのはあきらめて、シャーは青年のほうにそう呼びかけたが、シャーの言葉をきくような連中でもない。嘲笑を浮かべて、ジャッキールの後から外に出て行く。
 こういう酒場だ。揉め事の好きな輩が多いから、当然止める気配もない。亭主は亭主で面白そうに見ている。おそらく、亭主にはこの後の惨劇が予想できているのだろうが。
「あーあ」
 後ろでゼダがひとごとのようにつぶやいた。
「人死に出そうだなあ、あれ」
「出されたら面倒だから困るんだがなあ、あのオヤジわかってんのかよ」
 シャーは、頭を抱えてため息を深々とついた。
「しょうがねえな。最悪の事態を回避しにいくぜ」
 シャーは、ゼダにそういうと気乗りしないまま、ジャッキールの後を追いかけることにした。
 ふと、ベリレルのことが気になったのだが、先ほどの騒ぎのせいで酒場が沸き立っていて、ざっとみたところではわからなくなっていた。
 逃げられるだろうか。いや、しかし、今はそれどころではない。

 


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このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。